キュンメルが走り去り、サクヤは歩き始めた

「おや、シスター月夜見、眼が覚めたかのう」


 アンジェリナに促されたキュンメルが、肩に担いでいたサクヤをゆっくりと地面に座らせた。

 ゆっくりと瞳を開けたサクヤが、目をぱちぱちさせている。


「……ここは?私……あれ?」

「随分お酒を呑んだのか、酔い潰れておったところを、ゴンベエさんが助けてくれたんだよ」

「私が……、酔い潰れてた……?」


 未だ現状を把握できずに戸惑っているサクヤに、アンジェリナが水筒を取り出して手渡した。

 受け取ったサクヤがゆっくりと水筒の水を口にする。


「ありがとう、アンジェリナさん」

「ワシの特性エキス入りじゃ。ゴンベエさんもどうかのう?」


 アンジェリナがサクヤから受け取った水筒を、今度はゴンベエにウインク付きで勧めてきた。

 アンジェリナ特性の唾液エキスを思い出し、忘れかけていた胸やけ感が蘇ってくる。


「特性エキスはもう結構だ!」

「冗談だのう。ゴンベエさんつれないのう」


 真顔で拒否したゴンベエを、豪快に笑いとばすと、サクヤに手を貸してゆっくりとその場に立たせた。どうやら状態はすっかり落ち着いているようで、立ち上がった後もふらつく様子は見られない。


「シスター月夜見、どんな経緯であれ、未成年で酔っぱらうのは感心しないねえ。次からはちゃんと気をつけるんだよ」

「……はい」


 サクヤがしおらしく頭を下げた。

 アンジェリナが「分かればよろしい」と笑顔でサクヤの頭をポンと叩いた。


「ゴンベエさんもありがとうございました」


 意外にもサクヤが俺に申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 素直に頭を下げるタイプだと思っていなかっただけに、こうされると意外と照れくさい。


「いや、俺のせいでああなったと聞いたので、罪滅ぼしをしたまでだ」


 調子が狂ったゴンベエは視線を外して、鼻を掻きながら返答した。


「ゴンベエ様も美人が好きなんすね」


 一連の様子をじっと見ていたキュンメルが、何故か不機嫌になっていた。

 

俺がビジンとやらが好きだと、何故キュンメルが不機嫌になるのだろうか?というか、ビジンとは一体どんな意味なのだろうか。


「キュンメル、ビジンってどういう意味だ?」

「美人も知らないっすか?シスター月夜見様みたいな人の事を美人っていうっす!」


 キュンメルの語気がやけに強い。

 意味を聞いたところで、やはりキュンメルが怒っている理由が良く分からなかったが、ビジンとは、どうやらサクヤのような活発な人の事を言うらしいという事が分かった。

 それがビジンの定義なのだとすると……


「それなら、キュンメルも美人だね」

「…………へ?」


 アンジェリナがひゅうっと口笛を吹いた。

 時間の経過と共にキュンメルの顔がみるみる赤くなり、表情がへにゃへにゃになっていく。


「私は異国出身で、肌の色も、髪の色も、目の色もこの大陸の人と違うっす。だからいっぱい気持ち悪がられてきたっす。それにそばかすも一杯あるし、鼻ぺちゃだし、一重だし、全然美人じゃないっす」


 悲観的な事を言って顔を手で覆っているが、にやけた口は隠しきれていない。

 それだけ、美人と言われて嬉しかったという事だ。


 しかしながら、自分と違ったら気持ち悪いという人間感情は、今のゴンベエではさっぱり理解が出来なかった。


「お主の白い肌も、赤い髪も、青い瞳もどれ一つとして俺に無い物で、素晴らしい個性だと思うのだがのう」


率直に思ったことをキュンメルに告げると、


「ゴンベエ様!もうストップっす!誉め言葉が私のキャパ超えてるっすうぅぅぅ!」


 絶叫しながら明後日の方向に走り去って行った。


 すぐにキュンメルを追いかけようとしたゴンベエであったが、横を通り抜けたキュンメルの目に、光るものが溢れていた事に気づき、一瞬気後れしてその場に足を止めてしまった。

