第28話

「え……なに、今の夢?」


 深い霧に包まれる谷底で目を覚ましたマリーゼは、ドラゴン形態のレードラの塞がれた瞼に凭れ掛かっていた体勢から飛び起きた。

 大雨に打たれながら泣きじゃくった後、レードラの高速飛行に付き合ってへとへとになり、こうして渓谷の底で転寝をしていたわけだが。


 夢の中で、マリーゼは黒目黒髪の女性だった。…いや違う。内容からするとレードラの兄弟弟子、即ちマサラ王妃の若い頃なのだろう。


(どうしてマサラ王妃の夢を……私が知っているのは肖像画が数点と、お墓と何冊かの書物だけなのに)


 ただの夢とも思えないが、事実だとすれば衝撃的だった。


 マサラ=ルティシア=クラウン……当時のドラコニア帝国で辺境伯の娘だったとされているが、実際は異世界からの来訪者だと言うのか。

 それに、彼女の回想に出てきた小太りの男――『カカリチョウ』と言ったか。見た目や年齢は全然違っていたが、性格やふとした仕種には見覚えがあった。

 何より彼が口遊んでいた、あの歌は……


(レオン様がよく歌われていた……と言う事は、あの御方がレオン様の前世!?)


 そう考えると辻褄が合う。彼は常々、自分を異世界転生した『おっさん』だと言っていた。ドラゴンが大好きでレードラに一目惚れし、今に至るまでずっと求婚し続けている。そのレードラの人間形態の姿が、若き日のマサラなのだ。


 マリーゼの脳裏に、クラウン王国でマサラの肖像画を見つめていたレオンの後ろ姿が思い浮かぶ。


(そうか……レオン様は、カカリチョウ様はマサラ王妃を愛していたのだわ。だから同じ姿のレードラ様を……)


 マリーゼは己の推測に鼓動が早まっていくのが分かった。

 何故、マサラの過去を夢に見たのか? 彼女の子孫だから、その血の魔力によって呼び起こされたのか。


(それとも……私が、私自身が彼女の)



 その時、眠っていたレードラの片目がパチリと開き、大欠伸をした。そして耳からポンと服の塊(ドラゴン形態時はここに収納)を取り出すと、体から発する光に吸い込まれていく。

 徐々に視界が戻ってくると、そこにはいつもの店長としてのレードラがいた。


「よく眠れたか? だいぶ疲れておったようじゃからのう」

「レードラ様……一つ、お聞きしたい事が」

「ん? 何じゃ」


 激しい動悸を押さえ、マリーゼは禁忌に触れるかのように言葉を紡ぐ。


「私は……私の前世は、マサラ王妃なのですか!?」

「知らん」


 決死の思いで口にした疑問は、間髪入れず斬り捨てられ、思わず肩透かしを食らってしまった。


「儂に相手の前世を見る能力などない。今まで前世だ何だと言ってきたヤツはすべて自己申告じゃが、本気でそう思い込んでおったら心を読んでも区別がつけられん」

「で、ですがそう言うのは魔力などを見れば分かるのでは? 魔力は魂の力。ならば同じ質を持っていれば……そう例えば、パンテロス一世の遺志を持つ子供の時は――」

「魔力の質など、遺伝や環境でかなり変わるぞ。実際、お主の魔力も今は瞳のおかげで儂寄りになっとるしな。

パンテロスの場合、ヤツが生まれ変わりである必要はそれほどない。ゴーストなり魔法や呪いなりで、説明がついてしまうのじゃよ。まあ本当に転生していると考えた方が、浪漫があるんじゃろうが」


 浪漫。マリーゼの夢も、マサラの血が見せた過去の幻なのか。しかしそう考えるなら、マサラの血を引く者…ルピウス等も見ていないとおかしい。それに何故、このタイミングなのだろう。


「つい先程、ここで夢を見ていました。夢の中で私は、マサラ王妃……いえ、光守真更こうもりまさらでした。修行中の出来事で、レードラ様もおられましたよ」


 唐突に前世などと言い出した事をレードラが訝しむので、マリーゼは夢の話を聞いてもらいたくなった。一通り話すと、レードラは合点がいったと頷く。


「それは儂が見た夢がお主に伝わったんじゃな」

「え…?」

「いつだったか、お主の瞳を通じて儂が夢を覗いてしまった事があったな。あれの逆転現象が起こったんじゃよ。普通ならお主の方からそんな事はできんが……

今は感情のコントロールができておらんからのう。勝手に雨が降り出したのもそのせいじゃ」


 マリーゼは驚愕した。あれは魔力の暴走により、レードラの夢を覗き見ていたに過ぎなかったのか? 確かに、レードラの瞼に寄り添って寝ていたし、直接触れ合う事で互いにシンクロしていたのだと言われれば納得せざるを得ない。

