第41話 ロストマン
――なのちゃんとお母さんが和解した日から、何日かが経った。
「わたし、ひっこすことになりました」
三つ指ついて、なのちゃんは告げた。
「……なによ。それじゃあ、なのちゃんは……」
「これでおわかれってこと!?」
あかねちゃんよりわたしのほうが食いついてた。
これで泣きそうになっちゃうなんて、本当にどうかしちゃったかなぁ……わたし。
――これでつい二か月近く前まで男だったなんて、信じられないや。
「うそでしょ……。せっかくなかよくなったばっかりなのにぃ……」
頭を抱えるあかねちゃん。その背中を擦るわたしも、目が潤んできて、スモックの袖で涙を拭く。
「……どこにひっこすの?」
「じぃじとばぁばのおうちだって」
「うわぁぁぁん……とおいいなかのじっかにかえっちゃうんだぁぁぁぁぁ……」
「えっ……え?」
困惑するなのちゃんをよそに、ついに泣き出すわたし。波及する混乱と困惑。
「え? なのちゃんおわかれ?」
「なのかちゃん、ひっこしちゃうんだー……」
「ふ、ふん。さみしくなんか……さみしくなんかぁ……」
ついには泣きだしそうになる子まで出る大混乱の様相。ずいぶんとクラスになじんだなぁ、なのちゃん。ちょっと前までいじめられてたとはとても思えないくらいの愛されぶりだ。
てんやわんやの大騒ぎ。その中心にいるなのちゃんはというと。
「……えっと」
目が点になっていて。
先生まで駆け付けたそのとき、わたしはふと思いついて告げる。
「おわかれかい、しよーよ!」
「なんで!?」
当のなのちゃんのツッコミに、わたしはぐずぐずと鼻をすすりながら笑顔で。
「なんでってなんで? ……もうなのちゃんとはおわかれなんでしょ? だから……さいごくらい」
「ちょ、はなしきいてよ!」
止めたなのちゃん。一斉になのちゃんに目が注がれ。
「わたしもあおいちゃんとおわかれしたくないし……」
もじもじしながら、彼女は告げたのだった。
「ばぁばのおうち、すぐちかくだよ?」
わたしのなみだをかえして。そう言いたくなった。
――ジワジワミンミンと蝉がやかましく鳴く。そんな昼下がり。
お昼ご飯を食べながら、なのちゃんは事情を話してくれた。
「あのひのあとねー、いろいろはなしあったんだー」
曰く、なのちゃんのお母さん――萌さんというらしい――は、なのちゃんをしっかり育てたかったのだという。
なのちゃんの意思を無視してまで頑張った結果、なのちゃんの心は悲鳴をあげ、萌さん自身も思い通りに育たないなのちゃんに嫌気がさしてしまったらしい。
エスカレートする教育。実家暮らしでたまに泊まりに来る琥珀ちゃんを除けば、お父さんもいない二人暮らし。止められるものなどいなくて。
それでついに壊れてしまったなのちゃんは幼稚園で泣き出してしまい、いまに至るというわけだった。
「これからどうするの?」
「ママだけだとまたわたしをいじめちゃうかもっていうから、ママのママ……ばぁばといっしょにわたしをそだてることにしたんだってー」
さながら遅すぎる花嫁修業であり遅すぎた母親修行、というわけだろうか。
大人もあながち「大人」ってわけじゃないんだね。言わないけど。
「でも……」
一つ、わたしの中で疑念が残る。
「……なんでこれからもママといっしょにいることにしたの? べつに、ばぁばとだけいてもよかったはずなのに」
聞くと、なのちゃんは。
「だってそれだと、ママがひとりぼっちになっちゃうしー。それだとさみしそうだし……。それにね……」
フォークを器用に使って口の中にブロッコリーを放り込んで、もぐもぐごっくんと飲み込んでから、続けた。
「……なんだかんだいったって、わたしのたったひとりのママだもん」
その言葉にどんな意味が込められてたのかは、知る由もない。けれど、わたしは素直にこう思ったのだった。
