六時間目B(足に触れる誉について)

「もうこれは実際やってみせた方が早いな」

ベッドに膝をつき、ヴィクターは手の先でリロイを呼んだ。そのままなんの躊躇いもなく下着を手首で引っかけて下ろすので、シャノンは僅かに見えたヴィクターの腰からさっと目をそらした。リロイが黙って体を沿わせたのを横目で見て、シャノンは『足を組む』というのが実際何を示すのかをここにきて理解した。ぴったりと閉じた足は組まれることもあるのだろう。なるほど、開くという表現が使われなかったのは卑俗な言い回しを避けたゆえの事ではなかったのだな、と思う。

「スタンダードというとこれだ。立位が最も一般的で、安全が確保できる場合は側臥位を採用する。まあそれも好き好きだな。座位でするやつもいる」

目を伏せたまま、シャノンは気まずそうに二人の方を盗み見た。あまり凝視するのは失礼に当たるだろうか。躊躇いや戸惑いこそあるものの、普段見る機会のない裸身に何の興味も引かれないと言えば嘘になる。暗い中でもこれほど居心地の悪い思いをするのだから、灯りの下ですることにならなくて本当に良かった、とシャノンは思った。慣れたもの同士であれば互いがしっかりと視認できるくらいの光量で行うものであると思っていたが、もしかしたらそこはヴィクターが気を回してくれたのだろうか。連れてきてもらったことといい、ヴィクターには感謝せねばな、とシャノンはシーツの波を見て考える。それと直接口に出して言う機会はこの先もきっとなかろうが。

「……その、変なことを言っていたら申し訳ないのですが、足を閉じている側というのはあまり、ええと……行為に求められる効用が果たされないのでは?」

シャノンが問えば、ヴィクターは明るい声を出した。

「良いことに気が付いたな。点数を加算してやろう」

その顔が『剣の振り方が良くなってきた』と言うときと同じ表情だったので、シャノンは訓練を思い出しなんとも言えない気持ちになった。すると、それまで黙っていたリロイがもの言いたげに首を傾げて口を開く。

「……シャノンの言う当世風の『やりかた』だってそうだろう。どんな秘密があるか知らないが、負担を顧みれば効用を果たさないどころの話ではない」

ヴィクターの耳を掌で包み、リロイは短くそう言った。シャノンが驚いてリロイを見ると、リロイは何でもないように手を放し、しれっとして後頭部をなぞった。話はそれで終わったらしい。ヴィクターはどこか不快そうに耳をこする。

「リロイ、喋っているときに耳を触るなよ。ああ、悪いな、シャノン。よく聞こえなかった、何か言っていたか?」

その言葉を聞いて、リロイが音を遮断したのだ、と気が付いた。ヴィクターに聞かせないために。シャノンの持ち込んだ話題が要らぬ火種を撒かぬように。シャノンは唇をなめる。

「いえ……それより、効用について教えていただけませんか? 何か含むところがあるのでしょう?」


「ああ、そうだ。こうして足を閉じている側は別段、気分が良いとかそういうことはない。普通にしてるだけならな。リロイ、手を。足で良い」

「了解した……今日は素手だ、出力は落としておく」

「気遣い感謝する! 計画があるから更に半分で良いぜ」

するりと這わせられた手があらわになった腿に押しつけられる。深く吐いた息の音が微かに耳に届く。先ほどリロイと触れ合ったシャノンには、あの肌の合わせ目ではあのぐるぐると回るような心臓の音と感覚とが行き来しているのだろうことが手に取るように分かった。なるほど、これなら、直接的な刺激を受けねばならぬということはない。よく出来ている。考えていると、ヴィクターはふと思い出したように言った。

「先ほどは素性の知れない人間を呼び込まない、と言ったが、一般的な傾向として腹に筋肉の付いた体が好まれる。リロイはすごいぞ」

「やめろ、後進に変なことを教えるな」

ヴィクターの何気ない一言へ、嫌そうなリロイの声が飛ぶ。すごい、というのがどんなことか具体的に分からなかったものの、シャノンは体が僅かに重くなるのを感じた。あまり反応するのも良くないだろうと思ったのでさしあたっては曖昧に返す。すごい、というのはどういうことだろう。シャノンは深く考えないよう、目の前に居る二人へと視線を向けた。


見ている分には何が起きているのかあまりわからない。ヴィクターは時折微かな息を吐くだけで、リロイに至っては何の動きもない。思えば下着を外しているようなそぶりさえ見ていないので、これはリロイにとって純粋なデモンストレーションであったのかもしれない。あるいは、目に見えないだけで、あの皮膚の下では何事かが起きているのかも知れないが、どちらにしろシャノンには知覚することさえ難しい。


