3-4 一日目 昼(食事)

「……ああ、そうだ、シャノン。常備薬はあるか? 頓服とかだ」

今しがた思い出したといった様子のヴィクターから出し抜けに訊ねられ、シャノンは口ごもる。

「え、ええと、胃薬が少し……」

返答を聞いたヴィクターがあからさまに眉をひそめたので、そんな顔をされるような心当たりのないシャノンは驚き、僅かに動揺した。

「その薬って今持ってるか? ちょっと出して見せてみろ……ああなんだ、粘膜保護の錠剤か。なら大丈夫だ。シャノン、おまえ、胃が悪いのか?」

「いえ、まあ、そうですね…… 悪いというほどではありませんが、時たま痛みが出ることがありまして……」

答えながら、胃が荒れる原因など一つしかないだろう、と言うかどうかシャノンは一瞬だけ迷ったが、あまり事を荒立てても仕方がないなと思ったので曖昧に濁した。シャノンの言葉を聞いたヴィクターは目を丸くして、なにか、もの言いたげな顔をした。

「……そうか。解決は難しいかもしれないが、俺にできることがあったら言え。ちょっとくらいならなんとかしてやる」

「……ありがたいことです」

心掛かりだとでも言うように眉を寄せるヴィクターへ、謝意を示す。概ね全ての元凶である己の師だとはいえ、決して悪人というわけではない。難儀なものだとシャノンは思った。シャノンがなんと言ったものか考えていると、目を瞬いたヴィクターは懐から時計を取り出し、パチンと鳴らして元のように仕舞った。

「……まあなんだ、戻る前に朝食を取ろうな。とっておきを食わせてやる」



空は高く、風は穏やかに吹いている。植え込みの傍のベンチへと場所を移し、シャノンはどこか上機嫌に見えるヴィクターを見遣った。

「……先ほど朝食を食わせてやるとおっしゃいましたね。なにか……あてがあるのですか?」

「ああ、察しが良いな。これをやろう。缶詰だ。中に魚が入っている」

胸元からさっと出てきた鈍色の缶を見て、シャノンは目を瞬いた。受け取ると体温が移っているのか仄かに温かい。ずっと持っていたのだろうか、とまで考えて、医務室で執拗に繰り返された『褒美』の内情に思い至る。嬉しそうにしていたのは取り出すタイミングを今か今かと待っていたためだろう。驚かせようとしたのだろうか。シャノンは何を言えば良いかわからなくなって、見たままを口にした。

「缶詰……ですか」

「そうだ。これは保存食だ。密閉容器に入れておくことで、汁気の多いものも常温で腐らず置いておける。……見たことがないか?」

「いえ、そういうわけではないですが……あまり馴染みはないですね……」

どうやって開けるものなのだろう、とシャノンは握った缶を転がしながら考えた。縁の部分は圧着だろうか。ここを剥がせば筒と蓋部分が離れるのでは、と思ったが、指先で叩いてみると触って感じる印象以上に硬く、自分の力だけでそれができるとはあまり思えなかった。

「それで、食べものが入っているのはわかりましたが、これはどうやって開けるものなのですか? なにか方法が?」

「ああ、良いものをやろう」

そういってヴィクターは栓抜きのようなものを渡してきた。シャノンは反射的に受け取ってから、見慣れない形状の道具をまじまじと見つめた。握りがあり、妙な形状の板金があり、内側に小さな刃のようなものがついている。剣や包丁、その他の刃物とはまるで違う。尖ってはいるが、研ぎの鈍い小さな刃だ。この大きさの刃となると、何かを切るのには不適格であろうと思われた。

「なんですかこれは」

「缶切りと呼ばれる道具だ。使い方を教えてやるから渡した缶を開けてみせろ」



言うが早いか、二つ目の缶をどこからか取り出し、ヴィクターは缶のへりへ道具の頭を当ててすいすいと切り進めた。途中まで切ったところで、お前もやってみろ、と渡される。シャノンは見よう見まねで力を込め、二秒と待たず手を滑らせた。ガチ、と嫌な音がして、缶切りが跳ねる。ヴィクターが手を重ね、飛んでいこうとしていたそれをさっと押さえる。

「大丈夫か? 爪を縁の角に引っかけながら押すんだ…… 今度はゆっくりやって見せような」

缶を指さし、支点の位置を示しながら、ヴィクターはもう一度実演した。グリップをシャノンの手に握らせ、手を被せて力の入れ方を示してくる。二度やったところで、シャノンはようやく補助無しに押し切ることができた。最後まで切り、蓋を持ち上げてみると中身に入っていたのは堅パンだった。

「存外難しいものですね……」

「慣れれば簡単にできるようになるさ。さっき渡した方も開けてみると良い」

シャノンはこわごわ刃を引っかけて、ギコギコと切り進めた。ぷんと嗅ぎ慣れない肉のにおいが立ち上る。切り口は不揃いであったが、なんとか開けることができたので、シャノンは安堵の息をついた。開けてみると、こちらの缶には白っぽい肉が詰まっていた。シャノンは目を瞬く。

「あの……それで、これはどうやって食べるものなのですか……?」

忘れていたというように手の平を打ち合わせて、ヴィクターはどこからか折りたたみ式の肉匙を出した。シャノンは沈痛な面持ちで受け取った。そしてそのまま、なにかわからない肉と堅パンを交互に口に入れて噛む。みっしりとした感触と塩気。舌を潤す脂の味。

「うまいか?」

「わかりません…… なにぶんこのような食事というのは馴染みがないもので……そもそもこれはなんの肉なんですか?」

「魚だ。大型のものを切って、煮て詰める」

シャノンは曖昧に頷いたが、実のところ、説明を聞けど理解は難しそうであった。大型の魚といわれても、それがどんなものであるのかうまく想像ができない。馴染みのない味であることだけ間違いなかった。筋っぽいというには繊維が細かく、淡泊と言うには独特の風味がある。タンパク質の類いではあろうが、形容は難しい。もそもそとシャノンが魚肉をつつく前で、ヴィクターはもう一つ缶を出した。蓋についたタブを起こして一息に引き開ける。シャノンは新たに出てきた缶を物珍しさからじっと見た。

「なんだ? ああ、苦労して開けたのに俺がプルタブの缶を持ってきたから恨めしくなったか?」

「え、いえ……」

ヴィクターはもの言いたげに肩をすくめ、缶に匙を入れた。二口食べてから、お前も食べるか、と差し出してきたので、シャノンは釈然としない気持ちのまま食べさしの缶を受け取った。そんな顔するなよ、と鷹揚に言って、ヴィクターは困ったように肩をすくめる。

「この類いの缶は便利ではあるが、持ちが悪い。どうも旧式の閉じ方と比べて密閉の精度が余り良くないらしい。仮に遺跡のどこかで見つけても食べない方が良いだろうな!」

これを作る金型は近年に開発されたものだから、一定古い遺跡の中にあったら時空のねじれを疑うのが良かろう、とヴィクターは続けたので、シャノンは返す言葉に困り、缶の中へ視線を落とした。プルタブ缶の中には緑色をした豆が詰まっている。

「ああ、そうこうしている間に朝食の時間を逃してしまったな。これもやろう」

懐を探り、ヴィクターはキャンディバーを取り出して半分に折った。礼を言って受け取りながら、皿の数がどんどん増えていくな、とシャノンはどこか他人事のように思った。

「……携帯食ですか」

「そうだ。歯には悪いが脳に良い。食べ終わったら図書館に行く」

ゆっくり食べろ、と言い、机に肘をついたヴィクターは口にバーの半分を放り込んだ。

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