第2話 おかいもの

 お漏らしから数分後。

 俺は服を脱がされていた。

「兄貴ってば、自分で着替えられなくなってやがるの(笑)」

「わっ、笑うな!」

 瑠璃がからかい半分に笑いながら、俺の新しい服のボタンをつけていく。

 ……手先がものすごく不器用になっていて、ボタンのつけはずしも出来なくなっていたのだ。何度やっても出来なかった。

 これは仕方のないことなんだ。恥ずかしいし不便だが……練習すれば出来るようになるはず……。

 自分に言い聞かせているうちに、上が着せ終わったらしい。

 しかし、不自然なことに気付く。

「そういえば……パンツが見当たらないな。どうしたんだ?」

 さっきまで……漏らしてしまうまで穿いていたようなパンツが、この場にはなかったのだ。

 正直、あのようなもの――これまた少女趣味全開の、レースのフリルがついたピンクの子供らしい可愛いパンツであった――を穿くのは気恥ずかしかったが、それでもなにか穿いていただけまだましだった。

 それがないとなると……。

「まさか、ノーパン!?」

「そんなわけないでしょ。これから出掛けるんだし」

「ほっ……」

 胸を撫で下ろしたのも束の間。

「そういえば、兄貴。わたしが小学三年生くらいまでおねしょしてたのって、覚えてる?」

「え?」

 瑠璃が取り出したものは、思いもよらぬものであった。

「その頃まで使ってたやつ、一枚だけ残ってたんだ」

「ま、まさか……それはやめろ……」


「ほら、紙おむつ。穿いて」


 差し出されたそれは、白地に黄色い熊のキャラクターやカラフルな音符などのいかにも女の子が喜びそうな模様の描かれた、紛れもない「赤ちゃん用の紙おむつ」。

「やだ……俺は赤ちゃんじゃないよ……」

「でも、何度もお漏らししてたでしょ? 外でお漏らししちゃったら大変じゃない」

「うっ」

 俺もそれがわからないほどものわかりの悪い子供ではない。少なくとも今は。外見はともかく、精神だけは。

「でも……やだよ……」

「外でさっきみたいに急に我慢できなくなってお漏らししちゃう方がいいの?」

「それはもっとやだ……」

 漏らすことが前提になっていることには突っ込まないことにする。さっきの感じだと本当にそういうことがあり得るからだ。

 そう考えると……悔しいし恥ずかしいが、これを穿くしかあるまい。

 瑠璃に渡されたそれを広げるとがさごそと音がなる。

 意を決して足を通す。

 柔らかく風通しのいい布製のパンツとは全くもって違う、しかし案外心地のいい感覚。ふかふかとした、綿やポリエステルなどとは別種の柔らかさ。触らずともわかる分厚さ。なんだか包み込まれているような気がして少し胸が暖かくなるのを感じる。

「よし、ぴったり……いや、ちょっとだけ大きいかな? でも可愛いからいっか」

「かっ、かわいいとか言うなっ!」

 そんなことを言われて心のどこかで嬉しがっている自分を隠すように、俺は叫んだ。


 出掛けてからおよそ一時間が経っただろうか。

「はぁ、はぁ……疲れたよ……――

「あおい、もうちょっとだから我慢してね」

「はーい……」

 公園沿いの道に、手を繋いで歩く仲良しな姉妹の姿。……俺たちである。

 ……いくら不審に見られないためとはいえ、妹を姉と呼ぶのには抵抗がある。しかも、「そう」だと女の子としてはおかしいという理由で「あおい」という新しい呼び名までつけられて。

 しかも、おむつを穿いているため、歩き方が少し不恰好だ。ふんわりとした淡いピンクのチュールスカートで隠されているとはいえ、それでも分厚い吸収体で足がうまく閉じられないが故の歩きにくさはどうしようもなかった。一見して違和感はなくとも、見る人が見れば――それこそ俺みたいなロリコンの変態が見れば、一発でバレてしまうだろう。

