魔王子育て奮闘記④-2 初めての魚釣り

 悲鳴と共にゴンベエの身体が海に引きずり込まれる。

 慌てて差し出したディアヴァルホロ1世の腕は、見えない結界で遮られ、寸前のところでゴンベエの身体を掴むことが出来なかった。

 結界に触れた掌から焦げたような煙が上がっているが、今はそんなことどうでも良い。

 どんなに強く腕を差し出そうとも、見えない壁が阻み苛立ちだけが募る。

 

 勇者よ、お主の息子が死にそうなんじゃ!儂は逃げぬから、結界を解いてくれ!!


 いくらディアヴァルホロ1世が懇願しようとも、結界はびくともしない。


 成すすべもなく海に落ちていくゴンベエがスローモーションに見える。

 その時、海中に着水したゴンベエに向かって、オリちゃんが自らの釣糸を投げ込み、ゴンベエの身体に巻きつけた。


「なんとか引っかかったっす!魔王様!一緒に引き上げるっす!」

「ナイスじゃオリちゃん!お前は最高の部下じゃ!」

「褒めるのはゴンベエちゃんが助かってからっす!」


 ディアヴァルホロ1世はオリちゃんの後ろに回り、釣竿に手をかけると、オリちゃんと協力して釣竿を引っ張った。しかしゴンベエは引き上げられるどころか、むしろどんどん海中へと引っ張り込まれていく。このヒキの強さは、ただの魚とは思えない。


「どうなっておるのじゃ!?」

「たぶんゴンベエちゃんが釣竿手放してないっす!こんな状況でも魚を逃さない強欲さは、魔王様そっくりっす」

「こんな時に、笑えない冗談は言うな!」


 ディアヴァルホロ1世は、自分をリラックスさせようというオリちゃんの意図は感じたが、今はそれに答える余裕が無かった。こわばった顔のまま、釣竿を握る手にさらに力を込める。少し油断すると、あっという間に釣竿が海の中にもっていかれそうだ。


「だめじゃ!逝ってしまう!」

「大丈夫っす!」


 ディアヴァルホロ1世とは対照的に、オリちゃんは落ち着いた表情で海中を見据えている。この状況で落ち着いているという事は、彼にはなにか勝算があるのだろうか。


「どういうことじゃ?」

「島の外ってことは全ての能力が正常値になってるはずっす!レベル70超えてるゴンベエちゃんは、そう簡単には死なないはずっす!」


 なるほどと思ったが、ディアヴァルホロ1世の中では、拭いきれない不安が残っている。なぜならば、レイトブルーマーという全く成長しない職業だからだ。


「仮に呪いが解除されたところで、本来の能力が低ければ、そう長くはもたん!」

「それでも大丈夫っす!任せるっすよ!」


 そう言うと、オリちゃんが自らの額に釣竿をずぶずぶと差し込み始めた。そしてそのままの状態で竿と額が融合し始める。


 オリちゃんは様々な物質と融合することが出来るのだが、その能力を使ってこの事態をどうにかできる考えがあるらしい。ただ竿を持つしか出来ないディアヴァルホロ1世にとっては、今はオリちゃんの自信に賭けるしかない。


 竿が引き込まれないように注意しながら、ディアヴァルホロ1世は、固唾を飲んで、オリちゃんの行動を見守る事にした。


「融合完了っす!」


 またたくく間にオリちゃんと釣竿は、完全に一つの生命体となった。額から釣竿が生えたユニコーンオリハルコンスライムの完成である。


「魔王様、賢者タイムに突入したっす。もうそんなに竿を強く握らなくても大丈夫っす」

「あ?賢者じゃと?」


 ディアヴァルホロ1世が最も嫌いな人間は賢者である。

 賢者という言葉を出されると、一瞬で頭に血が上ってしまう。


 怒りで一瞬、持ち手が緩んだ瞬間に、竿ごとオリちゃんが海に向かって引きずり込まれた。


 やってしまった!

