第39話 melt down
赤いツインテールを揺らして、その少女は俺に近寄る。
「あかねちゃん……なんで……」
「なきごえでまるわかりだったわよ。じきにせんせいがくるわ」
そして彼女は、俺のすぐ隣に座って。
「なにがあったの。……聞かせなさいよ」
命令口調でぶっきらぼうに告げる。
対する俺は、彼女の顔も見れずに黙りこくる。
……だめだ。頼っちゃダメだ。
「なんで、何もしゃべってくれないのよ」
それは、君が子供だから。きっとわかりやしないから。
「あたしたち、ともだちでしょ……なんて、ともだちをイジメてたあたしがいうのはちがうかもだけど」
自嘲するような笑い声。
「そんなことは――」
あかねちゃんとは確実に友達だ。そう思って、だから彼女の方へ向き直って――はじめて気づいた。
彼女も、泣きそうな顔で俺に話しかけていた。
「――っ」
慰めなきゃ。「わたしのためになかなくていいよ」って。それが年長者のすべきことのはずだから。
でも、できなかった。
なんで。なんで。うごいてよ、おくちチャックしないで。
涙が溢れて、止まらなくなる。
「ごめ、ん」
「あやまらなくてもいいわよ。……これを「しんぱい」っていうのかしらね」
とたんに優しく聞こえてくる、今にも泣きだしそうに震えた声。
「……しんぱい、しないでよ」
朝の出来事――デジャブした。
「そんなことできないってことくらい、あなたがいちばんわかってるんじゃないの?」
「……で、も」
「でも、なによ」
どこか不器用で優しげな声に、俺は反抗する。
「わたっ……おれは、ほんとは……みんなよりずっととしうえでっ! ほんとはずっとつよくてかしこくて!! だから――」
「あたしたちにはたよれない? はっ。ばかいってんじゃないわよ」
あかねちゃんは少し強がって、茂みを背に座り込んだわた――俺を見下ろすように立ちあがって。
少し優し気な微笑みと、涙を流して、告げた。
「……いまのあなたのほうが、よっぽどたよれないわ。どこも年上じゃない。同い年。強くも賢くも見えない。むしろ――」
「妹みたいに思ってた」
目の前が揺らいだ。瞳孔が縮小と拡大を繰り返す。
早すぎる蝉の音が、けたたましいほどに耳をつんざく。
悲鳴のように。痛いほどに。
かさりと響く草の音。荒い呼吸音。
――そして、泣き声が響いた。
わたし、なにいじをはってたんだろ。
思えばずっと、彼女らを見下していたのかもしれない。自分もすでに、幼い女の子になってしまっていたことにも気付かずに。
本来自分と彼女は対等であるべきだった。肩肘張って、身の丈に合わない年長者を演じていたから、どこかおかしくなっていたのかもしれない。
それに気づいて、ようやく「俺」は「わたし」になった。
「さみしかったよぉ……おねぇちゃん……」
無意識に友達への呼び方が変わっていたのに気付かず。
何かが壊れてしまったわたしは、少し背丈の高い「お姉ちゃん」に縋りついたのだった。
*
「――つまり、なのちゃんがママからいじめられてるかもしれないってコト……でいいのかしら?」
「ん……そうなの、おねえちゃん……」
「そのよびかた、ふたりきりのときいがいはやめなさいよね」
呆れ顔のあかねちゃん。わたしはまだぐずぐずと鼻をすする。
「でも、もし本当だとしたら……『だいもんだい』ね」
いまだに少しぼうっとする頭を押さえて、深呼吸して、こくりと頷く。
「どうしたら……どうしたら、なのちゃんを助けられるかな。守れる、かなぁ」
そして、俯いた。そんなわたしに、あかねちゃんは。
「だいじょうぶよ。あたしがいるんだもの! きっと、なんとかなるわ」
言いながら、わたしの頭を撫でた。
根拠も実績もない幼い自信に、しかしわたしの心はどこか少しだけ安らぐ。けど。
