午後11-2
話は続く。リロイは目を眇め、口ですることの合理を説いた。一つずつ段階を踏んでいく説明は滑らかでよく練られていた。僅かばかりの後ろめたさと共に持ち込んだ話だというのに、聞き終わる頃にはまるでそれこそがひとつきりの正しい作法なのであると錯覚しそうになるほどで、シャノンはリロイの弁論手腕へ感心してしまう。シャノンは隣で聞いていたヴィクターを盗み見る。眉を寄せてはいるが、そこに反発と言えるような強い感情の影は既にない。
「これが、シャノンとの会話によって得られた情報の概要だ。私たちはこの話をするために今日のセッティングをしたんだ」
「……ややこしい話ってこういうことか! シャノンが時間をくれというわけだ!」
ヴィクターは腕を組み、指先で腕をトントンと叩いた。
「しかし、いくら洗浄すると言っても、よくもまあ……」
言いながら振り返った目はシャノンの視線とぶつかる。肩をすくめたヴィクターが何も言わず、なんでもないという風に顔を戻したので、シャノンはその目が口元を向いていたことには気が付かなかったふりをした。リロイは目を眇め、呆れたように息を吐く。
「……露出部分同士の接触であるので、便利が良いという話であった。体を清めることに環境的バリアがないのであれば、確かにそれには合理がある」
まあ確かにそこに関して異論はないが、とヴィクターは言い、もう一度複雑そうに眉根を寄せた。
「なんだ……服を脱がなくとも良いというのはこれ以上ないほどの合理だが、いやそれにしたって、もう少しなんかあるだろ……」
「そうは言うが、仮にあったなら私たちがやっているはずだ。そうだろう」
「確かにリロイの言うとおりだ。全くもって言うとおりだが……」
それでもやはり忌避感が拭えない、といったヴィクターに対し、リロイはスキンを取り出して、専用に誂えられた物理防護の膜だってある、と言った。
「物理防護の膜があるのか。それなら、いいのか。いいのか? いや、もうわからんな……」
保留だ、と言い、ヴィクターは手渡されたスキンを受け取った。フィルムの上から指で押し、これ貰って良いか、などと話している。リロイは頷いたようだった。ヴィクターは迷わずスキンの袋を開封する。取り出した中身をベロベロと広げ、指先で押したり引いたり、巻いた膜を伸ばしたりした。ヴィクターは首を傾げる。
「……ああ、これは………どこかで見たことがあるような気がするな。材質は何だ? 胃袋か?」
「いや、樹脂だという話だ」
そうか、と言って、ヴィクターは伸ばしきった膜を縦方向に引っ張った。ぐいぐいと力が入れられ、樹脂製の膜が伸縮するのを、シャノンはぼんやり眺めていた。曲がりなりにも衛生用品だ。常であれば、玩具にするなと言い出すであろうヴィクターがこの様子では、本当に縁が無かったのだろうなとシャノンは思う。
「樹脂か…… この感じは確かに蛋白ではないな…… シャノン、これはどういう用途を想定している? 衛生基準はどうだ、口に含んでも大丈夫か?」
「……皮膜で覆い、こちらとあちらをわかつものです。ええと、口に、その……そのようにできているはずです」
シャノンの寄越したたどたどしい答えへそうかと返し、ヴィクターは膜に息を吹き込んで風船のように膨らませた。胸から針を取り出して、膨らませた膜へと突き立てる。パチンと重い音を立てて縦長の風船は弾けた。
「なるほど、大体把握できた。しかし質が良いな…… どこで買うんだ? 高いものか?」
「どうでしょう、言うほどのことは…… 上等のものを、といって用意させましたが、そもそも一般に流通する品ですし、構造上一度きりしか使えません。めったな値段では買い手がつかないのではないかと」
なるほどな、といってヴィクターは集めた破片を片手で掴み、手の中で燃やした。開いた手の平から僅かな黒煙が立ち上り、シャノンは咳き込んだ。リロイは僅かに顔をしかめた。
「ヴィク……ここは俺の屋敷だぞ。樹脂だと言っただろう、控えてくれ」
「悪かったよ! シャノンもすまなかったな」
口を押さえたまま、シャノンは煙を手で散らす。換気の良い室内はすぐに清浄を取り戻した。
「いえ……お、お気になさらず………」
◆◆
「しかし、一枚挟んだ上からだと、よほど強くしないとわからないだろう、どんな具合だ? 使い捨てといったな。だとすると、趣向を凝らすということもなかろうし、そう一様に良いというものでもないように思えるが」