 そうこうしている間に、みるみるキュンメルの姿が小さくなっていく。


「今ゴンベエさんが追いかけても逆効果だのう。私が何とかしておくから、ゴンベエさんはシスター月夜見の手伝いをしておくれ」


 意味深にウインクしたアンジェリナが、キュンメルを追いかけて走り始めた。

 とてつもないスピードだ。老人とは思えない脚力で、ぐんぐんキュンメルに近づいていく。あれならば、すぐにキュンメルに追いつくだろう。


この場には取り残されたゴンベエとサクヤが、気まずそうにお互いに目を合わせた。アンジェリナからサクヤを手伝うよう頼まれた以上、このまま沈黙ではいけないと、ゴンベエは今の出来事の率直な感想をサクヤに求める事にした。


「なぜキュンメルは泣きながら走って行ってしまったのか分かるか?」

「分かりません。あまり女心というのは私には分かりませんので」


 サクヤが申し訳なさそうに視線を落とした。


「そっ…か。そうだよな」


 サクヤも種族的には女だから、絶対に女心が分からない訳ないだろうと思ったが、本人が頑なにそう言う以上、これ以上踏み込んで聞くことは出来ない。しかたがないので、ゴンベエは話題を変える事にした。


「で、アンジェリばあさんが言っていた手伝いとやらはなんだ」

「この村の人たちへの挨拶回りです。恐らく私がまだ本調子ではないと踏んで、ゴンベエさんにお手伝いをお願いしたのだと思います。ですが―――」


 凛とした態度で、サクヤが胸を張った。


「ですが?」

「変態さんと行動する方がよっぽど危険です」

「……は?」


一瞬言葉の意味を理解するのに時間を要したが、意味を理解した次の瞬間、ゴンベエは反論した。


「俺は変態さんではなくゴンベエさんだ!」

「ゴンベエさんは、若くして既に自分が変態さんであるという自覚が、もしや無いのですか?」


 冷ややかなサクヤの問いかけに、ゴンベエは静かに頷いた。彼の中での変態は、バビンスキーの様な人物だ。


「俺はいささかまともだ」


 真顔で答えたゴンベエに対し、サクヤは鼻をひくつかせて、渋い顔をする。


「嘘の匂いがしない!?ま、まさか自らの変態を自覚していないというの!?」

「お前はどうにも俺を変態にしたいようだな!」

「だって変態でしょ!」


 語気を荒めたサクヤは、身振り手振りで、ゴンベエの変態性を熱弁し始めた。

 感情的になるにつれて、サクヤの動きから清楚な感じが無くなっていく。


 恐らくこちらがサクヤの本性に近い動きだろうな。

 

 首筋をポリポリ掻きながら、ゴンベエは、何故こんなに自分の事を変態呼ばわりするのか、確認する事にした。


「ちょっと確認したいのだが、俺を変態呼ばわりする決定打は何だったのだ?」

「私にパンツ一丁で告白してきたでしょ!私が止めなかったら絶対全裸になってたじゃない!」

「そうか!あれがダメだったのか!」


 成る程と、ゴンベエが深く唸った。

 どうやらいきなり最初から裸の付き合いをしようとしたのが、サクヤ的にまずかったらしい。


「次からは段階を見て裸の付き合いをすればいいわけ……か」


 ゴンベエは、また新たに知った人間の常識を、しっかりと心に刻み込んだ。


「……あんたの常識どうなってんの?」


 ジトッとした目のサクヤが、じっとゴンベエを見ている。

 ゴンベエは、サクヤの目をまじまじと見返すと、思わず吹き出した。


「なに!?なにがおかしいのよ?」

「いや、やっぱりお前は猫被ってるなと思っただけだ」

「なな……何を証拠に!」


 サクヤがやたらと狼狽え始めた。

 視線を泳がせながら、しきりに長い髪を手ですき始める。


「先程まで俺の事をゴンベエさんと呼んでいたのが、いつの間にやら『あんた』呼ばわりに変わっているのが何よりの証拠だ」

「………………確かに」


 返答に妙な間が空いたのが気になったが、一体今どういう感情なのかは、俯いたままのサクヤの表情から読み解く事は出来なかった。


 どうしたものかと、ゴンベエが静かにサクヤの様子を伺っていると、ふうっと大きなため息をつくて、ゆっくりと顔を上げた。


「あんた以外の人にこんな物言いしないわよ。こんな言い合いをするのも、あんたが初めてで、年下相手にムキになってる自分にびっくりしてるわ」

「そうなのか?それは良かった」


 清楚ぶっているサクヤは、なんだか自分を殺しているような気がして、見ていて窮屈だ。それよりも今の軽口を叩いているサクヤの方が、生き生きとして気持ちいいものがある。自分相手だとそれが出せると言われたことが、ゴンベエは嬉しかった。