 しかし、マリーゼはなおも食い下がって主張する。


「でも……私はあの夢でレードラ様、貴女の知り得るはずのない光景を見ているのです――そこは彼女の故郷で、異世界でした。魔法が存在しない代わりに異様に発達した文明の利器に溢れていましたが、あれを話の内容と想像だけで補うのは不可能です。


彼女は『カカリチョウ』なる御方に想いを寄せられておりました。私の推測……と言うより半ば確信している事なのですが、恐らくカカリチョウ様はレオン様の前世で、二人は旧知の仲だったと…」


 この世界における二人の時間軸には、二百年のタイムラグがある。しかしサイケによれば、同世代が転生してもそう言う事は起こり得るらしい。異世界で先に死んだカカリチョウが、マサラの死後百年以上経って転生する、と言う事も。

 マリーゼは興奮で胸の高鳴りを抑えられなかった。絶対に割り込めるはずがないと思っていた二人の絆。そこに自分も関われるのだ。しかもお互いにとって、とても重要な者として。その事に運命を感じずにはいられない。



「だったらどうした」


 だがレードラの無情な反応は、マリーゼに冷や水を浴びせた。


「マサラのいた世界を見た? 同じ事なら儂だってできる。特に当時は言葉が通じんかったのじゃから、直接頭を覗いたに決まっとるじゃろ。

そのカカリチョウとやらがレオンなのかは知らんが……どうでもいいわい。今のレオンはレオンであって、他の誰でもない。お主がマリーゼ以外の何者にもなれぬようにな。じゃからお主の推測は、無意味なんじゃよ」


 レードラの言葉にはどこか苛立ちが感じられて、ズキッと胸が痛む。マリーゼはただ、レードラに喜んでもらえるものだとばかり思っていた。懐かしい妹弟子の生まれ変わりとして、親近感を持ってくれると。だがそれは逆に、侮辱と捉えられてしまったのだろうか。

 俯くマリーゼに、レードラはフンと鼻息を荒くした。


「大体じゃな。お主の前世がマサラだったとして、お主はどうしたいのじゃ? レオンに貴方の愛するマサラですよとでも言うのか? まあヤツなら受け入れて、懐かしがってくれるじゃろうな。お主の事をマサラと呼んで、マサラとしてお主を愛して……それで満足なのか? マリーゼよ」


 言われて初めて、マリーゼは自分がレオンに愛される要素を求めていた事に気付いた。レオンは絶対に、レードラ以外を愛さない。自分が入り込める、隙がない。そう思っていたところに、前世と言うレードラには立ち入れない世界が見えたのだ。

 もしかしたらレオンに愛されるかもしれない可能性が――


(でも、だけどそれじゃ……)



「……いや」


 マリーゼはかぶりを振った。自分は何と浅ましい事を考えていたのか。


「私の呼んで欲しい名は、『マサラ』じゃない。『レードラ』でもない。私のレオン様への想いは、心は、私だけのものです。だけどレオン様に愛されて、その名を呼ばれて……

選抜会で散々言われた、『ずるい』と言う言葉が、今はよく分かります。貴女が羨ましかった。私も愛されていると思い込みたくて、貴女の大切な妹弟子を利用しました……ごめんなさい」


 マリーゼの目から涙が零れる。レードラに喜んでもらいたいなんて嘘だ。レオンに、特別に見られたかった。見抜かれていた事がただ恥ずかしい。「ごめんなさい」と繰り返す彼女の頭を、レードラは軽くポンポン叩いてやる。レオンのように。


「のう、マリーゼよ。儂から見れば、人の一生は短い。そして死ねば二度と生き返らん。魂が記憶を持ち越したとして、まったく新しい人生、新しい環境に置かれた者を、同一人物と見なしても良いのじゃろうか?

