第4話 ゆうごはん

「ただいまー」

「た、ただいま……」

 瑠璃が玄関の鍵を開け、俺たちは声をかける。しかし、返ってくる声はない。

「……って、そういえば俺たち以外誰もいないんだったな」

「あはは……そうだったね。ママもパパもどっか行ってから帰ってないんだもんね」

 思い出したようなその声は、笑っているはずなのにどこか寂しげに聞こえた。

 ――俺たちの父と母は、世界的な研究者だという。

 昔はまだ小学生にもなっていなかった俺や産まれたばかりだった瑠璃を連れて海外を飛び回っていたらしい。俺が小学生になってしばらくしたあたりで、この家に引っ越してきて。

 しかし、去年。瑠璃が中学校に入学してしばらく経ったある日。

 父と母は俺たちを残して遠い外国に旅立った。

 なんでも、危険な研究をしなくてはいけなくなったそうで。

 あれ以来、毎月四十万もの生活費と手紙が送られてきているが……一年以上、俺と瑠璃は二人で暮らしていたのだ。

 俺はもう寂しさには馴れた。けど、瑠璃は……。

「どうしたの?」

 瑠璃の手をそっと、ぎゅっと握りしめると、彼女は珍しく優しげな――寂しげな声で俺を見つめた。

「いや、なんでもないよ。じゃあ、暗くなってきたしご飯にしようか」

 そう言って、俺は台所に向かった。


 夕飯は基本的に交代制で、俺と瑠璃が交互に作っていた。そして、今日は俺の番だったのだが。

「っ……わきゃあっ!」

 どんがらがっしゃーん。

 踏み台から足を踏み外して頭を軽く打ち付けた。

 やり慣れてたはずの料理は、極めて困難であった。

 まず最初に、身長の低さのせいで、高いところにあるものが取れないところから始まる。

「るりー」

「あいよー」

 料理道具を取ってもらったら、次は調理台に手が届かない。

「うんしょ、よっこらせっと」

 踏み台を持ってきて満を持して料理開始かと思いきや。

「料理道具って……こんなに重かったっけ……」

 とても小さく不器用で筋力もない華奢すぎる手では、ステンレス製の包丁を握って持つことすらも叶わなかった。

 そして、諦めて一息ついたところで足を踏み外して転けたという次第で……あっ。

 股間部が温かい。下着に包まれた部分だけぬるま湯に浸されるような心地よくも奇妙な感覚は……。

「大丈夫……じゃなさそうね」

 いつの間にか来ていた瑠璃が笑いながら呟いた。

 自分への呆れと微かな恍惚を含ませた溜め息を一つだけ吐き出した。


 おむつの横の部分が破かれると、もわっとしたアンモニア臭が辺りに漂いだす。

「うっわぁ……兄貴のおむつ真っ黄色だwww」

「やめて……早く拭いてよ……」

「はいはい。おまた開いてー。ひやっとするよー」

「うう……」

 恥ずかしさに耐えながらも指示に従う。

 ……脱ぐところまではできても、拭くのはできない。

 なんでも、女の子の体、とくに股間周辺はとってもデリケートだから、力加減を間違えてしまうと、なんか大変なことになるらしい。

 そんな風に脅されてしまうと……悔しいけど、童貞な俺よりよっぽど女の子の体のことをよく知っている妹に任せるのが最良なのだ。悔しいけど。

「あいあい、終わったよ兄貴。自分で穿けるよね?」

 こくりと首を縦に振って、新しいおむつに足を通す。

 ……当たり前のようになってるけど、この状況も結構異常なんだよなぁ。

 六歳でおむつなんて、普通はあり得ないはずだ。まして、十七歳の男子高校生でなんてあるはずがない。

 ……いや、案外あり得るのか? こうしてぴったりのサイズが存在する訳だし。ちょっとわからなくなってきた。

 一度深呼吸して、とりあえず落ち着く。

「……ところで、兄貴」

「なんだい妹よ」

「もしかして、料理できなくなってる?」

 ……顔が熱くなる。目がそれる。

 それを見て、超有能で気配り上手な妹は溜め息をつき、言うのだ。

「しゃーない。今日の夕飯はあたしが作ろうっ!」

「いいの?」

「いいのっ!!」

 本人がやりたがっているみたいだ。やらせることにしよう。

「じゃあ、おねがいします!」

 言ってから、俺はリビングに駆けていった。


「ふぁあ……」

 目の前に出されたのは、オムライス。

 ふわふわの卵の黄色とその上にかけられたトマトケチャップの赤のコントラストが美しく。

 小さな手には少し大きめなスプーンで掬い上げ、口のなかに入れると、卵に包まれたチキンライスの何とも言えない旨味……。

「おいしいっ!」

 目を輝かせつつ叫ぶと、瑠璃はにこやかに「よかった」と呟いた。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

 こうして食卓は片付けられる。

「って……皿がめちゃくちゃ重い……」

「そんなに!? 兄貴ってば弱体化しすぎだって(笑)」

「いちいち笑うなよ……」

 こっちも大変なんだよ。慣れない体でとても動きにくい。

 ……俺は、ふと気になってしまった。

「なぁ、兄ちゃんがこんな風になって……どんな感じだった?」

「なによ急に兄貴面して。らしくない」

「いや、な? 兄貴面もなにも、俺はお前の兄貴なんだぜ? 今はこんななりだけどさ」

「そーだったね(笑) 忘れてた」

 さっきまで兄貴兄貴言ってたくせに。

「で、どうなんだ?」

「んー……年下の妹ができたみたいで楽しかった」

 そう言って微笑む彼女の顔には、薄く涙の痕が見えた気がして――。

「とりま、お風呂入ろう? 兄貴は先に入っててよ」

「ああ」

「あ、身体は洗わないでおいてね。あたしが、手取り足取り教えたげるから」

「お、おう」

 ひとまず俺は風呂場へと向かった。

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