「あんたと話してると調子が狂うわね」

「いやいや、調子が狂うじゃなくて、素が出せて嬉しいですだろ?」


 刹那、ゴンベエの耳の横を風が通り抜けた。

 直後に耳にジンとした痛みが染み渡る。

 サクヤの放ったカカト落としが、ゴンベエの耳をかすめたのだ。


「調子に乗ると、次は当てるわよ」


 ゴンベエを見るサクヤの笑顔が、まるで般若の様だ。


 なにこの笑顔!笑顔なのに怖い!!


 蛇に睨まれたカエルの様に動けなくなったゴンベエの背中に、汗がじっとりと染みだしてきた。


「あの、シスター月夜見様?」


 突然サクヤの後ろから、中年のヒョロッとした人のよさそうなおじさんが話しかけて来た。何かサクヤに用があるようだ。


「あら、こんにちは、コーンさん」


 にこやかに振り返ったサクヤの声が、ゴンベエと話す時よりも、推定1オクターブ高くなっている。


「猫被りモードスタートだなぅ―――ぶべらっ!」


 表情は変えないままで放たれたサクヤの裏拳が、ゴンベエの顔面にクリーンヒットした。

 ツンとした痛みが鼻から脳天に突き抜けたゴンベエは、思わず顔を抑えてその場に屈みこんだ。


「あら、ゴンベエさん、危なかったわね。お顔に猛毒を持つモンスターが付いていたわ」

「……そんなモンスター居るわけが……」


 抗議すべく見上げると、にこやかな笑顔のサクヤが、手の甲からはゴンベエの鼻血を滴らせながら、ゆらりと立っているのが目に入った。

 サクヤの手の血に気が付いたコーンが、オロオロとしている。


「シスター月夜見様、手に血が……」

「あら、今倒したモンスターの返り血がついてしまったみたいね。私の傷ではありませんので、ご安心下さい」


 手に着いたゴンベエの血を、取り出したハンカチで丁寧に拭い取った。

 その様子をみていたコーンと呼ばれた村人おじさんは、ゴンベエに「危うく猛毒にやられるところを助けられて、君良かったね」と感動しきりに話しかけてきた。


 100%サクヤに盲信している感じが、逆に清々しいくらいだ。


 何故ここまでサクヤが崇高されているのか、理由が知りたい。他の人達とどういうやりとりをしているのか、興味が湧いてきた。


「それで、コーンさん今日はどうされたのですか?」

「私の父と母が、シスターがお見えになるのを今か今かと待ちくたびれておりまして、こうして探しに来た次第です」

「それは誠に申し訳ありませんでした。今すぐお伺い致しますね。それでは参りましょう」


 サクヤがコーンと共に歩き始めた。ゴンベエを無視して、そそくさと行こうとする様を見ると、完全に彼をこの場に置いていく気満々なのが背中から伝わってくる。

 そうは都合よくいってたまるかと、ゴンベエは、コーンに話しかけた。


「コーンさん、実は俺はアンジェリばあさんに、今日一日シスターの手伝いをするよう言われておりまして、ご一緒させて頂いてもよろしいですか?」

「ああ、そうでしたか!それではええっと」

「ゴンベエです」

「ゴンベエさんも是非ご一緒にお越しください」


 コーンはにっこりとほほ笑むと、再び歩き始めた。

 顔だけ振り返ったサクヤが「ちょっとどういうことよ」と口パクで抗議してくる。

 ゴンベエは「さあね」とだけ答えて、二人の後をゆっくりと追い掛けていく。


 サクヤがなぜ皆から敬愛されているのか。その答えがこの先にあるような気がして、ゴンベエはワクワクしながら、二人の影を踏みしめるのであった。

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