第23話

 龍山泊に戻って来たマリーゼは、ありったけの料理の本をかき集め、バックヤードに持ち込んだ。



『手料理…? お言葉ですが、皇子の婚約者候補にその要素は必要なのですか?』

『普段はしませんね。ですが実は、神官長は天使の曜日に参列した親子連れには、手作りのお菓子を振る舞うのが通例なのです。非常時には炊き出しもしますしね。ですからヘレナの料理の腕はなかなかのものですよ』

『そー言えば神学校でも、家政の授業がありましたっ☆』

『そうなのですよ。それに加え今回は、男心を掴むすべを競って頂きたいのです。ほら、レオンハルトはご存じの通り、アレでしょう? ドラゴンの……。選抜会では何とか娘たちの奮闘で審査の場まで引っ張って来られましたけれど、嫌々参加しているのは明らか。いくら皇家の義務とは言え、男と女が心身共に絆を深めなければ、愛情の希薄さは自ずと生まれてくる子にも伝わってしまう…。

だから人間の女性の良さを、レオンハルトにしっかりと認めさせられる、愛情溢れる料理を作って頂きたいのです』



「人間の女性の良さ、ねえ……」


 皇后は帝国の守護神レッドドラゴンに料理など作れるはずはないと思っている。確かにこの喫茶店のメニューも、他の飲食店からの出前が多い。しかし付け合わせやデザートは、従業員や店長自ら厨房に立って作るのだ。


『工房や農家で買ってきたパンや野菜は切るだけ、スープも材料を鍋に放り込んで煮るだけだから難しくないんだよな』


と、レオンは言っていた。冒険者としてクエストや魔界攻略に出ていた彼も当然自炊はできる。できないのは、未だ手伝いの域を脱していないマリーゼだ。


(レードラ様は手伝うと仰ってくれたけど、自分で作らなきゃ意味がないのよね)


 マチコが置いていったと言うレシピ本を開いてみるが、異世界の言葉で書かれていてまったく読めない。挿絵から何となく想像が付く程度だ。何冊かはスティリアム王国で絶賛翻訳済みとの事だが、残念ながらこの古書喫茶には原本しか置いていなかった。


 本日、メニューはすべて出前で賄い、カウンターにはレードラが出張る事で厨房を好きなだけ使っても良いとお達しがあったので、マリーゼは調理に集中できる。


「上手くできるか分からないけれど、初めて一人で作る料理……頑張らなきゃ!」


 エプロンを締め、マリーゼは腕まくりをして気合いを入れた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


『美味い! 初めてでここまでできるなんて、正直思わなかったよ』

『そんな、大袈裟ですレオン様』

『いや、この料理からは君の真心を感じた……人間の女性も良いものだって義母上の言葉、今なら分かるよ』

『レオン様、そんな事仰らないで。貴方が愛しているのはレードラ様です』

『そう、俺はレードラを愛している。だが世継ぎはどうにもならない……だからマリーゼ、代わりに俺の子を産んでくれないか』

『え……ええぇっ!? だっ、ダメですレオン様絶対ダメ! レードラ様を差し置いて私なんか…私なんか……』

『マリーゼ、俺が嫌いか?』


(レオン様、どうしてそんな事……嘘よ、レオン様は絶対に言わない。そうだわ、これは夢よ、夢……)



 どはっ!!


 厨房の椅子に腰掛けてうとうと微睡んでいたマリーゼは、突然の爆音で飛び起きた。材料を入れて煮込んでいた鍋の中身がすべて飛び散り、天井に吹き上げられた分は『ヘタクソ!!』と言う文字を形作っていた。


「これ、龍山泊の開店祝いにレードラ様のお師匠様から贈られたと言う、魔法の鍋だっけ……焦げ付かないって聞いてたけど、もしかしてそうなる前に全部こうなっちゃうから…?」

「なっ、何じゃこの有り様は。クレイジーな臭いがするから来てみれば…」


 カウンターから様子を見にやってきたレードラは、厨房を覗き込み呆れた声を上げる。マリーゼは慌てて雑巾を取ってきた。


「ご、ごめんなさい! つい転寝をしてしまい…」

「いや、この鍋はそんな程度でこうなったりはせん。お主、混乱魔法コンフュージョン魔法薬ポーションでも生成しとったのか?」

「……カレーです」


 レードラがパチンと指を鳴らすと、散乱した汚物…にしか見えない惨状はあっと言う間に綺麗になる。恥ずかしさと申し訳なさで消え入りたくなるマリーゼに、レードラは溜息を吐いた。


「明日は料理対決じゃろうが。作った事もない異世界のメニューに素人が挑戦するなど、無謀過ぎる。もうすぐ閉店じゃし、夜更かしは美容の大敵らしいぞ」

「でも、私まだ何も……せっかくここまで作ったのに失敗してしまうし、本当に私って何もできないんですね」


 ごめんなさい…とマリーゼは頭を下げる。このままではレードラに恥をかかせてしまう。ドラゴンの作る料理など誰も期待していないだろうが、彼女はマリーゼよりよっぽど腕がいいのだ。それなのにわざわざ自分が出しゃばって台無しにしてしまう、と落ち込んだマリーゼを、レードラは包み込むように抱きしめた。


