海遊び編

海へ行こう!


「海へ行こう、るり!」

「うう?」


 はじまりは、だいたいこんな感じだったと思う。


 輝く水面。眩しい砂浜。やたらと騒がしい海岸で、わたしたちは佇んでいた。

「あおいちゃん! すごいよ!」

「わっ、わ……あっひゃっ!?」

 なのちゃんに手を引かれて砂浜に降り立つと、猛熱が足裏を襲う。

「あちゅいー」

「ダメでしょ。砂浜ではサンダル履かなきゃ」

 もだえるわたしたちに、呆れたように子供用のビーチサンダルを渡すのは、なのちゃんこと菜花ちゃんのお母さん。

「海へ駆け出すのもいいけどさ、子供たち。なにか忘れてやしないかね?」

 ワンボックスカーの中から、少女の声がする。

 まもなくして、こんな大勢――なのちゃんとわたしを含めて、総勢なんと八人で海に行く事になってしまった元凶が、濃いピンクの水着姿にグラサンといった格好で現れた。


「まずは、水着に着替えなきゃ――夏は始まらないっしょ!」


 目に悪い恰好をした彼女――珊瑚ちゃん。おい待て。両脇を抱えて抱っこするな!

 どーしてこうなった。わたしはうなだれた。


 はじまりはだいたい三日前にさかのぼる。


    *


 ミーンミンミンミンとセミがけたたましく鳴いている真夏の日。

 夏休み。四人の中学生は、勉強会という名目でわたしの家――日向家に集まっていた。

「るりの部屋、涼しいー! あおいちゃんきゃわいいー!!」

「珊瑚ちゃん……あついよー……」

 わたしにほおずりする茶髪のポニテがまぶしい少女は、元気すぎるほどの元気と明るさが取り柄な珊瑚さんご

 そんな珊瑚ちゃんの後ろから、別の少女の影。

「はしゃぎすぎだ。落ち着け、珊瑚」

「コハちゃんっ!? 首の後ろを掴むのはやめてー!」

 まるで猫のように少女をひょいと持ち上げた金髪ショートの彼女は、男勝りな口調が特徴なコハちゃんこと琥珀こはく

 琥珀ちゃんに持ち上げられた珊瑚ちゃんは「きゃー」とはしゃぎつつわたしから離される。

 そんな二人の様子を、部屋の隅で微笑まし気に眺めるのは、わたしの妹でお姉ちゃんな女の子。

瑠璃るりちゃん、いいの? あの二人に混じらなくて」

「ん。おえかきたのしいもん」

 白画用紙にクレヨンを走らせている黒髪ボブの女の子。わたしの幼児退行した妹、瑠璃。それを観察するのは――。

「……おねーさん、だれ?」

 その黒髪ロングの彼女に近寄ると、「あー……あおいちゃん? このお姉さんは危険だから近寄らないほうがいいぜ?」と琥珀ちゃんが注意してくる。

「コハクぅ……アタシって意外と本物の子供ガキには優しいんだよ?」

「へー、マジ意外。瑠璃をこんなんにした元凶が、ねぇ」

「蒸し返すなし! とゆーか伊達に陽キャのリーダーやってるわけじゃないっての!」

 ため息をついて、彼女は一オクターブ高い声で、ニッコニコの笑顔を作ってわたしに話しかけた。

「アタシは志島しじま ざくろ。いちおー学級委員長やってますっ☆」

「うそくさ」

「ンだとォ!?」

 半眼で呟いたわたしに、ドスの効いた声で睨みつけるその自称学級委員長。睨みつけた相手がわたしでよかったな。本当の子供ならギャン泣き案件だぞ。

「まあまあ。コレが学級委員長なのはほんとーだし……」

「よく仕事をあたしら――というかほぼあたしに押し付けて、放課後どっか遊びに行ってるけどな……」

 珊瑚ちゃんのフォローを琥珀ちゃんが呆れ半分で台無しにする。だめじゃん……。

「言っとくが、あたしはまだお前を許したわけじゃないからな。瑠璃が許したから、何にも言わないでやってるだけで」

「あーはいはい、うっさいわね。もう知ってるわよ。何度も言うなし」

 にらみつける琥珀ちゃんを、当のざくろちゃんはスルーして。

「よろしくね、あおいちゃん」

 とわたしに微笑みかけてきた。

「…………よろしく」

 わたしは苦笑いで返すしかなかった。


 彼女――志島 ざくろが妹をいじめ、結果として幼児退行へと至らしめる引き金になったということを、以前九条先生や琥珀ちゃん、珊瑚ちゃんから聞いた。

 幼児退行へと至った理由はそれだけではないにしろ、『わたし』の大事なお姉ちゃん――『俺』の大事な妹をいじめようとしたことは、今更どうやったって消し去りようがない『事実』なのだ。

