第14話

「私……覚えています。レオン様が我が王国に来られた日の事を」


 話はレオンが十五になり、クラウン王国へ留学に行った辺りでマリーゼは呟く。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 隣国ドラコニア帝国から留学しに来た皇子様は、細身ながらも鍛え上げられた体躯、握手した時のごつごつした手の感触、そして十五とは思えぬほどの落ち着いた対応と物腰で、初めて会った時は圧倒された。


 これが、未来の皇帝となる御方――!


 もちろん、一番美しいのは自分の婚約者だと自負しているし、他の令嬢も(ちらちら目移りはしていたが)それは同意見だった。ただし使用人たちの間では、レオンハルト皇子は気さくで誰にでも分け隔てなく接すると、すこぶる評判が良かったようだ。



 そんなある日、ブリット王妃のお茶会に呼ばれて登城したマリーゼは、一枚の肖像画を見上げるレオンの姿を見かけた。描かれているのは二百年前にクラウン王家に嫁いだ、マリーゼの先祖にもあたるマサラ=ルティシア=クラウンだ。彼女の出身はドラコニア帝国だから、同郷として気になるのだろうか……

 その背中は何者も寄せ付けない雰囲気を醸し出していて、声をかけるのは憚られた。


「レオン、こんな所にいたのか。言っていた本が見つかって……何だ、マサラ王妃が気になるのか?」


 そこへルピウスが反対側からやってきたので、慌てて柱の影に隠れる。疚しい事など何もないが、何となくここで見つかるのは後ろめたい気がしたのだ。


「この国へは彼女の足跡を辿りに来たんだ。本当にそっくりなんだな……びっくりしたよ」

「ああ、マリーゼの事か? 私と同じくマサラ王妃の血を引いているからな。…おいまさか、彼女に一目惚れしたなんて言うなよ」

「バカ言え、友人の婚約者だぞ。俺には心に決めた女性ひとが既にいるしな」


 マリーゼは自分の話題が出た事にドキリとしながら、その様子を覗き見た。レオンの視線は、肖像画に貼り付いたままだ。そしてルピウスに促されてどこかへ向かう時、一瞬横顔が見えた。その眼差しは切ない感情で彩られ、唇が動いていたが、マリーゼには何と言ったのか分からなかった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「その時探していた本と言うのは、マサラが同行していた勇者パーティーが魔界に行っていた時の記録じゃろう。レオンはそこで、勇者たちが最終的にレベル300前後にまで到達していた事を知ったのじゃ」


 とんでもない数字が出てきたので、マリーゼはぎょっとする。当時、クラウン王国では魔法は禁術とされ、現在でも若き日のマサラ王妃の活躍についてはほとんど語られていなかった。考えてみれば、魔術師として魔王に立ち向かったのだから並大抵のレベルではなかったはずだ。


「さ、300……途方もなさ過ぎて想像が付かないですね」

「地上では総合レベル99で頭打ちじゃからの……そして帰国したレオンは魔界へ行き、古書喫茶を運営するための課題をすべてクリアしたのじゃ」

「え……そこはすっ飛ばし過ぎなのでは」


 肝心な所を一言で済まされ、ずっこけそうになる。資金面や衛生面、それに従業員の問題はどうなったのだろう。


「じゃから、すべて魔界で調達したのじゃよ。皇族は個人資産を持てぬが、これはドラコニア帝国内での話であって、魔界では法律の外じゃ。従業員は魔界の住人で給料もそっちの通貨から支払われておるし、保護魔法のおかげで厨房も古書も汚れる心配がなくなった」


 そうして魔界で国宝もののアイテムや書物等を入手した一方、その何倍ものくだらないガラクタも持ち帰ったと言う。


「今、儂等が穿いとる靴とストッキングとかな……まったく、あやつの脚に対する執念は異次元レベルじゃ」

「……それはレードラ様が裸足だったからでは? 服に拘っていたのだって」


 マナーや常識の問題であって、決してレオンの性癖ではない……と思いたい。言われてみれば、虎縞模様のストッキングは肌が半分透けるほど薄いし、靴もサンダルではないが、レードラの足で穴が開いた様子はない。ドラゴンの爪でも破れない極薄靴下……アホだが何気にすごい。


「ですが、そんな簡単に魔界に行けるものなのですか? よく止めませんでしたね」


 恐らく、さっき話に出てきた温泉の魔法陣を使ったはず。レードラは結局帰らなかったと言うから、案内したのはシルヴィアか。心配はなかったのだろうか。(主にレオンの貞操的な意味で)


「無論、止めた。大臣たちも声を揃えてな。

……じゃがあの頑固者は、押さえ付ければ押さえ付けるほどこちらを出し抜いてくるのは、今までのパターンから分かり切っていたからのう。それならいっそ、尽くせる手はすべて出させようと、全面的にバックアップする方針に切り替えたんじゃ。

