第30話

 数年後――


 本日はドラコニア帝国皇太子レオンハルト=フォン=ドラコニアと、隣国クラウン王国公爵令嬢マリーゼ=オンブルの御成婚祝賀式典。

 多くの国民たちが見物人として見守る中、パレードの馬車を引くのは胡瓜ククミスのような馬鎧を着けた馬たち。馬車はそのままドラコニア大神殿前で止まる。


 真っ白なウェディングドレスを身に纏い、頭には角のようなティアラとヴェールを乗せた花嫁の瞳は、片方が黄金色、その反対側には不透明なガラスの花型モノクルがかけられている。彼女は花婿にエスコートされ、神殿の門を潜った。


 レッドドラゴンの像が設置されている礼拝堂で待っていたのは新郎新婦の家族。中央にはヘレナ神官長、そして花嫁とまったく同じ格好をした帝国の守護神の人間形態――レードラだった。

 神官長は瓜二つの二人を向かい合わせ、レードラの前に花嫁を跪かせた。


「マリーゼ=オンブルよ。ドラコニア帝国皇太子妃となる今日この日より、その身と心を渓谷の女神に捧げよ。レッドドラゴンの魂を受け入れた『竜巫女』として生涯夫に寄り添い、レードラと共に帝国の守護者となるのです」

「承ります」

「守護神レッドドラゴンよ。マリーゼを魂の器として降臨し、皇太子レオンハルトの次代を宿らせ、末までの祝福をお与え下さい」

「承知した」


 神官長から渡された竜を模った杖を受け取り、マリーゼの頭上で二、三度振るレードラ。そして花嫁を立たせると、祝福の口付けをした。所謂神降ろし――ただし本人が直接行っている。

 次にレードラは自分にしか着けられていない首飾りを外し、二つに分けると片方をレオンに渡す。妙なデザインの首飾りをレオンがマリーゼに着けてやり、マリーゼも大神殿が用意した指輪をレオンの左手の薬指に嵌めた。


「是を以て神降ろしの儀を成立とする。ドラコニア大神殿は竜巫女マリーゼをレッドドラゴンの分身として認めます。

それでは神の御前にて、誓いの口付けを」


 レオンとマリーゼはキスを交わし、家族に温かい拍手を送られながら礼拝堂を後にした。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「レオン、マリーゼ。結婚おめでとう」


 大神殿の入り口には、ルピウスが立っていた。連れ添う女性はタリアではなく、どうやら妊娠しているようだった。


「マリーゼ…君が幸せになってくれて本当に良かった。隣国からずっと祈っているよ」

「ありがとうございます」


 花嫁はぺこりと頭を下げる。ルピウスはレオンにも視線を向ける。


「私が言えた事ではないが、マリーゼを頼む」

「そっちこそ、クラウン王国を潰すなよ。俺たちにとって、マサラの眠る大切な国なんだ」

「……君には本当に感謝している」


 タリアに騙され、マリーゼとの婚約を破棄した上で追放したルピウスには厳しい現実が待っていた。オンブル公爵を始めとする臣下たちの信頼を著しく損ねた罪は重く、廃太子とはならなかった代わりに王子教育の徹底的なやり直しと謝罪廻りが課せられたのだ。


 王太子で居続けるための条件は以下だ。


 マリーゼの冤罪を正式に認め、名誉を回復する。

 正妃にタリア以外の女性を娶り、跡継ぎを残す。

 タリアを側妃にする代わりに生涯幽閉とする。

 いくつかの事業を成功させ、王国の経済に貢献する。

 マリーゼの結婚式に国王代理で出席する。


 しかもルピウスがクラウン王国の国王でいられるのは、父王が亡くなり、跡継ぎが成人するまでの間だけだ。その後、譲位しても生涯王国の信頼回復に努めなくてはならない。終わりが見えないのがきついが、ルピウスは粛々とこれを受け入れた。

 そんな中、ドラコニア帝国は同郷の英雄マサラの子孫として彼に手を差し伸べた。マリーゼはルピウスを許し式典に招待。レオンは国内事業のいくつかをクラウン王国にて展開させた。この友情の一幕は諸国に美談として受け止められ、ルピウスの大きな助けとなった。

 彼とマリーゼを陥れたタリアは最後まで醜い姿のままで、今では起き上がる事もできず、徐々に衰弱しているので、持ってあと数年と言われている。マリーゼから奪った青い瞳もすぐ肉に埋もれて見えなくなってしまったらしい。


