この主人公の名はタケルです。
愛植え男
プロローグ
「……なんじゃこりゃあ?」
かつて世界最大の大陸を支配下に置いていた、辺境の魔王ことディアヴァルホロ1世は、自らの玉座の上に突如現れたそれを目の前まで摘まみ上げると、しげしげと見つめた。
「人間の赤ちゃんでしょ。魔王様見たことないっすか?」
「当然知っておる!オリちゃん、ちょっと魔王様に対して生意気じゃのう。消されたいのか?」
ディアヴァルホロ1世が、ぎょろりと赤い瞳を見開いて、辺境の魔王軍三大幹部の一人であるオリハルコンスライム―――オリちゃんを威嚇した。
オリちゃんは、「またっすか」と呟くと、一度目よりあからさまに大きなため息をついた。
「私の事消したら、この島に魔王様一人っきりですけど、それでも良ければどうぞ」
「……ぐっ」
ディアヴァルホロ1世は、約一年前に勇者パーティーとの死闘に敗れ、地図にも無い最果ての島、勇者のみが知る無人島―――ローエングリフ島に封印されている。
最終決戦の時、巻き添えを食ってこの島にディアヴァルホロ1世と封印されてしまったのが、オリちゃんである。
以来ディアヴァルホロ1世とオリちゃんは、二人きりでこの島でなんとか生活してきた。
「食糧調達も私、炊事も私、洗濯……は、最近やってくれるようになりましたね。何もなかった島に生活拠点を造ったのも私ですけど、どうぞ消してくださいっす」
「ぐぅぬ……」
痛いところを突かれ、ぐうの音も出ない
「この島には、我々の全ステータスを一万分の一に抑え込む勇者の呪いが掛かってるっすから、今の魔王様のステータスは、大したことも出来ない鼻くそモンスター並だという事をお忘れなく。さあ、どうぞ私を消して一人で生きて行ってくださいっす!」
ちっくしょお!いっその事本当に消してやろうかぁ!
ディアヴァルホロ1世の脳裏の中で、良からぬ考えが一瞬よぎったが、本当に消してしまうと、最終的に困るのは自分自身である。
それにぶっちゃけ、この島に一人は寂しいしのじゃ……
こんなことを思っている事がバレたら、これから更にオリちゃんが調子に乗りかねないと、彼の表情は険しいままである。
このまま
「圧倒的な逃げ足の速さと業界最高の硬度を誇り、倒すことが最も困難なモンスターと称されたお主も、この島ではただのスライム並の硬さとスピードじゃもんな」
どうじゃ!ぐうの音も出まい。
ディアヴァルホロ1世は鼻息荒くオリちゃんを見下げたが、オリちゃんはニヤリと嫌な笑みを浮かべている。
「能力は下がっても、私から得られる経験値はそのままなんで、今もモンスター界最高の経験値を持ってるっす」
「それがどうした?お前のせいで、かつて勇者のレベルが上がりまくって迷惑したわい」
こいつは何故経験値の話をしている。まさかこいつ知っているのか?儂の唯一のコンプレックスを知っておるのかあぁぁ!!!
ディアヴァルホロ1世の頬から一筋の汗が流れる。
「あれれれー、確か魔王様って意外と経験値がしょぼくて私の半分以下……プププ」
やっぱりかぁぁぁぁ!!!
悶絶するディアヴァルホロ1世の足元で、銀色の物体が小刻みにプルプルしている。
抑えようにも声が上ずり、動揺を隠すことが出来ない。
「何故お主がその事を知っておるのじゃ!!!儂を倒して経験値を得たことがあるのは勇者のみじゃ!!!!!ま……まさか!?勇者の奴めがばらし―――」
おぎゃあ、おぎゃあ!
ディアヴァルホロ1世の言葉を遮るように、摘ままれた状態で存在を忘れ去られていた赤子が、突如泣き始めた。
「なんじゃ!クソガキが!うるさいのう」
人間共を支配していた儂の言葉を、赤子如きが遮るとは腹立たしい!
彼は赤い瞳をぎらつかせ、号泣する赤子に向けて特殊能力を発動させた。
『覇王の風』
ディアヴァルホロ1世から発生した突風が赤子を襲う。彼が首根っこを掴んでいる為、赤子自体はとばされていないが、赤子を覆っていた布が、突風によって彼方へと飛ばされていく。
『覇王の風』は、突風と共に人間の心に恐怖心を与え、能力や異常ステータスを完全無効化させる効果があり、今まで幾人もの人間共を黙らせてきた能力である。
しばらくして風が収まった後、眼をぱちくりさせ、きょとんとしている赤子を見て、ディアヴァルホロ1世は「ようやく黙ったか」と満足そうに頷いた。
だが次の瞬間―――
おんぎゃああああああ!ああああああああ!!