 そんな彼女を許すことができない、というのは『俺』も同様なのである。


「まあまあ、コハちゃんもざくろちゃんもおちついて。あおいちゃんも」

 ピリピリした雰囲気を、珊瑚ちゃんは明るくなだめて回る。

 すこしだけ和らいだ雰囲気――それでもまだざわついた雰囲気が残る中、珊瑚ちゃんは切り出した。

「そうだ! 海行こうよ、海!」

「なんで?」

 わたしが聞くと、彼女は「だって夏じゃん!」と相変わらずの元気で答える。

「それにさー。コハちゃんの従妹ちゃん……菜花なのかちゃんのこともあるし」

 菜花ちゃん――この前お母さんとひと悶着あったわたしの親友のことを思い出し。

「さながら親睦会ってか? ま、あたしは賛成。るりは?」

「にゃー!」

 けだるけな琥珀ちゃんの声に、瑠璃のわかってるんだかわかってないんだかとりあえず元気そうな返事。

「アタシもいいけど……」

 言いよどむざくろちゃん。その原因は。

「あおいちゃんがめっちゃ嫌がってるように見えンだけど」

 話を振られたわたしは、少し俯き加減で口にする。

「だって……はだか、みられたくないし」

「見られるのは水着だし、どうせあおいちゃんの裸なんて誰も興味ないよ」

「ひどい!」

 幼女の水着姿なんてダレトクだ、と自分でも一瞬思ったけど、たぶんだれかの性的対象にはなっているのだと思うと用心せずにはいられない。性癖の幅というのは広いものである。

「そ・れ・に」

 手をワキワキさせながらにじり寄ってくる珊瑚ちゃん。わたしのスカートに手をかけて――おいなにをっ!

「おむつも外れてない子がそんなこと、まだ早いんじゃないのかなぁー!」

「やっ、やめてっ!」

 見事にお知らせサインを青くしたおむつが顔を出した。

 そう、わたしは夏休みになってもやっぱりおむつが外れることはなかったのである。


    *


 わたしを置き去りにして話はとんとん拍子に進んでいった。あと、瑠璃共々おむつは替えてもらった。

 そして、およそ三日後。

「夏ねー」

「そーですね、田幡のおばさん」

「萌でいいわよ。そう年も離れてないわけだし」

「えー、じゃあもえちゃん何歳なんですかー?」

「二十一よ。ちゃん付けは流石に恥ずかしいわね」

「……流石に若すぎない?」

 ぶーん、とワンボックスがエンジンを唸らせる中、運転席にいた萌さん――なのちゃんこと菜花ちゃんのお母さんである――とその隣の助手席にいた珊瑚ちゃんが話していた。

 二十一歳で五歳児の母ってことは、産んだのが、えーっと、にじゅういちひくごは――指を駆使して計算した結果、十六歳。

 ……もしかしなくても、萌さんの人生、波乱万丈すぎないか?

 車窓を眺めながらそんなことを考えていると。

「ねーねー! あおいちゃん! でんしゃ!」

 目を輝かせて海とは反対側を指さしたのは、わたしと一人挟んで向こう側に座っている、なのちゃん。わたしの一番の友達である。

 つられて今まで向けていた方向とは逆側を見てみると、ちょうど海沿いの駅を、緑色とクリーム色のツートンカラーのいかにも古めかしい二両編成の電車が発車していくところだった。

「あれはな、江ノ電だ」

「えのでん?」

「そ。そこの踏切を向こうから写真撮ると、よくアニメやドラマなんかで見かけるあのカットになったりするぜ」

「でんしゃちっちゃくてかわいいー!」

 琥珀ちゃんのうんちくを華麗に回避して、なのちゃんは電車を見ていた。

 そんな姉妹のような様子を微笑ましく感じつつ、わたしはまた海を見る。

「飴玉、いる?」

 後ろの席に座っていたざくろちゃんが顔を出して、飴玉の袋を手渡してくる。

「ありがと。……へんなの入ってないよね?」

「どんだけアタシのこと信用してないのよ……」

 呆れるざくろちゃん。「冗談だって」とわたしは軽く笑って飴玉を二つほど取った。

「……そこの保護者はまだだいじょばない感じ?」

「うん。ほら、翡翠さん、飴」

「ん、うーん……あいがと……」

 萌さんと並ぶ引率の保護者、わたしとなのちゃんに挟まれて座っている翡翠さんは、車酔いで死にかけていた。

「ってか」

 切り出したのは琥珀ちゃんだった。

「いつまで続くんだよ、この渋滞……」

 ――わたしたちの車は渋滞にはまっていた。

この時期なつこの場所えのしまだからねー……しゃーなしよ。飴玉いる?」

「それもそーだがな……さんきゅ、ざくろ」

 飴玉を転がす音。海水浴場の喧騒をよそに。

「でんちゃ!」

 後部座席の真ん中で、この状況をよくわかっていないのであろう瑠璃は、通過していった江ノ電を指さしていたのだった。

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