第17話

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 そして選抜会一日目の当日。


 マリーゼは厨房のテーブルにメモ書きを残すと、早朝から迎えに来た妹たちと共に城へ向かった。


 ドラコニア帝国に来て約一年。魔法陣の部屋を除けば、正式に城に入るのはこれが初めてだったりする。


「フローレンス、彼女がマリーゼ様ですわ」

「はっ、はじめまして…」


 侍女長に紹介され、少し緊張して頭を下げると、何だか嬉しそうに微笑まれた。


「まあまあ、本当にレードラ殿にそっくりですのね。今日はどうせなら、とことん綺麗にしちゃいましょう。何せあの方、着飾る事を嫌がるから……まずはお風呂かしらね」

「え……あの、シャワーを浴びてきたのですが」


 汚れや体臭が残っているのか、気になって腕に鼻を近付けてみるマリーゼ。


「あの施設のシャワーやベッドは、あくまでさっと疲れを取るだけのものですから。垢擦りやマッサージ、髪と爪のお手入れは最低限必要ね。さあ貴女たち、マリーゼ様を最高に好い女に仕上げて頂戴」

「かしこまりました。さあこちらへ…」

「ひゃあぁ…」


 そうして妹たちが厳選した、口が堅くて優秀なメイドたちによって浴室へ連れて行かれたマリーゼは、体の隅々までピカピカに磨き上げられた。クラウン王国にいた頃は日常だったが、一年ぶりに他人に体を洗われた事もあり、ドレスを身に纏う時点でもう疲労困憊だった。


(う……本当に太ったかも。久々のコルセットが少し苦しいわ)


 髪を編み込みアップにしてもらっていると、部屋のドアがノックされ、見知らぬ男性が入ってきた。マリーゼを見て驚いたように目を丸くしている。


「マリーゼ様、彼は皇家御用達の金細工師。わたしたちの味方ですわ」

「こりゃ驚いた……本当にレードラ様そっくりだな」

「えっ! では貴方が、サイケ=デリック様? ずっとレオン様の事を支えて下さったと言う…」


 レオンやレードラの話の中に何度も登場した男に、マリーゼは好感を持って声をかけるが、今の言い方はレオンの身内面をしてしまったかと赤くなる。

 サイケは苦笑しながら手に持った宝石箱をテーブルに置いた。


「殿下からどう言う風に聞いてるのかは大体想像付くから、いちいちツッコまないよ。…今回の事は、あの二人には内緒だと聞いているけれど」

「はい…部外者が出しゃばるべきではないと分かっています。だからレオン様たちからのご叱責は、後で私がすべて受けるつもりで……。サイケ様も、協力して下さるのですか?」

「ああ、フローラ様に話を持ちかけられた時はびっくりしたけど、こうなりゃもう毒を食らわばってやつだな。それに、あいつには振り回されてばっかだったから、たまにはこっちが返してやるのも悪くない」


 追放されたとは言え、貴族令嬢のマリーゼに対してもサイケは屈託がない。マリーゼの方も今は喫茶店の店長代理であるし、話に聞いていた梁山泊の面々と仲間になりたかったので、その方が気楽で良かった。

 サイケはマリーゼを鏡台の前の椅子に座らせ、新作のアクセサリーを次々身に着けさせていく。眼帯の代わりに花の形をした不透明なモノクルを付けられ、レードラの角もどきの髪飾りも忘れない。


「しかし君、レオンとは似た者同士だよな」

「そんな事、初めて言われました……レードラ様に似ているとは、よく言われますが」

「そりゃ見た目はね。一度こうと決めたら曲げない……頑固で一途なとこは、あいつにそっくりだよ。本当、お前等……だよな」

「えっ、今何と……?」


 サイケが何かを呟いたので振り向きかけるが、仕上げの最中だと前を向かされてしまった。


 そうして、一人の貴婦人が出来上がる。ドレスの色は、赤なら髪や尻尾と同色のためコントラストが見せられず、ピンクは可愛らし過ぎる。かと言って寒色系も大人しい印象になってしまい…。妹たちがこれと選んだのは、真っ黒で光沢のある、体のラインが出た大人っぽいデザインだった。

 まるで魔女のようだとも思ったが、今回はそれで合っているのだ。


「わーっ、綺麗!!」

「どこからどう見ても、完璧にドラコニア帝国の守護神様ですわ!」

「そうかなあ……自分でやっといて何だが、レードラ様こんな格好、絶対しないだろ。服に頓着しないんだからあの人」

「ある意味別人…」


 口々に褒められて恐縮する中、侍女長は自らが採寸したレードラ用のドレスの最終チェックをする。


「尻尾は腰周りとドレスの穴の二重で固定してあるから大丈夫ね。サイズもぴったり。さあ、最後にこれを履いて。これから向かう先は戦場だけど、一番綺麗なのは貴女だと、胸を張りなさい」


 妙なプレッシャーをかけてくるが、彼女なりの励ましなのだと受け取り、マリーゼは用意されたミュールを履いた。足先の出ている靴は、まるでガラス製のように見えた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ねえ見てよ、あの尻尾……ふざけているのかしら?」

