第27話

 瞼に暖かな日の光が当たり、そっと開く。天気は。渓谷の底に転がった赤い岩に腰掛け、彼女は手に持った空のガラス瓶をプラプラ弄んでいた。


「あーあ、やっぱりアイテムなしで魔法使うなんて無理無理。こちとらちょっと前まで一般人よ? お師匠様はアレだね、やっぱバケモン……なんて本人には言えないけど」


 一人でぶつぶつ呟くが、聞き手はいないわけではなかった。

 グルルル…と唸り声がして、真っ赤な巨体がのそりと近付いてくる。


「おおう…君も来たか。何か、兄弟弟子と言われたってピンと来ないんだよね。だってドラゴンだよ? いくら異世界だからって、リアルで見たら恐いでしょ。でも君もあの人の弟子なだけあって、変身魔法が使えるんだね。さっきのは人間と言うよりクリーチャーだけど……。まあ裸だから、あんまり私に似せられても困るしねー」


 口調は明るいが恐々と鼻を撫でてやると、ドラゴンはで彼女をギョロッと見つめた。そこに映る彼女の姿は、


「大丈夫だよね? 食べないよね? お師匠様もドラゴンと仲良くなれだなんて、無茶ぶり過ぎでしょ。大体、言葉通じてんの、君?

まあいいや…通じてないならないで、独り言だと思っといてよ。そうだなー…私がどう言う経緯でに来たのか……いやもっと前、ブラック企業を辞めた理由から話そうか」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 当時、私は世間に逆行しているブラック企業に勤めていた。何故そんな所に…と言えば、月並みだが『アットホームな職場』と言うキャッチコピーに騙されたと言うか。いや、アットホームなのは間違いない。先輩方は皆優しい。だが私を含め、NOと言えない事勿れ主義ばかりが集まった結果、気が狂ったシフトでも特に誰からも苦情が出ないまま今日まで来てしまったのだ。


 その日、私は係長と二人で残業させられていた。建設業者から送られてきた資材の数を確認し、契約書にチェックを入れる。係長は既に三徹目で、机の上は缶コーヒーが山積み。それまで黙々と作業していたのが一口飲んでハイになったのか、無意識に口遊み出した。


「赤い~レンガ~♪」

「…ぶふっ」


 つい噴き出してしまった。だって思いっきり戦後ドキュメンタリーのやつの替え歌なんだもん。係長はやってしまった、と決まりが悪そうに言い訳を始める。


「作業をスピードアップしたい時は、頭の中でこれが流れるんだ」

「そう言う時って普通、チャンチャーンチャカチャカ…とかじゃないんですか?」

「ああ『天国と地獄』ね……俺、インドア派だから」

「答えになってませんよ。あと私たちが数えてるのはレンガじゃありません。タイルですタイル」

「タ~イ~ルの気持ちは~♪」

「何事もなかったように続けないで下さい! …係長その歌、赤ければ何でもいいんですか?」

「うん、トマトとかポストとか……とりあえずその辺の赤い物で当てはめてるけど。なくても最悪、血潮も赤いしな」

「それもう別の歌になってます」


 手が止まってしまったので、ついでとばかりにそのまま休憩に入る。係長が缶コーヒーの山から一本くれたのを、ありがたく頂いた。…何これクソ甘い。眠気覚ましじゃなかったの?


「係長~こんなの飲んだらまた太りますよ。最近メタボってきたでしょ」

「太るなあ~。けどコーヒー以上に外食が続いてんのがな……肝臓とか本当ヤバい」

「確か独身でしたよね……自炊はしないんですか?」

「つい簡単な鍋とかになっちゃうからなー。ご飯わざと焦がして、おこげスープにすんのすげー好き」


 そんなのばっか食べてたら、そりゃ肝臓やられるわ。


「結婚しないんですか? もしくは彼女とか」

「こんなメタボなおっさんについてきてくれる奇特な子はいないよ」

「じゃあ、私なんかどうです? ダイエットメニューにはちょっとうるさいですよ」


 係長の目の下の隈を見ながら、軽い気持ちで言ってみる。コーヒーの二本目を開けていた係長は、呆れた視線を寄越した。


「君ね、イケメンの彼氏を差し置いて何がどうです? だよ」

「別れました」

「え……それは、まあ」

「二股かけてたんです、あいつ」

「別れて正解だ、うん。二股は死ねばいい」

「ぷ…っ、そんなめっちゃいい笑顔で死ねとかw」


 実はちょっと落ち込んでいたのを、茶化されて一緒に笑っている内に、どうでもよくなった。これは逆に励まされてしまったな…


「まあ君もまだ若いんだから、他に好い男なんていくらでもいるよ」

「係長はダメなんですか?」

「いや君の親御さんもさ、親子ほど歳が離れてる相手と付き合うのはいい顔しないでしょ」

「いつの時代ですか…私もちょっと前に成人しましたし、今時私たちくらいの年齢差で親子とかないですよ。付き合ったからって、絶対結婚するってわけでもないし」


 私がそう言うと、係長は笑って手を振ってみせる。


「俺等くらいの歳になると色々焦っちゃうからさ。ちょっと付き合ってみてもいい、くらいの冒険はもうできないよ。光守こうもり君は若くて魅力的なんだし、こんな安月給のメタボ係長で妥協しないで、もっと未来ある恋をしたまえ」

