出会ったそばから殴られる
「いやああああ!!!」
叫び声と共に少し離れたところにいた人間らしき生物が、一瞬でこちらに間合いを詰めてきた。
想像以上のスピードで間隔を詰められ、ゴンベエの一瞬反応が遅れた。
ドゴォ!
すさまじい打撃音と共に鋭い痛みが今度は左頬に走る。
そのまま吹っ飛ばされ、パンツが半分脱げた状態で地面に倒れ込んだ。
先ほどまで黄色かったステータスが赤みを帯びてきている。ステータスが真っ赤になる事はそれすなわち死を意味している。つまり今のゴンベエの状態は、ビンタ二発をくらって、死の一歩手前といえる。
ゴンベエの左頬がジンジンと熱を帯びてくるにつれて、彼の中にふつふつと怒りが湧いてきた。
「おい!なにをするのだ!」
「それは私のセリフよ!突然目の前に現れて胸触って、いきなり服を脱ぎ始めて、あなたこそ何者なのよ!」
顔を真っ赤にしてのまま甲高い声と早口でまくし立ててくる。
なるほど、どうやらいきなり裸になってはいけないらしい。
オリちゃんからの情報が間違っていたという事だ。
オリちゃんへは、後できっちり報復するとして、ここは一つ、きちっと謝っておかねばならない。
ゴンベエは脱げかけたパンツを再びぐいっと上げて、腰を90度に曲げた。
「裸になれば友達になれると思ってました。ごめんなさい」
「そんな理由でヘンタイ行為を正当化できると思うなよ!!」
ドゴォ!
―――突如脳天から全身に電撃のような衝撃が駆け巡った。
目の前の人物がその場でぐるりと縦回転して、ゴンベエの脳天に踵を落としてきたのだ。また一つステータスが赤色へと近づいていく。
「いっ……つう」
突然の動きに躱す事も出来ず、あまりの痛さに声も出すこともままならずに、ゴンベエは頭を押さえてうずくまった。
(わからん!どうしたら目の前の人間と円滑に会話をすることが出来るのだ)
痛みに耐えながら、なんとか思考を巡らせている内に、ふとオリちゃんの言葉を思い出した。
『いいかい、ゴンベエ。人間は初めて会った人に自己紹介をするっす。ゴンベエちゃんも人間に会ったら、ちゃんと自己紹介するっすよ。じゃないと相手に失礼っす』
なるほど、事前の自己紹介が無かったから怒ったのだ。そうと分かれば、早速自己紹介をして怒りを鎮めてもらおう。
ゴンベエはふらつく足元に力を込めてゆっくりと立ち上がると、目の前の人間の瞳を正面から見つめた。
「挨拶の順番を間違えた!まずは自己紹介をさせてもらうのだ!」
「……え?あ、ああ、分かったわ」
相手が頷いたのを見て、ゴンベエも大きく頷いた。
実は自己紹介に関してはちょっと自信がある。
何故ならば、島から出るにあたって、びっちり練習してきたからだ。
さあ、今こそ練習の成果を発揮するときだ。目を見開いて見るがいい!