「バカね、知らないの? レオンハルト殿下がお熱だって例の…」


 会場に入った瞬間、視線が突き刺さる。そこには着飾った令嬢たちが、ギラギラした野心を垂れ流しながら互いを牽制し合っていた。嫉妬と嘲笑をモロに喰らってしまい、マリーゼは倒れそうになる。


(お、落ち着いて……恐いなんて事ないわ。今の私は、レードラ様だもの)


「あら、赤トカゲもこんな場所にまで来るものなのね。わざわざ人間らしい装いで、のこのこと」


 敵意を隠そうともしない棘を含む声に振り返ると、マリーゼとは対照的に真っ赤なドレスを堂々と纏った気の強そうな令嬢が、蔑むような眼差しで立っていた。


(うわぁ、何て綺麗な女性ひと……『赤トカゲ』って物言いからして、この方は宰相様の御令嬢アテーナイア様? …こんなにもお美しいのに、それでもレオン様は婚約を断ったのだわ)


 そんな事を考えていると、不躾な視線でじろじろ見られる。それを遮るように、妹たちはマリーゼの前に立った。


「アテーナイア様は、人間形態をご覧になるのは初めてでしょう? よくお分かりでしたわね」

「そんな不格好な尻尾を見れば、阿呆でも分かります。それに皇女殿下、貴女方も散々連れてくると吹聴されていたではありませんか」

「てへ…」

「まーね。どうよ、可愛いっしょ?」


 妹たちに囲まれアテーナイアと対面させられると、ナイフのような鋭い目でギロッと射抜かれた。


(ひぃっ!)


「全然、大した事ないじゃない。レオンハルト様が絶世の美女だと仰るから、どんな姿かと思いきや……殿下が人生を投げ捨ててまで、その手を取る価値があるとは思えないわ。

…ねえ貴女、この国を守護する者だと言う自覚はおありなの? 女神だ何だと持ち上げられて、勘違いしていない? 殿下は貴女を愛してるのではなく、逆上せ上がっているだけ。

わたくしも貴女を敬うよう、幼い頃から言い含められてきたけれど、帝国の後継者を堕落させる存在は、女神じゃなくて悪魔だわ」


 守護神と言われているレードラ(実はマリーゼ)にも物怖じせず、ベラベラと澱みなく糾弾するアテーナイア。対して妹たちは後ろで憤慨している。今までレオンだけでなく、彼女たちとも衝突してきたのだろう。


(だけど、この人の苛立ち……これって)


 単に宰相の娘として、帝国の未来を憂いているのか。それとも一度は婚約者候補となった者としてのプライドか。あるいは両方なのかもしれない。だがマリーゼには、アテーナイアが他者に気付かれまいとしている乙女心が垣間見えてしまった。


(だって私も、かつてはそうだったから……)


 マリーゼはルピウスの婚約者だった。候補、どころではなく正式に。そんな彼女を放置してタリアに溺れていくルピウスに心を痛め、苛立ち、タリアにどうしようもなく嫉妬した。だが王太子の婚約者としての矜持が、ルピウスに不快に思われたくないと言う恐怖が、二人を詰り糾弾する事を押し留めた。その努力はまったくの無駄に終わってしまったが。


「好きなのね、レオン様が」

「っはあ!? 貴女、何を聞いていたの。そう言う事じゃないわよ!!」


 共感を覚え、ついぽろっと漏らしてしまったマリーゼの言葉を聞き咎め、激昂して掴みかかろうとしたアテーナイアの手は、直前で止められた。


「俺の愛する女性ひとに乱暴は止めて頂けますか、アテーナイア様」

「レオン…ハルト殿下!」


 二人の間に割って入ったレオンは、正装をしていた。皇子としての彼を見るのは数年ぶりで、マリーゼはいつもとのギャップに衝撃を受けている。

 レオンに手を掴まれたアテーナイアは、気まずげに目を逸らした。


「乱暴なんて……わたくしはただ、この爬虫類に礼儀を教えていただけですわ」

「礼儀がなっていないのは、貴女の方ではないのですか。ここは妹たちが選抜を行う場であって、個別でのキャットファイトは許されていない」


 アテーナイアを睨め付け、ぐっと手首を掴む力を込めて顔を顰めさせてから、レオンは手を離した。手袋を少しずらして跡を確かめたアテーナイアだったが、何も付いていない事を訝しく思う。彼女は気付いていないが、離す直前、レオンは神聖魔法をかけていたのだ。


「それで、アテーナイア様もこの選抜会にご参加を?」

「どうしてこのわたくしがわざわざ、もう一度婚約者に選ばれてあげなきゃなんないのよ。今回は、高みの見物をさせてもらうわ。どうせろくな女なんて一人もいやしないでしょうから、精々振り回されて、わたくしを楽しませて頂戴な」

「そうですか。ご期待に応えられるかは分かりませんが…何せ妹たちが決める事でね」


 嫌味な態度も柳のように受け流すレオンに、アテーナイアのまなじりが吊り上がる。そして標的は、レオンから隣のマリーゼに移った。


「だけど貴方が、わたくしとの婚約を嫌がった理由は分かったわ。『世界一美しい』と宣う基準がでは……爬虫類ってだけでも正気を疑うのに、人間の女性のご趣味も変わってらっしゃるのね」

「好みは人それぞれでしょう。俺にとっては彼女が世界一美しい…それだけです」


 肩を抱き寄せられ、マリーゼの心臓はドクンと高鳴る。


(違う違う違う、レオン様が仰っているのはレードラ様の事で! だけど私も同じ顔で……で、でも愛しているのはレードラ様!!)


