番外編⑦初夜は惜しみなく与うもの
※最終話と同日の夜。
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ドラコニア帝国皇太子の祝賀式典は恙なく終わり、真夜中になってもパーティーの余韻に皆が酔い痴れている頃――
レオンは自室のベッドの隅で、何故か正座をしていた。その横ではレードラが一糸纏わぬ姿で寝転がり、足をパタつかせている。本性がドラゴンである彼女は、住処である渓谷では全裸でいる事が当たり前なのだが、ここはレオンたち以外誰もいない、彼の部屋のベッドの上。その事実がレオンをたまらない気持ちにさせていた。
初夜、である。出会ってから十余年、ずっと好きだった相手と、今日を境に夫婦となる――それはレオンの不可能と言われていた悲願であった。
「マリーゼには、感謝してもし足りないな……」
「ん? マリーゼがどうかしたか。…しかしお主、本来なら正妃であるマリーゼとの子作りを優先すべきではないか。それをほっぽって儂を選ぶなど、ドラゴン狂いの名を返上できんぞ」
「別に返上する気もないし……マリーゼからは初夜はレードラとしてくれって言われたんだよ。ずっと夢だったんだからって」
レオンの夢の達成は、マリーゼなくしてあり得なかった。守護神で子供の産めないレードラと、レオンに一番に愛されない妃。この問題は長らくレオンを悩ませていたのだが、マリーゼが一肌脱いだ事で解決した。即ち、マリーゼがレードラの分身として、二人同時にレオンに嫁ぐと言う形によって。
「好い娘じゃのう。あれほどの女はなかなかおらんぞ」
「そうなんだよ、いい子過ぎるんだよマリーゼは! …本当に俺なんかと結婚して、幸せにしてやれんのかな? 俺の我儘の犠牲になってたりしてないよな?」
「この期に及んで、まだグダグダやっとんのか。いい加減にせいよ、儂などもうとっくに諦めとるわい」
「諦めで結婚してくれたんだ、レードラは…」
初夜とは思えないほど冷たい目で見返され、苦笑が漏れる。悠久を生きる伝説の存在からしてみれば、たかが二十そこそこの男なんぞ赤ん坊も同然だろう。レオンとてそんな彼女を愛し続けている事に後悔はないが、意外だったのはレードラがマリーゼの提案に乗り気だった事だ。
「儂はマリーゼを気に入っておるからのう。あやつのお主への愛、お主への献身には心を打たれたし、力を貸してやりたくなるのも当然じゃろ。お主が散々言っておった『愛があればどんな壁でも乗り越えられる』を実現させたのもあやつじゃしのう」
「けどあいつに俺は、同じだけの想いは返してやれなくて……結局二股同然になったのが申し訳なくて仕方ないよ」
「ほほぉ?」
背を向けているレオンの近くまでじりじりと這って行ったレードラは、後ろからその肢体を絡み付かせた。
「レッ、レレレレードラ!?」
「申し訳ないから、マリーゼの愛は受け取れない。即ちこの結婚はなかった事に…と言う事か? あーあーバカ皇子ここに極まれりじゃ。一体この破談でどれだけの者が迷惑を被るんじゃろうなあ?」
「は、破談にするなんて誰も言ってないだろ!? それに、結婚する以上はマリーゼの事だって絶対大事にするって決めたんだ。初夜は譲ってくれたけど、明日はちゃんとマリーゼと過ごすし。何も問題なんてない……たぶん」
「ならば良い。女とベッドにいる時に、いちいち下らん事など考えるな」
促されて互いに向き合う。心臓が破裂しそうな勢いでバクバク言って、レオンはごくりと喉を鳴らした。
「じゃ、じゃあ改めて……よろしくお願いします」
「ふはッ、何じゃそれは。あっちの世界の文化か何かか? あまり退屈させたら眠ってしまうからな? そうなれば儂の変身魔法が解けて、お主はこの部屋ごと『プチッ』と逝くから気を付けいよ」
「…こんな時にムードぶち壊すなよ」
頭を上げて恨めしそうに睨み付けると、レードラはふんとそっぽを向いた。
