3-5 一日目 昼(手紙)

「さて、脳に養分が回ったところで、今日は書き物をしてもらおう」

日が昇りきったこの時間でも変わらず図書館はほの暗い。吊された明かりの落とす光の中で宣言し、ヴィクターは懐から一揃いの便箋を取り出した。

「特別製の便箋だ。インクはこれを使うと良い」

シャノンは差し出されたそれを恭しく受け取る。硬く、透けず、滑らかな、質の良い紙だった。特別と言わしめた地の厚い便箋と大きな封筒。インクからは嗅ぎ慣れた匂いがする。この様子だとなにか重大な契約の類いであろうなと、紙を触り慣れたシャノンは直感する。目を眇めるシャノンの様子にヴィクターもなにか感づいたようで、咳払いをしてから話を始めた。

「今から書いてもらうのは遺書だ。……縁起でもない話ではあるが、遺跡調査に赴くとき、行き先で命を落とした時のために書き置きを残しておくしきたりになっている。この手の書き置きは通常、私財の処分であるとか、遺産の配分、それから所属団体や、保有不動産のその後について書いておくものだが……家の財産や役職の引き継ぎについて書く必要はなかろう。家の人間や議会の奴らだって、お前なんかよりよほど慣れてるだろうしな」

そうかもしれませんね、とシャノンは無感情に答えた。慣れてしまうほど死人が出るものであるのかと思いはしたが、見た目よりも年嵩だという上位のもの(ヴィクター達)にはそれなりの事情があるのだろう。あるいはしきたりそのものの蓄積があるのかも知れぬ。ヴィクターへ目を向けるが、さして気にした様子もなく、言葉は続く。

「で、あるならば、問題は私有財産の処分についてだが……いや、一つ聞くのを忘れていた。シャノンは個人の実験室を持っていたりはするのか? あるいは弟子を取っていたりは?」

「いいえ。知らせてあるとおりです。……それ以前に『実験室』とはなんです?」

「術士の中には稀にいるんだ、何かよくわからないものを大量にため込んだ巣をもっているやつが…… 身近な人間に知らせていない場合だと片付けのときに処分のことで大いに揉めるし、それが古いものとなれば本人も忘れている場合がある。後から発覚すると面倒だ。まあ、ないならいい。なにもないところから地下コミュニティが生えてくることはないし、あってもそれは俺の落ち度ではないからな……」

ヴィクターは濁すように言葉を切った。そこに薄ら寒い闇の匂いを嗅ぎ取って、シャノンは少し哀れみに似た情を覚える。

「さて、話を戻そう。私有財産の分配についてだ。入って年数の浅いお前にとってはそうでもなかろうが、議会付き魔術士の手回り品なんていったらひと財産だ。同業なら欲しがるやつはたくさんいる上、馴染みのない人間には危険が過ぎる。それを盾に着服するやつも後を絶たない。いくら家族の形見といっても、特殊効果付きのアイテムなんぞ扱いに困るというのも事実だ。だからといって無断の持ち去りを許容はしないが。とにかくこれは揉める。なんだったら手癖の悪いやつをつるし上げるために喧嘩の火種として論争に持ち込む人間もいるときたもんだ。後に残されたものを守るためにも、信頼できる人間へ渡るよう書いておけ」

そこまで言ってから、誰か良さそうな相手はいるか、とヴィクターは訊ねた。シャノンは目眩がするようだった。良さそうな相手。信頼の置ける相手。

「それなら……あなたが良いでしょうか。帽子の誂えをしていただいた仲です。信頼や正当性という観点では適格でしょう」

シャノンの提案に、ヴィクターは嫌そうな顔をした。

「セルの相方を指定してどうする、共倒れになった時のことを考えろ。他に誰か信用できる人間はいないのか……?」

「……魔術士でという条件であれば、いないですね。そうですね、リロイはいかがですか。魔術士で、信用に足る方です」

嫌そうだった顔が一転、呆れの色に染まる。ヴィクターはため息をついて首を振り、当てつけがましく大仰に嘆いてみせた。

「俺がそれを聞いて、名案だって言うとでも思ったのか? 譲り渡した品がこんな形で戻ってきたらやりきれないぞ……」

ああでもそうか、炉の所有権はお前に移っているのだったな、とヴィクターは続けて言い、顔をしかめたまましばし考えを巡らせた。

「仕方がない。今後、適格だと思えるような人間が見つかるまでは俺の名を書いておけ。お前共々俺が死んだら、譲り受けた物品共々『次』に行く。後処理をする人間は大変だろうが、やってもらうよりほかあるまい」

わかりました、と形式的に返し、シャノンは言葉の意味を考える。所有権が移っている、という言い方は些か妙だった。小型の炉はリロイからシャノンに間違いなく譲渡された。目の前で見ていたヴィクターがそこへ物言いを付けるとしたなら、なにか隠された理由があるのだろう。訳があるということには容易に想像がつくが、その内情についてはどうにも判断しかねた。自分はこれを受け取ったことで何を背負い込んでしまったのだろうな、とシャノンは思い、考えたことが伝わらないよう顔を伏せた。



