幕間(本編に関わりのない猥褻話)

インタールード

休暇-1(熱を帯びた薬草茶について)

本編と関わりのないインタールード。一章ラストと同程度の猥褻描写あり。



扉を叩くノックの音は二回。次いで扉が開く音がする。リロイはペンを操る手を止め、来訪者に視線を向けた。私邸についた個人の書斎だ。返事も待たずこの部屋に入ってくるものなど一人しかいない。元気か、と問うのは、想像したとおりの聞き慣れた声だった。

「用向きはなんだ、ヴィクター。一体何をしに来た」

喉元まで出掛かった文句を飲み込んで問う。無作法な真似をするな、開ける前には確認を取れとよほど言ってやりたい気分であったが、怒鳴りつけるというのもまた礼儀にかなった行いではない。扉を閉じた男は机の所まで歩いてきて、天板へと手を乗せた。せめて積んだ書類に触らないようにと目で制すれば、ヴィクターはわかっているとでも言いたげに口の端をつり上げる。リロイはもう一度、用件を訊ねた。目の前の男は帽子の陰で肩をすくめた。

「焦るなよ……なぜ来たかという話だな。今日から訓練校は夏の休暇だ。例年通りなら話はそこで終わるが、今年は人の出入りが減るこのタイミングで校舎の建て替え工事が入った。教える相手もいなければ行く場所もない。時間はできたものの、別にやることがあるわけでもない。議会は動いてるだろうが、せっかくの休暇に仕事をするというのもな!」

言いながらヴィクターは屈み、机を挟んだ向かいからリロイの顔を覗き込んできた。リロイは目をそらし、視界の中で光ったものを追う。目を留めてみれば、それはストマッカーのピンにあしらわれた黒曜石であるらしかった。

「そう、つまりは暇になったってわけだ、相手してくれ」

喧しい仕草で男は手を広げる。そうは言ってもな、と呟き、リロイは書類の山の間でぎゅっと目を細めた。ずっと手元を見つめていたためにピントはうまく合わなかった。

「……見ての通り俺は暇じゃない。時間があるというのなら女王に会ってきたらどうだ。話し相手には良いだろう」

提案に対し、ヴィクターはわかりやすく顔を曇らせた。

「それは男の方か?」

「……当然だ。他に誰が……いや、アルゴスがいたな。議会が開いているのなら彼女は公務があるだろう。ディアナだ。彼ならきっと暇をしている。行けば歓迎してくれるだろう」

歓迎ね、とヴィクターは呟いた。

「お前の言うことはもっともだが、御免被る。あれは俺のことを嫌っているだろう。頼まれたって嫌だね……」

「……嫌っているというふうでもあるまい。会いたくないと思っているのはヴィクターの方ではないのか?」

厭うようなそぶりで腕を組んでいたヴィクターは、それを聞いて片眉をつり上げた。

「そうかもな! ともかく女王に会いに行くのはなしだ。時間があるというのは、中座の言い訳が用意できないということだ。嘘じゃ女王の神託はごまかせまい。今回の暇つぶしの対価はなにになるやら」

ぞっとすると言わんばかりにヴィクターは首を振った。一体なにをしたらヴィクターからこんな言葉が出てくるのだろうか。女王の考えることはよくわからない。わかることもないだろう。浮かぶ疑問を頭から消し、リロイはペン先をインクにつけた。紙へ降ろし、途中書きだった文章を完成させる。一行書いて、次の段。ペンを滑らせていれば、腰掛けたらしいヴィクターの方から椅子の軋むような音がした。

「しかし何もないというのも慣れないな。好き勝手やってる身の上だが、こうもまとまった時間が取れるなんていうのは今までなかった。なあリロイ、せっかくだしどこか行ってみるか?」

スツールの上で足を組み、ヴィクターは行楽の打診をしてくる。リロイは筆を止めないまま話を続けた。

「一般論としたならば悪くない提案だと思うが、見ての通り俺には仕事がある。たとえ書き物が無くとも、屋敷を長期間離れるわけにはいかない」

「だよなあ! まあいい、俺にも茶をくれ。訓練の相手はなく、遺跡調査もない。更に言うならシャノンは公務だ。俺だけだよ、暇なのは……」

ペンを上げたリロイは目元を抑え、ふーっと息を吐いた。大げさに嘆いてみせるヴィクターの声は喧しく、気分もあまり良いとはいえなかった。普段と変わらないはずの物言いが今はどうにも煩わしく思える。

「愚痴なら余所に行ってやれ。退屈だというのはよくよくわかった。騒ぐようなら追い出すが、大人しくしているというのならその限りではない。話し相手くらいはしてやる。気が済むまでいたら良いだろう。茶も欲しければ勝手に持って行け」