 肩に置かれた手は、クラウン王国で握手した時よりもずっと固くごつごつしていて、その感触にマリーゼは頭から湯気が出そうなほど真っ赤になった。


 アテーナイアは持っていた扇子がミシミシ言うほど強く手を握り締めていたが、ふんと強気にそっぽを向くと「悪趣味だわ」と捨て台詞を残して人混みに消えた。



 ホッと息を吐いていると、今度は両肩に手を置かれ、くるりと向かい合わせにされる。


「……で、何してるんだマリーゼ」


 小声で周りに聞こえないよう囁かれる。完璧にバレていた。バレないはずがなかった。レオンが妹たちを睨み付けると、愛想笑いや口笛、舌をぺろりと出すなど三者三様の誤魔化しをしている。


「しょうがない奴等だな……来い、魔法陣の部屋まで送って行ってやる」


 そのまま手を取られ、ずんずん歩いて会場を出るレオンに引っ張られながら、慌ててマリーゼは弁解する。


「あの、違うんです。私が妹君に頼んで、無理に参加させて頂いたのです」


 人気がなくなったところで、レオンの足が止まり、苛立った表情で振り返られた。


「あいつらを庇っているのか? 君は今、ここで見つかるわけにはいかない。レードラのふりをしていても、いつ別人だとバレるか……。それに言っただろう、これは帝国の問題で」

「だって、悔しかったんですもの!」


 大人しく説教を受けるつもりだったが、レオンの口から「帝国の問題」と出た瞬間、マリーゼの中で押し込めていた何かが噴出した。


「私だって、レードラ様の代理人なんです。レオン様が造られた『龍山泊』の一員で……あそこが私の居場所なんです。それを、『お前なんか仲間じゃない』と突っぱねられたようで…」

「ご、ごめん違うんだ……そんなつもりは」


 マリーゼを傷付けてしまったと、レオンは途端におろおろする。彼はいつも、女性を傷付けるのを極度に恐れていた。その弱みに付け込む形になっている自分が卑怯に思えて、唇を噛む。


(お力になりたいのに……これじゃただの、駄々っ子だわ)


 罪悪感を振り払い、マリーゼは頭を下げる。


「勝手な事をして申し訳ありませんでした。ですが私は、どうしても……レードラ様に見て頂きたかったのです」

「レードラに?」


 視線が絡み合う。自分の瞳を通じて、レオンとレードラは向き合っているはずだ。


「レオン様、貴方本当は……レードラ様に来て欲しかったのでしょう?」

「……あり得ない。それに今回は」

「どうしても婚約者が別に必要なのは、仕方のない事です。けれど! 好きな人には最後まで、ご自分の気持ちを分かって頂かなくては。そして将来娶られる相手にも、それを理解して頂かなくては。

だから例え危険でも…お節介でしかなくても…私はここに居るのです」


 レードラの代わりに見届ける、それはマリーゼにしかできない事。強い決意を秘めた眼差しを見て取ったレオンはこめかみを押さえてしばらく悩んでいたが、やがて――


「ああ、もう! 今更レードラの姿が消えたら余計怪しまれる! ったくあいつ、止めないって事は静観を決め込んだな……」

「えっ」

「分かったよ。こうなりゃもう、最後までなり切ってもらうからな。できるだけフォローはするけど……いいか、絶対俺から離れるんじゃねえぞ」


 半ばやけくそでそう言い捨てると、レオンはマリーゼの手を取り、今度は歩幅を合わせながら会場に戻る。


 ドクン、ドクン、ドクン…


 鼓動の音がさっきからうるさい。繋がれた手が、熱い。一応ではあるが、レオンから受け入れられた事に、マリーゼの全身は歓び叫んでいた。状況的には呑気に歓んでいる場合でもないのだが。


『守り神どころか悪役になってしまうわい』


 レードラの言葉が蘇る。そうなのだ、マリーゼのしている事は帝国にとって、レオンと結ばれる事を夢見る令嬢たちにとっては邪魔にしかならない。


(だけどレオン様、貴方のレードラ様への愛……それを守れるのならば、私……本物の悪役になっても構わない!)


 かつて捨てたはずの『悪役令嬢』。思い出したくもないその呼び名を再び背負う事を、レオンの手を握り締めたマリーゼはもう恐れなかった。


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