「ルピウス殿下の事、よろしく頼みます」

「任せといてよ。尻引っ叩いてでも公務は務め上げさせるわ!」


 お腹の目立ってきた王太子妃が悪戯っぽくウインクする。彼女は学園在学中、マリーゼのライバルだった令嬢だ。これからルピウスには過酷な贖罪人生が待っているが、強かで抜け目のない彼女ならばしっかり支えていってくれるだろう。

 他の者に聞かれぬよう、花嫁にこっそり耳打ちする彼女。


「ま、何たって顔がいいですから。けど、あんたの旦那様も素敵じゃない。あの女にはしてやられたけど、転んでもただじゃ起きないわね、あんた」


 そう言われて花嫁は頬を染めて苦笑した。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 元々は隣国王太子の婚約者だったマリーゼだが、王子を洗脳した悪女によってその魂を奪われ、体をドラコニア帝国に捨てられてしまった。

 しかしマリーゼを哀れに思った赤の渓谷の女神が彼女として、その魂と姿を共有。レードラの魂を分け与えられたマリーゼはレッドドラゴンの眷属『竜巫女』として生きる事となった。

 幼い頃から帝国の守護神と懇意にしていた第一皇子レオンハルトはそんなマリーゼを見初め、婚約者となる。


 そしてクラウン王国でマリーゼの名誉とルピウスの(ある程度の)信頼回復を待ち、祝賀式典を執り行う事になった。


 以後、代々皇太子妃となる者はレードラの魂を降ろした『竜巫女』となる。即ちそれは、ドラコニア帝国皇太子と守護神による婚姻の儀を意味するのだ。



 以上が、ドラコニア帝国宰相ユピータ=シュテルンからの発表である。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「レッドドラゴンの『分身』ね……なるほど、上手い事考えたもんだ」


 大神殿からドラコニア城を目指す馬車を自作の高性能望遠鏡で確認しながら、サイケは城下町の軽食屋の屋根から遠巻きに見守っていた。ここは龍山泊が出前を取っている店の内の一つであり、屋根裏を魔法陣置き場として借りている。


「元々、その答えに至る下地は既にできてたんだよ。例えばルクセリオン皇帝陛下の三人の妃だったり、クレイヤ皇女殿下の巫術だったりね。『龍山泊』誕生の経緯も参考になったんじゃないかな?」


 隣でレイニスがパラパラと本を捲っている。この場に居るのは全部で三人。キャトルとニルスは警備やパレードの演出で別行動だった。

 屋根裏の窓から顔を出すマチコは、レイニスの話に首を傾げている。


「だったらどうしてレオン君は…いいえ、他の誰もこの方法を思い付かなかったのかしら。聞いてみたら案外単純な答えだったじゃない」

「マチコ氏は、『コロンブスの卵』を知っているかな?」

「卵を立たせるには殻にヒビを入れればいいって、アレよね」


 レイニスは思い出し笑いに口元を歪める。


「殿下はね、卵を傷付けたくなかったんだよ。だから種も仕掛けもなく、バカ正直に立たせる方法だけを探していた。


ネックとなったのは二つだ。

『レードラと結婚したい』

『レードラ以外の妃は必要だが、二股はしたくない』


それに対し、マリーゼ嬢の出したウルトラCはこうだ。

『妃=レードラの図式を作る』


レッドドラゴンは元々ドラコニア帝国の国教と切り離せない存在だ。だから神話から宗教を整理し、解釈し直したんだよ。パンテロス一世が守護神を『女』にしたのは皇帝と神がパートナーだからであり、同時に皇后…神官長はその代行者である、ってね。

…いや本当、彼女は物凄い勉強家だよ。この世界の歴史に飽き足らず、私たちの前世…つまり日本の宗教観の事まで聞いてくるんだもん。これも一種の異世界における知識チートってやつかもね」


 改めて感心するレイニスだが、サイケは気になる点があった。確かにマリーゼの根性と着眼点は認める。世の中を引っ繰り返すのは極めて難しい。だが既存のやり方に沿いつつ、少しだけ視点をずらしてやる事で案外道は開けるものなのだ。

 それでも、この答えにどうしても納得するとは思えない者が一人いる。

 誰あろう、レオンである。


「でもそれって結局、屁理屈なんだろ? 神話や宗教なんて、国民は嘘と分かってて敢えて乗ってるわけだ。

じゃあレオン本人としては、どう折り合いをつけたんだ? 確かにレードラ様とはこれで結婚できるし、世継ぎの問題も解決する。だがマリーゼさん…マリーゼ様がそのために犠牲となる事を、あいつが良しとするとは思えないが」


