第29話

 レードラに抱きかかえられ、天使の靴の跳躍力でぽーんと崖を駆け上って龍山泊に連れ帰られたマリーゼ。もう機会はないと思うが、また選抜会の時のような事をさせられた時には参考にできるだろうか……本性がドラゴンであるレードラだからこそ可能だとも思うが。


 テラスから店内へ入る際、これからレオンに告げなければならない事を思い、マリーゼはカチカチ歯を鳴らす。


「緊張し過ぎじゃ。レオンは好意を向けてくれる相手を邪険にはせん」

「はい…」


 中を見渡して誰もいない事を確認し、レードラはカウンターへ向かった。


「おかしいのう、他の客どころか従業員すらおらんとは」

「レードラ様、入り口に【臨時休業】の札がかかっています!」


 マリーゼが様子を見に行くと、ちょうど魔法陣の小部屋からレオンが出て来たところだった。鉢合わせした途端、マリーゼはボッと顔を真っ赤にして硬直してしまう。


「マリーゼ! よかった、心配したんだぞ」

「あ、あの……その」

「あのままじゃ仕事にならなかったからな。店は臨時休業にして、従業員にも帰ってもらった。あ、ルピウスは気絶させてクラウン王国に返してきたから安心していいぞ。しばらくこっち来んなって通達も出しといたから」

「あ、う……」


 俯いてしまったマリーゼを訝しげに覗き込もうとしたレオンは、レードラにぐいっと引き戻された。


「近いわ! セクハラじゃと言うとるじゃろ」

「レードラ! マリーゼと何やってたんだ?」


 レオンの問いには答えず、レードラはマリーゼの肩を掴んでレオンと向き合わせる。


「マリーゼはお主に言いたい事があるそうじゃ」

「ひゃいっ!?」

「ああ…その事だけど、さっき泣いたのって俺のせいか? だとしたらごめん……思い当たる節がなくて」


 申し訳なさそうに眉を下げるレオンに、状況も忘れてきゅんときてしまった。自覚をしてからレオンへのときめきが止まらなくて、何をしていても愛おしいと感じてしまう。


「ち、違うんです本当に……レオン様のせいではなくて」

「それならやっぱり、ルピウスと何かあったのか」

「ルピウス殿下が何か? クラウン王国に関してはブリット王妃にすべてお任せしておりますから、私がすべき事は何もないはずですが」

「……」


 既にどうでもいいと言った態度のマリーゼに、レオンたちは呆気に取られる。この件に関しては完全に、吹っ切ったと見ていいだろう。


「じゃあ、何だよ?」


 見つめられて、心臓がドキドキうるさい。何度か口を開きかけては閉じるを繰り返していたが、辛抱強く待ってくれているのを感じ、マリーゼは決意して顔を上げた。レオンに、自身の気持ちを伝えるために。


(ああ、熱い……全身が熱湯の中にいるみたい。そう言えば視界も……レオン様が二人に見えるわ。景色がぐるぐる回ってる。苦しくて苦しくて…これじゃ告白どころか、息すら――)


「お、おいマリーゼ!?」

「はりゃあ…」


 慌てるレオンとレードラを余所に、マリーゼはその場にドサリと倒れた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 タラッタタータタターダドン♪


 軽快なファンファーレと共に、体温計が抜き出される。この世界では、体温計を始めとする医療機器のいくつかは魔道具マジックアイテムである。だから体温は数値ではなく、小さな光の集まりによって表されるのだが。

 レオンは熱を測り終わった時に知らせる音を、ふざけて仮装大賞の効果音にした事を猛烈に後悔していた。


「うーん、やっぱりちょっと高いな。まあ大雨の中を飛び出して行って、レードラの空中散歩に付き合ったなら、そりゃな」

「ごめんなさい……すぐにレードラ様に魔法で乾かしてもらったのですが」

「その後、谷底で爆睡してたんだろうが。風邪の原因はそっちだよ。本当、体は大事にしろよ。嫁入り前なんだから」


 借りた一室のベッドに寝かせたマリーゼの頭を、レオンがくしゃりと撫でてやる。彼は気付いているのだろうか。それだけで彼女が、たまらない気持ちになるのを。


「しかし、どうなってんだよ。神聖魔法でも魔法薬ポーションでも熱が下がらないなんて。魔力量は問題ないよな?」

「…ッ」


 ひんやりした手で首筋に触れられて、咄嗟に声を噛み殺したマリーゼの体温が上がった。効くわけがない。レオンの前世では「草津の湯でも治せない」と言われる難病なのだから。



 何かを言いかけてぶっ倒れたマリーゼを、レードラはレオンに看病させていた。彼にしてみれば、ルピウスと再会してから様子がおかしくなり、レードラのふりをさせれば名前を呼ぶなと怒ったり、急に泣き出して飛び出したりと、マリーゼの行動は不可解極まりない。

 絶対にルピウスが原因だと思っているが、先程の様子から下手すれば存在自体忘れていそうな勢いだった。

 ならば、自分が何か仕出かしてしまったのか。


 マリーゼは毛布から半分だけ顔を出し、物言いたげな潤んだ瞳でこちらを窺ってくる。が、目が合うと毛布をすっぽり被ってしまうので意味が分からない。


(もしや宰相が先回りして、余計な事吹き込んだか? いや、フローラたちもマリーゼがお義姉様でもいいとか何とか盛り上がってたし。待てよ、一番怪しいのはレードラじゃねえか! あいつから代わりに子供産んでくれって頼まれたら、大恩あるマリーゼは断れないぞ…

まったく、どいつもこいつも人の都合を無視して勝手な事押し付けやがって)


 レオンの目には、マリーゼが婚約者になれと言われて、受け入れるべきか悩んでいるように見える。自分はまったく縛る気はないのだと伝えるために、レオンはできるだけマリーゼの望みに応えてやろうと決めた。

 だから、軽い気持ちで聞いたのだ。


「何か、俺にできる事はないか?」


 マリーゼはぼうっとレオンの顔を見つめ、手を差し出してきた。


「手を、お貸し願えますか」

「手?」


 言われてレオンが反射的に握った手を、そのまま自分の頬に当てるマリーゼ。


「はあっ、気持ちいい…」


(ぐはあっ!!)


