第33話 どうせみんないなくなるなら

 わたしはあそんでいた。

 ずっとずっとあそんでいた。

 からだはどこかおかしかった。さんさいじゃないみたいに、からだがおっきくて……気にしないようにしてた、のに。

『現実を見ろよ!』

 鏡に映ったおっきなるりちゃんが、叫んだ。声はあおいちゃんのそれだったけど、鏡の向こうのわたしが叫んでるように見えて。

 目の前に暗闇が広がった。

 目が覚めた。

 あたしは中学生で、十四歳。そうだ、いや、やめて、思い出さないで。

 否応なしに、脳内に情報があふれだす。

 兄貴と二人暮らし、親は「いなくなった」。お兄ちゃんも「いなくなって」女の子になった。

 そうだ、わたしはおねえちゃん「いやだ!!」だから、がまん、しな「やめてよ!!」

 思考に抗うように、わたしは叫んで。

『でも、みんな心配してるよ』

 今度ははっきりと幻聴だと分かった。けど、見たくなかった。

「いやだ!! ……なんにも、言わないで」

 そうしてわたしは目をつぶった。耳をふさいだ。


 やがて、長い長い数分が過ぎた。

 鏡を壊していた。おっきな自分を壊していた。

 ……あれが自分の姿だったことはわかっていた。だからこそ、醜くてたまらなくて、徹底的に壊したくなって。

 こわして、こわして、こわしつくして。

 それから、自分が何をしたのかを知った。

 突き刺さるような痛み、足から何かが流れ出すような感覚と、目の前に広がる紅。それが、わたしの目を覚ます。

 とめどなくあふれる涙。珊瑚ちゃんがわたしに縋りつくように、手を握っていて。

「大好きだよ」

 わたしに言った。

 ……うそつき。どうせ、みんなわたしの前からいなくなるのに。

 それで、わたしは願った。


「もし、わたしが好きなのなら……わたしを、殺して」


**********


「わたしを、殺して」

「……どうして」

 ぽつりとつぶやいた俺に、瑠璃は涙にぬれた瞳でこちらを見つめて。

「みんなみんな、いなくなったんだもん」

 その心情を吐露した。

「だって……みんなみんな、いなくなるんだもん。パパも、ママも、にーにも! みんな、みんな、いなくなった!! 大事だって思ってた人ばっかり、わたしの前からいなくなる。もういやなの!! ……耐えきれないよ」

 それは、あまりにも幼稚で、自己中心的で。

「どうせ、みんなみんないなくなる!! 家族も、友達も、好きなひとも……なにもかもっ!! だから、もう……わたしもいなくなってしまいたいの……っ」

 ――悲痛で、苦しげな叫び。

 どうすりゃいいの。どうすれば、彼女を救えるの。

 救うなんておこがましいかもしれないけど。でも、この手で壊した心を、壊してしまった心を、少しでも癒してあげたいと、そう思うのは虫が良すぎるだろうか。不自然だろうか。

 ……けれど、彼女を慰めるような文句など、いまの自分に思いつく当てもなかった。

「だから、はやくわたしを……消して、よ」

 そんなことを言う目の前の妹を、俺はどうにもできない。

 でも、それに対面する少女は違っていた。

「……わたしには、できないよ」

 静かに、珊瑚ちゃんは告げた。

「だいすきなひとを、大事なひとを、ころしちゃうなんて……できるわけないよ」

 すすり泣きの声だけが響く。

 そこにあるのは静寂。

 子供たちの遊ぶ声、カラスの鳴き声、誰かの話す声――それらから、この部屋だけが取り残されたようだった。


 引き延ばされたような、あまりにも長い、たった数秒の時間が過ぎた。


 たった数秒間の静寂が過ぎた。


 静寂が過ぎた。


 絶句が尽きた。


「もういい」


 ああ、尽きた。


 どのくらい経ったのだろう。

 一言、ぼそりと告げられた言葉。そして、灰のごとく燃え尽き思考能力を失った脳は、自分の妹であったはずの少女のいなくなっていたことを知覚できないでいた。


「――なにが、あった。日向はどこだ!」


 凛々しさを持つ低音女声。それによって、俺の頭は再起動されていき――

「る、り……なんで」

 ようやく、目の前から一人の少女がその場から立ち去っていたのに気付いたのである。


**********


 気絶していた九条先生が目覚めた。茫然自失とした俺の意識が戻ってくるのを感じた。

「おい、日向はどうした!?」

「出てった」

 珊瑚ちゃんがぽつりと、目を伏せながら答える。

「何故、追いかけなかったんだ?」

「……もう、うごけない。ショックで」

「ああ……なにがあったのか、教えてはくれないだろうか」

 のちに、翡翠さんも目覚めて。

 俺は、二人に覚えてる限りのことを、静かに語った。

「なるほど。彼女は『殺して』などと……」

「……うん」

 目の前の女教師は、憤ったように息を吐き。

「そう……大変だったわね」

 翡翠さんは同情したような視線を、俺たち二人に向けた。

「……るり、みんなみんないなくなったって。だから、自分もいなくなりたいって。そう、言ってた」

 事実を述べたうえで、俺はつづけた。

「……何にも言い返せないよ。だって、その通りなんだから。裏切って、いなくなったのは、俺なんだもん」

 だが、九条先生はそれに反応したのである。

「どこにもいなくなっていないのに、何を言っているのだろうか」

「え」

「お前はお前じゃないか。どこにも、いなくなっていない。ただあり方が変わっただけ。そうは思わないか……お兄さん」

 ぴしゃりと、水をかけられたようだった。

「それに、お前の家族……群青さんたちも、まだくたばってはいないだろ。会おうと思えばいつでも会える。それを考えていなかったのではないのか」

 目が覚めたようだった。

「そうよ。……本当は、誰もいなくなってなんかいないのよ!」

 ……俺は前を向いた。


「先生、翡翠さん、ありがとう。……ちょっと、瑠璃を探しに行ってくるよ」


 返事を待たずに、靴を履いて、俺は外に駆けだした。

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