ベッドの中の1.2.3.

佳原雪

前編

導入編

HR-1(夜半に部屋を尋ねることについて)

「呼ばれていないが来た、息災にしていたか?」

時は夜。回る時計の針も揃おうかという頃合い。書斎から廊下へ続く扉から現われ、はつらつと手を振ったヴィクターに対し、部屋の主であるリロイは嫌そうな顔をした。

「何をしに来た? 連絡の一つも寄越さず夜半の訪問など責任ある大人のすることじゃないと、俺は前にも言ったはずだ。それに今日はシャノンがいるだろう。彼が真似をするとは思わないが後進の前で慎みのない行動は控えて貰いたい」

浴びせられた文句の数々に、すまないな、と悪びれもせず言うヴィクターの後ろには見知った年下の男が控えている。ヴィクターがここに来るのに一人でないのは珍しい。そうリロイは思ったが、十年に一度くらいはそんな日もあろう。ここのところは屋敷へ訪れることさえなかったのだから。

「非公式な訪問とはいえ椅子くらいは用意してくれたって良いだろう?」

勝手に上がり込んできたヴィクターが、さあさあ、と手を広げて言うので、リロイは外していた指輪と手袋を元のようにはめ直し、今度こそ嫌な顔をした。

「個人の書斎に椅子がそういくつもあって堪るか。出て行け。すぐに客間を開けさせる、少し待っていろ……」

「いいや、それには及ばない。俺たちは誰にも見咎められずにここまで来た。シャノンはさておき、俺が自由に出歩くのを好ましく思わないものも多い。いや、それは知っての通りだな? そういうわけでここに俺たちがいることはどうか秘密にしておいて貰いたいというわけだ」

抜け出してきたものでね、とヴィクターは言う。壁にかかるベルへ伸ばしかけた手を引っ込め、呆れた男だ、とリロイは思う。

「……そういう事情があるなら仕方がない。ともかく、場所を移す。こちらへ」

吊していたランタンに葉と火を入れれば、香炉から白い煙がつう、と流れ落ちて床の上を広がっていく。まさか自分の屋敷の中を歩くのに人払いの香を焚くことになるとは。香炉が持ち運びの利く形のもので良かったな、と思いつつ、リロイは外していた剣を下げ、二人を手招いて廊下へ出た。



通した私室に二人分の椅子を用意し、リロイは急ごしらえのハーブティーを注いだ。

「たいしたものは出せないが、茶菓子くらいならなんとかなる。欲しい場合は都度言ってくれ」

約束もなしに来るからだ、と苦々しげな顔は物語る。ヴィクターは浅い手袋をはめたままの手で優雅にカップをつまみ上げ、鷹揚に笑った。

「十分だ。まさかリロイの入れる茶が飲めるとはな。抜け出してきて正解だった。ああ、もう一杯くれ。喉が渇いているんだ」

宛がわれた分をさっと飲み干したヴィクターは機嫌良くカップを差し出してくる。

「図々しいぞ、ヴィクター。シャノンも遠慮せずに飲むと良い。この男ほど寛がれてはさすがに困るが」

かぶった帽子もそのままに、澄ました余所行きの顔で座っているシャノンにリロイは砂糖菓子を出してやる。シャノンはリロイの『特別扱い』へ少し困ったように眉を下げ、柔和に微笑み返す。

「お心遣い感謝いたします。……ああ、これは良い味がしますね」

手袋を外し、几帳面な指先は茶菓子をつまむ。湯気に透けた表情が和らぐのを見て、気苦労の多い身なのだろうな、と思う。改めて考えるまでもなく、ヴィクターに師事して職務を全うするというのは苦難の類だろう。この見た目通りのやかましい男と過ごす中で、付き合いきれないと思ったのは数度では収まらないし、このまま縁を切ってしまおうかと思ったことさえある。リロイはカップを干した。旨そうに茶を飲むヴィクターのストマッカーは相変わらず赤と青からなる派手なストライプだが、今日のはいくらか装飾が凝っている。抜け出してきたといっていた。シャノンを連れているということは臨時の会合が開かれたのかも知れない。議会の面々は変わりないだろうか。


