memories


 ――いつのまにか日は落ちていて。

「はーっ、はー……つかれたー!」

 びしょ濡れのわたしは、砂浜に寝転がった。

 あれからわたしは沢山遊んだ。

 海で水を掛け合ったり、砂で山を作ったり、ちょっとだけ泳ぐ練習をしたり……。

 なのちゃんはもちろん、琥珀ちゃんや珊瑚ちゃん、瑠璃や、しまいにはあまり遊びには積極的ではなかったはずのざくろちゃんも加わって。

「たのしかったね、あおいちゃん!」

 そんななのちゃんの言葉に、疲れ果てたわたしはしかし。

「うん!」

 元気よく答えた。


「みんなー、バーベキューの準備できたわよー」

 翡翠さんの声掛け。駆けていく中学生たち。

 わたしたちもぴょんと立ち上がって向かう。お腹はもうペコペコだった。


 じゅうじゅうと肉が焼けていく音とともに、暴力的なまでの芳香が鼻腔を蹂躙し、空腹感を煽る。

「おにくまだー?」

 なのちゃんの問いに、ラッシュガードを着た、一見中学生どころか小学生にすら見える母親は「もうすぐ焼けるから待ってなさい」と答える。

 海で遊ぶ少女たちを横目にひたすらバーベキューの準備をしていたのだという彼女は、「……なんで私まで水着を着させられたのかしら」と愚痴を漏らす。

「こんな可愛いのに水着を着ないなんて損ですよ!」

 珊瑚ちゃんのいかにも陽キャラといった感じの言葉に、げんなりした萌さんはため息をつく。

「おかげさまでナンパまでされたのよ、私。一児の母なのに」

「夏の風物詩じゃないっすか!」

「翡翠さんが助けてくれたから良かったけど……なんならいまそこで手伝ってもらっちゃったし」

 彼女が指をさした先には三人の、高校生くらいの男女。

「世話ンなってます! 肉うめえっす!」

「ジロー、ちょっとは遠慮しろよ」

「そうよ。ただでさえ迷惑かけてるのに……」

 挨拶をした男子にツッコミを入れるもう一人の男子。そしてため息をつく女子。

 ……あれ? 何処かで見た気がするのは、気のせいだろうか。

「そもそもなんで翡翠さんは水着着てないのよ……」

 ため息交じりの言葉。彼女が水着断固拒否を譲らなかったのはたぶんおむつのせいだろうなとか思っていたら。

「おっ、日向じゃん」

 不意に声がかかった。さっきの高校生からだ。

「ホントだ。意外と世間って狭いんだな」

「なにほかの女に目移りしてんのよタカオミくん」

 口角が上がった比較的大人しそうな男子は、しかし女子に腕を絡まれる。なるほど、二人は付き合っているらしい。

 ……おかしいな。不自然な既視感が拭えない。

「聞いてくれよそうー。この前いきなりタカオミといいんちょーが付き合いだしてさー……聞いてる?」

「ああ、うん」

 曖昧な返事。「どうした? 熱中症か?」心配する彼。「大丈夫。なんでもない、なんでもない……けど」

 わたしは、思い切って聞いた。


「あなた、だれですか」


 一瞬彼は、信じられない物を見たような表情を見せた。

「おい、嘘だよな。冗談、だよな……」

 嘘でも冗談でもなく、彼のことを思い出せなかった。

「この前も一緒に話したろ? ほら、夏休み前。幼稚園の暮らしについて話してくれたじゃないか……」

 覚えていない。まるきり。――いや、しかし、微かに記憶が輪郭を帯び始める。

「その前も……ほら、家まで押しかけたとき丁寧にもてなしてくれたじゃないか。なあ、なあ!」

 輪郭をなし始めた記憶。ピントが合ってゆくように、ぼやけたそれはやがてはっきりとしていって。

「……ごめん、ちょっと熱くなりすぎた。頭冷やしてくるわ」

 やがて肩を落として海の方に歩いていく海パン姿の彼に、「待って!」と声をかけた。

「ジロー、だよ、ね」

 その声かけに、彼は振り返って、目を見開いて――涙をぼろぼろこぼしながら、わたしに抱きついてきた。

「お前……おまえ〜〜!!」

「なかないでよ。おとこのこでしょ?」

「だからってぇ……うあぁぁぁぁ~~~~っ!!」