「顔を上げい。お主は儂の代理なのだから、辛気臭い面をされては余計飯が不味くなるわい。言ったじゃろう、どうせなら全員蹴散らせと。明日は必ず、レオンに美味いと言わせてみせるぞ」

「え、でも……」


 ついさっき大失敗したばかりなのに、できるのだろうか。レオンは優しいから不味いとは言わないだろうが、審査でそれは依怙贔屓になってしまう。

 けれどレードラは、心配するマリーゼにニッと悪戯っぽく笑った。


「失敗には失敗なりの味があるんじゃよ。儂がレオンの大好物を教えてやる」



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 翌日の天使の曜日。

 朝食を抜いて腹を空かせておいたレオンは自室にて食事用のテーブルに着き、フィーナと娘たち、それに最後まで残った参加者二名に囲まれていた。執事がお題で作られた彼女たちの手料理を運んでくる。


「…何で俺の部屋で審査すんの?」

「式典前で食堂も慌ただしいのですよ。報道陣に詰めかけられては気が散りますし、貴方も静かに食事したいでしょう?」


 初めて皇子の部屋に通されたランとラフレシアーナは、緊張した面持ちできょろきょろしている。ちなみにランはフリフリピンクのエプロンドレスと同色のブリム、ラフレシアーナは胸パットをやめてスレンダーな体型を活かした大人っぽいシックなデザインのドレスを着ていた。二人の本気度が窺える。


「あたしのクッキー、どうですかぁ? 皇子様のために、おいしくなーれっておまじないかけたんです☆」

「ああ、うん……いいんじゃない? 男心を擽られて」

「わ、わたくしのは如何でしょう。簡単ですが、サンドウィッチとコンソメスープにしてみました」

「いや、すごく凝ってると思う。中身磨けとは言ったけど、既に胃袋掴めるんじゃないか」


 それぞれの料理を口にし、褒めつつも他人事のような一般論しか言わないレオンに、皇后は咳払いをして注意を促す。


「レオンハルト。上の空になっていないで、もっと真剣に審査なさい。貴方が気にしているレッドドラゴンなら、早朝に城の厨房までいらして何やら始めていたようですよ」

「ぐ…ゲホッ! マ…レードラが??」


 そこへ部屋をノックして、マリーゼが入室してきた。普段の店長の制服に、何故か軍手をしている。所々炭が付いたその手の中にあったのは、レオンが冒険中に世話になっていた飯盒だった。


「ここにおったのか。儂の手料理ができたので持ってきたぞ」



 執事に皿を持って来させ、飯盒の蓋を開けると、湯気を当てて現れた白い物体に一同の注目が集まる。


「これは、ライスですわね。東方ではパンの代わりに米を主食にすると聞いた事があります。お兄様も冒険の際には米を持って行ったとか」

「我が国ではそれほど『イネ』は普及していませんから、毎度調達が大変だったそうですよ」

「あの時は本当に、お手間取らせました。でもやっぱり米があると力の入り方が違うんで」


 親子の会話に、ランとラフレシアーナは愕然とする。レオンがクエストで総合レベル九十九になった事、そして魔界攻略でさらにレベルアップした事は調べてあった。だがその食生活までは把握していなかったのだ。


(そんな、ではレオンハルト殿下の好物は、お米…?)

(あっ、でも見て。ライスが……)


 マリーゼが飯盒の中を混ぜる内、炊いた米飯の色が茶色く変化してきた。プルティーが慌てて止めに入る。


「レーちん、飯盒の底が焦げてるよ! ご飯が汚れてる!」

「何だ失敗したの、かっこ悪ーい☆」

「いくら守護神様でも、そのような焦げた物を殿下に召し上がって頂くわけには……ねえ?」

「いや、これでいいんじゃ。レオンの好物はご飯のおこげ……そうじゃな?」


 え? と女性陣に注目されると、皿に出された茶色い飯を美味そうに口にしていたレオンは気まずそうに息を吐く。


「お前……こんな所でバラすかよ。まあ、そうだな。昔(前世)からこの焦げた部分が美味くて好きだったよ」

「そうなのですか……義母でありながら、息子の好物など何も分かっていなかったのですね」

「いや体に悪いって分かってますし、皇子がこんな貧乏臭いの好きだなんて、普通は公言できませんよ」


 苦笑するフィーナに、肩を竦めて答えるレオン。それでもレードラにはちゃんと話しているのだな…と彼等の付き合いの長さは認めざるを得ない。

 妹たちはおこげを興味深そうに見ている。


「お兄様、これはそんなにもおいしいのですか?」

「ああ、香ばしくてジャンクな感じが癖になるんだ」

「ほんとかなあー? あっ、クレイヤ!」

「(ぱく)…うん」


 一口食べてにっこり笑ったクレイヤの反応に、一同も次々ご相伴に預かる。


「ほんとだ、割といけるねっ☆」

「く、悔しいですけれど、殿下がお気に召されたと言うのなら……ですがやはり、元々愛されていると言うのは最初から有利と言わざるを得ませんわ。だってわたくしたち、レオンハルト殿下の一番の好物が何かなど、知りようがなかったのですから」