言い返されると思っていなかったのか、言葉を切ったヴィクターには少し、驚いたような気配があった。呑気なものだ、とリロイは思う。


◆◆


屋敷に来てはぞんざいな扱いを受けるのが常であったが、それにしても棘のある言い方だった。今日に限って随分と機嫌が悪いようだ。思わぬ不運に苦笑して、ヴィクターは余計な邪魔が入ったことに腹を立てているらしいリロイの顔を盗み見た。やや疲れの見える顔と、乾いて艶を失っているように見えるまなじりがそこにある。少し思うところがあり、ヴィクターは眉根を寄せた。

「……邪魔して悪かったな。翻訳か?」

「ああ……置いてあるものを手に取らないようにしてくれ。どんな術がかけられているともわからない……」

そう言ったリロイに乱雑に積まれた書類の束を気にしたような様子はない。ともすれば氏族に紐付く蔵書であるのかもしれなかった。あるいはブックカースがつけられていたのかもしれない。がりがりと熱心に書き物をするリロイを眺めながら、ヴィクターはカップのハーブティーへ口をつける。もったりとした感触の液汁には渋味がでていて、上質ではあるが、どこか出涸らしという風情があった。冷め切っているのも不精の結果なのだろう。つくづく仕事熱心なことだと思う。さておき、秘密のレシピのハーブティーは普段と調合が違うらしく、とろとろとした甘みの中には僅かな香辛料の気配がある。舌を潤す僅かな香味は胃に落ちるごと少し体を熱くさせ、奇妙なリズムを発生させた。なるほど、この手の趣向をこらすのも悪くないと思っていたが、それも舌が痺れるまでのことだった。ペンを握ったままのリロイはこちらを見もしない。ヴィクターはなんでもないような顔をして空になったカップを眺め回す。まさかこのタイミングでその手の『もてなし』をするような間柄ではないと思っていたが、事実、舌は異変を訴えている。厄介なことに致死性の低い毒物の類いは議会の管轄外だ。故意であれ事故であれ、リロイは罪に問われまい。


どうするべきだろうな、とヴィクターは考えた。意図が本物だとするなら、ここは大人しく死んでやるのが優しさというものだろうか。アレルギー反応における致死の判例はどうだっただろう。ともあれ、本意を確かめるのならば舌が動く今のうちだ。ヴィクターはあれこれと考えるのをやめ、直接訊ねてみることにした。

「なあ、リロイ、茶に何か入れたのか?」

問いかけ自体はなるだけ軽く、深刻そうな色の出ないように注意する。返事はなかった。続けた方が良いかと思い、ちょっとこれは、といったタイミングでリロイは唐突に手を止めた。沈黙が降りる。一秒、二秒。もしや当たりだったか、とヴィクターが僅かに疑い始めたとき、ようやくリロイは口を開いた。

「……味の違いがわかるのか。集中を高めるために調合を少し変えてみた。気に入らないかもしれないが薬効のあるものだ、文句は……」

不明瞭な発音の早口で言葉が続き、不機嫌そうな顔が睨むように向く。ヴィクターは目を見開き、おや、と思った。歪められているわりには悪意も打算も感じられない口元。深い肉体疲労の見える顔と、横方向へ僅かにぶれる眼球の動き。顔色は悪かったが、これはおそらく動揺によるものではない。紙面から上げられたペンに目をやれば、跳ねたらしいインクの青が指先を僅かに染めている。少し、悪い予感がした。

「いや、これ……あー、待て。いったん忘れてくれ。リロイ、大丈夫か? いつから休憩を取っていない?」

「どうだって良いだろうそんなことは……別のことをしていると辞書が頭から抜けそうだ…… ああ、まただ……」

低く唸り、リロイはペンを置いた。懊悩するように、あるいは頭痛を堪えるように、髪をぐしゃりとかき回す。指輪の外れた白い手が金の結い髪を無惨にも崩していく様子にはさしものヴィクターもぎょっとした。苛立つように息を吐いたリロイは左手に嵌めていた指輪を外し、机に置いてあった別の指輪と取り替えた。手袋の填まる前の手がもう一度髪に触れ、ヴィクターは生唾を飲む。

「長く生きるとこういう部分が駄目になる…… 今日の所はここまでだ……」

対象の不明瞭な悪態をつき、リロイは置いたペンを机の端へ寄せた。乱れた髪が目を奪う。舌は痺れ、体へ寒気に似た熱が回った。ヴィクターは目眩を覚える。リロイに倣って悪態の一つでもつきたい気分だ。血圧は不当に上がり、気分が悪くなった。

「……それで、なんの話だ。なにか言いたいことがあったんじゃないのか? ヴィクター、何故目をそらす。そんなに口に合わなかったか」

「ああいや、違う。気にしないでくれ。求めていた答えは得た、質問を変えよう。……仕事のきりはついたのだろう、これから暇か? 時間を割いて俺に…… そう、眠り薬を出してくれないか」

「……眠り薬。眠り薬? どのやつだ、オフィキナリスか?」

机に手をつき、どこかぼうっとしたまま答えるリロイに、ヴィクターは首を振った。

「ソムニフェルムだ……不眠があるわけじゃない。おまえのいうところの薬効とやらが悪く出た、どうにも神経の……そう、具合が悪い」

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