ばあさんの唾液はマジ勘弁

 勇者の遺産ってことは、すでにこの世に勇者は居ないということか。

 ゴンベエ自身驚いたのだが、勇者おやじが死んでいるという事実を、割とすんなりと受け入れる事が出来た。

 まあ、一度も会った事もないのだ、当然と言えば当然かもしれない。


「ゴンベエさん、ショックじゃないの?」


 ゴンベエが、いやに落ち着いているからだろう。サクヤが不思議そうに問い掛けてきた。


 確かに普通であれば、親が死んだと聞けば動揺してしかるべきなんだろうなと考えながら、ゴンベエは、先ほど自らが床に落としてしまった布団を、ゆっくりと拾い上げた。


「一目会ってみたかったというのは本音だ。だけど、産まれてこの方会った事のない親だからな、半分は他人事のような感じがしてならん」


 そう言いながら、拾い上げた布団を綺麗に畳んでベットの上に乗せた。


「もしゴンベエさんが本当に勇者の、あの子の息子なのだとしたら、今の言葉を聞いたら悲しむだろうねぇ」


 遠い目をしたアンジェリナが、コップの中の氷をからんからんと揺すっている。

 しばらく遠くを眺めていたが、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。


「勇者はある日突然姿を消してのう、その後しばらくして、賢者様が発足した聖母教より、勇者が次の魔王討伐中に魔王と刺し違えて亡くなったとの発表があったのだ」

「……なるほど」


 ゴンベエは今の話に引っかかるものを感じて腕組みをして考えた。

 なんだろう、この違和感は……。

 考え込む彼を尻目にアンジェリナは言葉を続ける。


「その後勇者が生まれ育ったこの村に、勇者の遺した莫大な遺産が隠されているという変な噂が広がり、勇者の親族を名乗る人たちが大勢殺到したのじゃ。その後シスター月夜見が聖母教から派遣されてこの村を統治するまでは、酷い有様じゃったのう」


 悲惨な当時を思い出したのだろう、表情が曇ったアンジェリナの肩に、サクヤがそっと手を当てて、静かにほほ笑んだ。


「ありがとう」とアンジェリナがサクヤの手を握りしめた。

 サクヤの暴力的な本性を知っているゴンベエには、今の笑顔は詐欺にしか見えない。


「私が大賢者様の名によりこの村に来た時は、遺産を探し出して奪い取ろうという野党まで出現して、治安もそれは酷いものでした。でも、私が来てからというもの―――」

「……あのさ、そんなことより気になったことがあるのだけど、アンジェリばあさんいいかい?」


 いいところで言葉を止められて、サクヤがムッとしているのが見えたが、ゴンベエは構わず言葉を進めた。


「アンジェリばあさんから見て、俺が勇者の子である可能性は高いと思うかい?」

「俺がこの十数年見てきた中で、一番高いと思うのぅ。シスター月夜見の鼻もそうじゃし、なによりゴンベエさんは、あの子の小さい時によく似ておる。その極悪人のような三白眼は、あの子の息子という何よりの証じゃと、私は思うのう」


 だからこそ、勇者が亡くなったという事実を伝えて良いものか戸惑ったのだと、アンジェリナは付け加えた。


 「なるほど、もし仮に俺が本当に勇者の子供であるならば、さっきのアンジェリばあさんの話にはおかしい点がある」

「どういうことじゃ?」

「俺の育ての親が言うには、俺は勇者の手によってこの村からじいじの住む島に転送されたそうだ。じいじの島は勇者しか知らぬ秘境なので、それは曲げようのない真実だ」

「ゴンベエさんは何が言いたいのかのぅ」


 ゴンベエは戸惑いの表情を浮かべているアンジェリナとサクヤの顔を見比べ、大きく息を吸った。


「アンジェリばあさんの話だと、勇者は魔王と刺し違えて亡くなったのだろう?でも、俺はこの村から勇者の手によって転送されている。どうにも二つの話が噛合わないのだ。そして俺の話が事実だとしたら―――」

「私たち聖母教の発表が間違っているということ―――?」


 確信を持ってゴンベエは、こくりと大きく頷いた。

 サクヤが胸元のロザリオを強く握りしめた。良く見るとその手が震えている。無理もない。絶対の信仰を抱いていたものが、足元からぐらついているのだ。


「あの子がこの村に戻ってくれば、必ずこの私の孤児院にやってきたはずじゃ。この村であの子の家はここじゃからのぅ。じゃが私たちの記憶に、あの子が戻ってきたという記憶は無い。ゴンベエさんのじいじとやらが、間違っているのではないのかのぅ」