「…つまり私は、またフラれたってわけですね」

「え? いやまさか、そんなつもりは…」


 係長はオヤジ上司にありがちなセクハラやパワハラはまったくなく、分からない事は丁寧に教えてくれるとてもいい人なのだが、時々こうして私を子供扱いするのだ。確かに歳はかなり離れているけど。昭和生まれだけど。


「あーあ、傷付きました。これはもうお詫びに、人生の先輩から恋バナでも聞かせてもらうしかないですね。係長くらいの歳の人はさぞかし、経験も豊富なんでしょうねえ」

「傷付いたって君……別に何が何でも付き合いたいわけじゃないだろ?」

「まあ、そうなんですけど。何かとおっさんおっさん言ってる係長って、若い頃どんな感じだったのかなって、単純な好奇心です。初恋とかいつくらいでした?」


 軽口だったのをさらりと肯定すると、苦い顔をされる。ユーモアで職場を和ませている係長だが基本は真面目なので、こう言う話題になるといつの間にか消えているのだ。今は私たちだけなので逃げ場はなく、諦めて溜息を吐いたかと思えば、頭を掻きつつも仕方なくぼそぼそ話し出す。


「普通に小学生の時だよ。同じクラスの子を好きになって、告白した。そしたら『嫌い』って言われたんだ」

「ありゃー…まあそのくらいの年齢なら、照れ隠しでは?」

「そうかもしれないし、本気かもしれない。俺が無意識に何かしたのかもしれない。

とにかくそれ以来、異性関係は滅茶苦茶慎重になって、学生時代はまったく彼女できなかった」


 よっぽどのトラウマらしい。笑いながらも口元は引き攣っていた。ともあれ社会人になってからは彼女もいたらしいが、長くは続かなかったとの事。


「結婚を意識すると、どうしてもね。未だに薄給だし、幸せにしてあげる自信が全然ないんだ。そうすると一人でいる方が楽だなって」

「冒険する心を、初恋の彼女に殺されてしまったんですか」

「まあ、そうだね。そう言うのはもう、来世でいいかなって」


 いきなり極端な事を言い出す係長に、ぎょっとする。


「係長、まさか変な事考えてやしないでしょうね?」

「え? ああ…自殺するんじゃないかって事?」

「ネットで流行ってるんですよ、トラックに轢かれて死んだら異世界に転生するとかって話」

「あるらしいね。楽しそうだけど、まあ俺はパスかな。インドアだし、冒険の旅に出ても絶対すぐ死ぬから。まあ現実は現実で辛いけど、今世でまったりネット小説漁ってた方がお手軽に楽しめるよ」