火に油を注いだかのように、大音量で赤子が鳴き始めた。
余りのボリュームに、急いで赤子を玉座の上に戻し、両耳を塞ぐ。
「何故じゃ!何故儂の『覇王の風』が効かん!!オリちゃんこいつほんとに人間か?」
「その子間違いなく人間っすよ。赤ちゃん威嚇してどうするんすか」
狼狽えるディアヴァルホロ1世を、オリちゃんが飽きれたように見上げている。
相変わらず小馬鹿にしてくるオリちゃんに対し、彼は妙案を思いついてニンマリとほほ笑むんだ。企みに感づいたのか、オリちゃんが怪訝そうな顔をしている。
「今から試練を与える。見事、お主が泣き止ませてみせよ」
「えー、私がっすかぁ?」
「いいからやるのじゃ!」
魔王である儂が出来ない事を、オリちゃんに出来るはずがない。さあ、赤っ恥をかかせて、土下座で謝らせるのじゃぁぁ!!
ディアヴァルホロ1世は赤子の首根っこ摘まみ上げ、自らの顔の高さから、お前も失敗しろとばかりに、オリちゃんに向けて落下させた。
おんぎゃあああああああ!!!! ぽふっ
ディアヴァルホロ1世の切実な想いとは裏腹に、オリちゃんは落下してきた赤ちゃんを、優しくキャッチして包み込み、海に浮かぶ小舟のように自らの身体の上で赤ちゃんを揺らし始める。
「愚かなやつよ。儂の覇王の風が通じぬ相手に、そのような小細工が通じるわけ……なに!」
ディアヴァルホロ1世は我が目を疑った。先ほどまで喉ち○こ丸出しで大声を上げていた赤子が、すやすやと寝息を立て始めたからだ。
「さ……、流石儂の部下じゃ。儂の期待に見事に答えた!あっぱれじゃ!」
ディアヴァルホロ1世は精一杯の強がりを見せたが、オリちゃんはそれを無視して赤子を揺らしている。
相手にするのもバカらしいと、儂に無関心を決め込まれている気がするのじゃが、気のせいだと思いたい……。しかしながら―――、
「なぜ、このワシの玉座に、突然人間の赤ん坊が現れたのじゃ。この島には、儂ら以外の生態系は全く居ないはずなのじゃが……」
屈みこんで赤子を覗き込んだ。赤子はさっきの喧騒はどこ吹く風で、オリちゃんに揺られながら気持ちよさそうに熟睡している。
「あー、多分これっすね。」
先ほどまで赤子が入っていた揺りかごの中から、オリちゃんが一枚の紙切れを拾い上げると、触手を伸ばしてディアヴァルホロ1世に手渡した。
渡された紙切れを見てみると、そこには血で書きなぐられた人間の文字が描きこまれていた。
「ほう……」
ディアヴァルホロ1世は鋭く目を細めた。
オリちゃんが彼の足をつんつんと突いて呼んでいる。
「で、魔王様。そこになんて書いてあるっすか?」
「…………読めん」
「は?」
彼の絞り出した声に、聞こえないとばかりにオリちゃんが耳に手を当てて聞き直してきた。
「儂は、人間の文字読めんのじゃ」
「知ってたっす」
「なにっ!!」
愕然とするディアヴァルホロ1世の手から、素早くオリちゃんが手紙をぶんどると、文章に目を通し始めた。その間も、器用にゆったりと赤ちゃんを身体の上で揺らしている。
「……げっ」
文字を読んだオリちゃんが思わず声を上げた。その緊張した声色にディアヴァルホロ1世は、一抹の胸騒ぎを覚える。
「なんじゃ、何と書いてある?早く儂に教えるのじゃ!」
「……じゃあ読むっすよ」
オリちゃんは、おほんと一つ咳払いをすると、静かに文章を読み上げた。
「俺たちの子供を頼む。by勇者」
「は?」
「……だから、俺たちの子供を頼む。by勇者……ですってば!」
ディアヴァルホロ1世は、ゆっくりと時間をかけてオリちゃんの言葉を脳内で反芻させた。
……オレタチノコドモ、……おれたちのコドモ、……俺たちの子供ぉー!?
