いつかめ ~なくしたものは~
第21話 奇妙な夢と新しい朝
虚空、虚無。真っ暗闇、また俺は浮遊していて。
「……またか」
力なく呟く声は明らかに若い男のもので、また自分の身体は男に戻ってしまったのだと確信する。
そんなときである。
「蒼にぃ」
どこからともなく、幼女の声がした。
「やっと話せるようになった」
その声はどこか安堵したようで、しかし。
「……あなたは、誰ですか?」
聞かずにはいられなかった。この声を聴くたびに胸に抱いていた疑問。
発言すると、小さな笑い声が聞こえて。
「ふふ、決まってるじゃん」
「え?」
俺が素っ頓狂な声を上げると。
「それは――」
彼女は、勿体つけるかのように一呼吸おいて、告げた。
「それは、あなた自身」
「は?」
次の瞬間、発した声は甲高く、目には光が飛び込む。
「あ、あさ……か……」
上体を起こして軽く腕を伸ばして深呼吸。そのままベッドから飛び降りた。
この体にもだいぶ慣れてきたな……。
この姿になってまだ一週間も経ってないはずなのに、最初からこの姿であったかのように慣れてしまっている自分がいる。
……そして、自分の失敗の香りも、また嗅ぎなれてしまっていたように感じる。
「おねしょ……今日もいっぱいしちゃってるよ……」
寝る前にあてられたテープタイプのおむつは、寝ている間に出されたおしっこでもうすでにパンパンに膨らみ切っていた。ぶよぶよになったその赤ちゃん向けの下着の中はじめじめべたべたで、気持ちが悪い。
早く変えてもらわなくちゃ……いや、シャワーでも浴びようかな。
考えつつ、俺はゆっくりと、ぎこちない足取りでリビングへと向かった。
「……朝のシャワーって気持ちいいよな」
「ぐすっ、ぐすっ……」
「落ち着けよ……。いったい何があったんだ?」
「うわぁぁぁん!」
「ちょっ、泣くなって!」
風呂場にて、俺は、泣き出した瑠璃の頭を撫でていた。
「よーしよし。マジでどうしたんだ?」
「おふとんにちっちこぼれてた」
「……いまなんて?」
「おむちゅからちっちあふれてて……べちょべちょで……うわぁぁん!」
「あー……よし」
意を決して、俺はシャワーを手に取り瑠璃に向け、手元のボタンを一押しすると。
「きゃあっ!」
水圧が体を押すと同時に、瑠璃は悲鳴を上げた。跳ね返ってきた冷たい水しぶきを浴びながら。
「ほら、これで目が覚めたか?」
「覚めたよ! めっちゃ覚めた! ちょ、寒いってバカ兄貴!」
よし、作戦成功。俺はガッツポーズ――したらシャワーがいきなり暴れだす!
「あーばばばばばばちょまってやばいやばい当たるあ――――――」
シャワーヘッドがゴツンと頭に当たった。ついでに後ろから転んでお湯の入っていない浴槽に仰向けに寝転がる形になり、さっき自分で出した水が俺に降りかかる。
その冷ややかな感覚は俺の幼い膀胱を容赦なくくすぐって――水流に黄色いものが混じりだすのに時間はかからなかった。
「……体、洗おうか」
出し終わってから一呼吸おいて言ってみると、瑠璃は笑いつつも一言だけ口にした。
「だね」
体を拭き、瑠璃に服を着せられ――今日は淡いピンク色で裾や袖にフリルとついでにお花の刺繍がついたワンピースだった――を着せられて。
「じゃあ、行ってくる。……大丈夫?」
「ああ、大丈夫だから、行ってこい」
「……ん」
その瑠璃が中学校へと出かけると、俺は背伸びをして、二階にある自分の部屋へ。そこでスマホにたまったメッセージを流し見た。
……新しいのがもうニ百個くらい。
安否確認のほか、クラス内のチャットでは考察なんかもされていた。中には死亡説を唱えてるやつまでいて、少し背筋が寒くなる。
その中で、気になるメッセージを見つけた。
ジロー 〈なぁ、もういっそアイツのうち見に行こうぜ?〉
ミツタカ 〈知ってるやつおりゅ?〉
いいんちょ〈あ、私知ってるー〉
ジロー 〈お、いいんちょセンキュ。ところで、明日創立記念日だよな?〉
TKOM 〈それがどした?〉
ジロー 〈あのバカの家に突撃したろうぜwww〉
いいんちょ〈いいねいいね〉
ジロー 〈あ、いいんちょとロリコンズは強制参加な〉
TKOM 〈ど う し て〉
ミツタカ 〈ざまぁwww俺は行かんからなww〉
TKOM 〈まあいいけどさ。ロリコンズ出動ッ!〉
ジロー 〈じゃあ、明日の朝八時半に駅で集合な〉
TKOM 〈わかった〉
いいんちょ〈りー〉
これが書かれたのは、どうやら昨日らしい。昨日の明日は――今日じゃん!
ロリコンズってなんだよとかどうして誰にも教えていないはずの住所を知られてしまっているんだよとかいろいろツッコミたい点はあるものの、いまはもうそれどころではなかった。
ジローこと
そしていいんちょこと学級委員長の三島さん。下の名前はわかんないしそもそもほぼ話したことはないはずなのだが、なんで俺の家を知ってるんだ。
俺のファンなのか? ストーカーなのか?
……どっちも可能性があってしまうあたり、頭が痛くなってくるのだが。
なにはともあれ、俺がこの体になったなんてこと知られたら、俺はもう生きていける自信がない。
集合時間は八時半ごろ、ということは――時計がさす時刻は、現在八時四十五分。最寄り駅からここまで、徒歩十五分くらい。さんじゅうたすじゅうごはよんじゅうご……。
時間はもう残されていなかったことを悟った刹那、インターホンの音が家中を包み込んだ。
俺は心の中で悲鳴を上げた。
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