 俺からしてみれば、屈辱的な仕打ちであった。

 こうしてせっせと歩いていった先は。

「ここは……」

「ニシマツヤだよ、あおい」

 ――全国展開しているベビー用品店。その一店舗であった。

 どうしてこんなところに……と疑問を抱いた。しかし、店のなかに入ると、俺はそんな些細なことを忘却してしまうほどに驚き、つい声を漏らす。

「ふぁあ……」

 寝転がってもスペースが余るほどのとてつもなく広くて長い通路の両端に、自分の体が縦にいくつも入ってしまうような巨大な棚。そしてそこには大量の可愛らしい服が置いてあるのだ。

 少し前に行ったような覚えはあるのだが、こんなに広々とした印象はなかった。視点が低くなったおかげだ。

 目を輝かせながら店内を見回していると。

「そんなに気になるんなら、自分で見て回ってていいよ」

「いいの!?」

「店からは出ないでねー」

「やったー!」

 俺は飛び跳ねて喜び、早速この広い店内を駆け回ることにした。


 数分後。

「……あれ? 俺ってこんなキャラだったっけ?」

 自分に合うサイズの可愛い子供服……というかギリギリ入りそうなサイズの可愛いベビー服を見ていたところ、はっと気がついて正気に戻った。

 先程までの幼稚な行動はなんだったのだろうか。というか、ジャンプしたときおむつがチラリズムしていたような気がするのだが。

 それを皮切りに、この店のなかに入ってからの数分間――この肉体相応……いや、それ以下の振る舞いを見せていた時間の言動が次々と脳内を駆け巡り、俺は激しく赤面する。

「みてみてー、てーいんのおねーちゃん! おむつ、かわいーでしょー! (スカートたくしあげ)」「きゃーっ! お姫様ドレスかわいー! ほしいー! きたいーっ! (じたばた)」「あっ、ちっちでちゃう~っ! しーしーっ! おちっこっ! いっぱいでるの!! (大声)」

 たった十分にも満たない間で巻き起こった自分自身のありえない失態の数々。それが自動で脳内に再生される。もはや地獄である。

 ……今になってようやくおむつの中に少し漏らしていたことに気付いた。意識してみると、確かに腰回りが少し重く、元から分厚かった吸収体はわずかに膨張して俺の動きを妨げている。しかし、それでも表面はさらさらしているあたり、技術の進歩を感じさせる……が、今はそれに構っていられる精神的余裕はない。

 激しく身悶えていると。

「ん? どうしたのあに……あおい」

「過去の己を責めているのだよ、るり……お姉ちゃん」

 互いに慣れない呼び名。すぐに忘れかけてしまう。

「ところで、おむつは大丈夫?」

 ぎくり。実は少しチビったとは言えないし……というか、あれはさっきの……言うなれば赤ちゃんモードの俺がやったことなんだ。今の俺の預かり知るところではない。

 というわけで。

「ん、だいじょうぶ」

「ダウト」

「なんで!?」

「……えい」

 そう言いながら、瑠璃は俺のスカートをめくりやがった。

「ひゃあっ! やめてよヘンタイ!」

 慌ててスカートを押さえるわた……俺を、瑠璃はニヤニヤして見ていた。

「もう女の子が板についてきてるね。まだ数時間だってのに」

「うっ……うるしゃい!」

 噛んだ! 恥ずかしいっ!

「かわいいよーwww」

「かわいくなんてないもん! あとからかわないでよ!」

「そういうところがまた可愛いって言われる原因になってるの気付いてない?」

「むぅ……」

 まったくもって意味がわからん。もういい。

「そろそろネタバラシをおねがいします。なんでバレたんだ……」

「あのおむつにはおしっこサインってのがあってね? ほら、おむつの真ん中に黄色い線が入っていたでしょ?」

「……それの色が変わっていたとか言うんじゃなかろうな?」

「ご名答」

 そういうことかぁぁぁぁぁ!!!

 自分では大丈夫だと思っていても周りの人にはまるわかりってわけか……。

「ってか、さっき大声で『ちっちでちゃう』とか言ってたでしょ」

「にゃあぁぁぁぁぁ!!! 聞こえないー! わたしそんなのおぼえてないからー!!」

 早くも黒歴史と化したその事件を忘れさせるように、俺はまたも叫んだのだった。

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