 彼が落ち着くまで、しばらく背中を擦ってやった。


「お肉はたくさんあるからね。ゆっくり食べてね」

 翡翠さんの言葉に、わたしはこくりとうなづいて、焼けた肉の串を二本受け取る。その一本をジローに渡し。

「ああ、さんきゅ。助かるよ、親友」

 そんなことを告げた彼に少し複雑な感情を抱きながら、わたしはお肉を一口。

 黙々と食事風景。ぼんやりと海を見て――夕日がすっかり海に溶け星々が夜空に瞬き出したあたりで、彼はようやく話し始めた。

「……見ないうちに、すっかり女の子らしくなったな」

「それはほめてるの? それとも……」

「俺がそこまで器用なやつに見えるか?」

 モシャモシャと肉を食う彼が、どこかしおらしく見えた。

「可愛い幼女が見れて俺は満足さ」

 相変わらず、不器用なやつだ。

 そして串を一本食べ終わって手持ち無沙汰になったわたしに、彼は問いかけた。

「なあ……なんで忘れたふりなんてしたんだ?」

「ほんとうに、おもいだせなかった。……それだけ」

「……そっか」

 わたしは目を伏せる。

 なんで、忘れていたのだろう。

 親友のこと。子供になる前のこと。――自分が以前、男子高校生だったことすら。

 一応覚えていないわけではなかった。けれどそれは他人事のようで。

 しかも、完全には思い出せない。まるで誰かのアルバムを見ているようにしか、思い出すことができない。

 そんなことに今更気づいて――背筋に寒気がして――。


「このことも、いつかは忘れちゃうのかな」


 ひゅるひゅるひゅる、と音がした。

「ママ、あれなに?」

「あれはね、花火っていうの。……きれいね」

 耳をつんざく破裂音とともに、遠い夜空に咲いた大輪の花。

 口から転げ落ちた弱音に、少年は。

「知らねーよ。いつか、どうなるかなんて」

 そう口にしたうえで。

「けどさ」

 微笑んで告げた。


「いつか思い出して、笑える日がくればいいなって――俺はそう思ってるよ」


「写真撮ろうよ! 花火をバックにしてさ!」

「お、いいな。誰が撮る?」

「三脚あるわよ。みんなで……そこのお二人さんも」


「さん、にー、いち!」


 シャッター音。刻まれるわたし達の一瞬。

 それを見返すのは何年後だろうか。

 ――鮮明に焼き付いた眩いその一瞬が、永遠に消えないことを祈った。


 夜の砂浜、終わる花火。波音がわたしたちを見送った。


    *


 結局、家に帰ったのは翌朝だった。

「ようやくついたねー」

「疲れたわ……もう一踏ん張り」

 わたしたちの家まで送迎してくれた萌さん。お疲れ様です、と去っていく車に手を振って。

「ただいまーっ!」

 瑠璃がドアを開けた。鍵を開ける動作をせずに。

 玄関の鍵、締めていったはずなのに。

 たぶん留守番を頼んでおいた九条先生か。父さんや母さんが帰ってきているわけ、ないはずだし――「おかえり」

 するはずのない声が聞こえた。大人の女性の声。

 九条先生とは違う。翡翠さんは自分の家まで帰ったはずだ。

 じゃあ――誰だ?

 疑問。そして、短い廊下の先、リビングのドアを開ける。

 わたしは目を見開いた。

 信じられない光景だった。

 男と女がいた。

 目をうるわせた瑠璃は、叫ぶように、口にした。


「パパ! ママ!」


 いるはずがないと思っていた、父さんと母さん――日向 群青ぐんじょうと、日向 夕陽ゆうひがそこにいた。

 そして、父さんはわたしを見るなり、歓喜をたたえた表情で、驚くほど優しい声で告げたのだった。


「おかえり、『 あおい』」


To be continued.

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あさおねっ ~朝起きたらおねしょ幼女になっていた件~ 沼米 さくら @GTOVVVF

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