空振りってそりゃないでしょう

「空振りってそりゃないっすぅ!!!っていうか、そもそもちゃんと剣を振ったっすか?私には見えなかったっす!」


 あっけない幕切れに拍子抜けしたのか、群衆は言葉を失っている。

 ただ聞こえるのは、膝をついて頭を抱えているキュンメルの悲鳴だけだ。


「あ、そうだギルドマスター!今のは素振りっす!全力で素振りしただけっす!!」


 未だ片手で顔面を抑えたまま、顔を背けているランツに、キュンメルは懇願し始めた。なんとかやり直しをと、必死で頼み込んでいるキュンメルに、ゴンベエは声をかけた。


「全力で切りにいった結果だ。まじですまん!」

「どちくしょう!諦め良すぎるなコノヤロー!」


 キュンメルはそのまま崩れ落ちると、四つん這いになって打ちひしがれた。

 キュンメルには気の毒だが、空振りした以上謝る意外に声をかける事が出来ない。


 一方その時、ワルテンブルグが足元に転がってきたコインを拾い上げ、まじまじと眺めていた。


「やはりバビンスキー様がつけたキズ以外に、新たにキズがついた形跡はないでやんす」


 ワルテンブルグの声を聴いた群衆が、勝敗が決したとばかりに徐々にざわつき始めた。


「空振りってなんか拍子抜けだわ」

「負けると分かってて剣を抜いたふりしただけでしょ」

「さすがは伝説の残念称号レイトブルーマーってとこだな」

「当たり前の結果過ぎて賭けにもならなかったな」


 コインを空振りしたことは事実なので、甘んじて周りの批評を受け止める事しか出来ない。


 ちっくしょう、悔しいなぁ……

 皆に見えないように、こっそりと奥歯を噛みしめる。


「よもやここで空振りなんて言い訳して、恥ずかし過ぎてそれだけで死ねるレベルでやんす。ねえ、バビンスキー様」


 ワルテンブルグがバビンスキーに乾杯とばかりにグラスをぶつけに行こうとしたが、バビンスキーはゴンベエの方を見たまま動こうとしない。


「……バビンスキー様、どうしたでやんすか?」


 ワルテンブルグを無視するバビンスキーの顔がみるみる険しくなっていく。とその時―――、


「ぷっ!くくく……、がはははは」


 突如顔を抑えていたランツが吹き出した。しまいにはポケットから出したハンカチでしきりに涙を拭きながら笑っている。


「ギルド…マスター?」


 キュンメルがびっくりしたように顔を上げた。

 彼女がこのギルドで働き始めて約10年が経つが、いつも物静かなランツがここまで声を出して笑うところはあまり見た事が無い。


「いやいや、失礼しました。余りに想定外で、思わずツボに入ってしまいまし……、ぷっ、くくくくっ」

「やってくれたなぁ、ギルドマスター……」


 がんっ!とグラスを荒々しく机に叩きつけると、ゆらりとバビンスキーが立ち上がった。


「ど……、どういうことでやんすか?」


 ワルテンブルグがオロオロとバビンスキーを見上げる。

 怒気をはらんだバビンスキーは、いつもよりも速いスピードで腰をくねくねさせながら、黄金像の側に立つランツのもとへ向かっていった。


 思わぬ展開に、その場に居る全員が固唾をのんでバビンスキーを見守っている。


 笑い続けているランツの側まで来たバビンスキーが、床に落ちている黄金色の何かを拾い上げた。

 

「私とした事が迂闊だった。お題の時点で気づくべきだったよ。ギルドマスターがアダマンタイト製のコインではなく、敢えてと言った意味になあ」

「ど……、どういう意味でやんす?」


 バビンスキーが、拾い上げた黄金色の物体を周囲に掲げて見せた。


「これは大賢者様の黄金像の指だ!ゴンベエは、コインではなくアダマンタイト製の黄金像の方を切ったんだよ!」

「そんな事不可能でやんすぅ!!」


 ワルテンブルグがテーブルの上のグラスを倒して立ち上がった。ワルテンブルグの手から零れ落ちたコインと共に、グラスに残っていた飲み物が、テーブル上に撒き散らかされ広がっていく。


「良く気づきましたね。その通りでございます。私はコインに傷をつけろとは一言も申しておりません。ですのでこの勝負は、アダマンタイト製の指を切り落としたゴンベエ様の勝利です」

「えーっ!やったっすぅぅ!!!」


 地獄の底から生還したキュンメルが、その場で飛び跳ねて喜んだ。

 キュンメルがぴょんぴょん飛び跳ねるたびに、スカートが捲れて白いパンツが見え隠れしているが、本人は一向に気にしていない様だ。


「ふざけるな!これはイカサマだ!!」


 バビンスキーの怒声で、キュンメルがパンツ丸出しのまま動きを止めた。


 まあ、そうなるだろうな。

 ゴンベエには、こうなる事は分かっていた。

 なぜならば、彼はその指を切ってはいないからだ。


「この指はなんらかの方法で予め切られていたものだ!断じて今ゴンベエが切り落としたものではない!皆の眼は誤魔化せても、上級剣士の私は騙されないぞ!」


 バビンスキーは肩で息をしながら至近距離でランツを睨みつけた。

 あまりの剣幕に、ギルド内は静まり返っている。


 ぴちゃぴちゃと、テーブルから垂れた飲み物が地面に当たる音だけが空間を支配している。


 涼しい顔でバビンスキーの睨みを受け流していたランツが、場違いなほど陽気な声で言葉を発し始めた。


「いやあ、よくお気づきで。私が以前うっかり壊してしまって、こっそりと接着剤でくっつけていた指を利用して、ゴンベエ様を勝たせてあげようとしたんです。ですけど……、ぷっくくくっ」

「何がおかしい!!」


 いかさまがバレても堂々としているランツに対して、苛立ちがピークに達したのだろう、バビンスキーが怒りにまかせて黄金像の指を地面に叩きつけた。


 地面でバウンドした黄金像の指が、投げつけられた勢いそのままに黄金像の顔面にぶつかって、甲高い金属音をギルド中に鳴り響かせた。


 すると―――


 ゆっくりと、ジェラール=フェアテックスの黄金像の上半身が滑り落ち始めた。


「いやあ、本当に切っちゃうんだもん。そりゃあ笑うでしょ」


 ランツはハンカチ片手に再び涙を流しながら笑い始めた。


 黄金像の上半身がずり落ちるにつれて、状況を理解した人から順番に口があんぐりと開き始める。

 バビンスキーに至っては、目玉が飛び出しそうな位に目を見開き、鼻水を垂らしながら「あ……、あ……」と言葉にならない声を上げている。無理もない、さっきまで下に見ていたレイトブルーマーのガキが、上級剣士の彼が見えない程のスピードの斬撃、まさに本物の『瞬歩一閃しゅぴしゅぴしゅんP』を繰り出したのだ。


 申し訳なさそうにゴンベエが首筋をポリポリと掻きながら、


「すまん。俺が切っちゃったのは、指ではなく胴の部分なんだわ」


 と言い終わると同時に、胴と切り離された黄金像の上半身が、重厚な音を響かせながら地面に落ちて転がった。


「コイン切らずに、うっかり黄金像切っちゃったから、勝負に負けたと思ったし、バレたら怒られると思って焦ったぁ……」


 苦笑いするゴンベエの背中を、ランツがバシバシと叩いて笑っている。現実を受け入れる事が出来ない冒険者たちが、今起きた現象を理解しようと必死に思考を巡らせ、静寂に包まれたギルド内で、響いているのはランツの笑い声だけだ。


「いやいや、アダマンタイト製の黄金像をうっかり切っちゃうとか、まずありえませんから」

「え?そうなの?」


 『瞬歩一閃しゅぴしゅぴしゅんP』を見よう見真似でやってみたら結構簡単に切れただけに、あり得ないと言われて驚いた。

 いつの間にか足元に転がっていたアダマンタイト製の記念コインを、ランツがゆっくりと拾い上げて口元を緩ませた。


「だってバビンスキー様が全力で切って、この程度ですからね」


 うっすらと線が入ったコインをハンカチで丁寧に拭くと、ランツはコインをポケットの中にしまい込んだ。


「まあ、俺の腕というようも、この武器のおかげだろうな」

「それも含めて実力という事です。という事で―――」


 ランツは、未だ言葉を失ったまま微動だにしないバビンスキーを一瞥いちべつすると、ニコッと白い歯をこぼした。


「この勝負はゴンベエ様の勝利です!!」

「いよっしゃああああ!!」


 ランツの勝利宣言に対し、キュンメルの叫び声だけがギルド内にこだました。

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