三日目
3-11 三日目 昼(寝坊)
シャノンが目を覚ましたとき、太陽は既に高い位置にあった。意識のピントが合い、にわかに寝過ごしたと気がついたシャノンは、剣をひっつかんで掛け布を跳ねた。寝台から飛び降り、顔を拭き、髪へがつがつと櫛を通す。泡を食ったような身支度の合間、あっけにとられたような顔のヴィクターと目が合った。手帳を手にしたまま固まっている。ヴィクターと半ば同居状態である今の状況を思い出したシャノンは、顔を赤らめ、わなわなと身を震わせた。
「ど……見、う、も……もう昼でしょう!? おこ、起こしてくれると言ったではないですか! ずっと黙って見ていたのですか!?」
今にも飛びかかろうという勢いのシャノンを前に、ヴィクターはどうどうと宥めるように手を向けた。
「待て、わかった、落ち着けシャノン。確かに何かあれば起こすと言った。用事や問題があればそうするつもりだった。なにも悪くないからとにかくまずは落ち着いてくれ。お前がこの時間まで眠っていたのはひとえに俺の裁量によるものだ。聞いたな? わかるか?」
わかったら握った物を降ろして服を着ろ、とヴィクターは言った。言われてようやく左手に握った酩酊剣に気が付く。シャノンは見せつけるような動きで剣を降ろし、羞恥と動揺に震える右手で絡んだ櫛をゆっくりと外した。
「………………すみません、取り乱しました。無礼を……お許しください」
「いい、いい。何度も言うが大丈夫だ。多少は心が開かれてきたんだろうさ。半分くらいそのためにやっているんだからな、無論それも織り込み済みだから安心しろ」
◆
まったく損な役回りだぜ、とヴィクターは口笛でも吹くような調子で言った。気まずい思いをしながら服を着付けていたシャノンは目を瞬き、不審そうな目を向ける。
「なんのためだと?」
「信頼だ。最初に言わなかったか? 腹を割った関係を築かねば現場には出られない! 互いに行動が読めるだけでは離反のリスクもある。疑心は相手が裏切った場合こそ有効だが、不信が裏切りを呼ぶこともある。そんな事態に陥った時点でその組は終わりだ。遅延も問題もなく行動できるなら責められる筋合いはないが…… 当然そういうペアは稀だ。相手をある程度信用し、心を許すというのが重要になる。ああ、見聞きしたことは人に言わないから安心しろ、それくらいは俺だってわきまえている……」
「……それは、私も同様に?」
確認するようにシャノンが訊ねれば、ヴィクターは呆れたような顔をした。
「当たり前だろうが。上官を売り渡すような真似はするもんじゃないぜ。下手を打てば報復があるし、身内へ害を及ぼすなんて知れたら人が寄りつかなくなる」
変な噂を立てられて良い気がするやつなんていない、とヴィクターは続け、するなよ、と念を押した。頷きこそしたが、シャノンはそこで僅かな反感を覚えた。
「あなたの言い分はもっともです。師を得るのも簡単なことではありません、ですが……」
口ごもったシャノンをヴィクターは不思議そうに見返した。
「どうした? この際だ、何か言いたいことがあるならはっきり言ってくれよな」
「……弱みを握り、互いの口を塞いでおくことがなにに寄与するのか少し考えたのです。第三者に明かせぬ領域を作ることで行動を制限し、手を結ばざるを得ない状況を作り出す…… 関係を作るというのは……そういうことなのですか?」
疑問に対し、ヴィクターは真意の読みづらい表情で肩をすくめた。
「そうだって言えばシャノンは安心するのか? それともなんだ、そういうやり方は気に入らないと? 公正を保つことがいつだって賢いやり方とは限らない」
「いえ。仮にそうなら、よくできたシステムだと思ったまでのことです。……ときに、先ほどの返答は肯定と取っても?」
「訊ねずともおまえの都合の良いほうで取ったら良いだろうに。結果的にそうなる場合もあるが、そもそもの前提として閉じた場で得た情報は外へ撒くべきではない。そうだよな?」
お前ならわかるだろ、とヴィクターは言った。シャノンは『家』の仕事を思い出し、言葉にしづらい納得を得た。
「……ごもっともです」
◆
「寝起きにする話でもないな。ともあれ今日は特別の用事がある。俺は準備をしてくるからシャノンは下の洗い場で身体を清めておけ。髪と肌着も忘れず洗えよ。用意は机の上だ」
言うなり、ヴィクターは問い質す間もなく出て行ってしまった。取り残されたシャノンは真新しい石鹸と手拭いを取って階を下る。昼前のシャワールームはしんと静まり、奇妙な喪失感にシャノンは怯んだ。ほどなく、傍に張り付いて威圧する師がいないからだと気が付く。シャノンは先ほど着つけたばかりの服を脱いでカランをひねった。濡らした石鹸からは標準的な花香料の匂いがたつ。昨晩はたいた粉の消毒剤によって肌の泡立ちは悪い。ともあれ先は長そうだ。水を浴びるシャノンは、遺跡調査のための荷物リストをもらったのに、ベッドの解体をしていたせいでなんの用意もしていないことを思いだし、ふーっとため息をついた。
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