本編(三部)

遺跡調査準備編

3-1 零日目

埃っぽい床へと転がったシャノンは打ち付けた背をさする。転送されてまず目に入るのは見慣れた訓練校の板壁だ。くぐり抜けてきた輪が放つぼんやりとした光以外に灯りのない室内からは、長く使われていない部屋特有の砂埃じみた匂いがした。起き上がり、裾を払って埃を落とす。そのまま待っていると遅れてヴィクターがやってきた。転送が完了すると共に淡い光がパチンと消えて、室内は完全な闇へ閉ざされる。ヴィクターは闇の中、何でもないように扉に寄り、慣れた手つきでスライド鍵を外して部屋を出た。シャノンもそれに続く。


閉まった扉はバネによって自動で施錠された。ほの暗い廊下はどこか湿度を孕んでいる。夜が近い。廊下を歩くヴィクターは振り向かないまま、転送される前と同じ調子で、遺跡調査だ、ともう一度言った。

「準備がいる。実地に出向くのは初めてだろ? 急がなくちゃな。期日までは一ヶ月もない」

「そうは言いますが、実際のところ何をするんですか?」

「話すと長くなる。実務レベルの説明は順序を追ってやるから今は概要だけ言おう。領地は禁域だ。つまり、人がいないし、人がいてしかるべき場所にあるものの一切がない。野営になる上、食料の調達から拠点の構築から廃棄物の処理まで全部自前でやることになる」

ヴィクターは足を止めて振り向いた。開口部からさす日の光は金色だ。普段より色の濃い光を受けたまま、ヴィクターは僅かに表情を動かした。

「……とりあえず食堂へ行くか。腹が減っただろう」



夕刻の食堂は食事を取る生徒で賑わっている。シャノンとヴィクターは端のほうに席を取り、木の机に皿を並べた。ヴィクターはハンカチを巻いてパンを割り、口へ運ぶ。くたくたに煮られたスープは不透明で、斜めに切られた肉と豆とが入っていた。半分ほど食べたところでヴィクターは匙を置いて口を拭った。不審に思い顔を上げたシャノンだったが、向かいに座るヴィクターは指の動きで顔を戻すように指示を出し、人目もあるから食べながら聞け、と静かに言った。シャノンは慌てて顔を伏せる。

「……概要を説明をしていなかっただろう。今回の成員は俺とシャノンだけ、目的は遺物の発掘と土地の調査だ。実地に赴き、前回の調査記録から大きく変わったことがないかを調べる」

シャノンは口を押さえ、こくこくと頷いた。口に物が入っているために声を出すことは叶わなかったが、ヴィクターは気にするようなそぶりも見せずに言葉を続けた。

「そしてここからはあまり楽しくない話だが、行動は二人一組だ。俺とお前で常時行動を共にする。いきなり言われても困るだろうと、慣らすために時間を取ってある。その間は片時も離れるな」

はっきり言い切るなかに、僅かに躊躇いのようなものが混ざる。そこへ幾ばくかの違和を感じ取り、シャノンは訊ねた。

「ヴィクター、その片時も、というのは」

「……文字通り寝食を共にするという意味だ。一日休暇をやる、外で寝たいというのでなければ、部屋の中の見せたくないものは全て片付けておけ。片付けられない場合は、見られても気にしないように努めろ」

いいな、とヴィクターは言った。シャノンは言われたことを反芻する。部屋の中。見せたくないものを片付けろ。

「え、ええ、わかりました。それはつまり、ヴィクターが私の部屋に出入りすると?」

「そういうことになる。ここは毎回ごたつくんだ…… 誰しも知られたくないことはあるからな。だが、共闘などと言うのも信頼関係があればこそだ。懐に他人を入れねばならない。これはその第一歩になる……」

少し困ったように目を細め、わかってくれ、とヴィクターは言った。シャノンは返答に困り、曖昧に頷いた。

「今回行くのは、遺跡と言っても浅い場所だ。そうもなにかが見つかるとは思わないが、頼まれたからにはやらなくてはな」

比較対象もない深度の話を最後に、説明は一方的に打ち切られる。肩をすくめたヴィクターは再び匙を取り、皿に残ったスープを食べ始めたようだった。シャノンはパンを割り、スープへ匙を差し入れた。口を押さえて肉を噛めば、羊肉は慣れた味がする。行動を共にすると言った。行動を共に? シャノンは口の中のものを飲み込み、グラスの水を干した。

「……なぜ、二人一組で行動を?」

「それはまあ、合理によるものだ。仲間割れの恐れがあるために大多数で行くのも良くない。しかし、一人というのもまた危険だ。選択の余地なく、助け合える相手がいることそのものが、戦地におけるバランスとしては最良とされた。当然、状況によってはその限りではないが」

ツーマンセルが最低単位だということを考えれば、今回は実質的な単独行動になる、とヴィクターは続けた。シャノンが黙ったままじっと見ているのをどう捉えたのか、真顔に近かった表情をぱっと緩め、ヴィクターは軽い調子で手を振った。

「まあなんだ、女王の領地であるわけだし、他人の目があるような場所でもない。気楽に行くとしよう……」

そう言ってヴィクターは締めくくる。この言い方だとあまり安気にしてもいられないのだろうと思ったが、ここで言い返してどうなるというものでもない。シャノンはただゆっくり頷くと、空になったグラスに水を注ぎ、中断していた食事を再開した。

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