喋るのをやめただけで随分静かになったな、とシャノンは思う。静かすぎるくらいだ。目の前に大の大人が二人も居るというのに音といえば衣擦れが僅かに聞こえるのみで、この無音の結界内でなければそれさえ他の音に紛れてしまっていただろう。目を閉じでもすればきっと自分が一人きりであると錯覚してしまう。シャノンはふと空恐ろしい気持ちになった。

「もういい。十分だ」

しばらく笑っていた後のような喜色の混じる声音でヴィクターは言う。それがあまりに急なことだったのでシャノンは思わずぎょっとした。

「シャノン、来い。おまえの番だ」



ヴィクターの示すままに下着を下げ、膝をつく。体が沿わせられると、腰がじわりと温くなる。リロイの手が腿の裏に這わせられ、鼓動が跳ねる。自分の背後にいるリロイが、まるで貫くような格好で立っているのだと思うと、考えるだけでゾクゾクした。普段人に触られることのない内腿へ大きな掌が重ね合わされるだけで、心は居ても立っても居られなくなる。シャノンはシーツをひっかき、浅い息を吐く。

「ほら、しゃんとしろ。せっかくなんだ、いいところを見せてやれ」

頭上からヴィクターの声が飛ぶ。シャノンは何を言われているのかがわからなかったが、ヴィクターの声音と表情、ひそめた声の調子から、なにか口にするのもはばかられるような意味を帯びているのだろうことはなんとなく察せられた。常であれば文句の一つでも言っただろうが、今のシャノンにもはやそんな余裕は残されていなかった。直に触れ合った場所から流れ込んでくる快楽の渦は苛烈で、柔らかく触れる腰骨の感触は意識を方々へねじ曲げる。その上、リロイはすりあわせるような動きをしてみせる。媚態のようでさえあるそれに、シャノンの理性は散り散りだ。動いて良いのか、声を上げても良いのか。ヴィクターは少し楽しそうにしていただけだった。よくもまあ、あんなに平然としていられたものだ! こんなに身を悶えさせるものなのだと言うことさえ、ヴィクターは教えてはくれなかった。自分が変なのか。それとも、こういうものなのだろうか? シャノンは息を吐き、シーツにすがり、口を強く押さえた。


奥歯を噛む。額を擦り付ける。耐えがたい、と思う。全くもって悩ましい。息を詰めて耐え忍んでいれば、解放はすぐにやってきた。シャノンは体を震わせて、息を努めてゆっくりと吐いた。体は熱く、口を閉じても呼吸を求めて止まない肺の苦しさが、羞恥に燃えるようだった頬を殊更に熱くした。



汚れた体を拭くようにと渡されたハンカチを、使った部分が表に出ないようたたみ直しながら、シャノンは着付け直した下着姿のまま座っていた。胸中にはどうにもしっくりこないような心持ちがわだかまっていたが、目の前にいるヴィクターとリロイは始める前と変わらない風だったので、シャノンは慣れないことをしたためだ、となるだけ気にしないように務めた。ゆったりと手を広げて話をするヴィクターの存在がこんなに得がたいものであると感じるのは、やはり慣れないことをして気が焦っているためなのだろうな、とシャノンはどこかぼんやりした頭のまま思う。

「足を閉じているのが上手いやつは女と寝てもうまくやる、という話がある。これは全く無根拠というわけでもない」

初めて聞く話だな、と思いながらシャノンは聞いていた。どうもこの言い方からするとヴィクターの周りではそういう話があるらしい。とすると、ヴィクターはうまくやる側の人間であるのだろうな、とも思う。どうもヴィクター本人はその関連付けへ自分が当てはまること自体に気付いていないらしい気配があるのだが、指摘するまでもなくヴィクターは与えられた役割を立派にこなしてみせるのだろうなと思われた。

「好色な物言いは好かないな。言うなれば神聖なものだろう。それをさしひいたとしてもむやみに関係するのは褒められたことではない」

よく分からないなと思ったものの、敵将の首を集めるのとは訳が違う、とリロイが続けて言ったので、シャノンは深く考えるのをやめた。

「お堅いねえ。まあでも概ね同感だ。そういえばシャノンは……いや」

視線を向けられたのに気が付いて、シャノンは首を傾げた。

「……どうされました? なにか聞きたいことが?」

「ああいや、悪い。言いかけたが、尋ねる必要のないことだったのを思い出した。代わりといっては何だが、片付けの仕方を教えてやる。せっかくだ、覚えていけ」

ヴィクターは首を振って話を逸らした。ヴィクターがこういう話し方をするのは珍しいな、とシャノンは思った。話題に上らせた状況の上で口を閉ざすということは、なにか、本当に訊かざるべきことだったのかもしれない。しかし、自分に答えられないようなことをヴィクターが質問するとも思えない。一体何を訊くつもりだったのだろう、と考え、しかしそれを尋ねるのは憚られた。なにより、なにかを知っている様子のリロイがヴィクターをじっと見つめているのが恐ろしい。

「え、ええ。では、そのように……」

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