「それは……」
ヴィクターから投げかけられたあけすけな疑問に、言いよどむようなそぶりを見せ、少し間を開けてからリロイは口を開いた。
「……実際、そうだ。具合が良いという風でもなかったが…… 極力、感触を通すように作られているらしい。何も感じないというようなことは……なかった。確かに、実利とはほど遠い淫奔な性質があるが、その……」
年若く感覚の聡いものであれば、あるいは、と声を潜めてリロイは言う。更に人目を憚るようにして、私はその、手を重ねなければ、少し、と続くので、ヴィクターは頭を押さえ、はーっとため息をついた。
「なんだお前、まだ気にしていたのか! なんともなっていないと再三言っただろう……ああ、それじゃなんだ、手袋はそのために? それだけ気を回していたっていうのに、パスの通らない状態のまま半端なことされて、我慢できなくなって襲ったって訳か? 救いようがないな」
言い渋っていたのはこれか、とヴィクターはこぼす。触れられたくない事実を指摘され、リロイはぐっと詰まった。重ね合わされた手の甲へ、握った指の痕がつくほどだ。激しく振れた感情がいかほどのものであったかなど、嫌でもわかろうというものだ。リロイは唇を噛み、僅かに俯く。
「合意は取った……」
「当たり前だろうが、拒まれてなお押さえつけたっていうのなら命の保証はしないぞ。全く、妙な真似をしようとするからだ」
ヴィクターが呆れを示すため大仰に肩をすくめてみせたので、リロイは苦々しい表情のまま目を細め、不満そうに小さく首を振った。
「そんな言い方はないだろう…… お互い、今までコートを着たまま焦らされるなんてことはなかったはずだ。違和があった。なれば、それこそが私たちとの差だろう。私はただ実際のところを確かめようと……」
そこまで言ってから、リロイは口を噤んだ。愕然とするシャノンに気が付いたためだ。シャノンは狼狽えたように首を振る。
「……違和が?」
「すまない。何か気に障るようなことがあっただろうか。手腕や当世の作法そのものを悪く言ったつもりはなかったが……」
「……おまえ、さっき、淫奔で具合が悪くて落ち着かないって言わなかったか?」
「ヴィク……口を慎め。ここでそれをあげつらうのは悪意があるぞ」
顔を寄せたまま揶揄するようにひらめかせられる手はリロイによって空中で握り止められた。温和な目はきゅっとつり上げられ、僅かに潜められた声は怒気を孕んでいる。ヴィクターは対して興味もなさそうなそぶりで肩をすくめた。再び諍いの起こりそうな雰囲気でさえあったが、シャノンの心はそれどころではない。次にリロイが顔を戻したとき、シャノンは青ざめた顔のまま口を開閉させた。
「と、止めてくださったら良かったではないですか…… そのような…… 私はてっきり、その、リロイが望んでいるものなのだと……」
リロイは困ったように眉を下げ、なんと言ったものかわからないといった様子で口を開く。
「その認識は間違っていない。頼んだのは私だ。それに……耐えられると思っていたんだ。判断の誤りによって君に無理を強いてしまった。そのことは本当に申し訳ないと思っているが、先の行為を、私が嫌がっていてなお続けさせたのだと捉えられたのなら、それは断固否定せねばならない……」
目を泳がせながらも視線を絡める二人はよく似た顔をしていた。どこかおかしな雰囲気のまま歯切れの悪い会話を続ける二人へヴィクターは割って入り、不毛とも言えるやりとりを無理に遮ってやめさせた。
「……見ていられないな。なんだ、お前たち、ずっとこんなやりとりをしてたっていうのか?」
正気とは思えないな、と言って、ヴィクターは顔をしかめた。飽きと呆れが見て取れる、心底うんざりしたような顔だった。
「い、いえ、そういうわけでは……」
「……答えなんてものはどうだっていい。言い訳なんざ時間の無駄だ。シャノンが大して気にしていないのもわかった。謝罪は俺が帰ってからやってくれ。俺はシャノンに用があると言っただろう、まだ要件は終わってない」
後にしろ、と再度言って、ヴィクターは面倒くさそうに手を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます