倒錯・実践編

課外活動(淫奔な愛撫について)

リロイは服を脱いで薄暗い天蓋の下に腰掛けた。同じく服を脱ぎ、新しいシーツを肩からかけたヴィクターが部屋の灯りを絞れば、ベッドの中の闇はよりその濃さを増した。

「見えるか?」

「二十秒待て。……ああ、大丈夫そうだ」

暗順応を待って、二人は下着の類いを順番に外した。リロイはキルトの紐を解き、ヴィクターはピンを取り去ってコルセットを胴から剥がす。めったなことでは人目にさらされることのない素肌にはボーンの跡が縦に二十と四本並んでいた。外すときに捻れた紐をざっと直し、ヴィクターはコルセットに挟んでいたハンカチを枕元に並べた。


肩に手が回され、音もなく唇が寄せられる。肩を滑る、浅くつややかな手袋の下には僅かな起伏が感じられた。ずいぶんと性急で、淫奔な振る舞いをするのだな、と思ったが、殊更に咎めはしない。リロイは口を開き、ヴィクターの舌を迎え入れる。舌が甘い。ふっくらした器官同士が絡み、離れ、また絡み合う。口が離れ、息を吸い込むときにだけ、唾液が僅かな水音を立てた。リロイが舌を伸ばし、歯列の内側、袋になった部分をなぞって離れると、ヴィクターは心地よさそうに目を細め、べろりと唇をなめた。その様子には普段と何か違う意図が見えたが、リロイにはそれが何なのかよく分からなかった。


体を離したリロイは手を差し出すよう求めたが、ヴィクターは考えるように目を動かし、短く手を振ってリロイに寝そべるように示した。リロイはそれに従った。


リロイを見下ろし、どこか興の乗ったような顔で胸元に手をやったヴィクターがにわかに眉をしかめる。そのあと、思い出したように外していたコルセットへ手を伸ばすのを見て、ああ、何か取り出そうとしたのだろうな、と納得する。普段外さないので認識の中では体と一体化していたのだろう。こういうときに不便を感じるのは、リロイにも覚えがある。ただ、キルトに収納はないので、いかなる場合でも閨の中では身一つというのが、自分とヴィクターの違いと言えばそうだろうか。

ヴィクターがコルセットの上に乗せていたであろう巾着を探る音がする。消毒のクリームを探しているのだろう。リロイは背中側から寝そべったまま何をするでもなく眺めていた。それからふと、足に手を付けるというなら、指輪を弄らないよう頼まなくてはならないな、と思った。こちらを向いたタイミングで言えば良かろうと思い、ヴィクターが戻るのを待つ。しかし待てども待てどもヴィクターが戻ってくる気配がないので、リロイは身を起こし、不審なヴィクターの手元を覗く。


肉の付いた丸い肩越しに、手袋を抜いた指輪だらけの手が見えた。ヴィクターが危うげな手つきでハンドクリームのチューブを搾るのが目に入る。指先を使わず、手の平に置いたチューブを折った指で挟むようにするやり方。それにリロイは驚くとともにぞくりとした。ヴィクターの手は皮膚の感覚が通常期待されるような働きをしない。だからいつも補助具である手袋を付けている。そのヴィクターが何もかも取り払った肌に霊薬を塗り込めているというのはつまり。リロイは知れずつばを飲み込んだ。義理や好奇心の延長としてではなく、快楽を追うためこの行為に望もうとしているということだ。そしてリロイは不審なまでに準備に時間が掛かった理由に思い至った。あの指で巾着の紐を解いて、スクリューキャップを開けるのは並大抵のことではあるまい。それを裏付けるように、手首には開けるときに飛んだであろうクリームが不自然にべったりと垂れている。言ってくれたなら手を貸しただろうに、と思う心と、それでもこの男は頼みさえしないのだろうな、という予感が混ざり、リロイの眉をしかめさせる。


あの手が肌を這うのは天地が返るほどの快楽であることを今でもこの体は覚えている。手のひらで口を拭う。複雑な思いはあれど、どうしたって期待が勝る。あの手が無法を成すところを何度この目で見ただろう。まるで魔法の杖だ。神経がざわついて堪らない。こんなことはもう起こらないと思っていたのに。


ヴィクターは振り向く際に、指輪を二つ外した。三つ目に手をかけたところで、リロイは首を振ってそれを止めさせた。見覚えのあるその模様は、守護の指輪だ。所持者の防御を固めて闇討ちを未然に防ぐ、基本のまじない。幾ら結界があるとは言え、自分たちを覆い隠す欺瞞の薄膜は破られたらそれまでだ。指輪を付け始めたばかりの手合いは自身の力を誇示するためにあえて外してみせることもあるが、自分やヴィクターが守護の指輪を取るというのはそれと比べものにならないほどの重い意味を持つ。買ってきた恨みの数が違うのだ。実際今まで何度も刻まれた文言に救われてきた。文字通り命を守る備えだ、見栄や虚栄心で補助道具を外すのとは訳が違う。

リロイはもう一度咎めるような視線を向け、膝を撫でた。ヴィクターは何を思ったのか肩をすくめ、指輪を元のように付け直すとリロイの横に身を横たえた。様子を見る限り、どうも『早くしろ』とせっついたように思われたらしかった。それでいい。トン、と掌が胸を押す。呼吸を合わせる間もなく、どろりと感覚が溶ける。被さるように身を寄せたヴィクターのために、リロイは足を閉じてやった。体を少し浮かせ、掌を置く場所を開ける。感覚の再接続が叶うと、徐々に感覚に身を委ねていく。こうして神経をかき回したり整えたりするのは元来ヴィクターの方が上手いのだ。そうでなければこれほどまでに神経を摩耗させてなお、前線に立って剣を握るなんてことはできまい。リロイは身を巡るゆっくりとした脈拍に呼吸を合わせる。全身をそっくり覆うつま先のむずむずするような快楽は益々勢いづき、耐えかねたリロイは身をよじった。


身を苛む苦悩に湿った息が漏れる。蛇のように身をくねらせ、顔を押さえねば叫びだしてしまいそうになる。柔らかい部分同士だとやはり伝達損失が少ない。ヴィクターのするそれは、気持ちが良いというより全身を絶え間なく火にあぶられているのに近かった。体は無意識に逃れようと跳ねるが、ヴィクターのために膝はぴったりと閉じておいてやる。頬を湿った息が掠めた。厚い背へと手を回す。ぐるぐると巡るようだった粘っこい快楽の波が急激に乱れて、ああ、近いのだな、となんとはなしに思った。


全身をつぷつぷと刺すような快楽の中、ため息をつくように努めてゆっくり息を吐く。吐ききったところで、ぐ、と息を詰めると慣れ親しんだ快感が通り抜けて体の芯を震わせた。知らず涎が垂れていたことに気が付き、口の端を甲でぐしぐしと拭う。波形の乱れた快楽は未だ体内にあったが、術士の憔悴によって苛むというような苛烈さは消えている。リロイは手を伸ばし、未だ心乱れきったままのヴィクターの肋を掴んだ。目を閉じて精神を集中させる。ゆったりと広がりを持っていた波の回転は今や見る影もなく、出力も安定していない。被せるように術式を展開させるのは簡単だった。リロイは鼓動を伝い、意識を拡張していった。性的な充足を求めるためだけというにはいくらか程度の過ぎた行為であると分かっている。だが、リロイはやめる気はなかった。未だ衰えることのないしなやかな肉は、その力でもって中核を捉える。足を組むリロイに義理だてするように、ずる、と僅かに腰が引かれたが、余力がないのか、押し込み直す事ももはやせず、ヴィクターは声を漏らした。腕の中でいっとう震えた体が弛緩し、足を押していた質量がなくなって、リロイはようやく手を放す。目を開けて向き合ったヴィクターはぐたりと首を傾げていて、赤らんだ頬の上にある気怠げな目はどこか不満そうにリロイを見た。


おまえね、と静かな声でヴィクターは言う。久しぶりなんだからもう少し手心ってものを。ぐたりと腕を投げ出して、ヴィクターはゆっくり息を吐いた。常ならば、少し困ったように眉を下げて、もう少し強くしてくれ、と言うヴィクターが、強すぎると言ってくるのは珍しいことだった。リロイは目を瞬く。どんなふうだ、と問えば、見たままだろう、と投げやりに返された。不機嫌そうにも見える背中を眺め、リロイは濡れた足を拭き取った。見たままだろう、とヴィクターは言った。二度は使えないであろうハンカチを洗い桶に放り込み、違いないな、とリロイは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る