第35話 あたらしいくらし

 あれから、およそ数日が経った。

「あおいちゃーん、ごはんよー」

「はぁい……ふぁ……」

 最近はよくうちに泊まりに来ている翡翠さんの声。あくびをしながらリビングに出てくるのは、幼稚園の制服を着た俺。

 髪をとかしたり顔を洗ったり……あと、服を着たり。というかある程度大きいボタンから付け外しできるようになってきた。時間はかかってしまうけども。

「……にぃに、おむつ」

 瑠璃のほうは中学校の制服姿で、スカートをたくし上げた状態で寝転がっていた。

 もちろん下着も見えてしまっているのだが……それは普通の中学生が穿くようなものとは違っている。

 おむつ。しかも、ピンク色のお花柄の可愛いやつ。それもすでに薄黄色に膨らんだ状態の。そう、赤ちゃん用の一番大きなサイズのおむつにおもらししてしまっているのである。

 とどのつまり、あれから瑠璃のおもらしは治ることはなかったというわけである。ついでに俺も。

 いまは姉妹揃ってトイレトレーニングの真っ最中。とはいえ、まだそのスタートラインに立てるか立てないかくらいの段階なのだが。

 俺の場合は尿意に気づけるのはまだ五割くらいで、そのうちトイレに行けたのは三割あるかないか、そして実際にトイレで出来た回数はいまだにゼロ。瑠璃も全く尿意を感じていないわけではないらしいがトイレは使えていなかった。二人ともおむつが外れる気配すらない。

 とか何とか言っている間にも。

「……んっ……」

 股間がむずむずしてきた。尿意である!

「な、なぁに?」

「お、とい、れ……いく……」

 瑠璃の問いに答えつつ、一歩一歩トイレに向かおうとするものの、水門はあまりにも弱く。

「あぅ……ああ……」

 脱力した。

 水門開放、膀胱の中身が尿道を通って放出され、白かった下着内部の吸収帯を膨らましていくのを強く感じる。

 ……むぅ。悲しくなんてないもん。ちょっと、なきそうだけど……。

 涙をぐっとこらえながら、立ち上がると。

「……ひすいねぇね、にぃにもおむつだってーっ」

「ちょ、やめてくれよ……。自分で替えられるから……」

「はいはーい。おむつ替えるわねー」

「うわぁっ!」

 背後からにゅっと現れた、美女……というより美少女な感じの二十代女性。その香りにどきりと心臓が強く拍を打つ……と共に微かに違う臭いも感じた。

 ああ、またおしっこしたんだな……。

 翡翠さんも相変わらずらしい。ここには三人分の尿臭が漂っていた。


 ――あれから、生活は大幅に変わった。

 まず、瑠璃は幼児退行するようになってしまった。

 日によって多少変わるものの、九条先生によれば少なくとも思考や感情、言動は中学生のそれとは到底思えない、とのこと。

 ただし、記憶や知能に関してはそのままだから、普通に中学生程度の問題も解けるし俺や珊瑚ちゃんのこともちゃんと覚えていた。そして、おむつのことでいじめられてしまったことも。

 それがトラウマになってしまって、教室に入ることができなくなったという。いまのところ保健室登校らしい。

 そして、俺は幼稚園に通うようになった。

 何もできない子供が家に一人でいるのはやはり危ないからというのが表の理由。やっぱり家で一人で自分の身体を観察するよりも幼稚園で幼女を愛でていたいというのが真の理由である。我ながら酷いな。

 ……そうして、俺たちは二人で支えあって暮らしている。

 今日も、また。


「るーりー」

 そうこうしている間におむつを替え終わって、インターホン越しに珊瑚ちゃんの声。

「はぁい!」

 瑠璃はぱたぱたと軽快な擬音を立てながら玄関へと走っていき。

「いってきまーす!」

 学校へと出発した。

「……俺たちも行きましょうか」

でしょ?」

「細かいなぁ……」

 珊瑚ちゃんや翡翠さんに話し方の矯正をされていたりするのはおいといて、朝食もほどほどに。

「行ってきます」

「お邪魔しましたー」

 幼稚園に歩いていく。翡翠さんと一緒に。今日は送っていってくれるようだ。

 送迎バスなんてないから歩いていくしかないのが少し辛いところなのだが……そんな愚痴は放っておいて、足を進めて。

「……だいぶ可愛くなってきたわね」

「ほえ?」

 翡翠さんの言葉に、気の抜けた声が出てしまって、俺は慌てて口を塞ぐ。

「にゃっ、にゃんでもないからっ!!」

「ふふ、かーわいっ」

「にゃにぃ!?」

 そして、顔を真っ赤にして声をあげた。


 幼稚園にたどり着くと、なのちゃんが俺に駆け寄ってきて。

「あおいちゃーん!!」

「むぐへっ!!」

 フローリングをスライディング。もはや恒例である。そして。

「おはよ、あおいちゃんっ!」

 そのキラキラした笑顔に俺は癒されるのである。

「うん、おはよう。なのちゃん」


 ……楽しい毎日。夢のような日々。

 それが、いつまで続くのかわからない。いつか、終わりが来てしまうはずだけど。

 俺は、もう壊したくない。

 いつか、壊れる日がくるまで、この幸せを崩さずに、できる限り守り抜く。そう俺は誓った。

 俺にできることは少ないけど、それでも。


 誓いと幸せを胸に秘めて、俺は今日も走り出す。


**********


 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 もともとここで完結とする予定でしたが、未回収伏線が多すぎるので続きを書くことにしました。詳しい事情や制作秘話が見たい方は、新年になってから近況ノートに書きますので、そちらをご覧ください。

 良いお年を。二〇二一年もよろしくお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る