 トラックに跳ねられるって痛そうだし、と言う現実的な意見に苦笑する。この人は真顔でジョークを言うからどこまで本気なのかよく分からない。


「係長って、ネット小説お好きなんですか? アニメとかも見ます?」

「アニメなあ……昔はよく見てたけど、最近のは違いが分からなくて……帰っても疲れて見る気起きないし。あ、でもゲームはハマってるぞ」

「ほうほう……で、オススメは?」

「『FOREST HUNTERフォレストハンター』ってネットゲームで」

「モリハンですか! 私もちょうどやってるんですよー」


 知っている名前に、私の中で一気に親近感が増した。それだけじゃない、作中の職業も私と同じだった。


「まさか係長も竜使いとは……しかもレベルMAX!? どんだけやり込んでるんですか」

「君こそ四方の竜をコンプリートとは、やるじゃないか。俺なんて一匹だけなのに」

「経験値が分散されるから、どっちがいいとかじゃないと思いますよ」


 気付けばモリハンについて、大いに盛り上がっていた。いつも円滑に会話を進めてくる係長だが、こんなに楽しそうなのは初めてだった。


「ちなみに何て名前にしたんだ?」

「レッドドラゴンの『レードラ』、ブルードラゴン『ブルードラ』、イエロードラゴンは『キドラ』、グリーンドラゴンが『ミドラ』です」

「て、適当だなあ……愛がないよ」

「そうですか? 響きが可愛いと思いますけど。係長はレッドドラゴン一択でしたよね。名前は?」

「まあ……普通だよ」


 鼻を擦りながらも明らかに目を泳がせる様子にピンときて、私はニヤニヤしながら係長を肘で突く。


「あー、分かった。好きな人の名前なんでしょ! もう係長ってば、小学生ですか」

「うるさいよ! はいもう休憩終わり。手を動かす!」


 珍しく照れ隠しで声を荒げた係長が、パンパン手を叩いて話を打ち切った。



 帰り道、係長は用事があると言うので駅で別れる事にする。


「せっかく久々の連休なんだから、しっかり休まないとダメですよ? 足元だってふらついてるんですから」

「ありがとう。光守こうもり君は本当いい子だな……その調子ならすぐまた彼氏ができるよ」

「係長こそ、いい人いるならデートにでも誘ったらどうですか。ドラゴンといちゃついてる場合じゃないと思いますけど」

「そんなんじゃないよ、彼女は……でもそうだな、次に誰かを好きになる事があれば、即刻プロポーズするか」

「いや、いきなりプロポーズはやめた方が……まあとりあえず、休んで下さい。また連休明けに、お会いしましょう」

「うん、また」


 そう言って手を振った係長は、濃い隈を作っていたにも関わらず、妙に晴れやかな笑顔だった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「今朝、駅前のインターネットカフェで業務部係長の円晴人まどかはるひと君が倒れて息を引き取ったと連絡があった。彼は独身でご両親も亡くされているので、喪主は親戚が務めるとの事だ。葬儀は――」


「うそ……」


 それは、唐突な別れだった。頭が真っ白になって理解が追い付かない。お葬式に参列したが、最後の会話と別れ際の笑顔が脳裏にちらついて現実感に乏しい。

 棺桶に入れられた係長は、化粧を施されていたおかげで窮屈な空間に詰め込まれても澄ましているように見えて、何だかシュールだった。


 親戚の人によれば、遺品はほとんど処分し、会社の私物も捨ててしまって構わないそうだ。辛くても現実を生きたいと言っていた係長。彼はこの世界に何も残す事なく、異世界へ追い出されてしまったのだ。


 会社で彼の荷物を整理していた私は、机にある手帳を何気なく手に取った。機密情報があればそのまま捨てるわけにはいかない。パラパラと捲る手が、ふとあるキーワードが書かれたページで止まった。


【モリハン

ID:××××××

パス:××××××××】


 咄嗟に目を走らせて、IDを記憶する。パスは、必要なかった。


 何を思ってこんな事をしたのか、自分でも分からない。家に戻り、『FOREST HUNTERフォレストハンター』を起動して係長のIDを入れる。


「どうして……」


 パスワードを入れる手が震えた。別に係長が知っている事がおかしいんじゃない。普通に話題に出してるし、今年も当日は自販機でコーヒーを奢ってもらっている。


 問題は、


 もしや部屋いっぱいに私の写真を貼っているとか、そっち系の人なんだろうか。いや、それなら警察や親戚の人から一言ぐらいあるはずだ。そもそも軽いノリとは言え、こっちは一応交際申し込んで断られてるんですけど。


 ログインすると、聞いていた通り竜使いで登録されていた。ビジュアルがイケメンなのはさておき、キャラクター名まで『カカリチョウ』ってどうなのよ……

 ゲームは相当やり込まれていた。係長はネカフェで倒れたと言う話だったが、まさかモリハンのやり過ぎでお亡くなりになったんだろうか。三徹の後、さらにぶっ続けで? まあ肝臓ヤバいって言ってたし、他にも色々要因が重なったのかもしれない。


 モリハンの竜使いはドラゴンを仲間にして一緒に旅ができる。私のと同じ『仲間』のウィンドウを開くと、一匹だと聞いていた竜が四匹とも揃っていた。青、黄、緑のドラゴンはまだレベルも低いが、レッドドラゴンだけはレベルMAXだ。


「……」


 そこには、途中から予想していた通りの名前があった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 話し終える頃には、ドラゴンは瞳を閉じていた。眠ってしまったのかどうかは、彼女には分からない。独り言なので、聞いていなくても構わないのだ。


 巨大な瞼にそっと寄り添い、彼女は独りごちる。


「ねえ、私はどうすればよかったのかな? あの時ああすればこうすればって何度も考えてるんだけど、結局私が係長にしてあげられる事なんて、何もないんだよね。

と言うか直前まで彼氏いたし、人生経験も全然足りてない、たかが二十歳の小娘なんて、係長の方もちょっといいなぐらいにしか思ってなかったかもしれないし……はあ。


そんで何かやるせなくなっちゃってさ……恋も仕事も、しばらくいいかなって。まあ成り行きで異世界まで来て、魔女に弟子入りしてるんだから、人生どう転ぶか分かんないよねw


……係長は今頃、『マサラ』ちゃんと旅してるのかなあ。この世界で赤い竜と言えば君だけだってお師匠様が言ってたから、少なくともこっちにはいないんだろうね。


でも……もしもいつか、係長に会う事があったら。そん時はちゃんと、愛のある名前を付けてもらいなよ。こんなとりあえずゲームから取ったような、適当なのじゃなくてさ……ね、『レードラ』」


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