ゴンベエは、胸を張って息を大きく吸い込んだ。
「はじめましてぇ!俺の名前は、ナナシ=ゴンベエです!仮の名前です。年はだいたい14歳位です。初対面ですがこの人しか居ないって思ってました。友達からよろしくお願いします!」
練習通りの台詞を完璧に言った後、深々とおじぎしてみせた。
ゴンベエの中で完璧の挨拶が出来た。練習以上の物を出し切った感がある。
あとは、相手の反応が気になるところだ。
恐る恐る顔を上げてみると、目の前の人間らしき生物が、ポカンとした表情をして突っ立っているのが見えた。
ゴンベエと目が合うと、はっと我に返って頭を二度三度掻いた。
「自己紹介と称してパンツ一丁で告白してくるって、あんたどういう神経しているの?」
こくはく?こくはくとはなんだろうか。
良く分からないがきっと挨拶の一種の事だろう。
「しかも仮の名前で、年もだいたいって、ただただ怪しいんですけど……」
「そうなのか?でも本当のことだぞ」
全て真実である。何故ならば、自分の本当の名前を知らない上に、正確な誕生日でさえも知らないからだ。
目の前の人間が、しばらくゴンベエの顔をまじまじと見つめた後、少し鼻をひくつかせた。
「うーん。信じられない……。でも、これは本当のニオイ……か」
小声で呟いた後、腕組みをして少し考え込んでいる。
ゴンベエは、じっと次の反応を待つことにした。
少しした後―――
「ああっ!もう!考えるのやめっ!」
突然頭を掻いて目を開くと、ゴンベエに向けて人差し指を差し出してきた。
「私の鼻は嘘を嗅ぎ分ける事ができるの。それで―――」
「それで?」
目の前の人物が、はぁっと大きくため息をついた。
「信じられないけど、あなたから嘘の匂いが全くしないのよ。訳が分からないけど、あなたの匂いに免じて信じてあげる」
「そうか!ありがとう!」
どうやら上手く話が進みそうである。匂いが云々と言っていたが、出発前にしっかりとお風呂に入っていたのが良かったのかもしれない。
「それではゴンベエさん。改めまして、私もご挨拶させて頂きます」
そう言うと、ゴンベエに向かってぺこりと頭を下げた。合わせるようにゴンベエも、ぺこりと頭を下げてみる。
「ゴンベエさん。私の名前は、
言ったあとサクヤは、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
ゴンベエのだいたい14歳位にかけてきたのだろう。からかわれていると分かったが、不思議と嫌な気はしない。
「月夜見サクヤか、名前的に人間だな。で、『せいぼきょう』とか『しゅうどうじょ』とかはどういう意味だ」
「あなた聖母教も知らないの?」
「うむ。俺の育った島にはなかったからな」
「えっ?」と口の中で声を出すと、不思議そうな表情をしてサクヤは首を傾げた。聖母教はこのユグラシア大陸の全ての地を統治しており、この大陸で生活していれば知らない人間はいない筈だからだ。
「やっぱり嘘の匂いがしない。信じられないけど、本当に知らないのね」
鼻をひくつかせてから、サクヤは眉をひそめた。少し考え込む素振りを見せてから、大きく溜息をついた。
「まったく、私の特殊能力を私自身が疑う日が来るとは思わなかったわ。あなた一体どこの島出身なの?」
「俺か?俺はローエングリフ島出身だ」
「うーん、聞いたことが無い島ね。きっとこの大陸の外の人間なのね。……うん、なるほどね。だったら教えてあげる」
気を取り直したサクヤは、腰につけた小型鞄の中から、得意げに一冊の黒い本を取り出してきた。
表紙には金色の文字で『聖母教』と書かれている。
「聖母教……?」
「そう。これが聖母教の経典よ。聖母教は大賢者ジェラール=フェアテックス様がお作りになられた宗派で、今はこのユグラシア大陸全土を統治して、各地でモンスター達から人間を守っているの。私はこのサウサンプトンの村を治める修道女として、本部からこの地に派遣されているのよ」
満面の笑顔のサクヤが、ゴンベエに右手を差し出し握手を求めてきた。どう対応していいか、ゴンベエが戸惑っていると、
「あなた、とんでもない田舎から出てきて何も知らないみたいだから、色々教えてあげるね。友達になりましょう」
手を差し出したまま、サクヤが口角を上げてニコリとほほ笑んだ。ゴンベエも合わせる様にニコリとほほ笑み返し、手を差し出すと、
「ごめんなさい」
差し出されたサクヤの右手を振り払った。
突然手を払われたサクヤが、信じられないといった表情で目を見開いている。
「俺はジェラール=フェアテックスには関わるなと言われている。だから、奴の手下のお前とは友達にはなれん」
茫然自失だったサクヤの顔が、怒っているのか何なのか分からないが、みるみる赤くなっていく。
「なんで私がフラれたみたいになってるのよ!あなたが友達からよろしくお願いしますって言ったから、わたしは仕方なく、仕方なくねえ……」
正直困惑しているサクヤを見ていていい気がする訳ではないが、『賢者には関わるな』と、
「お前とは友達になりたい。でも賢者は大嫌いだ。だから、ごめ―――ごふぁっ!」
突如ゴンベエの視界から消えたサクヤが、「ゴンベエのばかー!」と叫びながらゴンベエの顎に鋭くアッパーカットをクリーンヒットさせた。
激しい衝撃が彼の脳を揺らし、ぐにゃりと視界が歪み始める。
「え?ちょっと!?やだ!大丈夫??」
サクヤのひときわ大きな声が聞こえた後、ステータスが真っ赤になったゴンベエの意識は途絶えたのだった。
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