狼藉・実行編

午後-6B(脳を焼く陶酔について)

今からこれに口を付けるのか、とシャノンは思う。考えるほど、足のあいだのものが反応する。いけない、と思うも、思ったところでどうなるものでもない。跪くような姿勢と、纏ったコートがその醜態を見えづらいものにしていることに僅かばかりの安堵を感じるのみだ。

シャノンは薄く口を開き、足のあいだへ埋めるように顔を寄せる。それから、ハンカチにくるまれた外性器へ口を寄せた。そのまま顔の半分を手で隠すようにして、口の中へと迎え入れる。まず、熱いと思った。真の随まで煮え立つような熱の塊が、舌の上に乗って口腔の全てを支配していた。次に、大きいな、と思った。おそらく、それは口に含むようにはできていない。息は苦しく、口はうまく閉じることができない。そもそも根元が体に繋がっている以上どだい無理な話ではある。シャノンは緊張に胸の締まる思いをしながらより深く咥えこむ。


ともあれ、直の接触だ。手の中にあって形のわからなかったそれが、口腔にぴったり収まっているというのは妙な心地であった。シャノンはおずおずと舌を這わせた。垂れた唾液が流れていかないよう、自前で用意したハンカチで押さえておく。普段の習慣から口を拭いたいと思ったが、口にものが入ったままである現状、それもなかなか難しい。はふはふと浅い息を繰り返しながらシャノンは色事に慣れぬ舌を動かした。そもそもの可動域のこともあり、舐めるというよりはただただ這わせるというのがふさわしく、舌がなぞるのは緩慢な動きだ。口の中で動く感触があるが、熱くてそれどころではない。シャノンはぺたぺたと舌を這わせる。口の中を埋める質量に呼吸が阻害され、頭がぼうっとした。



苦しいな、と思う。それはそうだ、呼吸と食事、それから発話にしか使ってこなかった器官をこんな風にするのは、なるほど、道理にかなっているとは言えまい。皆は隠れてこんなことをしていたのか。確かに人に見られたい姿ではあるまいな、と思う。される側は気分が良いものなのであろうか。わからない。この手の接触と距離を保ったまま生きてきたシャノンには知る由も無いことだった。


口元を手で覆ったまま、舌と上顎で押しつぶすように食む。これで合っているのだろうか。気分は悪くないだろうか。口を埋めるそれのために、言葉に出して訊ねることができない。いつまで続けるものなのだろうか。それは当然終わるまでだ。終わるまで。シャノンは息を吐こうとして失敗した。それは、こうして口の中に隠している状態でわかるものなのだろうか。思えばなにも知らないなと気が付いてしまい、シャノンの心をどっぷりとした焦りが満たす。解放は受け入れている側からも感知できるものなのだろうか。きっとそうだ、と言い聞かせ、逸る心と不安をなだめる。枕を重ねた時には、相手の方から適切なタイミングで適切な声かけがなされた。だから、きっと、わかるものなのだろう。ああでもしかし、それが訓練によって習得するようなものであったら、とシャノンは思う。仮にそうであったなら、今の自分ではそれこそ手も足も出ない。恥をかかせるようなことはしたくない。失態を責められるようなことも、なるだけなら避けたい。ああ、どうにかなってくれ、とシャノンは思う。僅かばかりの心得は、言葉通りに僅かでしかない。安心と言うにはほど遠い手つきのまま触れたことをリロイは許してくれるだろうか。どうにか、どうにか今日だけはせめて何事もないまま終わらせたい。実力不足を隠し、小手先のやりくりでやり過ごすような真似をしたのだと知られれば、己の師は怒るのだろう。シャノンはそこまで考えてから、それ以前のところで激怒するであろうヴィクターに思い至り、少しおかしな気持ちになった。



「……シャノン」

息継ぎをしながら舌を這わせていると、側頭部を撫でるように手が降りてきた。シャノンは口を隠したまま見上げようとして、この体勢ではコートの腹を見るのが精々であると気が付いた。目を動かすと、視界の端、股の付け根のあたりに見慣れた色の手が下ろされる。

「シャノン、手を……」

苦しげな声だった。酸欠でぼんやりしたまま、シャノンは顔を覆うように置いていた両手のうち、右の手だけを外して、求められるままに差し出した。触れ合った瞬間、ギリギリと万力のような力で締め上げられ、シャノンは口の中のものを吐き出してむせた。唾液の糸が口の端を垂れて落ちる。性急に引っ張り上げられたシャノンは掴まれた手を始点にして、ぶら下がるように立たされた。骨の抜けたような今の足では、リロイにしがみつかないよう体を支えるのが精一杯だった。体重の大部分を受けているはずなのに、ガッチリと掴まれたまま、手は離れない。肉を潰さんと圧搾する手指の間で、骨がめきめきと軋みを上げた。拭い損ねた唇からは未だ唾液が垂れている。手は軋み、服の中は汗で湿っていた。意図しないうちに流れていたのだろう汗は冷えて、局所局所がじっとりと熱を持つ。羞恥。強い痛みと不快感。しかし、何もかもがそれどころではなかった。

「あの、リ、リロイ……?」

「もういい、もう十分だ……」

私はいつまでこうして座っていれば良い、と、苛立ちを堪えるような調子の声でリロイは問う。いまだ手を苛み続ける痛みや、叱責への恐怖によって全身の血の気が引く。何か怒らせるようなことをしただろうか、とシャノンは回らない頭で考えた。リロイは唇を噛んだ剣呑な表情のまま、睨むようにこちらを見ている。自分を掴んでいるのと反対側の手が不愉快そうにガリガリと手袋の甲を引っ掻く。その仕草によって、酸欠でぼうっとする頭にも、片手で持ち上げられているのだというのがわかってしまう。寒気がした。コートを着ていて、剣も帯びたままの自分が持ち上げられている。考えるまでもなくとんでもない力だ。僅かにまくれた手袋の裏には青く波模様が見えていて、それは見慣れたコートの裏と同じ仕立てだった。しかし、すでにシャノンの感情はいっぱいいっぱいで脳がその驚きを実感として覚えることはなかった。いつまで座っていれば良い、とリロイは問う。シャノンは答えるために痺れたように曖昧な舌を強いた。

「それは、その、お、終わるまで……」

「……『終わるまで』?」

低い囁き。どろりと濁ったような目の色に、遠近感が失われていく。シャノンはここにきてまた、どうして良いかわからなくなってしまった。ふらつくのを抑えようと伸ばした腕で壁へ手をつけば、天地の境の無くなったような酩酊のなかで、それだけは唯一しっかりと実体があった。もたれかかれば、右手にかかる荷重が減り、足も少しは楽になる。こうしていればなんとか立っていられそうだった。口を不機嫌そうに曲げたまま、リロイはゆっくり首を振った。

「……中断させてくれ。耐えられない」

鈍い光を湛えた目がシャノンを見据える。唇からこぼれた言葉は低く脳を揺らす。物騒な造りの手袋を掻き剥がそうとするかのように指を立てていたリロイは、シャノンを離し、おもむろに立ち上がった。反射光が遮られ、シャノンの立つ場所はより暗い陰になる。暗闇の中へ響く声に、ああ、と思う。自分よりも大きいものに見下ろされるのはこんなに恐ろしいものだったのか。闇の中で身一つ、退路を断たれたまま放り出されるというのは、こんなにぞっとするようなことなのか。シャノンは剣に手を伸ばし、手の平で鞘を擦った。こんなことなら、部屋に書き置きの一つでも残してくるのだった、と思いながら。

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