 サイケの疑問に、マチコはフフッと笑ってみせる。


「女心が分かってないのね。マリーゼちゃんはレオン君が好きなのよ。レードラ様一筋と分かっていて、それでもいいって受け入れてくれたんじゃない」

「いや、それは俺も分かるけど、あいつはさ……」


 しかし現に、レオンはマリーゼと結婚した。つまり彼女の提案を飲んだのである。レイニスは議論をループさせる二人に噴き出した。


「そうやって、あの二人もお互いに幸せになって欲しくてぶつかってたよ。殿下とレッドドラゴンが結婚すると言う方向性は一緒なのにね。

まあ最後にはマリーゼ嬢の

『私の幸せは、貴方の夢が叶う事。だから私が貴方を幸せにしてあげる』

って言葉に殿下が絆された形で収まったよ」

「まあ、それってつまり、レオン君は逆プロポーズされたって事?

マリーゼちゃんは自ら卵の中に入って、中から殻を破り、その足で立ってみせたってわけね」


 コロンブスの卵の話をそう締めくくるマチコに、サイケは遠い目をした。愛があれば何でもできると豪語していたレオン。ところがそれを叶えたのは、今までまるっきり赤の他人として生きてきたマリーゼだった。


「あいつ結局、何も引っ繰り返してねーじゃん。我儘言って振り回してただけで、ただの他人任せのヘタレ野郎だろ」

「個人として見ればそうだろうね。

でも最初にあったのは、殿下の竜に対する一つの愛だった。それが私たちを集めて龍山泊ができて……巡り巡ってマリーゼ嬢の命を救い、彼女が殿下を愛した事で、事態が大きく動いた。

そう考えると、奇跡を起こしたのは紛れもなく『愛の力』だよ」


 レイニスは綺麗な言い方で纏めようとしているが、サイケは騙されない。だってそのために、どれだけ自分は巻き込まれて苦労させられてきたか。だが前世には『終わり良ければすべて良し』と言う言葉もある。伝説の裏側をベラベラ喋るような野暮な事はせず、ここは苦笑して頷くしかなかった。


「ま、愛の力でもアホの力でも何でもいいよ。あのお似合いカップルには早いとこ子供作って、俺等帝国民を安心させて欲しいね」



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ドラコニア城のバルコニーで、国民に向かって手を振る新郎新婦。浮かれたように手を振り返す大勢の民衆だったが、その顔色が一斉に青く変わった。


 二人が手摺りの上に立ったのだ。


 そして抱き合いながら、バルコニーから飛び降りる皇太子夫妻。眼下では悲鳴が上がるが……次の瞬間、それは驚愕に塗り替えられる。


 花嫁の体が光り輝き、巨大なレッドドラゴンの姿に変化したのだ。耳飾りのようにヴェールをはためかせ、左手の指に変わったデザインのを着けたドラゴンは、凄まじい風を巻き起こしながら上空へと舞い上がる。


 その角には、花婿がしがみ付いていた。


 窪んだ巨大な瞼に、愛しげに唇を落とすレオン。

 真っ青な空の中を泳ぐ人魚さながら、ドラゴンは嬉しそうに咆哮を上げた。


 やけに長いその声は、まるで旋律のようで――


「歌…? レッドドラゴンが、歌ってる!」


 聞いた事もないが、何故か心を揺さぶるメロディーに、民衆はわけも分からず感動の涙を流していた。


 しかし梁山泊を始めとする帝国の、いや映像魔法や音声を通じて歌を聞いた世界中の元・日本人たちは、全員頭を抱えていた。


(昭和の名曲だ…)

(戦後特集で流れてたやつだ…)

(何でドラゴンがこれ歌うんだよ、確かに赤いけど!)

(え、これドラコニア帝国の国歌になんの?)


などなど、声には出さないがそんなツッコミが入ったと言う。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ところで、レオンの横にいた花嫁は果たして、マリーゼとレードラのどちらだったのか?


 ドラゴンに変身したのだからレードラだと言う者。

 いや変身魔法を使えばマリーゼでも通じる、ルピウスと親しげに話していたからマリーゼだと言う者。

 本当に二人は一つとなったと主張する者。


 歴史書は様々な説を紹介するが、生き証人であるはずの当事者は何も語らず、今日も赤の渓谷で飄々と古書喫茶の受付をしている。




【終】

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