アンジェリばあさん

「ここはどこだ。地獄か?」


 目覚めたゴンベエの視界に飛び込んできたのは、知らない部屋の天井だ。

 何故自分がここにいるかがどうにも思い出せない。

 ゆっくりと身体を起こして気が付いたのだが、どうやら、ベットの上で寝かされていたらしい。

 周りには、年季の入ったベットが等間隔でいくつも並んでいる。だが、布団が乗っているのは、彼が使っているベットだけだ。


「気が付きましたか?」


 誰か居る事に気が付かなかったゴンベエが、弾けるように声のした方に視線を向けると、部屋の入口に緑色のエプロンをした柔和な表情の人間が立っているのが見えた。


「お主はだれだ。ここはどこだ?」

「ここは私の家で、私の名はアンジェリナよ。アンジェリばあさんとでも呼んどくれ」


 がははと笑いながらアンジェリナが、警戒して身体を強張らせているゴンベエに、水の入ったコップを差し出してきた。思わず受け取って恐る恐る確認すると、中には何か得体のしれない白いものが浮いている。

 のどの渇きを感じて、思わずごくりと喉が鳴ったが、知らない人間の得体の知れない水に、何が入っているかわからないため、その水を飲むのはひどく躊躇ためらわれた。

 

 水を見つめたままのゴンベエが、一向に水を飲まない様子に号を煮やして、アンジェリナが無理やり水を口元へと運び上げた。


「心配せんでもええ!毒なんか入っとらせんわい!はよ飲まんか!」


 アンジェリナの勢いに負けて、両目を閉じてゴンベエはコップの水を一口飲み込んだ。

 冷たい水が喉を駆け抜ける。こんなに冷たい水は初めてだ。控えめに言って、


「うまい!」

「そうじゃろう。私の唾液エキスがたっぷり入っておるからのう」


 反射的にゴンベエは口の水を一気に噴き出した。


「私の唾液エキスだと!?この白い塊がそれか!!」

 

 なぜ自分は得体のしれないものを、一気に飲み干したのだろうかと、強い後悔の念と急激な胸やけが押し寄せてきた。

 

「時が戻せるのなら、少し前の自分に戻りたい……」

「がはははは、嘘だよ。ただの氷と水さね」


 涙を流して豪快に笑いながらアンジェリナが、ゴンベエの背中を楽しそうにバシバシ叩いている。オリハルコン製の服を着ていなければ、ダメージを受けてしまいそうな勢いだ。


 唾液エキス入りが嘘だと聞いて、心底ホッとしたゴンベエは、今度は氷を口に含んでガリガリ噛み締めた。こんなに冷たい食べ物は、島では出会ったことが無い。


「このコオリとやらは、実に美味いもんだな!」

「あんた氷知らないのかい、珍しいねえ。わははははは!」 

 

 豪快に笑うアンジェリナが、楽しそうにゴンベエの背中を叩いた。「あれ?」と思ったのが、背中を叩かれる度に何故か顎に痛みが走る。


 この痛みはなんだ?記憶が曖昧でよく思い出せない。


「あんたはこの村の近くの森で倒れて瀕死だったところを、たまたまシスターに発見されたんだのぅ。モンスターにでも襲われたのかね?」

「俺が森で倒れていた……?」


 ゴンベエは、先ほどの出来事を思い出そうと、腕を組んで考え込んだ。

 聖母教の修道女とあいさつした事は覚えているのだが、その先の記憶がごっそり失われている。


「うーん、モンスターに襲われたのかもしれんな」


 良く思い出せないので、取り敢えず適当に返事をする事にした。しかしアンジェリナは、納得しなかったのか首を横に捻っている。


「この辺りは、初心者冒険者向けの弱いモンスターしか出ないから、人間が瀕死の重傷を負わされるってことはあんまり聞かないのだけどねぇ」

「……うーん」


 なにかに襲われたような気がするのだが、良く思い出せない。

 その時、アンジェリナの後ろからひょっこりと見知った顔が現れた。


「あら、ゴンベエさん起きたのね」


 サクヤの声を聴いた瞬間に、ゴンベエの記憶がフラッシュバックのように蘇った。


 思い出した!俺はそこの人間に、顎を殴られて意識を失ったのだ!


「アンジェリばあさん。そいつが、俺を襲ったモンスターだ」

「ゴンベエさん。シスター月夜見はそのような事をする人ではないのう。むしろ森で意識を失って倒れていた貴方を、ここまで運んでくれた命の恩人だのう」


 やれやれといった表情のアンジェリナが肩をすくめた。アンジェリナの発言を素直に受け入れる事が出来ないゴンベエは、ぐっと押し黙って考え込んだ。


 どうにも、ゴンベエの記憶の中にいる月夜見サクヤと、アンジェリばあさんの言うシスター月夜見は、別人のような気がしてならない。


「ゴンベエさんお可哀相に。記憶が錯乱しているのね」


 サクヤが祈るようなポーズをして、胸の大きな十字架と共に、憐れむような視線をこちらに向けてきた。


 いやいや、記憶はしっかりと蘇っております。

 確実にお前が加害者です。


「そのようですね。お気の毒にのぅ……」


 アンジェリナもサクヤに同調するように祈るようなポーズをとった。

 アンジェリナの後ろにいるサクヤが、アンジェリナの死角に居ることをいいことに、ゴンベエにべーっと舌を出してきた。


「おい!お前!」


 咄嗟にゴンベエがサクヤに向けて出した声に反応して、アンジェリナが後ろを振り返ったが、サクヤは静かに瞳を閉じて祈りをささげている。


「ゴンベエさんは、まだ混乱しているようじゃのぅ……」


 アンジェリナが再びゴンベエの方に顔を向けたのを見計らって、サクヤがもう一度大きく舌を出した。

 どうやらサクヤは、アンジェリナの前ではかなり猫をかぶっているようだ。

 さっきまではサクヤの事はそんなに嫌いではなかったが、はっきりいって今は結構嫌いだ。


「ところでゴンベエさんは一人でこの村にきたのかのう?お父さんとかお母さんは、どうしたのかな?」


 この話題はもう済んだとばかりに、アンジェリナが次の話題を振ってきた。

 いきなり確信めいた質問をされ、どこまで本当の事を話そうか一瞬迷ったが、アンジェリナという人物には、不思議な安心感があった。その為か分からないが、ゴンベエは、取りあえず真実を話してみる事にした。