やっと意味を理解した瞬間に、思わず彼は頭を抱えて立ち上がった。
「え?このガキ、勇者の子供なのか?まじで意味わからんのじゃが。自分が封印した魔王のところに自分の子供預けるか?ねぇ、バカなの?勇者ってバカなの?」
「……勇者は決してバカでないと思うっす」
オリちゃんは口にしーっと指を当てて大声を出すなと指示を出してきた。
部下に指示されて正直面白くはないが、赤子を起こさないためと思い、しぶしぶ従う事にして、小声でオリちゃんに話しかけた。
「お主、それはどういう意味じゃ?」
返答の代わりにオリちゃんは、先ほどの手紙をもう一度彼に向けてきた。
意味は分からないが、いびつな形をした文字からは、ひどく慌てて書かれた物だと伝わってくる。
急いで書かれた血文字か……、つまり筆を用意する余裕すら無かったという事……なのか?……ということは、
「ま、まさか!」
「そう。我々に頼らざるを得ない程の非常事態が起こったと考えるのが自然っす。そしてこの生まれたばかりの赤子だけがここに魔法で転送されてきたということは―――」
「待て」
話を続けようとするオリちゃんを、ディアヴァルホロ1世は掌で制した。
「みなまで言わずともすべてを理解したのじゃ」
「じゃあ、どうぞっす」
ディアヴァルホロ1世が鼻息荒く、今気づいた結論を、疑いの眼差しを向けてくるオリちゃんに伝える事にした。
「勇者の嫁、あれはかなり気の強い女戦士じゃった。勇者の浮気がばれて嫁に血祭りにされて、三行半を突き付けられた。子供の親権が嫁に取られる前に、勇者が慌てて赤子だけこの島に転送して隠したというわけじゃ!」
うんうんと一人で繰り返し頷くディアヴァルホロ1世を見て、オリちゃんの視線はどんどん冷たくなっていく。
「いや、全く違うっす。っていうかすげえ妄想力っすね」
「なぬ?」
驚いて思わず素っ頓狂な声を上げしまった。
ディアヴァルホロ1世は、「おほん」と咳払いをすると、
「いや、分かっておったぞ。今のはお前を試したのじゃ。さあオリちゃんよ正解を述べてみよ」
赤子が起きない程度の音量で厳格な声を響かせた。
オリちゃんがやれやれといった表情で言葉を続ける。
「いいっすか。この手紙には俺たちの子供と書かれているっす。魔王様の説でいくと、俺の子供って普通は書くっすよ」
今度は「あ!」という声が漏れてしまうが、慌てて元の厳しい表情に戻し、なんとか取り繕る。
……今ので、実は全然理解していなかった事が、ばれてしまったかもしれない。
ディアヴァルホロ1世は、取り敢えずこの場を取り繕う事にした。
「流石は三大幹部の一人じゃ。ここまでは見事じゃ!さあ、お主の思う所を続けてみよ!ここから先も儂の思う答えと合っていたら、褒めてつかわす」
「…………はいはい」
主を主とも思っていない様なオリちゃんの態度に、ふつふつと湧きあがるものを感じたが、ぐっと我慢して次の言葉を待つ。
「こんな血文字で書いた雑紙と、生まれたばかりの彼らの赤子を、ここに単独で送り込んできたということは、彼らにそれだけの危機的状況が起きていたって事っす」
「……なるほど」
ディアヴァルホロ1世は、低く唸った。
「なるほど」と言ってしまった時点で、実は何も分かっていなかったと確定したのだが、彼はまだその事に気づいていない。
オリちゃんは、一度だけプルンと大きく震えた。
「この場所は勇者しか知らないっす。したがって第三者から赤子を避難させる場所として、これほど最適な場所はないと考えるっす」
と言った後、「我々の存在以外は」と付け加えた。
その後のオリちゃんの推測はこうだ。
かつて自らが倒し封印した魔王と、その従属が居るこの島は、大切な我が子にとって安全であると言い切れる場所では無い。
そんなところに赤子一人で送り込むという、最終手段とも言える行為を、せざるを得なかった程、勇者たちは追い込まれていたと考えるのが自然である。
という事だった。
ディアヴァルホロ1世は、閉じていた両目をゆっくりと見開いた。真実の如何は分からないが、特に今の推理に穴は感じないように思える。
「ということは、その脅威が去れば、勇者がこのガキを迎えにくるという事じゃな」
これは面倒な事になったと、ディアヴァルホロ1世は眉間に深いしわを作った。オリちゃんは、変わらずたぷんたぷんと一定のリズムで揺れており、何を考えているか想像がつかない。
「このガキを傷物にしたり、ちゃんと育ててなかったら、儂らどうなると思う?」
