後日談(二部)

導入編

休日-1(喉を刺す憎悪について)

場所は書斎。銀のトレイを書き物机へ置き、リロイは届いた封筒を手に取った。口を塞ぐふっくりとした封蝋には魔術紋。几帳面に畳まれた便箋には時候の挨拶と、先だって送られた書状への返事の礼、詳しい訪問予定が丁寧な字で書かれていた。筆跡はまごうことなくシャノンのもので、封蝋に開封の痕跡はない。リロイは便箋の入っていた封筒を改めて見た。地には透かし見を禁ずる紋が刻まれて、好奇の視線や情報の抜き取りから内容物の保護をする。魔術士どうしでやりとりをするときに使う特別の紙だ。サインに不審なところはなく、使われているインクにだって妙なところはない。そのきちんとしていることと言ったら、やや過分な印象を受けるほどで、リロイは手紙の中身を精査しながらシャノンの優秀さについて考えずにはいられなかった。



「……よく来た」

「お招きありがとうございます、リロイ」

約束の日、きちんと時間を守ってシャノンは現われた。格好は形式通りでそこにはおかしな所の一つだってない。自分がこれくらいの年の頃は、とリロイはわずかに思考を巡らせたが、詮無いことであるな、と感じたのでそれ以上のことは考えなかった。環境も社会情勢も違う。成人の歳さえ今とは違ったように思う。並べたところで比較のしようがなかった。ともあれ、招き入れて椅子を勧めればシャノンは優雅に礼を言って腰を下ろした。それから、手に提げていた包みをほどき、折り詰めを差し出してくる。机の上へ優雅に押し出されたそれを、リロイは頷いて引き寄せた。

「こちら、手紙にも書きましたとおり、北の特産である焼き菓子を再現したものです。あまり馴染みのないものかとは存じますが、珍しいものですので是非ご賞味いただけたら、と。お口に合えばよろしいのですが」

「そうか。ありがとう。気を遣わせてしまったな」

茶を用意する、一緒に食べよう、といってリロイは折り詰めを開けた。箱は重く、見たところ具の多い堅焼きのケーキのようであった。リロイは用意したナイフをそっと刺し入れた。縦に長い俵型のケーキを、まず三等分にして、それを対角線に二等分。直角をそれぞれ一つずつもつ、合計六個のピースができた。それをリロイはランダムに二つずつ取り分け、サーブした。結果として、脇によけた箱の中には余った二切れが残っている。サーブしたケーキにも手を付けず、シャノンはそれらを眺めている。リロイは眉を上げ、ポットから茶を注ぎながら声を掛ける。

「食べないのか?」

「これは失礼……お茶の香りを楽しんでおりました」

取り繕うように微笑んで、シャノンはフォークを手に取った。手を添えてケーキを崩すところに妙な動きはなく、咀嚼するところにも変なそぶりを見せるようなことはなかった。育ちの感じられる、きれいな所作だった。リロイは茶を一口、ゆっくり味わうように飲み、シャノンが一つを食べ終えたところで自分の分のケーキへと手を付けた。口に入れると、干した果物の香味が広がる。どっしりとした生地は中心までよく火が通されており、膨らみも申し分ない。材料の鮮度にまで配慮の及んだ、とびきりの焼き菓子だった。

「……油分の多い木の実に柑橘の酸味が爽やかだ。よくよく調和が取れている。良い味だ」

「お褒めに預かり光栄です」

シャノンは優雅に微笑んだ。どこか誇らしげで晴れやかな顔に、杞憂であったか、とリロイは思う。いや、そうでなくては困る。悪心を抱き、あまつさえ実行に移されたとなれば、リロイはこの男を斬らねばならない。それは体面や後継者のポスト、実利、様々なレイヤーにおいて、非常に具合の悪いことだった。



「……なにか、気にかかることが?」

未だ、箱の中を窺うように眺めているシャノンへ、リロイは訊ねた。見ている自覚がなかったのか、シャノンは少し驚いたような顔をしてゆっくりと首を振る。

「いえその……馴染みのない切り方だな、と思いまして」

馴染みのない切り方。その言葉に目を細め、リロイは訊ね返した。

「……焼き菓子を切った経験は? 単純に切り分けるのではない、他者の前で切り分けて、サーブするような経験だ。あるだろうか」

こちらの意図をわかっているのかいないのか、シャノンは問いかけに不思議そうな顔のまま頷いた。

「ええ、それは勿論…… 祝い事の時にサーブをするのは男の役目でありますので。こう見えてもヴィクターから装飾の焼き菓子を切る許しを得ている身です。その上で、こういった装飾的なナイフの入れ方というものを目にする機会が……リロイ、どうしましたか。お加減が優れないのですか?」

「いや……」

言葉を濁しながら、装飾的なナイフの入れ方ときたか、とリロイは思った。確かに実利的な考え方からすれば装飾的だというのは真理である。真理であるが。見当違いの答えを返してくるシャノンへ、何から言ったものかと考える。ヴィクター(集団における上位のもの)から装飾の焼き菓子を切る許しを得ている、とシャノンは言った。口に入るものを分配するのは本来立場の強いものであるべきだ。その上で花形である焼き菓子を任されたというなら、これは、単純な信頼とシャノンの技量が高いことの表れだろう。大層なことだ、と思う。そこはそれでいい。問題はそこではない。