「仕方なかろう、儂とておふざけでもせん限り間が持たんわ。生まれてから千年、結婚なんぞ初めての経験じゃからのう」
「レードラ、それって……」
「さぁ、とっとと始めい。後がつかえとるじゃろうが」
そのまま後ろにボスンと倒れ、大の字になるレードラ。そこまで堂々とされては、雰囲気も台無しだ。が、そんな彼女は嫌いかと言えば……
「すごく、可愛いよ」
「……」
「愛してる、レードラ。必ず幸せにするから」
レオンはレードラに覆い被さると、自身もベッドに沈んでいった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ちょうど同じ頃。
用意された寝室では、オンブル公爵家から派遣されてきたメイドがマリーゼにネグリジェを着せていた。生地が薄く、シルエットが透けて見えてしまっているそれに、明日は止めてもらおうと心に誓うマリーゼ。
「お嬢様、本当にこれでよかったのですか?」
「何がなの、アルバ?」
アルバは主人を化粧台前の椅子に座らせ、髪を梳かし出す。クラウン王国にいた頃、マリーゼの世話は彼女の仕事だった。
「初夜ですよ。お嬢様…いえお妃様はレオンハルト皇太子と今日ご結婚されたのでしょう? なのにどうして、殿下は他の女と過ごされているのですか」
今度こそ、幸せにしてくれると思った。
ずっとその成長を見守ってきた小さな主人が、冤罪で王太子の婚約者の座を追われ、国外追放されて長らく生死不明だった上に、実家のオンブル公爵家にまで圧力がかかったのだ。呪いをかけられている可能性があるとかで、三つ首の不気味な犬の絵が描かれたお札が屋敷中に貼られていた時、あのバカ王子は地獄に落ちろと憎しみを募らせたほどだ。
その後、改心した王子と和解したのには釈然としないながらも、生きていた主人との再会には、互いに涙を流して喜び合ったものだ。
ドラコニア帝国の皇子レオンハルトの婚約者になったと聞き、この御方ならば安心だと信じていたのに……
「他の女、じゃないわ。帝国の守護神レッドドラゴンよ。私はあの御方の分身として、レオン様に嫁いだの」
「そう言う事になっている、と言う話でしょう? そんなの詭弁じゃないですか! 殿下はマリーゼお嬢様を自分の欲望のために利用しているだけです」
「ごめん。その詭弁考えたの、私…」
主人自ら、怒りのやり場を潰しにきたので、何も言えなくなってしまう。黙り込んだアルバに苦笑して、マリーゼはそっとその手を重ねてきた。
「ねえ、アルバ。私、今すっごく幸せなのよ。レオン様はとても一途でお優しくて……レードラ様のためならどんな困難にも立ち向かえてしまうの。私はそんなレオン様が大好きで大好きで……あの人の夢と一つになりたいって、ずっと思ってた。それが叶った事、受け入れてもらえた事がすごく嬉しいの。
そりゃあ、周りからみれば私は利用されてるように見えるかもしれないけど……逆なの。これは私の我儘なのよ。レオン様を困らせていると知っていて、それでも私の手であの人を幸せにしてあげたかった。だから、分かってね」
仏頂面のアルバの手を優しく握り、そう諭すと、アルバに盛大に溜息を吐かれた。
「……分かりましたよ。そもそもあたくしは一介のメイドですから、皇太子妃に意見するなど非常識でした。ただお妃様の処遇が不憫に思えて、つい口を出したくなっただけです。貴女がそう決めた事であれば、もう何も言いませんよ」
「ありがとう……情けない主人でごめんね?」
「とんでもない。強くなりましたよ、貴女様は。どうせなら思い切り振り回して、尻に敷いておやんなさい」
化粧台にブラシを置くと、アルバは鏡越しにサムズアップをしてみせた。マリーゼもそれに笑みを返す。
しかし内心では、こんな事を考えていた。
(ごめんなさい、アルバ……いい話のように纏めたけど、本当は違うの! 最初は私が初夜の相手に決まっていたのだけど……いざ、子供を作るって考えたらは、恥ずかしくなってきたなんて…言えない!)