 ラフレシアーナはつい、負け惜しみを言ってしまう。ここに来て、レードラの参加は勝ち負けとは関係ないとは言っていられなくなった。明らかに彼女は、女として勝負に出ている。それが、端々から滲み出ているのだ。

 だがマリーゼは、この結果に後ろめたさを感じた。


「ならば儂は、失格扱いで良い。元々、正式な参加者でもないしな」

「レードラ!? 何言って…」

「…レオン様、やはり私はズルをしています。本当は私の料理は失敗していたのです。それを見かねたレードラ様に、レオン様の好物を教えて頂き……だから、お二人の本気に応えられているとは、言えません」


 周りに聞こえないよう、マリーゼは声を落としてレオンに囁く。レードラの代理として、二人を蹴散らさなくてはいけない。ただそれは、実力で成し遂げたかった。おめおめと婚約者を奪われてしまった負け犬は、悪役令嬢を演じ切る事すらままならない。マリーゼは己の無力さを改めて思い知った。


 だがそれを打ち破ったのは、レオンの一言だった。


「いや、違うぞ。俺はおこげは好きだが、一番はこれじゃない」


「「「えっ?」」」


 マリーゼ、ラン、ラフレシアーナの声が重なる。


「レードラは勘違いしてるんだよなあ……これ、本当の事言ったら嫌われそうだから隠してたんだが……

義母上、フローラ、プルティー、クレイヤ。今からすっげー行儀悪い事するから、部屋を出てってくれないか?」

「まあ、家族にも見せられないものを、御令嬢方には見せると?」

「仕方ねーだろ、レードラだけ知ってるのはズルって言うんならさ……ほら、出てった出てった」


 釈然としない表情の皇后たちを部屋の外に追い出すと、レオンはマリーゼにも声をかける。


「レードラにも見せたくないから、できればお前にも出てって欲しいんだけどな」

「見なければ問題ないのですね? では後ろを向いていますから、ここに居させて下さい」

「はあ……絶っ対、こっち向くんじゃねえぞ」


 念を押すとレオンは焦げた飯のこびり付いた飯盒を持って、二人の方へ歩いていった。以後、マリーゼは彼等の会話しか分からなくなる。


「ラフレシアーナ嬢、コンソメスープがまだ残っていたら分けてくれるか?」

「も、もちろんですわ……えっ、そこに入れるのですか?」

「ああ、これで残りをこそげ落として…」


 ズズーッと不快な音がして、彼女等が息を飲んだ。


「あー、んめえ! こんなきったねえ食い方、レードラにバレたら軽蔑されるからな。お前等絶対黙ってろよ」

「た、確かにこれは皇后陛下にお見せしなくて正解かも……でもでもぉ、あたしは庶民臭い方が親しみ持てるかなっ☆」

「公言できない事は誰しも胸にある……それでも好きな想いは捨てられませんものね。もちろん、わたくしたちだけの秘密に致しますとも、それはもう!」

「あっれー、胸もない人が何か言ってるー☆」

「嫌ですわ、老獪な方ほど揚げ足取るのに耳聡くって」


 何やら楽しそうに話しているレオンたちに、マリーゼは後ろを向きながらむくれていた。


(レードラ様に秘密だなんて……レオン様の、バカ)


 一体自分は、何のために頑張ってきたのか。そう思いたくなるが、一方でこれは自ら失格を言い出したマリーゼへの気遣いだとも分かっていた。もちろんレオンとしては、レードラに身を引かれては困ると言う事もあるだろうが。



 部屋に戻ってきた皇后は、参加者たちと和やかな雰囲気のレオンを見て、満足げに扇子を口に当てる。


「ではレオンハルト、貴方が一番心を動かされた手料理を選びなさい」

「それが、皇后陛下……この三人は誰も、俺の一番の好物を当てられなかった。ですが出された手料理はすべて美味くて、優劣は付けられません」

「まあ、どうしましょうね? つまり、ここにいる全員を婚約者にすると言う事で、よろしい?」


 全員? 三人が顔を見合わせる。数としては妥当である。何ならこのまま後宮に入ってもいいくらいだ。だがレオンは首を振る。


「彼女たちももしかしたらこの先、他に好きな相手や夢が見つかるやも知れません。俺の婚約者になっていれば、それが足枷になります。だから……早急に結論は出さずに、このまま保留と言う事で」

「何を悠長な……御父上の容態は知っているでしょう」


「余ならピンピンしておるぞ」


 そこへ、皇帝と宰相が部屋に乗り込んでくる。一気にロイヤルファミリーが出揃った事で、参加者二人は緊張でガチガチに固まっていた。


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