知らせるべきか秘するべきか。リロイは迷ったが、結局、シャノンの立場を考えるのならばきちんと伝えておくべきだと結論づけた。

「今話題に出たナイフを入れることついてだが……私が言わずともそのうち知ることになるだろう。楽しい話ではないがどうか気を悪くしないでほしい。これは儀礼的な切り方、守るべきとされた作法の一つだ。形骸化した作法ではあるが、成立した当時はその有用性が認められ……」

そこまで言ってから、リロイは少し考え、言葉を切った。シャノンは続く言葉を待っている。

「いや、結論から言おう。これは毒殺対策だ。諜報や謀略が盛んだった頃、手土産として包まれる様々に毒が仕込まれた。その中でも飲食物、特に菓子が多かった。検査をするのが難しく、その上で体に入れるものであるというので、特別対策の要があった。その時の習慣が作法として未だに残っている……おそらく、シャノンも部下を持つようになったら誰かしらから教わるだろう。重ねて言うが、儀礼的なものだ。話を聞いて、気分を害したとしたならすまない」

シャノンはわずかに驚いたような顔をした。不審な動きを見せたのは、そもそも初めて見るものであったからか、とリロイは遅れて理解する。

「質問があります。……訊ねても?」

「構わない。言ってくれ」

「毒殺対策であるとの話でしたが、対角に切ることがそのこととどう関わってくるのですか?」

この手の話には暗くて申し訳ないのですが、と少し困ったような顔で言ったシャノンに、リロイは深い納得を覚えた。どうも本当にそれらとは無縁の暮らしであったのだろうなというのは反応から察する通りだったが、暗いという言葉そのものにも嘘偽りはないらしい。頭痛を堪えながらハーブティーを含み、どこから説明したものか、と考える。

「……対角に切るのは、これが一番見た目が良いからだ。その意味では先ほどの装飾的だという意見は道理に適っている。作法はあれど、切り方の委細は個々に委ねられた項目だ。……対策の本質は細かく、均質に、より予測のつかない方法で分配することにある」



リロイはペンと紙、コインと小さな砂糖菓子とを用意した。コインとペンは机へ置き、砂糖菓子はつまみ上げてケーキの隣に添える。

「この砂糖菓子を菓子の中へ潜り込ませ、相手へ食べさせたいと考えたとしよう。シャノンならどうする。焼き菓子のどこに入れたら、用を果たすと考える?」

紙に四角を描き、コインを添えて差し出す。シャノンは口へ手を当て、考えるようなそぶりを見せた。

「……相手の口に入る部分を予測せよ、ということですね。人数にもよりますが、目上には通常中心に近い部分を回すものです。仮に二人としましょう。食べやすい大きさは指二本ほど。この径のものを切り分けて一枚だけということもないでしょうから二枚。飾りの木の実をさけて刃を入れる……とすると、このあたり」

長方形の中心からややずれたところへとコインを滑らせたシャノンに、リロイはゆっくり頷いた。

「そうだ。どこに手を付けるか、相手に分配を委ねたとしても作った側からはある程度予測が付く。模様や飾りで味覚と視覚、両方の特徴になるものを付けた上で、主催側へ是非と勧めたならばそれらのコントロールはもっと容易になるだろう」

リロイは言葉を切る。コントロールが容易になるというのは実際その通りだった。目を細めたリロイは紙上のコインを指で示す。

「……予想が付くということはすなわち、そこを避ければ毒殺を回避できるということだ。もっともよくできた部分をあえて客側にふるまうのが流行り、それを見越した位置に毒が入れられ、またそれに対する対策が考案された。結果として、予測を立てること自体が双方にとって困難なものになった」

リロイはコインをどけ、長方形へ十字に線を書き入れた。それをさらに三ずつに分け、格子状になるよう斜線で塗り分けた。そうして元のようにコインをおくと、それはちょうど線の上にかぶる位置にあった。

「ランダムに切り、なるだけ均質になるよう混ぜて分配する。しるしがあれば、持ち込んだ客はそれを避けようとするだろう。怪しい動きがあれば問いただし、疑いが確かなものであると判断されたのならばしかるべき処分を受けさせる。特殊なケースとしては、目隠しのために毒物の混入を知らされていない連れ添いが同席させられる場合があったが、均質に分配がなされていれば多くの場合は知らず経口摂取することとなり、悪意はおのずと明らかになる。最終的にはそうして様子を窺いながら食べ進めるというあたりに落ち着いた。過去の話だ」

リロイがペンを置くと、シャノンは眉を下げたままゆっくりと頷いた。それは困っているとも怒っているのだともわからない、どこまでも不透明で曖昧な笑みだ。せめてこの話をするのが、出来合いの品を扱っているときであったならな、とリロイは思う。そうであれば、こんな居心地の悪さを感じることもなかっただろうに、と。

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