確実に帰還できるよう、簡易魔法陣を持たせる際に、どさくさに紛れて魔法大臣から使用許可をもぎ取ってやったりな。おかげで使いたい放題よ、ふはははは…」


 数々の脱法行為に頭が痛くなってきたが、魔界を『異世界』と考えるのであれば、レオンたち転生者が歴史の転換期に何度となく行ってきた事でもある。

 こうして民間の喫茶店としての体裁は整ったが、国営の古書保管施設にするために、もう一段階後押しが必要だった。

 国民の声、である。


「これはマチコの提案で、『メディア』を味方に付けろと言う事になった」

「めでぃあ? 初めて聞きます。どう言う意味なのですか」

「世の中の情報を伝える機関じゃな。新聞から御触書まで、国営民営問わず。ちと乱暴じゃが、吟遊詩人や講釈師もここに括るぞ。普段はお上にしょっ引かれん程度に政治批判をしとる連中じゃが、奴等の拡散力はバカにはできん。

マチコの国では特に広報に力を入れておるからのう。それで古書喫茶のコンセプトも新聞や吟遊詩人に伝えてもらう事を思い付いたようじゃ。

…ゴシップ誌なんぞは面白おかしく書き立てたが、定期的に所蔵目録を載せたチラシを発行して新聞に挟んでもらったところ、ひっそり隠れ住んどった偏屈な学者連中が国内外から訪れるようになったのじゃ」


 彼等の言う『メディア』の持つ力に、マリーゼは驚いた。レオンは『空気』を作り出すと言っていたが、それができるのがこのメディアなのだろう。だが、情報は時として暴力にもなる。もしも偏った情報を真実として広められていたら……

 婚約破棄の事を思い出し、思わず身震いして自分を抱きしめる。


「どうした?」

「いえ……面白おかしく、と言う事は、すべてのメディアが賛同してくれたのではないのですね?」

「そうじゃ。バカ皇子を振り回す愛の試練だの、魔物を使役して国家転覆を目論んでいるだの……じゃからレオンたちと皇帝に宰相、果ては弁護士や宮廷記者までもが集められて何度も話し合った結果、国が管理し、レオンがオーナー、儂が店長となって各分野の有識者に利用してもらう。そう言う形に収まったな」


 国営となった事で、店名も有志の集い『梁山泊』ではなく、国家のシンボルであるドラゴンから取って『龍山泊』と改められた。


「け……結構色んな人たちを巻き込んでいるのですね」

「まったく、ここまで大事にするとは、ある意味伝説じゃわい。

…もっとも、魔界にいた頃の暴れっぷりに比べれば可愛いもんだそうじゃがの」


 レードラは直接見ていないので伝聞でしか知らない。レオンに聞けば教えてくれるだろうが、五割増しで盛ってくるだろうとの事だった。



「これが、『龍山泊』誕生の経緯。儂等の城の話じゃ」

「はい」

「そして当店のオーナーの話でもある……あまりにもアホ過ぎて幻滅したか?」

「……いいえ」


 マリーゼはゆっくりと首を横に振る。


龍山泊ここは私を救ってくれました。どうして生まれたのかを知れて、もっと好きになれました。

貴女たちの事、とても……愛しく思います」


 もっと知りたい。

 レオンの事、レードラの事、まだ出会っていない梁山泊の人たち……

 そしてできるなら、これからもここで働きたい。

 店長代理としてどこまでやれるか分からないけれど。


「ふむぅ」


 レードラはそんな彼女を見遣りながら顎に手を当てていたが、急にその口元がニヤリと邪悪に吊り上がる。


「どうかされましたか、レードラ様?」

「のう、マリーゼよ。もうすぐレオンがここに戻ってくる。我等が愛すべきオーナーと、もっと親交を深めたいと思わんか」

「それは、まあ……何をなさるおつもりですか」


 何だか嫌な予感がして立ち上がりかけたマリーゼを、レードラは押し留めた。


「ドッキリじゃ」

「『どっきり』??」

「あのアホを嵌めるぞ!」


 そう言ったレードラの瞳は、楽しげに爛々と輝いていた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ただいまー……って、あれ」


 魔法陣から龍山泊に通ってきたレオンが見たものは、光景だった。休憩中らしく、厨房のテーブルにはお茶とマチコからの差し入れの和菓子。席に座るレードラはだらしなく足を伸ばして菓子を頬張り、反対にマリーゼは美しい姿勢でお茶を飲んでいる。

 相変わらず双子のようにそっくりな二人だが、小物には他者に分からない程度の違いを持たせてある。名札以外だと、二人の尻尾(マリーゼのは偽物)の先に結ばれたリボンの色だ。どちらもレオンが贈った物で、レードラが白、マリーゼがピンクとなっている。


「おう、お帰りー」

「お帰りなさいませ、レオン様」

「……」


 ぷらぷら手を振るレードラに、ぺこりと会釈するマリーゼ。レオンは普段通りにレードラの元へ行くと、身を屈めて顔を近付けた。いつもならここで、眼帯へのキスが来るのだが。


「……」

「……」


 レオンは至近距離でじっと見つめるだけで、何もしない。彼の方を見ようともしないレードラもその視線には落ち着かないのか、微動だにできなかった。やがてその頬が、じわじわ赤く染まっていく。

 ふいっと、レオンがレードラから離れた。そのままテーブルを迂回し、マリーゼの方へずんずん歩いてくる。


「まあ、どうなさったのレオンさ……んぶっ!」


 マリーゼが言いかけた台詞は、カチャンとカップが倒れる音に掻き消された。


 彼女の顎を掴み上げ、レオンは乱暴にその唇を吸う。


「ひゃっ! そん……きゃあっ!」


 レードラが真っ赤になり、顔を覆った指の隙間から覗き見ながらいちいち悲鳴を上げるが、二人は反応しない。


 バチ――ン!!