マリーゼは幼い頃から王妃教育を受けており、当然世継ぎを残すための知識もそこに含まれていたが、国家のための使命、そう言うものだと素直に受け取っていた。
婚約が破棄され、紆余曲折の末にレオンの婚約者となった時は、レオンとレードラが結ばれるためにも、子を産む役目は自分が請け負おうと意気込んだ。
そしてレオンの夢が叶い、いざ結婚に向けて国母となるための教育や診断を受ける内に……今更な事に、気付いてしまったのだ。
レオンの子を産むためには、レオンに抱かれなくてはならない、と。
もちろん、嫌なわけがない。マリーゼはレオンを愛しているのだから。ただレオンは出会った当初からレードラにぞっこんだったので、自分は一生片思いでいる事を覚悟していた。そのためか、皇太子妃の使命とも言える懐妊、子作りと男女の触れ合いがいまいち繋がらなかったのである。
急激にレオンを意識してしまったマリーゼは、式典の日が近付くにつれ落ち着かなくなり、テンパった末にレオンにこう持ち掛けたのだ。
『初夜はレードラ様とお過ごし下さい』
と。
当日を譲ったところで一日分の時間稼ぎにしかならないのだが、マリーゼにはとにかく、少しでも心の整理のための時間が欲しかった。これが完全に義務と割り切れたり、両想いで勢いのまま愛し合えれば問題なかったのだが。
(大丈夫かしら……私、ちゃんとレオン様の妻としてやっていけるのかしら)
初夜が怖い、だなんて。
レードラと比べられたら…今日みたいな格好を見られて、はしたないと思われたら……などと不安な気持ちでいるマリーゼに、機嫌を治したアルバが話しかけてくる。
「よく考えれば、初夜は失敗しやすいって言いますからね。レオンハルト殿下には今夜の内に、恥を掻き切ってもらいましょう。お妃様は式典もあってお疲れでしょうから、しっかり休んで明日に備えて下さいね」
「え、ええそうね。明日に……ひっ!!」
適当に返事をしていたマリーゼが、突然飛び上がった。自身を抱きしめ、足を擦り合わせてぶるぶる震えている。
「お妃様…?」
「な、ん……っぁ」
主人の様子がおかしい事に気付き、アルバの顔が青ざめる。マリーゼはその頬を紅潮させ、荒い息を吐きながらも時折声を噛み殺している。
「どこかお体の具合でも!? すぐにお医者様を…」
「ま、待ってアルバ…」
踵を返して扉に向かおうとするアルバのスカートの裾を、彼女は咄嗟に掴んで止めた。
「大丈夫だから……ん、そ、れよりレオン様と…はあっ、レードラ様をお呼びしてっ」
「は…? し、しかし御二方は今…」
レオンの部屋で初夜の真っ最中のはずだ。そこに一介のメイド(しかも他国からの派遣)に踏み込めと言うのか。だが切羽詰まった声を上げられて、ただ事ではないと悟った。
「早くっ!!」
「はいっ、ただ今!」
アルバがすっ飛んで行くと、マリーゼはその場に蹲って熱い吐息を漏らした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
十分後。
マリーゼの部屋で、レオンとレードラはバスローブ姿で正座させられていた。その前にはマリーゼが腕を組んで仁王立ちしている。ネグリジェ姿のマリーゼの色っぽさに、レオンは目のやり場に困りつつも、初夜を中断させられた理由に心当たりがなく、おずおずと声をかける。
「あ、あのマリーゼさん? これは一体……」
「レードラ様、貴女ならお分かりですよね」
「はて、何の事かのう」
とぼけるレードラに、マリーゼはドン! と床を踏み鳴らす。珍しい彼女の剣幕に、レオンとアルバは思わず身を竦めた。
「私に何をしたのですかっ!」
「お、おいレードラ。一体どう言う事だよ?」
二人から問い詰められ、ふうっと大きく息を吐くと、レードラはあっさり白状した。
「いや何、これは師匠から聞いた、何代か前の魔王の逸話らしいのじゃがのう……
勇者に追いつめられた魔王は、最後の切り札として自分が攫った姫の姿に化けた。こうすれば勇者は攻撃できないだろうと。
しかし、そんな小手先の変身に惑わされる勇者ではない。彼は正義の剣でもって、姫の姿をした魔王の首を斬り飛ばしたのじゃ。そして囚われの姫君を救い出そうと牢の扉を開けた勇者が見たものは……
何と、魔王と同じく首が斬り落とされた姫の姿だったのじゃ! 魔王は姫に、自分と同じダメージを受ける呪いをかけておったのじゃよ。恐ろしい話じゃのう……」
「それで?」
唐突に
「じゃから……マリーゼに、その魔王が使ったのと同じ呪いをかけたんじゃよ」
「「……」」
「……てへっ」
絶句する二人の前で、己の頭をコツンを叩いて可愛い子ぶるが、やってる事がやってる事だけに、最高にハイになっている生まれついての悪にしか見えなかった。
