後編
昼休み(耳心地の良いおしゃべりについて)
寝台を覆う天蓋の中は一つの宇宙のようだ。隣に寝そべって話をしていたリロイも、今は目を閉じている。起きているのか、それとも眠ってしまったのだろうか。どちらにしても、声をかけるのは憚られた。静かだ、とシャノンは思う。静かで、停滞していて、心は安まらない。自身の両側をリロイとヴィクターに挟まれたまま、落ち着かないシャノンは身じろぎする。
「なんだ、背中でも痛いのか?」
思いがけずヴィクターが話しかけてきたので、シャノンは驚き、びくりと肩を竦ませた。
「え、いえ…… そういうわけでは……」
「ちょっと見せてみろ。ああ、服はめくらなくていい、座ってリロイの方を向け」
シャノンは体を起こし、ヴィクターに背を向けた。改めて見るリロイは腹の上で手を組んでいて、その様子は瞑想しているようにも見えた。時を止めたようなまぶたを眺めていると後ろから声が掛かり、べたりと手が背に押し付けられた。触れた部分に、びり、と圧がかかる。体の中を探られているようなむずがゆい感触があった。掌握されている、とそのような事を思う。仮に自分がヴィクターの縁者でない立場の人間であればこうして背を預けたときに、あるいは背を向けた時点で、殺されていたのだろうな、とシャノンはそのようなことをぼんやり考えた。ヴィクターの手が離れ、終わったのだろうか、とシャノンは思う。
「……何ともなってないが、肩に力を入れすぎだ。緊張しているのか?」
ヴィクターは呆れたように言った。そうかもしれません、とシャノンは返した。
「なにをそんなに固くなっている? 気を張る必要はない、女王様に謁見しようって言うんじゃないんだ……」
そこまで言ってヴィクターははた、と言葉を切った。謁見、と口の中で繰り返した後、ヴィクターがなんの前触れもなく笑い出したので、シャノンはヴィクターがおかしくなってしまったのだと思った。
「……ヴィクター」
それまで目を閉じていたリロイが起き上がり、ヴィクターを冷たい目で睨んでいた。視線に気が付き、ヴィクターは笑うのをやめ、未だ残る可笑しさの残滓を押し流すように深く息を吐いた。
「ああいや失礼! 思い出し笑いだ、気にしないでくれ……」
何をそんなに笑うことがあったのだろう、とシャノンは思ったが、あまり触れたい話題でもなかったので曖昧に頷いて流した。
◆
「しかしまあ、あまり神経が張った状態のままだというのは具合が良くない。なにか要るものはあるか? あいにく手持ちは汎用の気付けくらいしかないが、冷たい水がほしいというくらいのことは叶えてやれる」
ヴィクターがこうしてあれこれと聞いてくるのは珍しいな、と思う。気を遣ってくれているのだろうか。だとするなら、光栄なことだ、とも。
「それでは、なにか話してはいただけませんか?」
「うん? そうだな、何が聞きたいんだ?」
シャノンは口ごもる。ああ、それでも、何かを言わなくてはいけないな、と思った。ヴィクターは自分が口を開くのを待っている。
「ええと……そうですね、先ほどの話でヴィクターも聞いていたかも知れませんが、あまりこういった場には親しまない暮らしをしていたものでして。その、このような局面で一般にどういった振る舞いをするものであるかを私自身よく知らないのです」
だからその、そのあたりがどうも気になって、とシャノンはそのようなことを言った。ヴィクターはちょっと首を傾げ、少し困ったような顔をして笑った。
「だから教えてほしいって? 真面目だねえ。まあ、でもそんなもんか。こうして談話をする機会なんてなかなかないものな」
「そう、そうですね。……あの、恥を忍んで聞くのですが、下着を外すタイミングというのもよく分からなくて。どういうった風にするのが一般的なんですか?」
声を潜めてシャノンは尋ねた。ヴィクターは少し合点がいったように肩をすくめた。
「……服を脱ぐのも体を横たえたまま話をするのも特別なときだけだ。俺たちはなにかと敵の多い身の上だ。そのために時間を取っているとかでもないかぎり、すぐ始めてすぐ終わらせるというのが肝になる。その言い方を聞くに、随分と整った環境で過ごしてきたらしいな」
どこか揶揄するような調子のヴィクターになんと言えば良いのか分からず、シャノンはただただ曖昧に濁した。そもそもが合理のための行動であって異性とのそれとは性質が異なる、とヴィクターは続けた。シャノンはその一言で、今回のこれがなにやらその特別の範疇であるらしいことを知った。
◆◆
「服を着ているとそうでないときに比べて不具合が出ませんか?」
シャノンは不安そうに尋ねた。ヴィクターはこともなげに返す。
「着衣の時のやりかたってのがある。そういうとき、足を組んでいるのはもっぱら俺の役目だったわけだが。なあリロイ?」
愉快そうに言ったヴィクターへ、リロイはわざとらしく咳払いをした。
「ヴィクター、慎め」
足を組む、の意味は分からなかったが、男性を相手取ることの知識を持つシャノンは『それ』が何をさすのか一つ思い当たることがあった。シャノンは恐る恐る尋ねる。
「……ええと、その、受け側を、やっていたと? そう言いました?」
「受け側? ああ、差し込まれる方ってことか? そういう表現があるんだな」
意外そうに言うヴィクターを凝視したまま、シャノンは固まった。
「ヴィ、ヴィクターが……?」
シャノンが恐る恐る尋ねると、心外だとでも言うようにヴィクターは眉根を寄せた。
「なんだよ、信じられないって顔だな! そういうの傷つくぜ!」
ヴィクターはそれ以上何か言うつもりはないようだった。シャノンは二の句が継げない。それぞれ黙ってしまった二人に、見かねたリロイが助け船を出した。
「……一度、同じロケーションで試してみればすぐ分かる。ヴィクターは上着をピンで留めるだろう、あの時代ピンといえば玉付き針だ。針先の保護なんて概念は当然無かった」
「ああ、そう、そのとおりだ。そんでもってこいつの長身だろ? 俺は当時、腹に手を回す悪癖があってなあ。うっかりすると背中にピンが刺さって抜けなくなるんだ。困るよな!」
鷹揚に言ってみせたヴィクターに、リロイが嫌そうな顔をした。
「笑い事じゃない。それで俺のコートを傷だらけにしただろう。酷いときはキルトにまで糸の引き攣れが出来ていた。直すのに随分苦労したもんだ。……それだけじゃない。傷が消えるまでの短くない間、儀式と陽動の時にしか使わない外套を付け続ける羽目になった」
あれがあってからおまえ一躍有名人になったんだよな、とヴィクターは続ける。答える代わりにリロイは深いため息をついた。
「しかしそれを言うなら俺のピンだって折れた! 折れた針の代わりに武器の針で胸当てを止めなくちゃならなくなっただろ。あれほど肝が冷えることもそうそうあるもんじゃないな!」
「全くだ。思い出したくもない……」
針と言えば投擲針だ。ヴィクターが針を投げる所は見たことがないので、今はもう使っていない手段なのかもしれないな、と思った。しかしあの尖った棒とも言うべき投擲針で胸当てが留まる物なのだろうか? どうもしっくりこなかったが、リロイが疲れたような顔のままもう一度ため息をついたのでシャノンは尋ね返すことはしなかった。
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