3-9 二日目 昼(諜報)

その後、部屋へと場所を移したヴィクターは、持ち物リストの厚い束を険しい顔で捲っているシャノンの横で、出してきた背嚢の点検をしていた。

「さて、日没までにはまだ時間があるな。順番にやっていかねばならないと言ったが、荷物を詰めるより前にやることがあったのを思い出した」

怪訝そうな顔をしたシャノンが顔を上げて見返してくるので、ヴィクターは取り出した時計を元のようにしまい、ベンチに腰掛けた。

「説明が要りそうだな。盗聴器が仕掛けられている可能性を考慮して、身辺の安全確認をする。今回に限ってはこの手の心配の必要はないとは思うが、これも後々のためだ。探すのを手伝ってくれないか? やり方を教えると共に、そういうものだと慣らしておきたい」

「……わかりました。探すのは構いませんが、一体どこに仕掛けるというのですか?」

シャノンがチラリと机の方へ目をやったので、あちらに触られたくないものがあるのだな、とヴィクターは思った。顔には出さず、あたかも質問に答えるために考えこんでいるような振りをする。

「……ベッドと、クローゼットの中だな。魔術的な感知がなされない類いの品は感度が劣る。であれば、毎日触るような箇所でなければ役目を果たさない」

お前が手紙を書きながら大声で一字一句を繰り返しているというのなら別だが、とヴィクターは続ける。シャノンの表情が僅かに動いたので、言ったあとでヴィクターはちょっとだけ不安になった。

「……してないよな?」

「す、するわけがないでしょう! 何を言うのですか、そもそも昨日だってそんなことはしていなかったはずです。ヴィクターは私をなんだと思っているのですか?」

心外だとでも言いたげな顔が向けられる。杞憂であったかと思い、ヴィクターは肩をすくめてから簡単な謝罪を口にした。



「ともかくベッドだ。マットレスを外す。フレームにもいくらか手をつける。……壊すことはないと思うが、一応言っておく。そもそもが老朽化していてどうにもならないようであれば代わりを手配させるから安心しろ」

シャノンが訝かしむような顔で頷いたので、これは壊すと思われているな、とヴィクターは直感した。先に断っておいたのは悪手だったか、と思うも、何も言わずに破壊してしまえばそれこそ文句を言われるのは確実だ。まあ、そのときはそのときで何か考えようと思う。

「さて、さっと手を付けて早い内に終わらせるとしよう。予定はまだまだあるわけだからな……」

「……その、やろうとしていることはわかりましたが……私は一体何をすれば? このベッドを…… 解体すればいいんですか?」

「そうだ。やったことはないか?」

狼狽えるようなそぶりを見せたまま、できる限りのことはしてみましょう、とシャノンは言った。言外の否定にゆったりと頷きながら、シャノンであればそうだろうなと思った。寝台は家具だ。解体するともなればそれは家具屋か職人の領分であって、どう考えても剣士の仕事ではない。納得を覚えたヴィクターは手を振り、まず最初に配置をずらすことと、マットレスを外して壁へ立てかけるよう指示した。



シャノンは抱え上げたマットレスを危うい足取りで壁際へ押しやった。軽くて嵩張るものを持ったことがないのか、動きは非効率極まりなく、どうにかしてやらねばと思わせるのに十分だった。次の指示を出せば、シャノンは慣れない手つきで寝台をばらしにかかる。板を折らないよう気を遣いながらも力任せに引き抜こうとする様子を目の端に留めつつ、ヴィクターは周りを見渡した。しかしよくよく清潔な部屋だった。殆ど使っていないか、まめに掃除がされているかのどちらかだろう。後ろ暗いところのないマットレスにまっさらなシーツ、外された天板には染みのひとつもない。

「……ヴィクター、どこまで外せば良いのですか。これ以上分解しようというのなら釘抜きか鋸が必要です……」

「ああ、終わったか。それには及ばない。検分は俺がやるから少しそっちで休んでろ」

会釈で了解を示し、シャノンはベンチへ腰を下ろした。疲労からか顔は僅かに赤らんでいて、息が上がっているのかぜいぜいと抑え込んだような息づかいが耳に届く。あのやり方では無理もない。目を戻し、マットをひっくり返して張り地をなぞると均一な縫い目はミシンだった。かがってある部分に指を沿わせれば、表に出ている部分が擦れて跡になっているのがわかった。糸の色は全体を通して同じで、そこに抜き取ったような跡はない。なれば問題はなし。足下に目を移し、フレームだけになった寝台のへりを持ち上げて裏を覗く。ベッドフレームは古びて年月を感じさせるが、特別おかしな所はみつからない。目地に不審な切れ目はなく、二重底があるような風でもなかった。きれいに使うものだな、となんとはなしに思う。嫌に静かだと思って目を上げれば、シャノンはばらばらになった部品が立ち並ぶ中で、自身もその内のひとつになってしまったかのように呆然と虚空を睨んでいた。疲れているのだろう、視線だけがガッチリと固定されたまま、肩だけがゆっくり上下に揺れる。この様子だと組み立て直すのは自分でやることになりそうだ。フレームを掴んだ手を止めて見ていると、向けられた視線に気付いたらしい。どこか焦点の曖昧な目がこちらに向き、ゆっくりと口が開く。

「……どうですか、なにか、わかりますか」

ごまかせていると思っているのだろうが、よくこの状態で喋ろうという気になるよな、とヴィクターは思う。

「マットレスとフレームにはなにもなさそうだ。縫い目が解かれた跡もなければ、おおよそ人の手が入った痕跡もない」

言って、掴んでいた脚部をゆっくり床へと降ろす。ガタン、とボードから不審な振動が伝わってくる。ヴィクターは振動の発生源を探った。

「……シャノン。ここに引き出しがあるが、これは開けても大丈夫なやつか?」

振り向いたシャノンは少し驚いたような顔をして、ぱっとこちらへ寄ってきた。

「本当ですね。何か入れていたような気もしますが……記憶が定かではないので少し開けてみましょうか」

シャノンは小さな取っ手に手をかけ、ちょっとだけ開けた。次いで、パタン、と閉じる音がする。真顔のシャノンは一言、『鋏でした』と言ってきた。

「……なにが入っていたかはわかった。だが、まだ引き出しそのものの検分が済んでいない。触られたくないものであるなら、事が済むまでコートのポケットにでも入れておけ」

わかりました、とシャノンは答え、取り出したものを胸へとしまったようだった。次いで蓋を開いてみれば、空になった引き出しには埃のひとつも入ってはいなかった。



クローゼットの中には指輪のひとつもない。着替え、帯、替えの靴紐に、ハンカチや下着の類い。きちんと整頓された荷物の中に取り立てて特殊なものはない。ヴィクターはほとんど何も入っていないような収納の中を探りながら、気まずそうな様子のシャノンへ何くれとなく会話を振る。憚るようなもののないクローゼットだ。何を気に病むことがあると言いたいような気持ちもあるが、荷物を漁られて面白がるような人間でもないのだろう。難儀なことだな、とヴィクターは思う。

「……そういやシャノン、寝酒はするのか?」

なんでもないはずの問いかけだった。しかし、それまで問えば滑らかに返してきていたシャノンがその言葉で一瞬止まった。空白を不審に思ったヴィクターが顔を上げて振り返ると、眉根を寄せたシャノンは困った顔をしているように見えた。

「……今、なんと?」

「何って……寝酒だ、寝酒…… ここいらじゃそういう言い方はしないのか? ああ、なんだ、つまり、就寝前の飲酒習慣はあるか、と聞いたんだ……その様子だとなさそうだな」

目を瞬いたシャノンはどこか不思議そうに首を傾げた。

「そこに関してはおっしゃるとおりですが…… 酒精というと主成分は糖でしょう……? 歯病みのリスクが上がるのではないですか……?」

当惑したような表情に一切の作為はない。本当に何もわかっていないというのが見て取れる表情に、ヴィクターは曰く言い難い嫌な気持ちがした。

「寝る直前に飲むやつがあるか。歯を磨く前に飲むんだよ、酩酊を求めてな。まあいい、話はここまでだ。今のでお前が嗜むほども飲まないというのはこれ以上ないほどよくわかった……」

不審そうなシャノンを尻目に、ヴィクターは検分の済んだクローゼットの扉を閉じ、ベッドのフレームを組み直すことにした。

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