考えれど、今のリロイには関係のない話だ。ヴィクターは一体何をしに来た? まさか茶を飲み来ただけということはなかろう。部屋は静かで、湯気に乗って茶の薬草が甘く香る。ヴィクターもシャノンも何も言わない。リロイは二人のカップが空くのを待った。黙っているとこれが穏やかな時間であると錯覚してしまいそうになる。そうしているとヴィクターはポットを引き寄せ、残りの茶をシャノンと自身のカップにそれぞれ注ぎ足した。夜間の訪問といい勝手なまねを。こうしてやってきた訳も話さず、そうまでして対話を避けるのは何故だ。引き延ばして一体何の得があるというのか。邪魔をしにきたというのか? シャノンを連れてきてまで? リロイは苛立ち、咳払いをする。二人の視線がリロイへ向いた。

「……そろそろ喉も潤ったころだろう。一体何の用で来たのか聞かせてもらえないか。またいつもの気まぐれか? シャノン……後進の立場というものもあろうが、君もこの男を止めてしかるべきだ。君がついていながら、どうしてこんな不躾とも言える真似を許した?」

「いえ、その……私は……」

膝をそろえて所在無げに座る年若い男は亜麻色の髪を揺らし、言いづらそうに顔を伏せた。妙だな、とリロイが訝かしんだタイミングで横にいたヴィクターが手を振る。

「怒ってやるなよ、そいつは俺が連れてきたんだ。会いたいって言うからな」

「会いたい? ……それは、誰が……誰に対して?」

リロイはヴィクターをじっと見た。自分はシャノンに会いたいとどこかで言っただろうか、それとも、ヴィクターに? 記憶にはないが、過去にそうと捉えられるようなことをほのめかしたのかもしれない。そうであるなら、二人はわざわざ時間を作ってきてくれたということになる。それが真実であるなら、リロイが二人を無礼だと怒るのは思い上がりも甚だしい。それが『本当であるのなら』。思考を巡らせかけたリロイに、ちょっと首をひねったヴィクターが口を挟む。

「誰にって、無論おまえに対してだ。他にないだろ? 俺とシャノンは対面でこの話をしたからな。目の前にいる人間にわざわざ会いたいなんてはいわないもんさ。だろ?」

軽薄にヴィクターは笑って見せる。すると、それまで静かに茶を飲んでいたシャノンがカップを置いた。育ちの良い所作に似合わない、器の擦れる音が静かな部屋に高く鳴った。

「ヴィクター、それは言わないという約束だったでしょう」

色素の薄い目が咎めるようにヴィクターを見る。睨むまではいかない程度の、しかし非難するような目。リロイは穏やかならざるシャノンに目を向けた。リロイはシャノンが伏せようとした物事について考えた。なにか不首尾があったか、あるいは、と考えるものの、それを疑いがあるといえこちらから口にするのは礼儀にもとる行為であるとリロイは重々承知している。しかし、シャノンもわざわざ自身の不手際を開示するようなことはしたくなかろう。で、あるならば、流れを作って聞き出すしかあるまい。ここで見過ごし、適切な解決が成されなかった場合、議会で大々的に問題視されるだろう。それから対処するというのではいささか遅すぎる。リロイは面倒の気配に息を吐く。過去にもそれで手遅れになったケースがいくらかあった。

「……なるほど、私に用があるのはシャノンのほうだったということか。なにか、聞きたいことが? 直接会わずとも通信手段はいくらでもあろうが、いや、機密の類はそのかぎりではないな。任務に滞りが見られるというなら聞こう。一線を退いた身だが、対処の力添えくらいはしてやれる。……状況を聞いても?」

リロイが問えば、シャノンは驚きから僅かに目を見開く。

「い、いえ、そういうわけでは…… 本日訪問した用向きはそれらの関係ではありませんのでどうか……どうか、お気遣いなく」

少し慌てたように否定して、シャノンはテーブルへ目を落とす。リロイはヴィクターを見た。ヴィクターは茶を啜りながら肩をすくめた。本当に何もなさそうな二人の様子に、込み入った話を覚悟していたリロイは肩すかしを食らったような気持ちになる。ヴィクターはカップを下ろし、愉快そうに笑った。

「おまえ、相変わらずシャノンには甘いな。気に入ったのか? こいつのこと?」

からかうような言い方をするヴィクターに、リロイは少しの反感を覚えた。

「……真面目に働く人物を評価したいというのはおかしなことか? 事実シャノンは優秀だろう。持てる力をあるべき場所へ向ける、誰もがそういうあり方を選べるわけではない。そうだろう」

リロイは静かに言った。

「そうか! だってよ、シャノン」

急に視線を向けられたシャノンは前髪を引き、面映ゆそうに顔を伏せた。

「もったいないお言葉です」

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