「なのちゃんはとってもつよくてやさしいね。わたしにはまねできないや」
「えー? そーかなぁー! えへへへへ……」
わかりやすく喜ぶなのちゃん。うん。素直で可愛い。
それにしても、家族かぁ。親、かぁ……。
父さんにはそこまで構ってはもらえなかったけど、研究する姿に憧れたりしたっけ。母さんはその代りに、とても「俺」たちをかわいがってくれた。
あの頃は楽しかったな。
思い出した親の顔。何年会ってないっけ……。
「どうしたの? あおいちゃん。ちっち?」
隣から話しかけてきたなのちゃんの声に少し驚いて――わずかに涙ぐんでいる自分に気付いた。
「……なんでもない……とおもいます」
「せんせー、ちっちでましたー」
目を逸らして言ったからか、誤解されてしまったようだ。
……いや、いま確かめると確かにおむつは濡れていたらしい。全くわからなかった。トイレトレーニング完了はまだまだ先のようだ。
ため息を吐いて、わたしは給食のさいごのひと口をごくりと飲み込み。
「ごちそーさまでした」
言って、あくびをひとつ。
「ん……あれ?」
――一瞬で眠気がすごいことになってきた。
うつろうつろとするわたしに、なのちゃんとおむつ替えのためにやってきたらしい先生が「大丈夫!?」と話しかけるが、反応はもはやできず。
そしてわたしは、夢の中へ落ちていった――。
「あーあ、やっちゃった」
――聞こえた声。それはもう一人のわたし。
「いや、もう選択の余地もなかったか。なるようになっちゃったか。はー、残念残念。……でも、ないか」
ぶつぶつと独り言をささやく彼女に、わたしは呼びかけた――。
「なにいってんの、アオイ……あれ」
呼びかけた、はずだった。
――声が、高い?
高いというより、澄んだ声をしている。それはまるで、というより完全に女性特有の声。
うそ、だろ?
かくかくと下を向く。――そこまで大きくはないけど、確かにある胸のふくらみ。腰の括れ。そして、あるべきところにあったはずの「ソレ」は――なくなっていた。
「この姿になってちょっと嬉しいって思ってるでしょ、お兄ちゃん……いや『お姉ちゃん』って呼んだ方がいいかしら」
少し小さな手。細い腕、足。やわらかい身体。さらさらの髪。
それらすべてが、わたしに伝える事実。それを、アオイが代弁した。
「だって、心から女の子になり始めてるんだもんね。かわいいよ、おねーちゃんっ!」
かあっと顔が熱くなった。
――かわいいって言われて心の底から嬉しいって思っている「わたし」がいることに気付いて、なんだか恥ずかしくなって。
「かっ、からかわないでよ!」
「やーだ! あ、鏡出してあげるね」
「いらないし!」
問答無用でぼんと出された大きな鏡。そこに映し出されたわたし――かつて「俺」だったものは、およそ中学生くらいの発達しきっていない華奢な裸体を見せ、可愛らしく赤面していた。
「……服って出せる?」
「出せるわよ。というか男の時は全く隠そうとしなかったくせに、女の子になった途端に隠したくなるなんて……いったいどういう心境の変化?」
「うるさいうるさいうるさーいっ!」
「仕草や言葉遣いまで、かわいいを通り越してあざといわ。ますます『元お兄ちゃん』だとは思えない」
「……からかわないでよぉ……」
いよいよ立っていられないくらい恥ずかしくなったとき、ようやく服に包まれる。
――セーラー服にツインテールなのは、自分の深層心理の性癖がにじみ出たのだろうか。その服自体にはそれほどの恥じらいを抱いていなかったのが、既に自分が「女の子」に堕ちきってしまったことの証明のようで。
「もしも身体が戻っても、もう元には戻れなくなっちゃったね」
暗い暗い精神世界。聞こえた言葉に、わたしはついに涙を流し出したのだった。
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