と思った次の瞬間―――、

 オリちゃんの身体が島と海の境界部で見えない壁に阻まれて停止した。


「私たちを封じ込めてるこの結界は絶対っす。もう、どんな力で引っ張られても、これ以上引き込まれることは、無いっす」


 結界にへばりついた状態で、オリちゃんがどや顔で振り返ってきた。

 ディアヴァルホロ1世はオリちゃんの表情を見て、今賢者と言って手を離させたのだと確信した。


 「成る程これならば、これ以上ゴンベエが海に引きずり込まれる事は無い。珍しく良い事をしたな」

 「あははは。もっと褒めるっすよ!」

 

 調子に乗るなとオリちゃんを嗜めようとして気が付いた。よく見るとオリちゃんが段々小さくなっている。


「お主、結界からダメージ受けて、縮んでおるじゃないか!ああ!色も薄くなってきておるのじゃ!!」

「あははは。死にそうっすう……」


 どや顔のまま消えゆくオリちゃんに、ディアヴァルホロ1世は慌てて魔力を注ぎ込んだ。


「助かったっす。私が先に逝くとこだったっす」


 魔力を供給されて一旦元のサイズに戻ったオリちゃんだが、壁にへばりついたままなので、再び結界からダメージを受けて、小さくなり始める。

 慌ててディアヴァルホロ1世が魔力を供給し続けた。魔力の供給を止めるとあっという間にオリちゃんは消滅してしまうだろう。


「おおおい!事態が余計にややこしくなっただけじゃねえか!」

「絶体絶命っすね!」


 お前のせいじゃと突っ込みたいところだが、オリちゃんが消えないように魔力を注ぐことに手いっぱいで、それすらも出来ない。


「もうだめじゃあ!」


 このままでは、ゴンベエを救い出す事は不可能である。刻一刻と時間が過ぎていく中で、ディアヴァルホロ1世の胸の中が、ごっそりとえぐられるような感覚が広がる。この例えがたい喪失感の正体は何なのだろうか……。


「魔王様!」


 オリちゃんの叫びに、ふと我に返った。


「魔王様!急に引き込みが止まったっす!!」


とオリちゃんが叫んだと同時に、海中で何かが爆発したかのように、水しぶきが吹き上がった。


「今の爆発は、海中で起こした『覇王の風』か!!」


 突然の吉報に、ディアヴァルホロ1世は急いで右手に魔力を込め始めた。


「え?魔王様?普通に引っ張ればいいっす。なんでそんな魔力込めてるっすか?」


 オリちゃんの額からだらだらと脂汗が流れ落ちる。


「ゴンベエちゃんを救うためじゃ!おぬしの尊い犠牲は一生忘れはしまい」

「え?やだ、なにそのセリフ」


 オリちゃんは必死に動こうとしているが、残念なことに釣竿と融合している今、結界にへばり付いたまま、逃げる事は出来ない。


 ディアヴァルホロ1世の右手に魔力が集まり禍々しく赤い光で覆われ始める。


「はぁぁぁぁぁ!その光り方、勇者パーティーと戦っている時に見たことあるっす!パーティ全体を一斉に攻撃するやばい魔法っすよね!」


 魔力を込めた右手でゆっくりとオリちゃんを掴んでから、ディアヴァルホロ1世は、出来る限りの優しい声を発した。


「大丈夫じゃ。なんせ威力は一万分の一じゃからのう」

「私の体力も一万分の一いぃぃぃぃぃ!」


 次の瞬間ディアヴァルホロ1世の右手の魔力が爆発的に広がった。


絶望の赤い閃光ネクロマンシア!!』


 術の発動と共に、膨大な赤い光がオリちゃんを包み、爆発音と共にオリちゃんの身体を陸地方向に大きく吹き飛ばした。


 辺り一面を爆煙が覆う中、オリちゃんから出た糸に引っ張り上げられた巨大な何かが、ずしん!っと地面に叩きつけられる音が鳴り響いた。


『覇王の風』


 辺りの煙幕を打ち消すために、ディアヴァルホロ1世は、自分を中心とした突風を起こした。


 あっという間に周囲の煙幕が消え、視界が開かれていく。


 すると、目の前に中型船程の巨大なイカ……らしきものが転がっているのが見えた。

 一瞬身構えてみたが、よく見るとイカの額に釣竿が刺さっており、既に絶命しているようだ。

 