インクをさしてペンを滑らせる。きれいな字を書くんだな、とヴィクターは声をかけてくる。シャノンはそうだとも違うとも言わず、曖昧に濁す。書き終えた文面を確認し、署名の欄を埋めた。吸い取り器(ブロッター)を転がし、紙面を乾かす。

「拇印で良かったですか?」

「ああ。判より拇印の方が確実だ。複製がきかないわけだからな」

差し出された朱肉に指を乗せ、シャノンは書面を完成させた。指を拭ってから封筒に入れ、糊付けした口に封印を付ける。作成手順はそれで終わりだった。シャノンは手袋を戻し、封筒をヴィクターへ渡した。

「これで良かったでしょうか」

「ああ、何も問題ない。よくよくできている上、思った以上の速さだ。やっぱり慣れてる人間は違うな。安心して任せられる」

光栄です、とシャノンは言い、自分のペンを胸ポケットから取り出した。

「ヴィクター、差し支えなければ、少し時間をいただいてもよろしいですか? もうひとつ書かねばならないものがあるのです」

「予定より大分早く終わったからな。別に構わないが、一体何を書こうと言うんだ?」

許可を得たシャノンは紙の入った引き出しを探り、汎用の便箋を数枚取り出して示す。それを横目で見たヴィクターは、手紙か、と呟くように言った。

「ええ。先ほど、接触を避けるという話が出ましたが、隔離期間の間は会合に出られない旨を知らせねばなりません」

机に置いた手を組んで、ヴィクターは不思議そうな顔をした。

「会合? わざわざお前が周知をせずとも、議会には上から通知が行ったはずだ。なにか特別気にかかることがあるのか?」

「……ああ、いえ、家にです。月に一度ずつ、その、面会があるので」

シャノンは眉をさげ、指先で紙の端をなぞった。



「公務の絡みか? 他の用事ならまだしも議会の招集だ、わざわざ気を回すこともなかろう」

シャノンは広げた便箋に通り一遍の挨拶と用向きを書きこみながら、どうにも気まずい思いをした。ヴィクターの言うことはもっともだ。魔術士になり議会に所属を移した以上、家の仕事(公務)よりも議会の招集が優先される。あるいは、指揮系統の混乱を避けるため、しなければならないとされている。そのことはシャノンにもわかっている。優先順位の低い関係であるという了解がシャノンと相手の双方にある上で、斯様に綿密なやりとりをするのでは道理が合わないというのも然り。しかし、今回のケースはそうではない。

「いえ、公務……とはまた少し違って。違わないと言えば違わないのですが、ええと。その、なんと言って良いか……」

手を止め、インクが垂れないようにペンを置いてから、シャノンは言葉を探した。ヴィクターは不審そうに肩をすくめ、興味が失せたとでもいうように先ほどまでシャノンが探っていた引き出しの中を覗いた。

「まあいい、封筒はいくついるんだ? 三つか? 五つか?」

「ひ、一つあれば結構です……」

非難するような目のヴィクターがぱっと振り返るので、シャノンはどうしたら良いかわからなくなって目を泳がせた。

「個人宛ての書式だろう。一人の人間に対してそんなえこひいきみたいな真似をしているのか? というかそんなにたくさん何を書くことがあるんだ、公務の絡みと言えなくもない間柄ならば、親密な相手というわけでもないんだろう……」

ヴィクターから返る言葉を聞いて、シャノンは自分の言い方がまずかったことを自覚した。決定的な取違えだ。咄嗟に首をぶんぶん振って否定を示す。いかに房持ちとして議会に籍をおく身だとしても、別の城主と不当に通じていると思われていては流石に立場がまずくなる。そもそもシャノンには城にまつわる決め事へと口を出す謂われも権利もない。

「ご、誤解です! 家に送るとは言いましたが、家に縁のある者へ宛てるわけではないのです! いえ、縁者といえばそうですね。その……言うなれば身内ということになるのでしょうか」

焦った様子で口早に言ったシャノンへ、ヴィクターは納得しかねるというように首を傾げた。

「だったら初めからそう言えば良かろうが。親兄弟という風でもないな。なにかあるのか?」

「……なんとも説明しづらい間柄の方なのです。私の兄に縁深いお人なのですが、厳密に言えば家族というわけではありません。娶せるようにと連れてこられたと聞きましたが、その人は結婚をしなかったので血の繋がりがあるというわけでもなく…… 本来ならば話はそこで終わるのですが、ここのところ、なにか計らいがあるのか会話の席が設けられるようになっておりまして。知らぬ仲というわけでもなくなったので、用事があるときなどはこうして手紙を送ったりなどして交流を持っているのです」

「そんなことしてたのか? お前も大変だな……」

少し驚いたようであった顔を困惑に歪め、口を閉ざしたヴィクターは椅子へと腰を下ろした。それ以上は追求する気がないのか、目を伏せたシャノンが曖昧に頷けば、ヴィクターは机に置いた封筒を差し出してくる。シャノンは封筒の礼を伝え、書き終わった便箋を中に入れて糊で口を閉じる。そうしてできたふっくらとした封筒を、シャノンは懐へと収めた。

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