「想像を絶する拷問されるっすね。今まで生きてきてごめんなさいってなるくらいのやつだと思うっす。」
身中からぶるりと身震いが沸き起こる。勇者からの拷問だけは絶対に御免
「こいつが勇者の子供か……」
勇者の子供と聞いた今では、すやすやと眠る赤ん坊がやけに神々しく見える。
「勇者共は、最強の魔王である儂を倒した程の実力者じゃ。すぐにでも迎えにくるじゃろう」
「……だといいのですが」
封印によって外界と遮断されている二人にとって、島の外の出来事を知る術はない。したがって、二人の結論の答え合わせをする事は現時点では不可能であり、彼にもオリちゃんにもどうする事も出来ない。
「魔王様、この子どうするっすか?」
「答えなど分かりきっているのに、こんな時だけ儂に決めさせるのな。ずるい奴じゃな、お前は」
ディアヴァルホロ1世は、オリちゃんの上ですやすやと眠る赤子をそっと抱き上げた。熟睡している為か、彼が抱いても起きる素振りは無い。
「人間の赤子など育てた事はないが、勇者まじで怖いし、最近暇持て余してたところじゃ。少しの間子育てをやるしかないじゃろう」
「いい暇つぶしになりそうっすね。……それにしても可愛いっすね」
オリちゃんは、ディアヴァルホロ1世から赤ちゃんをぶんどると、再びたぷんたぷんと身体の上で揺らし始めた。
突如赤子を奪われ手持無沙汰になった両手で、儂は揺れる赤子の頭と頬を撫でてみた。初めて頬に触れてみた感触として、すべすべで心地よく、不覚にもいつまでも触っていたい錯覚に陥ってしまう。
「ところで勇者からの手紙には、このガキ、いや、御ガキ様の名前はなんて書いてあるのじゃ?」
「御ガキ様って、魔王様丁寧語が絶望的に下手っすね」
オリちゃんの言い方に一瞬ムッとしたが、なるべく赤子を起こさないように声のトーンに気を付けながら話を続ける。
「生まれた時から頂点の儂が、丁寧語が上手なわけなかろうが。で、この御ガキ様の名前はなんというのじゃ?どこかに名前は書いてないのか?」
オリちゃんが赤子が入っていたゆりかごや、身に着けている布おむつ等をチェックしたが、どうやらどこにも名前が確認できるものは無いらしい。
「名無しっすね。それじゃ不便なんで、勇者が迎えに来るまでの仮の名前決めないっすか?」
「仕方ないのう。それでは魔王たる儂が、この御ガキ様の名付け親になってやろうではないか」
はっきり言って名づけは、儂にとって得意なものの1つだ。今までも沢山の部下のモンスターに素晴らしい名前を付けてきた自負がある。
ディアヴァルホロ1世は即座に四つの候補を絞り出した。
「男ならば『ホホすべすべの助』、『声でか男』、女ならば『髪サラサラ子』『声でか美』じゃな。あとはここからどれに絞るかじゃが……」
慌てたように、オリちゃんが釘を刺してきた。
「オチ〇チ〇あるから、この子男の子っす」
「なるほど!それでは、ホホす―――」
「名無しは可哀相ですけど、変な名前はもっと可哀相っすよ!」
割と強めにオリちゃんが、ディアヴァルホロ1世の言葉を遮ってきた。
むう、いい名前だと思うたのじゃが……。名無しは可哀相か……、ななしはかわいそう……。おお!閃いた!
ディアヴァルホロ1世がポンと
「決まったっすか?」
「決まった」
オリちゃんがプルプルして、彼の次の言葉を待っている。
ディアヴァルホロ1世はゆっくりと赤子の息が届くところまで顔を近づけ、出来る限り優しい声色で赤子に名前を告げた。
「お主の名は今日から、ナナシ=ゴンベエじゃ」
おぎゃああああ!
その瞬間、再び赤子が目を見開いて泣き叫んだ。
「おおお、オリちゃん!泣いて喜んでおるぞ!」
ディアヴァルホロ1世は名づけが上手くいった高揚感に浸りながら、ほくほく顔でゴンベエを抱き上げ、頬をすりすりした。今は赤子が更に泣こうが気にならない。
「いや、それはやめてくれっていう抗議の号泣でしょ」
赤子の泣き声で遮られたせいで、オリちゃんの声は、ディアヴァルホロ1世には届かなかった。
「ナナシ=ゴンベエちゃん。魔王様が付けた割に、まだまともな名前なんで諦めるっすよ。ご両親が迎えに来るまでその名前で決定っす」
オリちゃんは、ディアヴァルホロ1世に抱かれて、いやいやしている赤子に敬礼ポーズを送った。
この日から、この辺境の島ローエングリフ島において、魔王ディアヴァルホロ1世とオリハルコンスライムと人間の赤ちゃんの奇妙な生活が始まったのである。
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