「俺は自分の本当の両親と会って、自分の本当の名前を知る為に、この村にドラゴンの羽を使ってやってきたのだ」

「……思ったより深刻な事情がありそうだのぅ。それにドラゴンの羽とはまた、超レアアイテムの名前が飛び出してきたもんだ」

 

 ドラゴンの羽って珍しいアイテムなのか……。 どこかで適当に調達してローエングリフ島に戻る時に使おうと思っていたのだが、なんだか簡単に手に入らなそうだな……。と自分の未来について考え込もうとした時、


「ところで―――」


 アンジェリナの発した声で現実に引き戻された。


「ゴンベエさんの名前は誰がつけてくれたのかのぅ?」

「俺の名前ナナシ=ゴンベエは、育ての親が俺の本当の両親が迎えに来るまでにと、つけてくれた仮の名前だ」


ちらりとアンジェリナがサクヤに視線を送った。サクヤは「……やっぱり、嘘の匂いはしないわね」と呟いた。


「当たり前だ。なぜ俺がこの期に及んで嘘をつく必要がある」

「……そうね。ごめんなさい」


 ゴンベエの境遇を知って同情したのか、悪態をついたゴンベエに対して、サクヤがしおらしい態度を取っている。

 凶暴なだけの人間だと思っていたが、実は情に厚いちょっといい奴なのかもしれないと、サクヤの態度を見たゴンベエの中で、彼女に対する評価に変化が生じた。


「育ての親元で14年間本当の両親が迎えに来る事を待っておったが、結局迎えに来なかったから、逆に島を出発して両親と本当の名前を探しにきたということじゃ」

「でもなぜこの村に来たの?この村に貴方のお父さんとお母さんがいるから?」

「それは俺にも分からん。ドラゴンの羽を使ったら勝手にここに着いたから、今ここにいるということだ」


 ふと、眉にシワを寄せたアンジェリナが、先ほどから押し黙っている事に気が付いた。明らかにさっきまでと比べて様子がおかしい。

 

 もしや俺の話に何か心当たりがあるのだろうか。期待を込めて、


「アンジェリばあさん?」


と呼びかけた。


 ゴンベエの問い掛けに、はっと我に帰った表情を見せたアンジェリナが、彼の顔に焦点を合わせた。


「シスター月夜見、ドラゴンの羽の話も本当だと思うかい?」

「はい、やはり嘘の匂いはしません」


 ここに来てまだ疑われている事に、ゴンベエは軽い苛立ちを感じベットから立ち上がった。落ちた布団から綿埃が舞い上がる。


「おい、俺の話は全て本当だぞ!」

「気を悪くさせてすまないねぇ。今の確認は、とても大事な事なのじゃ。ドラゴンの羽でこの村に来たという事は、ゴンベエさんは育ての親に出される前に、この村に居たことの証明になるのぅ」


独白のように呟くと、アンジェリナが目を閉じて顔を上にあげた。何か大事なことを言うのを躊躇っているようにも見える。


 「大事な事……、大事な事とはどいういう意味だ!」


 居てもたってもいらず身を乗り出したゴンベエを、アンジェリナは目を見開いて、真っ直ぐに見据た。アンジェリナの視線から、彼女の決意を感じ取ったゴンベエは、静かにアンジェリナの次の言葉を待つことにした。


「ズバリ聞くが、お前さんの本当の親は誰だと聞いておるかのぅ」

「じいじ、……いや、育ての親からは、俺の親は勇者と同じパーティーだった女戦士だと聞いている」

「……そうか」


 感情を押し殺した声を絞り出したアンジェリナは、無言でサクヤの方を振り返った。


「これも嘘の匂いはしません。彼は、本当に自分の親が勇者だと思っています」

「なるほど。今度こそ、本当かのぅ……」


 途端にアンジェリナの顔に深いシワが刻まれた。

 

アンジェリナが自分の出生に関して何かを知っているという事を、ゴンベエは確信した。


しかし、その態度を見る限り、あまり良い話ではないように思えた。

だが真実を知る為にここに来たゴンベエは、その先の話を聞かずにはおれなかった。


「アンジェリばあさん、今度こそ本当とは、どういう意味だ?」

「……」


 ゴンベエは息をのんで、アンジェリナが次の言葉を発するのを静かに待った。

 三人の間を沈黙が支配する。たまりかねたサクヤが、


「アンジェリナさん」


とそっと囁いた。


 サクヤの声に魔法が解けたかのように我に返ったアンジェリナは、深いため息をついた後、ゆっくりとイスに腰掛けた。そのまま先ほどゴンベエが使ったコップに水を入れ、一口飲み込むと、意を決したように話し始めた。


「この村サウスサンプトンは勇者の生まれた村でのぅ、この村に勇者の身内を名乗る輩が定期的にやってくるのよ」


 ここでアンジェリナは、コップの水を飲み干した。

 そして、躊躇とまどいの表情のまま言葉を続けた。


「勇者のを狙ってね」


 カランッ―――


 空になったコップの氷が奏でた音が、空間を支配した。


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