第25話 ふたり、ゆめのなかで

 さて、ジローたちが帰って行ってしばらく経ち。

「ただいま」

 瑠璃が帰ってきた。

 とことこと玄関まで走って「おかえりー」と出迎えると、彼女の顔はひどいものだった。ひどく腫れた顔。涙の跡とそれを拭おうとした跡が悲惨にこびりついていた。

「どうしたんだ?」

 心配から聞いてみると。

「なんでもない」

「……ほんとに?」

「なんでもないからっ!」

 瑠璃は怒鳴り、俺は驚いてびくりとする。

 こんなに気が立っている瑠璃は見たことがなくて、少し背中がぞわりとして――瑠璃ははっとしたように俺を見下ろした。

「ごめん、怒鳴っちゃって。怖かったよね。そんな思いさせちゃって――」

「いや、いいよ。大丈夫」

 俺は、そんな風に言って安心させようとすることしかできなかった。

 ……兄でない俺が、妹になった「私」が、弱くなってしまった自分が、ひどく無力な存在であるような気がして。

 自室へと向かう妹の背中を見ながら、俺はそっとため息を吐いた。


 それからあっという間に夜になって、腹がぐうぐうとなりだして……「るりー」

 彼女の名前を呼んだ時、ふと気が付いた。

 そういえば、このところ瑠璃に頼りきりだったな。

 思えば、ご飯も初日のあれ以来瑠璃に作ってもらってたし、服も着せてもらってる。よくよく考えてみれば自分じゃ何一つできてない。

 ……このくらいの子供だったら当たり前かもしれないな。

 そんなことを思ってから、しかし頭の中のもやもやは晴れずにまた大きくため息をついて……今夜は出前を頼むことにした。


 瑠璃はもう寝てたので、一人きりの食卓。

 届いたご飯は幼女の胃袋には十分すぎるほどの量で、半分くらい残してしまった。どうにかキッチンからラップを出してかけておく。

 寝間着を取り出して、自分では着替えられないことを思い出した。まず、ワンピースの脱ぎ方がわからない。

 しばらくチャレンジしてから、あきらめてこのまま寝る……その前に、おむつを替えた。

 ……夜用のテープのおむつは自分ではつけられないから、昼に使ってるのと同じやつを穿く。

 ベッドに飛び込むと、まぶたが一気に重たくなって、目を開けていられなくなって。

 意識は、闇の中へと溶けていった。


**********


 暗闇、浮遊。

 無重力の世界。ああ、ここはいつもの夢だと悟る。

 ぼうっと、ふわふわと浮かぶような心地に、夢の中だというのに眠気がしたそのとき。

「ねぇ、蒼にぃ。おつかれ」

 話しかけてくる、少女の声。

「うん、ありがと」

 そんなお礼を言う野太い声。久々に出すその声にかすかな違和感を覚えながら。

「……早速だけど、あなたはどこまで知ってるの?」

 俺が質問をすると、少女の声はくすくすと笑いながら答えた。

「もちろん、あなたの知ってることがすべて。だって、私はあなた自身なんだもの」

 当然でしょ、と言わんばかりにその少女は笑ったのである。

 俺はううむと少しだけうなってから、次の質問のために開口。

「じゃあさ、あなたが俺自身だというのなら――」

「はい、時間切れ」

「……また、それだ」

 前も同じようなことを言われたような気がする。

「もっと、あなたと話していたかったのに」

 つい、本心が口から漏れ出す。

「……話しててもいいわよ。ずっと目覚めなくてもいいならね」

 現実での俺の姿とうり二つの女の子が、俺に向かってにこりと微笑んだ、ような気がした。

「瑠璃ちゃんが待ってるわ。ちゃんと目覚めなきゃ。あなたは、お兄ちゃんなんでしょ?」

「ふふ、そうだな。妹であり、お兄ちゃんなんだ。心配はさせられねぇ。ありがと」

 こうして、意識は浮上していく。

「頑張ってね、蒼にぃ」

 目に薄い光が差してからそんな幻聴が聞こえた。

 曇天の朝のことだった。


**********


 あたまがふわふわとして、ぼうっとして、きもちい。

 うつろにそらをみあげたら、めのまえにぱぱとままがあらわれた。

瑠璃るりきたかい」

 そういって、ぱぱがわらって、ままもわらった。

 そうだ、わたしはるり。さんさいの、おんなのこ。かわいいるりちゃん。

 ほうっていきをはいたら、からだからちからがぬけた。

「まま、ちっちでたぁ」

 となりで、あおいちゃんがままにいった。

「あらあら、あおいちゃんはいもうとなのにちっちおしえられてえらいわねぇ」

 ……ちっちとれーにんぐ、おいこされちゃったかなぁ。でも、それでいいや。

「えへへ、じゃー、るりたんがいもーとだ。まだおむちゅなんだもん」

 あおいちゃんがじぶんではけるおねえちゃんおむつをみせつけてきた。

 るりはまだおむつもじぶんではけないもん。ちっちもわかんないもん。まだ、あかちゃんだもん。

「やったー! あおいねーね!」

「いひひ。るりたーん」

 わたしはごろんってして、そのままはいはいであおいちゃんとおあそびしようとすると。

「るりちゃーん、そのまえにおむつかえかえよ~」

 ままにとめられちゃったの。むぅ。

「ん……おはよ。るり、あおい。パパぱぱママままも」

 あっ、にーにがおきてきた!

『おはよー、にーに!』

「うん。おはよ。きょうもかわいいな、ふたりとも」

 そういってあたまをぽんぽんするにーに。ちょっとえらそーだけど、なんかおちつく。


 ……とってもしあわせ。みんながやさしくしてくれて、なんにもこわいものなんてなくて。


 もう、目覚めたくないよ。


「ぱぱ、まま、にーに。……あおいちゃん。ずっと、そばにいてくれる?」

 幸せな夢の中、わたしは不安感に駆られるように、口から言葉があふれ出た。

 果たして、四人は少しだけわたしを見つめてきょとんとして、すぐに笑いだす。

「ははは、当たり前だろう」

「そうよ。変なこと言うわね」

「ぼくがたいせつないもうとをおいてどっかにいくわけないじゃん」

「るりたん、だいしゅきー!」

 だよね、そう。そうだよね。

「ごめん、わたしもだいすき」

「もう、何言ってんのよ。ほら、おむつ替えるわよ」

 なんとなく遊びたくなってとことこと歩いて逃げようとして、パパに仰向けに転がされて、それでみんなで笑って――しあわせないちにちが、はじまった。

 おひさまがにこにこわらってる、そんなおてんきのあさだった。

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