 解放された途端、マリーゼが強烈なビンタをお見舞いした。少しよろけただけでびくともしないのは、話に聞いていた魔界でのレベルアップのおかげだろう。

 レオンは腫れた頬に手をやる事もなく、無言でマリーゼを見つめる。


「ちっ、バレておったか」


 忌々しげに口を拭うマリーゼ……のふりをしたレードラ。


「……はふっ」


 一方、何もされていないマリーゼは茹でダコのようになり、キュウッとテーブルに突っ伏した。


「レードラ……俺は怒ってるんだからな」

「何じゃ、ケチ臭い事抜かすな。たかがの十個や二十個で」

じゃねーし、二十個は食い過ぎ……いや、そっちじゃなくて!」

「しつこい男じゃのう、マリーゼが気にしておるぞ」

「へぁっ!?」


 自分の名前が出された事で、マリーゼがガバッと身を起こした。二人に注目され、あわあわと狼狽える。


「え、ええ~っと……その、ごめんなさい!!」


 パニックを起こした頭では何も考えられず、とりあえず謝罪するしかない。レオンが近付いてくる気配に身を固くしていると、優しく頭をポンポン叩かれる。


「ごめんな、悪質な悪戯に付き合わせて」

「い、いえそんな……こちらこそ、レオン様にはずっと謝りたかったんです。レードラ様の瞳の魔力を奪ってしまった事」

「……それはレードラの判断であって、マリーゼが気にする事じゃない」

「いいえ! 私、何も知りませんでした。レオン様にとってレードラ様がどれだけ大切な存在なのか。その御方の一部を賜るのが、どれだけ異例であるのか…」


 レードラから聞いた昔語りにより、レオンが当初不機嫌そうだった理由は、単に自国の守護神が、他国から追放された者を身を削ってでも助けたからではない事を知ってしまった。

 自分は恨まれて当然だ……と落ち込んでいると、レオンは気まずそうに頬をポリポリ掻いた。


「あー…まあ、大人げない態度だったのは悪かったよ。けどやっぱり好きなの事だからさ……つい拗ねちまって。マリーゼが気にするなら、もう言わないから……

そうだ、大体悪いのってタリアってクソ女とそれに騙されたルピウスの野郎だろ!? だからマリーゼが背負い込む事なんて何もない! はい、この話終わり。分かった?」


 パチンと目の前で手を叩かれて、目を丸くするマリーゼ。それを安心させるようにレオンが笑ってみせると、ようやく体の力を抜いて微笑みを返した。


 その光景に満足げに頷いたレードラは受付に戻るために厨房から出て行き、レオンも後に続く。


「それはそれとして、魔力の結晶なんだから復元できるんじゃねーの? 何なら義眼や幻惑魔法で誤魔化すとかさ」

「マリーゼの目と繋がっておるから、今戻せば視界がダブッて酔ってしまうわい。……何じゃ、目が一つしかない儂は嫌いか?」

「好きに決まってるだろ! 俺はどんなお前でも愛せるよ!」

「そうかそうか、儂も好きじゃよ。を一つ残らず差し出してくれるお主がな」

「だからじゃなくて『ゆべし』だよ。それじゃ断末魔……って本当に全部食ったのか、なあ?」



 軽口を叩き合いながらレオンたちが行ってしまった後、一人残されたマリーゼは天井を仰ぎ見、そっと瞳を閉じる。国外追放されて死ぬはずだった自分。偶然拾われ匿われたこの空間はとても心地よく、忙しない日々はマリーゼの傷付いた心を癒してくれた。


 どたばた騒がしくて驚かされてばかりだけれど、温かくて優しい人たち。


 ここは、龍山泊はレオンの愛に包まれている。完成に至るまでには多くの経緯、多くの人たちの助けがあったのだろう。だが発端は、レオンのレードラへの愛なくしてあり得なかった。

 彼の愛が、生んだのだ。


 先程レードラから聞いたばかりの龍山泊誕生秘話に想いを巡らせる。とても、羨ましかった。その時に自分も、その場に居たかった。仲間と、呼ばれたかった。


「ずっとここに居たい……

私も、おそばに居させてくれますか? レオン様…」


 そう呟くマリーゼの瞳はレードラと同じ、だがどこか違う色を湛えていた。


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