うんどうかい 前編
「うんどうかい?」
とある幼稚園。
幼稚園年長の女児である――そして元男子高校生でもある――俺、日向 あおいはそんな単語を復唱した。
「そう、うんどうかい! たのしみだねー」
親友のなのちゃんの意味不明な発言に、俺はただ困惑するばかり。
首をかしげる俺――「わたし」に。
「あおいちゃん、しらないのー? なら、おしえてあげよっかー?」
友達のあかねちゃんが、ものすごいニヤケ顔で話しかけてきた。
……なんか腹立つな。
「いいもん」
「うんどうかいってのはね、あさってにやる、いっぱいはしったりするやつなの!」
「聞いてないな」
これは後から幼稚園の先生に聞いたことだが。
この幼稚園では毎年七月初めに運動会が開かれるらしい。
運動会。恐らく知らない人はそう多くないだろうが、文字通り運動をする大会である。
「このまえもみんなでたまいれとかかけっことかやったの、おぼえてない?」
あかねちゃんの言葉に、俺は首を横に振る。たぶんそのときにはまだこの幼稚園に入っていなかった。ここに入ったのはつい数日前なので知る由もない。
いや、俺が男子高校生だったころか。行きつけの幼稚園――とはいってももちろん通りすがるだけで何も悪いことはしていない――から「よーいドン」なんてかけっこの始まりの合図が聞こえたっけ。
それが、ちょうど俺がこの姿になる少し前だから、あれが運動会の練習だったのかもしれない。
「でね、あしたがよこう? で、あさってのどようびがほんばんなのよ!」
先がくるくるしたツインテールを跳ねさせてはしゃぐ彼女。え、ちょっと待って明後日って言った?
いきなりすぎて心の準備ができていない。
でも、これはチャンスかもしれない。
この体になって、いままで一体どれくらい運動しただろうか。外に買い物に出て結構長く歩いたことはあったし、後は幼稚園に行ってからのカリキュラムで少し運動したりはするけど、それ以外は家出した瑠璃を探しに行ったくらいしかまともに動いていないはず。
つまり、この運動会で自分の体力の限界を探れるかもしれない。
とりあえず、知ってる人に掛け合ったりしよう。この体はわからないことも多いから、行動は慎重にした方がいいしね。
というわけで次の次の日。
その日は梅雨明けすぐで、ひどく綺麗にカラッと晴れていた。
うんどうかい、と書かれた手作り感あふれるゲートに、続々と人が吸い込まれているのを横目に、俺は先生から話を聞く。
「はい、これがプログラム。あおいちゃんが出る競技にはお星さまのシールを張っておいたからねー。呼ばれたらちゃんと行くんですよ?」
「うん、わかりました。……急に出たいなんて言っちゃってごめんなさい、せんせい」
頭を下げる、体操着を着た黒髪ポニーテールの幼女――すなわち俺に、先生は笑う。
「いいのいいの。園児が楽しめない運動会なんてこっちが願い下げだし、それに……」
そして彼女は俺の後ろをちらりと見た。つられて自分も見てみると。
そこには、無駄にいい笑顔をした白衣の女がいた。
「やあ中溝。教育課程以来だが、元気にやってるかい?」
「あはははは……九条先輩もお元気なようで……なんでここにいるんですか?」
「まあ、この子の保護者代わりと言ったところさ。血は繋がってないがね」
どうやらこの二人は大学の先輩後輩の関係だったらしい。
「あはは……ええっと、どういう」
「おおっと、そろそろ並んどいたほうがいいんじゃないかあおいちゃん」
突然、話を打ち切るように告げる九条先生。
「あっ、わかったよおば」
「おばさん言うな!」
そんなやり取りをしながら俺は部屋を出た。
*
燦燦と光る太陽。ここは幼稚園の近所の小学校の校庭。借りたらしい。
その中心で、幼い少年少女たちが整列する。
そして保護者たちの声援が、校庭にこだましていた。
「あおいちゃーん! がんばってー!」
「にぃにー! がんばえー!」
……なんかもう懐かしいな。こう声援かけられるの。
でも、女の子たちから黄色い悲鳴よりかは、家族からかけられる応援のがちょっと気恥ずかしくて、でもなんだか勇気が湧いて来るような気がする。これからのこともどうにか堪えきれそうだ。
「だいじょーぶ? あおいちゃん」
横から声がかかった。親友のなのちゃんだ。
いつもはちょっと無造作気味にストレートに伸ばされてるセミロングの明るめの茶髪は、今日はツインテールに括られていた。肩にかかるくらいの短めの髪の束が、彼女の明るくて元気なさまを如実に表していて。
うん。天使。
「だいじょうぶ!?」
「大丈夫、落ち着いた」
俺は親指を立てて、にっと笑い。
そしてアナウンスが響き、顔を真っ赤に染めた。
『第一種目、どうぶつさんたいそう』
園児たちのかわいいダンス、どうぞお楽しみください。そんなアナウンス。
傍から見てる分には可愛いだけだろうけどな、やってるこっちは劇的に恥ずかしいんだよ! しかも、あんまり理解してない本当の幼稚園児だったならともかく、中途半端に高校生の意識が残ってる今の俺にとってはただの羞恥プレイだ!
客席、女子中学生の幼女――幼児退行した妹の瑠璃のちょっと派手な女児服から、自分の保護者の居場所を見つける。
――ものすっごく生温い微笑みを浮かべた白衣の女教師、天使の微笑みで応援するお姉さん、きゃあきゃあかわいいかわいいと騒ぐ女子中学生たち、そして何が起こってるのかわからないままがんばえーと言ってるだけの妹がいた。
ああもう応援の視線が痛いよ……。ぼくもうむりかもしれない。
そして、ちゃんちゃかちゃんちゃんと音楽が流れ始めた。ああもう、こうなりゃやけくそだ!!
*
どうぶつさんたいそう
うさぎさんぴょんぴょん たのしいね
ねこちゃんにゃんにゃん かわいいね
ぐーちょきぱーで なにができるの
げんじつはそう あまくないよ
ずんどこべろんちょ
ずんどこべろんちょ
それってなんだろう
ずんどこべろんちょ
ずんどこべろんちょ
それってなんだろな
いぬさんわんわん たのしいね
ぞうさんぱおーん ころされる
つぶれたなにかで なにができるの
げんじつはそう あまくないよ
*
ああ、疲れた。
ぱちぱちぱちと拍手の嵐。俺は酷く赤面した。
歌詞が教育上悪すぎる気がするのはきっと俺だけだと思う。気にしてはいけない。
恥ずかしさと疲労で息を荒げる俺を、なのちゃんが引っ張っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます