実践編
一時間目(衣装を外すことについて)
「……どういう風の吹き回しなんだ?」
トレードマークのコートを取り、シャツを取り去り、ズボンさえ脱いで、上下、関節までを覆うキルティングの下着姿になったリロイは、ヴィクターに視線を向けてそれとなくシャノンのことを尋ねる。当のシャノンは靴を両手に握ったまま紐の始末に四苦八苦していた。
「親睦を深めようと思ってな。どうせ閉じこもって誰とも連絡を取り合ってないんだろ? よくないぜ、そういうの」
ヴィクターのいうのももっともだった。リロイはずっと一人でいた。シャノンと最後に会ったのがいつのことだったかさえ、明確には思い出せない。少なくとも前回ヴィクターと会ったのだって半年は前だ。優に三年は期間が空いていることだろう。
「……そうかもしれないな。こちらとしては話を通しておいて欲しかったが」
痺れる指をこわごわ動かし、リロイは苦い顔で言った。手袋を抜いて、少し迷ってから付けていた指輪も外す。それらを纏めてベッドサイドに置いた。手袋の上には光るものが二つ。ヴィクターはそれをちらりとみた。
「そうは言ってもな……おまえ、嫌がるだろ。おい、シャノン、そんなとこに突っ立ってないでこっちに来い、邪魔になるから服は脱げよ」
リロイはヴィクターの視線を辿り、ベッドの横に立つシャノンに目を向ける。彼は、は……と虚を突かれたように言ってから、自身が握るものに目を落として、少し慌てたような声を出した。
「こ、この靴はどうすれば?」
「ベンチの下に揃えて並べろ。……脱いだ上着はそっちのコート掛け、それ以外の服は畳んで椅子の上にでも積んどけ。それから剣は……」
きびきびと発せられる明瞭な指示を聞くでもなく聞いていて、リロイは普段見ることのないヴィクターの年長者としての振る舞いを垣間見たような気持ちになった。ふと、指示を出していたヴィクターの言葉が途切れる。言葉を探すように口ごもるヴィクターの視線の先では靴を降ろしたシャノンが熱心にコートのボタンを外していた。リロイのものとは随分配列の違うそれを見て、ヴィクターがにわかに視線を泳がせるのが見えた。
「なあ、シャノン……一応聞いておくが、今脱いだその服、自分一人で着れるよな?」
「あ、当たり前でしょう? なんですか、藪から棒に…… いくら私が若輩だといっても、その、こ、子供じゃないんですよ!」
語気を強めるシャノンの声にヴィクターが僅かに目を見開いて、それから苦笑するのが見えて、リロイはああ、と思う。シャノンは若いのだ。自分が想像するよりも、ずっと。
「着られるのならいい。……変なこと聞いて悪かったな、忘れてくれ!」
垂れ幕の陰で、服を脱ぐ手を止めたらしいシャノンはすこし考えるように時間を取って、それから答えた。
「わ、忘れる前に……一つ言わせてください。ヴィクター、時折あなたは私のことを、必要以上に年下と見なします。あなたが私より年嵩なのは知っています。心を配ってくれるのもありがたいことだと思っています。力が及ばないことを指摘されるのを侮りだとは思いませんが、それも過ぎれば侮辱になり得ます。それだけ、覚えておいていただけませんか」
穏やかな気立てのシャノンから発されるどこか熱の篭もった陳情に、リロイは名状しがたい心持ちになる。よほど恥ずかしかったのだろうな、とまず思い、実情と食い違った評価を下されるのに我慢がならないのだろうな、と次いで思う。狭量なのとはまた違う、潔癖な気質はやはり優等生と称するにふさわしく、それは同時にすれたところのない純情さだ。若いのだな、とリロイは思った。どこか腑に落ちたような、重い実感だった。
◆◆
シャノンは緊張して唇を舐めた。途切れた言葉に、不躾でなかっただろうか、と思う。ヴィクターはすこし困ったような顔で『すまなかったな』と返してきた。シャノンは重く頷き、そこで話は終わった。シャノンは自分の言葉が反発なく聞き入れられたことに安堵した。ヴィクターはベッドの用意を始めたようで、リロイはヴィクターを手伝うためにか、腰掛けていたベッドから降りたようだった。