確かにレオンは前世で、マサラを愛していたのかもしれん。儂の事も、最初はあやつと同じ姿をしていたのがきっかけなんじゃろう。その事で色々悩んだりもしていたようじゃ。普段はおちゃらけていたがの。


じゃが四年前、クラウン王国へ留学に行ったレオンは、マサラのその後の人生に触れ、カカリチョウもマサラも死んだのだと受け入れた。前世、そしてマサラへの想い…レオンは、それらの記憶を持った別の人間なのじゃと。

『置いてきた』とヤツは言っておったのう」


(あの時のレオン様は、そうだったんだ――)


 肖像画を見てレオンが呟いていたのは、別れの言葉だった。


 マリーゼは胸に手をやり、己自身に問いかける。レオンに愛されたい。けれどもそれは、レオンが愛した誰かとして? ……違う。


「私は……私として、レオン様が好きです。レオン様が例え他の誰を好きでも……いいえ、レードラ様を愛しているレオン様だから、好きになったんです」


 不毛な事なのかもしれない。だけどレオンには、分かって欲しかった。ドラコニア城では何やら、マリーゼをレオンの婚約者にと推す動きがあり、レオンがそんな彼女に抱いているのは『同情』だった。

 愛されないのに、レードラの代わりにされるのはかわいそうだと。


(そうじゃないんですよ、レオン様……女の子は案外、強かなんです)



 目を閉じて薄く微笑む彼女を、レードラは面白そうに見遣った。


「吹っ切れたようじゃの。良い顔をしておる」

「はい…」

「では、告白しに行こうか」

「は……え、えぇっ!?」


 レードラの提案に、一瞬乗りかかって我に返り、ぎょっとする。自覚したばかりの恋心をいきなり、レオンに告げろと!?

 マリーゼの頭がヤカンのように沸騰する。


「ちょ、ちょっと待って下さい! そんな、急に言われても……。レオン様だって、きっとお困りになります!」

「困らせてやれ。こっちが普段どんな思いをさせられているのか、たまにはその身を持って思い知るが良い。ふはははは」

「それ、完全にレードラ様の都合ですよね!?」


 レオンに告白する……考えただけで緊張で足が竦んでしまう。断られる事は確実だが、何より諦めろと言われてしまうのが怖い。彼の事だから悪意の欠片もなく、マリーゼのためを思って告げるのだろう。

 だがそんな不安を、レードラは豪快に笑い飛ばす。


「九年じゃ」

「え?」

「あやつがトチ狂って儂を愛してるだの何だのほざき出してからな。向こうがそれだけ好き勝手やっとるのに、お主が諦めなくてはならん道理はない。

『悪役令嬢』なのじゃろう? 皇子を振り回してナンボじゃ。しっかりやれい!」


 バシッと背中を叩かれて、ゲホゲホ咳き込んでしまった。手痛いエールだったが、レードラの気遣いが嬉しくて胸が熱くなる。



「しかし愛されぬのは残酷だと言うが、儂から言わせれば、女たちから傷付くチャンスを奪うのも、なかなかに酷なものよ」

「傷付く、チャンス……?」


 レオンの優しさを敢えて否定するレードラがそう呟いた事で、思ってもみなかったその言葉を反芻する。恐ろしい目に遭ったマリーゼにはとても到達できそうにない境地だが、傷付く事で得られるものなどあるのだろうか。


「そうじゃ。大人になるのに、人を愛するのに傷は付きもの。あやつのは、危ないからと子供にナイフやストーブを近付けさせない大人の対応じゃ。まあルピウスは論外として、レオンも女を対等には見ておらん。

儂があやつに初めて会った時、何と言われたか覚えておるか? 

『幸せにしてあげる』じゃ。この、帝国の守護神様にじゃぞ? 

まったく腹立たしい……女を舐めるのも大概にせいよ」


 思い出してぷりぷり怒っているレードラに、マリーゼは噴き出す。

 そんなレオンを憎からず想っていて。だけど帝国のために、お互いの立場のために手を離そうとするレードラ。そうはさせじとしがみ付くレオンは、傍から見ればみっともないのかもしれないが。

 マリーゼにとっては、それでいい。

 そんな彼だから、いいのだ。



「そう言えばレードラ様……初めて会った際に私を助けて下さったのは、私の前世がマサラだったからではないのですよね」


 気に入ったからだと、言っていたが。本来神は、特定の個人に肩入れはしないのだ。授けられるのは常に、祝福と試練のみ。


「言ったはずじゃ。儂は古書喫茶『龍山泊』の店長じゃからの。


その時たまたま、店長代理が欲しかったんじゃよ」


 マリーゼの問いかけに、レードラは飄々と答えた。


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