「でも、そのまえに」
あかねちゃんは僕の目を見据えて。
「なのちゃんと、じっくりはなしてみるべきじゃないかしら」
告げる。その通り、話さなきゃ。いや、話したい。でも。
「なんていったらいいかなぁ」
「そんなのあたしにきいてもわかんないわよ。でも」
彼女は微笑んだ。
「いまのあなたなら、だいじょうぶなんじゃない? あたしはそうおもうわ!」
明るい声に背中を押された、ような気がした。
*
夕景をながめ、その幼女は目を細める。
――眩しい。目が眩むほどに。
俯く彼女は、ツインテールの毛先に触れて、三角座りの膝の部分に顔をうずめる。
その光は、いまの彼女にはあまりにもまぶしすぎて。
「ここにいたんだ、なのちゃん」
そんな声に一瞬気付けなかった。
「……なに、あおいちゃん」
「なんでもない。ただ、はなしたかっただけ」
優し気で、どこか人が変わったような声音。なのちゃんと呼ばれた彼女――菜花は、わずかに視線を話しかけてきた少女へと向ける。
その少女――あおいは、菜花の隣に座って、おなじように体育座りで夕景を眺める。
わずかな時間、沈黙がその場を支配した。
蝉の声、空調の音、どこかの子供たちの笑う声。ガラス越しの景色はゆっくりと暗くなり始める。
「なんで、わたしなんかとかかわるの」
絞り出したようなか細い声。あおいはそれに動じることはなく。
「かかわりたいからかかわってるだけ。いっしょにいたい、それだけじゃだめかな」
「……へんなの」
幼い少女は、あくまで拒絶するように吐き捨てる。
「わたしなんかといて、いっしょにいたいなんておもっちゃいけないよ……だって、わたしは……っ」
――菜花の脳裏に渦巻くのは、いままで親に告げられた言葉。
「……わたしは、だめだからっ! だめなこだから、ほんとうはともだちをつくるけんりなんてない! ひとにめいわくをかけちゃう、わるいこだから!!」
叫んだ菜花。ぜえぜえと息を吐く。……あおいは動じることもなく。
「それがなに? なのちゃんがわるいこでも……わたしはどうだっていいよ」
甘い言葉を言い放つ。
「ただ、わたしはなのちゃんとともだちでいたいんだ」
「でも……でも……」
「いや?」
「や……じゃ、ない……けど……っ!」
必死に言葉を繰り出そうとする菜花を、あおいは優しい目で見守って。
「……わたしといると、そう、おばかになっちゃうの! ばかがうつっちゃう!」
そんなことを言う少女に、あおいは軽く笑いながら。
「なのちゃんのせいでおばかになっちゃうなら、わたしはそれでもいいや」
容易く言い返す。
菜花は、目からボロボロと涙の雨を垂らしていた。
「なんで……なんで、そこまでしてわたしにかまうの! なんで、わたしなんか……わたし、なんか……だめだめ、なのに……」
もはや言葉すら上手に紡げなくなったその少女の涙を、あおいが指先で拭う。
「なのちゃんはだめでもわるいこでもないし、もしそうだったとしても、わたしはなのちゃんといっしょにいたい」
そして、菜花と向き合って、あおいはあまりにもまぶしい笑顔を見せて、告白する。
「――だって、すきになっちゃったんだもん」
「いっしょにいないとさみしいし、はなせるだけでこころがおどる。ふたりでいるだけで、こころがみたされるの。……だから、きみがすき」
そんな気持ちの正体を、その『好き』の意味を、幼い二人が知ることはまだない。
けれど。
「じぶんかってだけど……それだけじゃ、だめ、かな」
――二人をつなぎとめるには、十分すぎるほどだった。
「……すき、あおいちゃん。わたしも……すき!」
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