 どうにか否定的な事を見つけようとしているアンジェリナもまた、この事実を受け入れ難いらしい。辺境の魔王じいじが言っていたが、人は長年信じていたものが崩れそうなとき、今まで信じていた事にすがりたくなるらしい。

 しかしこのままここで議論を続けても、恐らく結論は出ないだろう。お互いにはっきりとした根拠が示せない以上、どれも憶測の域を越えないからだ。


 じいじが気をつけろと言っていた賢者が作った『聖母教』、今の話だけでもなんだかキナ臭い香りがプンプンしている。


「私ちょっと急用が出来ました!アンジェリナさん、ゴンベエさん、ごきげんよう!」


 サクヤが青ざめた表情のまま、慌てて部屋から飛び出して行った。

 黙ってサクヤの後姿を見送っているゴンベエに、アンジェリナが戸惑いながら話し掛けてきた。


「……実はのう、14年前の記憶がかなり曖昧なのじゃ。なにか靄がかかっているというか、あの時生まれたばかりのゴンベエさんの存在を知っていたような、知らなかったような……」

「生まれたばかりで島に預けられたとは一言も言ってないぞ。アンジェリばあさんは、何故俺が生まれたばかりだった事を知っておるのだ?」

「…あ……あれ?どうして??」


 アンジェリナが頭を抱えている。これ以上は本当に止めた方が良さそうに感じた。

 何故だか分からないが、アンジェリナの心に負荷が掛かり過ぎて、アンジェリナの心身に異常をきたしかねない気がしたからだ。


 実は勇者おやじの事もそうだが、女戦士おふくろの事も色々と聞いてみたかったのだが、今はアンジェリナの事を考えて遠慮することにした。


 時間はまだまだ、たっぷりとあるのだから……。


「ありがとう。アンジェリばあさん。色々と分かったよ。それでなんだけどさ、ちょっとこの村の中を探索してきてもいいかな?」

「ああ……、構わないよ。本当は一緒に行って色々と教えてあげたいところだけども、私も手が離せ無い仕事があるから、一人で行ってもらうけどいいかのう?」

「俺も14歳。大丈夫だ」


 得意げに胸を張ると、ベットの横に立てかけてあったサムライソードとダガーナイフを装備して、帯をびっと締めた。


「ゴンベエさんがこの村に居る間は、このベットと食事を提供してあげるから、なんでも遠慮なく使っておくれ」

「アンジェリばあさん、ありがとう!」

「使われなくなって久しいベット達も、久しぶりに使ってもらって喜んでおるよ。気を付けて見て回るのじゃぞ。ほれ、出発前に水を一杯飲んでいきなさい」


 アンジェリナが氷の入ったコップに水を注いで手渡してきた。

 ゴンベエは躊躇わずにそれを受け取ると、ぐいっと一気に飲み干した。

 

 冷えたのど越しがやっぱり美味い!


「ごちそうさま。この氷とやらは俺の育った島に無かったから感動ものだな」


 空になったコップをアンジェリナに返すと、アンジェリナがにっかりと笑って受け取った。


「それ、さっき私が使っていたコップじゃよ。正真正銘の私の唾液エキス入りの水を、しっかりと堪能してくれてうれしいのぅ」

「……う、胸やけだけでは無く、激しいめまいも襲ってきた」

「私のエキスを毒物扱いとは、ひどいヤツじゃのぅ」


 ひどいのはどっちだ。正直吐けるなら、この場で全部吐いてしまいたい気分だ。悪態をつきたい気分だが、今は言葉が出ない。


「なぁんてね!嘘じゃよ!うーそ!がははははは!!!!」


 アンジェリナが豪快に笑いながら、ゴンベエの背中をバシバシ叩いてきた。

 どうやら、もう気持ちを切り替えたようだ。強い人である。


 そして、唾液エキスが嘘で本当に……、本当に良かった。


 嘘だと分かった今でも、まだ若干気持ち悪さが残っている。

 気分を変える為に、早くこの場を離れようとゴンベエは足早に扉へと向かった。


「それでは行ってきます」

「夕ご飯までには帰ってくるんだよ!いってらっしゃい!」


 アンジェリナの声を背に、ゴンベエは村の探索へと向かおうとした。


 その時―――


「黒猫が出たぞー!!」


 外からひときわ大きな声が聞こえてきた。


「なに!黒猫だと!!」


 弾かれるようにゴンベエは表へ飛び出した。


『街に出たらまずは黒猫を探せ』じいじの言葉が脳裏に蘇る。


 うまくいけば、黒猫発見のミッションも今日で達成してしまうかもしれない!


「よし!待ってろよ、黒猫!」


 ゴンベエは、全力で声の聞こえた方向へ駈け出したのだった。

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