第37話 美人なお姉さんは最大の補給をする

 その後、さすがに恋人になりたての二人の間に入って帰るのは気が引けたため、一人で帰宅した。

 そういえば朱里さんに何も言わずに家を出てきてしまった。起きてみたら俺がいなくなっていた、となればギャーギャーとわめいているかもしれない。


 まるで子供みたいだな、なんて思いながら、扉を開ける。


 すると扉の空いた音を聞いた朱里さんが、すさまじい速さで俺の懐に飛び込んできた。


「直哉くーん! ど、どうしたのさ! い、家出⁈ ついに私を手放すの⁈」


「家出じゃないし、そもそも朱里さんは僕のものじゃないじゃないですか」


「私は直哉君に身も心も捧げてるつもりなんだけどなぁ」


「お、重い……」


「軽い愛など偽りである! はっはっはー」


 なんだかんだで上機嫌そうだ。

 とりあえず靴を脱いで、リビングに上がる。


 走って汗をかいていたので、今すぐ風呂に入りたいのだが……朱里さんが今は俺の家にいるのでどうも風呂に入りずらい。

 なんだかのぞかれそうで、身の危険を感じる。


「朱里さん、今から風呂入りたいので——」


 そう言いかけたが、後ろから抱き着かれたのでその先が出てこなかった。

 何せ今俺は汗をたくさんかいている。匂いだって臭いだろうし、朱里さんのためにも早く離れてほしかった。


「朱里さん、今汗かいてるので離れてください」


「いや」


「その年でいやいや期到来は厳しいですよ」


「女性に年齢の話をしないの。汗かいてても、直哉君はいい匂いだからいいんだよ」


 なわけあるか、と思う。

 

 汗をかいたら男は大概臭いと相場が決まっている。

 そしてその匂いが集まって作られたのが、野球部やサッカー部、まぁいわゆる運動部の部室の異様な匂い。


 あの臭すぎる匂いの一端が俺の匂いなので臭いに決まっているのだ。


「ほんと気持ち悪くなりますって」


「ならないよ。すごく、安心する」


 今にも寝てしまいそうなくらいに、ゆったりとした声。

 優しく俺の背中を包み込んでくれている。


「まぁ実のところ、僕もこうされて安心感を抱いてるところあります」


「えっ?」


「なんでしょうね。最近朱里さんにくっつかれるので当たり前になったというか……なんだかんだいって必要不可欠なのかもしれません」


「……直哉君……」


 朱里さんの顔は見えないけれど、きっと優し気な表情を浮かべていることに間違いはないと思う。

 

 俺の本心。

 恥ずかしいからと無意識のうちに隠していたが、俺はどうやら朱里さんにハグしてもらいたいらしい。


 つまり、それが俺の答えだというのか。


「直哉君、正面向いて?」


「は、はい……」


「……むぎゅー」


 正面に回って、今度は顔のすぐそばに朱里さんの頭があった。

 俺の体に当たっているところすべてが柔らかくて、本当に女性らしい体つきをしている。


 ほんとに今までよくこんな人の誘惑に耐えたというわけだ。

 俺の理性が頑固過ぎたのだろう。


「最近どうしたんですか? やけに僕に甘えてきますけど」


「……直哉君を充電して満タンにしておこうと思って」


「なんですかそれ。また恋人がいる人たちの中に放り込まれるんですか?」


「そんなことはないけど……でも、それに似た感じ。私は今から、最大級の補給を開始するよ」


「お好きにどうぞ」


「えへへ~」


 五分……いや、十分くらいだっただろうか。

 その間、ずっと朱里さんにハグされ続けていた。


 俺からハグし返していいのかと悩みながら手を迷走させ続け、充電が完了したのかそっと俺から離れる。


「ありがとっ!」


 その朱里さんの笑顔は、俺が今までに見てきたどんな笑顔よりも美しくて、いとおしかった。

 

 俺は恥ずかしがりながらも、「どういたしまして」と返した。


 そんな俺の姿を見て、朱里さんはまた笑う。

 

 俺はこの違和感に全く気付けていなかった。

 最近ありえないほどにスキンシップを取ってくるし、毎日のように甘えてくる。


 寂しさを紛らわすだけなら間違いなく足りているはずなのに、それ以上に甘えてきた。


 それはきっと俺のことが好きだから、


 それもあるのだと思う。

 けど、それは少し違うのだと、少し経ってからわかった。





 この日を境に、朱里さんは俺の家に来なくなった——





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