シャツとズボンを脱いだシャノンはコートと帽子と靴とを片付け、首に巻いていたスカーフを外すと、キルトを結わえていた紐をほどこうとした。固定用のボタンに手が掛かったところでシーツを収納から出していたヴィクターが立ち上がって声を上げる。
「待て待て待て待て、どこまで脱ぐ気だおまえ、ボタンを外すな、下は着たままで良い!」
「えっ? あっ、はい……わかりました……?」
シャノンは戸惑った。最初に全て脱いでしまうつもりでいたが、違ったのか。言われてみれば、リロイはキルトを着たままだ。ヴィクターは立ち上がってリロイにシーツを投げ渡した後、一歩二歩と踏み込んだものの何をするでもなく、不可解な顔のまま動かない。リロイはヴィクターが投げ渡したシーツを黙って広げていた。シャノンは解きかけた紐を元のように結わえてそちらへ向かう。どこで立ち止まれば良いか分からずいると、ベッドの端に立っていたリロイが手招いて、戸惑うシャノンにシーツの上へ座るよう促した。シャノンは示されたとおり天蓋の下に入り込んで、馴染みのない手触りのシーツへ腰を下ろす。歩いている間中ヴィクターの視線が付いてくるのが恐ろしく、その居心地の悪さと言ったら冷や汗が出るようだった。続けてリロイはヴィクターにも服を脱ぐよう相図したようで、腰を下ろしたシャノンがヴィクターからそれ以上なにか言われることはなかった。天蓋の下は垂らされる幕のために薄暗い。ゆったりとした沈黙の中、リロイは静かに口を開く。
「こういうことはあまり馴染みがないか」
「え……ええ、その、恥ずかしながら」
「……そうか」
リロイが言ったのはそれだけだった。どうしたらいいのかわからなくなったシャノンは、少し俯き、目でリロイのキルトの縫い目を追った。伸びやかな体を覆うそれは単調な草模様だ。簡素で、どことなく垢抜けなくて、生地の綿だってふっくらしていると言うにはどこか足りず、自分が今注視する縫い目そのものもいびつに見える。それでも、通常あるような野暮ったい印象は受けない。そればかりか見慣れた自分の衣服と違うことが、どうにも底の知れないリロイを殊更妖しげに見せていた。シャノンは気まずくなり、目を伏せようと顎を引いてから、既に自分がこれ以上ないほど視線を下げていたことを思い知る。
「なんだ、シャノン。シーツが気になるのか? べつに変な事ってないぜ。待たせたな、始めるとするか」
明るく発されたヴィクターの声に、シャノンは弾けるみたいに顔を上げた。電灯を背に立つヴィクターの、細幅の紐でギチギチに巻かれた黒い胴衣(コルセット)は怪しく光を反射する。シャノンは見慣れない衣装に目を奪われ言葉を失った。普段目にする紺と臙脂の色の濃い上着も非日常的な雰囲気があるが、これはその比ではない。艶っぽく光る地はサテンで作られているらしく、それらは着衣の隙間から見え隠れする隆起した筋肉と奇妙な調和が取れている。そのように感じられる。じっと向けられ続けるシャノンからの視線に、ヴィクターの表情は困惑に濁った。
「あのな、いくら俺が見つめていたいほどの美丈夫だからと言ったって、そうも見られちゃ穴が開くぜ……まあなんだ、さっきは怒鳴って悪かったな。慣れてないというのなら一つずつすすめていったらいい。そうだろ、今夜に限って時間だけはたくさんあるんだ」
「はい。ええ、その……」
ありがたいことです、と軽く目を伏せてシャノンは返した。普段通りの調子が戻ってくる。シャノンは二人が言葉を交わすのを横目に見ながら、短く切りそろえた爪をなぞる。そうしてぼんやり顔を上げ、マントを着ていないヴィクターの背中は不思議と大きく見えるのだな、とどこか他人事のように思った。
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