壊れた彼女と保健室
保健室のベッド。わたし、
「あぅ……」
「るり、ちーでた?」
振り向きながら聞くと、背後に寝転がっていた小柄な女の子は、なにを言ってるのわからないと告げるかのように首を傾げた。
……わたしのコイビト、
それは、しばらく前の出来事。るりはいじめを受けた。いや、それ以前からどこかおかしくなってたんだと思う。
彼女の心は爆発した。それで、この子の心の何かが狂っちゃったのかもしれない。
ため息を吐いて、目の前の女の子――るりの股間部、スカートの下を触る。……ぷにぷにしてる。もう出ちゃってるみたい。
確認してると、保健室のドアが開く音。
「さーんごー、瑠璃の調子はどうだー?」
「あ、コハちゃん。げんきだよー。いまおむつ替えるとこ」
「いやだめじゃん赤ちゃんのまんまじゃん」
ベッドを仕切るカーテンから顔を出したら、そこにはガラの悪そうな金髪。コハちゃんこと
「とゆーか、流石に授業終わるごとに見に行くのはやりすぎだと思うんだけど」
ジトっとした半眼でわたしをにらむ。もっと遊んでよ、なんて本音が丸わかりで、わたしは思わず笑みをこぼす。
「なにがおかしいんだよ」
「なんかかわいいなって」
「いや、確かに赤ちゃんはかわいいもんだけどよ」
きみのことだよ、コハちゃん。なんて言わないけど。本命はその赤ちゃんなわけだし。
また少しだけ微笑むと、るりが、カーテンの中に入るコハちゃんに手を伸ばそうとする。
「こぉ、はー」
「おぉー、よしよし。今日は一段と幼いなー」
ぽんぽん、とコハちゃんがるりの頭を撫でる。……なんか、るりが取られたような気がしてやだな。頬を膨らませてると。
「ぎゅーっ」
柔らかい声。もちっとした肌に、ふわっとした女の子の香り。あとから漂ってきたおしっこの臭い。
「るり、ありがと」
後ろから抱きついてきたるりに口だけでお礼を言うと、彼女は「んっ」と声を弾ませた。
「お前ら、ほんと仲いいな……」
あきれ顔のコハちゃん。わたしはふんすっとドヤ顔で。
「だって、コイビトですから」
「ハイハイスゴイデスネ」
「圧倒的棒読み!?」
「るり、みんなだいすきだよ?」
「ああもう天使かよこの生き物」
キョトンとするるりを、コハちゃんがなでくりまわして。可愛い悲鳴を上げるるりを見て、わたしは笑っていて。
これが、俗にいう「せーしゅん」なのかなって思ったりして。
「……マジで赤ちゃんになってんじゃん」
唖然としたような声に、一瞬で雰囲気が変わった。ピリピリした、そんな空気に。
「どうしたんだ? クラスのリーダーさんよ。あんたが壊して蹴落としてぐちゃぐちゃにした女の末路でも嘲笑いに来たか?」
コハちゃんの牽制のような一言に、彼女――かつて、るりがおむつを使ってるのを笑ったあの女は渇いた笑いをこぼす。
はは、ははは、と勢いを増す笑いに、短気な金髪は激昂した。
「おい! 何か言えよクソ女!!」
その叫びに答えるように、彼女は。
「ははは……そうよ……。ここにいるって聞いて。まだチヤホヤされてるアイツを笑ってやろうと思ったのよ……。はは、まさか、こんな……こんな……」
茫然自失。まさにこの言葉がふさわしいように感じた。
涙を流す彼女。やがて。
「ごめ、ん、なざ、い……。ごんなふう、じじゃっで……ごべ……ざい……」
でも、コハちゃんはなおも、牙を剥く。
「謝ってどうなるんだよ!! ……お前が謝ったって、前のアイツは戻ってこねーんだぞ」
その怒りに満ちた厳めしい顔。しかし、涙が、一滴二滴とこぼれるのが見えた。
「殺してやる……」
口だけの怨嗟が、むなしく部屋に響き渡り。
わたしは、何も言えずにただるりを見ていた。
でも、気が付いた。いつからか、るりはカーテンの向こうに手を伸ばしてた。怯えたような眼で、控えめに。
「やめなよ、るり。……また、こわいこわいなっちゃうよ」
忠告しようとするけど、るりは手を伸ばすのをやめない。
つい語気が強くなって。
「やめようよ! なんで……」
「るりだってこわいよ! ……こわい、けど……」
るりの叫びにびくりとして。
彼女の言葉に、この場の人間は耳を傾け。
るりは、息を吸って言い直す。
「……うん。こわいよ。でも、あやまってるもん……。あやまってるなら、許してあげたいな……って」
わたしは目を丸くした。そして当の本人は、力なく「にへへ……」と笑って。
「るり、やさしすぎる、かな」
「ああ。優しすぎるな。ほんとうに……お前は……」
コハちゃんが泣き笑いしながら、またるりの頭をぽんぽんと撫で。
「……だから……ともだち、なろ?」
るりは、無垢な笑顔を、手を、カーテンの向こうの彼女に向ける。
「いい、の……? あなたを、こんなになるまで傷つけたのに……」
「いいの。……もう、あんなこと、しないでしょ?」
信じるようなるりの言葉に、カーテンの向こうの影は頷いた。
「もう、しないよ……」
「じゃあ、おともだち!」
そして、カーテン越しに二人は握手したのだった。
新たな友情。その先に眩しい光が見えた、気がして――
「あ、おむつ」
「えっ」
わたしがふと思い出したように口にして、カーテンの向こうの彼女は困惑したような声を上げる。
「るり、ちーしてたの?」
「そーだよ。おむつ替え替えしなきゃねー」
「ああ。あたしは出てるわ」
「え、それは普通先生がやるものじゃ」
そうしてベッドは二人だけの空間になって。
「ほら、行くぞ」
「あっあっ、ちょ、お邪魔しましたーっ」
あとの二人はどたばたと保健室を出て行ったようで。
……静かになった。二人だけの空間。おむつの横を破る音だけが、二度響いて。
「さんご、しゅきぃ」
「……ん。わたしも」
目のとろんとしたるり。またおねんねタイムらしい。今日のるりは赤ちゃんだ、なんて一人で思って、少しだけ笑っちゃう。
お尻をしっかりと拭いてから、大人用のテープおむつを広げて、尿取りパッドを中に入れる。
それをお尻の下に敷いて……こうしてると、なんだか介護みたいで――実際はその通りだけど――なんか嫌になっちゃうような。
でも、漏れないようにしっかり当てて、四枚のテープを付けちゃえば、かわいい赤ちゃんの出来上がり。おむつは味気ない介護用のやつだけどね。
おまたがもこっとしてかわいい。おしりがふっくらまんまるでとってもかわいい。
気が付いたら、るりのほうからすうすうと寝息。おやすみのおうたもえほんもなしに寝ちゃうなんて、えらいこ。
「すき。どんなにかたちがかわっても、こわれちゃってても」
お布団をかけてあげてから、呟いた。
「るりのすきとは、ちがうけど。……それでも、すきなの」
とある日、昼休みも終わる寸前のこと。
保健室に響いたすすり泣きの声を知るのは、わたししかいない。
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