「ゴンベエ!」


 急いでイカのところに駆け寄ると、ゴンベエが肩で息をしながら、イカにもたれかかるように座っていた。


「……じいじ、『覇王の風』の勢いで釣竿を眉間に刺して仕留めてはみたものの、この白いやつ食えるのか?」

「……はっ、心配させおって、この馬鹿者が……」


 ゴンベエの暢気な言い草に心底安心して、ディアヴァルホロ1世の身体から力が抜け落ちた。気が抜けてそのまま立っている事がままならなくなり、その場にへたり込んだのだ。

 そんなディアヴァルホロ1世の様子を見て、申し訳ないと思ったのか、ゴンベエは「心配かけてごめん」とばつが悪そうに頭を掻いた。


「やれやれ、魔王様もすっかり人の親っすね」


 かなり小さいサイズになったオリちゃんが、どこからともなく現れると、ぴょんとディアヴァルホロ1世の肩に飛び乗ってきた。


「何を勘違いしておる。ゴンベエに死なれたら、勇者に何されるかわからんからじゃ。……ところでおぬし、あれを喰らって生きておったとは、しぶとい奴じゃのう」


 ディアヴァルホロ1世は、仕方ないという面持ちを保ったまま、オリちゃんに魔力を供給し始めた。小さかったオリちゃんが、みるみる元のサイズにまで戻り始める。


「まったく素直じゃないっすね。魔王様が死なない程度に加減してくれたからでしょ?」


 ぎくりとして、ディアヴァルホロ1世は咳払いをした。


 冷酷無慈悲な魔王らしからぬ行動をとった自分に気恥ずかしさを感じ、取りあえず肩の上のオリちゃんを、絶望の赤い閃光ネクロマンシアでもう一度ぶっ飛ばした。


「魔王様ひどいぃぃぃぃぃ!」


 彼方へと飛んで行ったオリちゃんを見送った後、ディアヴァルホロ1世は、自分が人間の子供を必死で救おうとした事を、しみじみと思い出していた。


「まさか儂が、人間相手にこのような感情を持つとはのう」


 先程感じた得体のしれない喪失感は、以前クソ賢者に大切にしていた側近を蹂躙され、失った時に感じたものに似ている気がする。という事は―――


 ……もうゴンベエは、儂にとって大切なものになってしまったのじゃな。


「まったく、早く迎えにきてもらわんと、これ以上はきついのう」


 早く勇者に迎えに来てもらわないと、これ以上ゴンベエに感情移入してしまっては、別れる時の辛さが想像を絶するものになりかねない。―――もしかしたら、もう手遅れかもしれないのだが……。


「ん?きついって、なんの話?」


 海の水が耳に残っていた為、ゴンベエには二人の会話が良く聞こえなかったらしい。


「この魔物、イカ臭くてきついと言ったんじゃ」

「魔王様が、逝くな逝くなって股間のあたりで竿を必死で握ってたら、いつの間かイカ臭くなったっていう話っす」


 いつの間にか戻ってきたオリちゃんが、イカの上に飛び移った。


「聞きようによっては卑猥ひわいじゃが、あながち間違ってないところが悔しいところじゃ」

「……じいじ、良く分かんない」


 ディアヴァルホロ1世はにっこりとほほ笑み「まだ分からなくていいよ」とゴンベエの頭を軽く撫でた。


「これ海の暴君クラーケンっすね。結構冒険者の船沈めてくれて、かなり優秀だったやつっすよ」

「そうなの?ステータスオール1の僕でも倒せたから、違う奴じゃない?」

「そうじゃ。ひ弱なゴンベエでも倒せたんじゃ。別の魔物じゃろう」


 海の魔物はディアヴァルホロ1世とは違う魔王の配下の為、彼にもこの魔物がなんなのか検討がつかないようだ。


「確かにそうっすね。気のせいという事にして、今日はこれを持って帰って食べるっす!」

「えへへ!やったね!」


 ゴンベエが嬉しそうに立ち上がると、早速3人はゲットした獲物を持ち帰る準備を始めたのであった。


 本日の釣果―――ただの魚四匹と小さな魚が生餌となって釣れたクラ―ケン一体






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