二日目

3-7 二日目 朝(幽霊)

体を揺すられる感覚がシャノンを眠りの停滞から引き剥がす。意識が浮上しきり、シーツの波間で目を覚ませば、ぼんやりした頭は目覚めるべき時間になったことを半ば本能的に知覚する。目を開くと、至近距離にヴィクターの顔があった。

「よお、シャノン! よく眠れたか?」

脳が覚醒しきるより前に視界へと飛び込んできた師匠の大写しにシャノンは悲鳴を上げかけ、奥歯をぐっと噛むことでそれに耐えた。息を詰めたせいで額の血管がびきびきと音を立て、シャノンは急激に上昇した血圧のもたらす不快感に眉根を寄せた。簡易に息を整えてから、抗議をするべく口を開く。

「……あっ、あまり急なことは控えていただけませんか。寿命が縮むかと思いましたが……」

「なんだ、心外だな! 寝る前からいただろう、まさか驚くとは思わなかった!」

きょとんとした顔に悪意は見えない。首を振り、会話を打ち切る。寝覚めから酷い目に遭ったと思いながらシャノンは顔を拭った。一言断ってから手早く服を替え、髪に櫛を通す。今日は何をするのかと問えば、ヴィクターはちょっと肩をすくめて昨日と同じだ、と返してきた。

「それともなにか、新しいことをご所望か?」

シャノンは首を振った。

「いえ、特にそういうことは。行動計画が立てやすくなるかと思って聞いたまでのことです」

寝起きでうまく口が回らず、シャノンは水差しから一杯含んで喉を潤した。あまり人に見られたい姿でもないな、とは思ったが、ヴィクターの側に気にした様子はない。シャノンはコートに袖を通し、帽子を被って剣をさげると、既に用意の済んでいた様子のヴィクターを伴って部屋を出た。



「しかし、なんだ……寝起きが良いというか、よく起き抜けでそんなに仕事をしようという気になるよな……」

光の差さない図書館の中はいつも通り薄暗い。連れてきた張本人であるはずのヴィクターが『見上げた根性だ』と他人事のように言うので、シャノンは眠気も相まって苛立たしげに目を細めた。

「……慣れたことです。それに、やらねばならないことは山積みなのでしょう。なれば、人が休んでいる間に進めておかねばなりません。かかる様々が免除されている身とはいえ、時間が余っているとはとても言えない状態です」

シャノンは言葉を切り、向かう視線に対し、なにか、と訊ねた。見慣れた机、紙のにおいの満ちる薄暗い館内で、シャノンはじっと呆れたような顔のヴィクターに見つめられている。沈黙のままに見返せば、向けられた視線にはどこか品定めをしているような色があった。居心地の悪さに耐えかねたシャノンが、なにか伝えたいことがおありなのですか、と言おうとした矢先、ヴィクターはさっと首を振った。

「いや、そうだ。その通りだ」

急な同意に返す言葉もない。話を切り上げられたなと遅れて思うも、口論がしたいわけではないのでシャノンは口を噤んだ。先ほどまでのことが夢だったかのような態度でヴィクターは周りに目を向ける。

「……そういやお前、ここへはよく来ると言っていたが、こんな所に篭もってばかりだと生活に問題が出ないか? 人と話さず本ばかり読んでいては世俗の感覚とずれていくだろう。お前の立場を思えば、そう歓迎できることでもあるまい」

急に終わらせられたやりとりは、次なる話題にすり替えられた。どうなんだ、と問われ、シャノンは慌てて考える。本意がどこにあるのか、どうにも読みづらい質問だった。言葉通りの危惧なのか、あるいはもっと別の意図があるのか。そもそも自身は剣士でも民衆の内の一人でもなく、議会に籍を置く魔術士だ。早く言えば、世俗とは元々遠い身の上である。となると、特殊な環境に甘んじることなく市井の者の視点を持てということだろうか。合点して、シャノンは首を振った。

「おっしゃることはごもっともですが、私なりの考えあってのことです。他者と関わり忌憚なき意見を聞くという点ではむしろ反対で、ここでこうして座っていることによって図書館に訪れるものたちから様々の噂話が聞けるのです。その場合、本を読むというのはその機会を待つ間の手慰みに過ぎません」

「……盗み聞きか? たちが悪いな」

返ってきたのは端的な非難だった。あけすけが過ぎる物言いに対し、シャノンは顔をしかめて不服を示した。

「以前、なにかの機会に集団の統率を任されたでしょう。年齢差がある上、こちらが年嵩ともなればどうしたって溝ができます。ですが、話し合いの機会や歩み寄りがないままではどうしたって歪みが出ましょう。意見を求めたところで人目もありますし、不平不満は表立って言いづらいはずです。故に、ここでこうして話を聞いていたのです。人通りも少なく、目隠しになるものが多いこの場所なら、姿を見せなければ私がいるとは気付かれません。……この席は特に場所が良い。柱が視線を遮り、小窓が音を拾います」

そうでしょう、露見の恐れもなくただ声だけが届くのです、とシャノンは続けた。ヴィクターは両手をあげて手の平を見せ、降参のポーズを取る。そうしてそのまま組んだ手を、帽子を押さえるような仕草で背へと回した。

「あのときは普段関わりのない集団に放り込まれてよくよくやるなと思っていたが……裏じゃそんなことをしていたのか。全く、涙ぐましい努力だな。お前、才能があるんじゃないか? 参謀の……」

「参謀の……?」

あまり手放しで喜べる評価だとは思いませんが……とシャノンは返す。なにが面白かったのか、ヴィクターはちょっと肩をすくめて愉快そうに肩を揺らした。

「素直に褒め言葉のひとつも受け取れないとは、頭が良いやつは大変だな! だが、そうだな。お前がどう受け取ろうが、困難を解決に導くのにはセンスが必要だ。色々な方法を試すのは悪いことじゃない。手段を選ばず、必要な答えだけを最短経路で掴めるか否かは、魔術に関わる上でも重要なファクターになってくる……」

その後、笑いを噛み殺すように息を漏らしたヴィクターが僅かだけ真顔に戻り、勉強熱心なのはいいが発狂して死なないように気をつけろよ、と続けたので、シャノンは返す言葉に困り、開きかけた口を元のように閉ざした。

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