 うっとりと目を閉じたマリーゼから漏れる蕩けるような声が、レオンを直撃した。サキュバスも退けるダイヤモンドの自制心で何とか耐え切ったものの、悶絶したままベッドに突っ伏してしまう。


(あ、ああ危なかったー! 二人っきりの部屋のベッドで何つー無防備な……。中身おっさんだから我慢できたけど、体自体は健康な十九の男だぞ。


…ルピウスも本当バカだよな、こんな超可愛い子を捨てるなんて)


 再び押しかけてきて、マリーゼに会わせろと騒いだので(物理的に)黙らせてお帰り願った、かつての友人を鼻で笑ってやる。だが、自分にもレードラがいるのだ。彼女を諦めてマリーゼと結婚しろと迫られれば、レオンはこの手を振り払ってでもレードラを取る。

 レオンはレードラを愛しているのだから。


(でも……この子も泣かせたくないんだ。ルピウスや俺の我儘のせいで、これ以上傷付く事があっちゃいけない。

どうすれば君は、幸せになってくれるんだ…?)



 嬉しさを噛み締めているその表情をじっと見つめていると、薄く開かれた目と合う。その途端、ハッと大きく見開かれ、マリーゼがみるみる真っ赤になった。


(あ、また熱が…)

「いやああああぁぁぁ!!」


 手を振り払い、絶叫しながら飛び起きてベッドの端まで逃げるマリーゼ。その悲鳴は、殻を剥いた茹で卵のようになっていたレオンの心にぐっさり刺さった。


「あっ、ちが…違うんです!」

(は、ははは…嫌、か。まさか転生した先でもこんな効くとは……どんだけトラウマだったんだよ前世の俺)

「本当に、無意識で……レオン様の手が冷たかったから、つい…」

「うん分かってる分かってる、熱があるんだもんな。タオルも温くなってるし……氷もっと持ってきてやるから、待ってな」


 乾いた笑いで手を振って立ち上がるレオンに、マリーゼは焦りを覚える。慌てて伸ばしたその手は、寸でで空を切った。


「…あっ」


(行かないで!)



 レオンの手がドアノブに触れた。

 が、いくらガチャガチャ回してもうんともすんとも言わないドアに首を捻っている。


「どうされました?」

「開かないんだよ、ドアが……結界魔法だな、こりゃ」

「ええっ!?」


 と言う事は、レオンとマリーゼはこの部屋に二人きりで閉じ込められた事になる。

 マリーゼはドッドッ…と鼓動が高鳴っていく音を聞いた。


「レードラの仕業だな、また要らんお節介を……くっそ、防音魔法までかけやがって! おいレードラ、てめえどう言うつもりだコラァ! 開けろー」


 ガンガン!


 レオンが苛立ちのままドアを蹴り出したので、マリーゼは恐る恐る声をかけた。


「あの…レオン様」

「あ、心配しなくても大丈夫だ。結界が張られてるのはドアだけだから、いざとなれば横の壁ぶち破ってでも……」

「そうじゃないんです! その魔法を使ったのは、私……なんです、たぶん」

「はあ!?」


 ドアを蹴り付けるのを止め、ぽかんとするレオンの視線に、身を竦めながらも起こしてしまった現象について白状するマリーゼ。


「今の私、魔力のコントロールが効かないらしくて……こうしたいって思ったら勝手に発動してしまうみたいなんです」

「本当に、お前がやったのか? 俺でも破れない強力な結界だぞ、しかも重ね掛けなんて」

「はい…」

「正直、まだレードラを疑ってるんだけどな。この間、俺が今みたいに脱衣所のドアを叩いても気付かなかっただろ? 後で調べたらドアに防音魔法がかけられていたようなんだが、その時の魔力の残骸と同じだった」

「そ、それは気になりますけど、今回は私です……ごめんなさい」


 人間のレオンには、同じ質を持つレードラとマリーゼの魔力は区別が付かない。しかも今までのマリーゼは、魔力だけは膨大でも魔法はヘボになっていたのだから当然だった。



「…で、どうしてドアが開かなくなったんだ?」

「レオン様に、ここに居て欲しくて……聞いて欲しい事が、あるんです」


 緊張してテーブルに手を伸ばし、コップの水で喉を湿らせる。レオンはドアノブから手を離し、ベッド脇の椅子に腰掛けた。


「帰って来た時に言ってた事だな? 泣いてた理由もそれか?」

「関係は、ありますけど……


たった一言だけ言えたら、それで……魔法は解除できます」


 前世のレオンがついに言えなかった、世界を変える魔法の二文字。


「レオン様、また手をお借りしてもいいですか?」

「手なんかどうす……うわっ、マリーゼ!?」

「勇気を、貰いたいんです」


 レオンの手を包み込んだ両手を、胸に引き寄せる。


 ばくん、ばくん、ばくん…


 マリーゼの壊れそうな心音が、体温がレオンにも伝わった。


(神様……!)


 竜が笑った、気配がした。

 マリーゼはゆっくりと黄金の瞳を開き、レオンを見据える。



「レオン様、私……貴方が好き、です。

レードラ様を一途に愛してるレオン様を、ずっとそばで見ていたい。


だから……」


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