「お前、何やってんの!? 何で守護神が魔王みたいな事やってんだよ!」
「おや、儂が神でも魔王でも愛してると言ったのは、どこのどいつじゃったかのう」
「う、うぐ……いや、それとこれとは」
「考えてもみい。儂等の結婚と言う目標を成し遂げた一番の功労者が、初夜に除け者にされるなどあって良いのか? この計画における設定では、マリーゼは儂の分身。ならば感覚だけでも共有させてやるのが筋と言うものじゃろ」
「余計なお世話ですっ! 初夜をお譲りしたのは私の意思ですから!」
怒り狂った二人に挟まれ、人間の男女にとって如何に初夜が大事かを滾々と説教されるレードラ。しかしだんだんめんどくさくなり、逆ギレして叫んだ。
「うるさ――い!! 何じゃ二人して、この似た者カップルめ! 大体マリーゼが答えを出したのもだいぶ前じゃと言うのに、結婚が決まるまでいつまでも堂々巡りでうだうだうだうだ悩みおって。さっさと決めぬから結局ルピウスにまで先を越されたではないか。ええい面倒じゃ、もうお主等何もせんでいいわい。二人纏めて、儂が相手してやる!!」
憤慨しながらレオンとマリーゼの襟首を掴み、そのまま引き摺って部屋を出て行こうとする。ぎょっとしたのは説教していた二人である。
「ちょ…っ二人纏めてって、落ち着けレードラ!」
「ア、アルバ助けて…」
縋るような目を向けられておろおろするアルバだったが、レードラはニヤリとして悪魔の囁きをする。
「おお、マリーゼのメイドか。お主にもさぞ心配をかけたじゃろう。二人の子の顔を、早く見たくはないか?」
「レードラ様、でしたらわざわざお戻りになられずとも、ここも明日使われる予定の寝室ですから、前倒しでどうぞ。あたくし一人が退室すれば済みますので」
「ア、アルバ!? 待って行かないで、裏切り者ー!!」
レードラが味方だと判断したアルバはぺこりと頭を下げると、澱みない動きで扉を開けて出て行く。
「さあ泣いても喚いても、もう助けは来んぞ。諦めて大人しくその身を委ねるが良い。お主等に地獄…ゲフン、天国を見せてくれるわ、ふはははははは!」
「何でちょいちょいラスボス入ってんのお前!? さ、さすがに二人いっぺんは……こ、心の準備がっ」
「レードラ様、せめて私の呪いを解いて……ひゃあっ!」
二人の悲鳴と邪悪な高笑いが響く中、寝室の扉が閉ざされると同時に結界と防音魔法がかけられたので、室内の様子は誰も窺い知れなくなった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日。
「うわぁ…殿下、目の下の隈すごいっすね。昨日はお楽しみでしたか」
新米のチャラい秘書が無礼にも程がある発言をする。周りの先輩秘書官たちは咳払いで注意するが、レオンたちは気付いていない。
「ああ…十代の頃は徹夜しても全然平気だったのにな。ここまで隈ができるのは前世以来……俺ももう歳か」
「何急に老けてんすか。まだ二十代前半でしょ? ピッチピチですよ。…にしても」
秘書は窓の外を見る。空にはレッドドラゴンが泳ぐように飛び回り、昨日歌っていたメロディーをご機嫌で口遊んでいた。子供たちには大人気のようで、城下では豆粒のような国民たちが手を振っているのが見える。
「元気ですねえ」
「ドラゴンだからな…」
「大丈夫ですか? 殿下、精気吸い取られてません? ドラゴンと言うか、それじゃ悪魔っすねまるで」
「おい、帝国の守護神に…」
礼儀を弁えない後輩に痺れを切らした秘書官の一人が立ち上がりかけるが、レオンはそれを制す。この新米君は論外だが、締め付け過ぎるのもまた良くない。アットホームな職場、せめて自分の持ち場だけでもそこは用意しておきたかった。
「どっちでもいいよ。俺はレードラが神でも悪魔でも関係ない」
「ヒューッ、ごちそうさまです!
そう言えばもう一人の…マリーゼ妃はまだお休み中ですか? 今日はあの方の初夜なのに、もうお昼過ぎちゃってますよ」
野暮なツッコミに、レオンは苦笑いで誤魔化す。いくら皇家が寛容だからと言って、すべてを明かすつもりはない。伝説の真相も、プライベートも。
「寝かせといてやってくれ……あいつ、俺の三倍疲れてるから」
(何で!?)
全員ツッコみたいのを堪えつつ、先輩たちは新米の襟首を掴んで仕事机に戻す。それを気にする風もなく、レオンは愛しい
国外追放した悪役令嬢を追ってきたそうですが人違いです 白羽鳥 @shiraha
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