第5話

「すごいですね…これ全部、世界でも数点しか在庫が存在しないんですか」


 指定した時間に魔法陣の上に現れた書物の山に、マリーゼは目を丸くする。


「今からそれを分類して、三十部以上存在するのは返却するんじゃ。何でもかんでも引き取っておったら、本棚がいくつあっても足りんからのう」

「え、返しちゃうんですか……」


 暇さえあればカウンターやバックヤードに古書を何冊か持ち込んでいたマリーゼは、そう言いかけてつい顔を赤らめた。今はまだ隣国に自身の生死を明らかにする時ではないので自由に歩き回るわけにはいかず、目の前にある書物で時間を潰していたところ、すっかり本の虫になってしまったのだ。


「所有者には許可を取れば国立図書館への寄贈を勧めておるが、何だったら返却前に目を通しておくか?」

「すみません……」


 優しい目をするレードラを珍しいものを見たと驚きつつも、従業員の一人である猫娘のミィシャは書物をバックヤードへ運んだ。

 古書喫茶『龍山泊』にはオーナーのレオンハルト、店長のレードラの他に、魔物の従業員がいる。マリーゼについては魔力量の違いからレードラとの見分けは簡単に付くが、店長不在の時には代理として扱うよう指示されていた。困った事があれば瞳を通じて分かるので、途中で入れ替わる事で対処できるのだ。


 レードラに教わりながら、マリーゼも瞳の魔力を使って書籍の状態を調べていく。作者は誰でいつ出版され、何部発行されたか。そして今、世界にどのぐらい残っているのか。意識して対象物を見つめる事で情報が浮かび上がる鑑定魔法である。


「…これってもしかして、人にも使えるのですか?」

「もちろんじゃ。フルネームや出身地、年齢その他諸々のステータス…果てはスリーサイズから好みのタイプまで丸見えじゃぞ。今日穿いてる下着の色もな」

「た……大変じゃないですか! 個人情報がそんな簡単に!」

「じゃが実際使ってみて分かる通り、魔力を大幅に食う上に向こうに防御魔法を使われると見えん。さらにお主の場合、ちらっと思っただけで発動するのも困るからのう。コントロールできるまではフィルターをかけておくから安心せい」


 とりあえず他人の秘密を勝手に暴き立てる事はないのだと知り、ホッとする。

 魔法使いとは、自身の魔力を自由自在に操れる存在である。魔力は誰しもが持っている魂の力で、重要なのは量よりも技術だ。いくら膨大な魔力を持っていても、上手く操れない内は魔法使いとは言えない。

 マリーゼは帝国の守護神の瞳半分にあたる魔力を与えられたが、相対的に魔法使いとしての腕はド素人にまで落ち込んでしまった。そこで現在に至るまで、必死に瞳をコントロールする訓練を受けつつ、魔法も一つ一つ覚え直しているのだった。


「そう言えばレードラ様、このような事業を国家規模で行うなんて発想、レオン様はどのように思い付いたのでしょうね? 以前お話されていたように、それも前世からの知識なのでしょうか」

「ふむ……あやつが話したのは大半がどうでもいい無駄話じゃったからの。よろしい、店長代理として知っておくべきじゃろう。『龍山泊』誕生までの経緯となると、長くはなるが……」

「ぜひ」


 ちょうど手元の書物をすべて鑑定し終わったところだ。休憩がてら、レードラはレオンの話の続きを語り始めた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 皇帝陛下から第一皇子の教育(と言う名の監視)を任されたレードラは、渋々ながら週に一度のドラゴンの曜日に城を訪れるようになった。


 生まれつき使えるのは神聖魔法で、後は師匠からの又聞きとなるため、魔法の授業は参観のみ。剣術や体術は軽く相手する程度だが、歴史の授業となると生き証人として、教師からも興味深い話をせがまれた。


 そんなレードラは、上下揃いのジャケットとタイトスカート、髪をアップにして伊達眼鏡と言う、女教師風の格好をしている。言うまでもなくレオンのリクエストである。しかし尻尾を出すためにファスナーは下ろされ、素足で立っているのが別の意味で異様だった。


「レードラ……お前パンストはどうした? ヒールは?」

「ああ、お主が持ってきた、あのうっすいタイツの事か? 儂は人型になっても爪の固さは変わらんから、穿いた瞬間に破れてしまったぞ。靴も一発で穴が開いた。ああ言う見栄えばかり気にするファッションは耐久性がなくていかん」

「おい、下着はちゃんと着けてるんだろうな? 女教師が生足の上に穿いてないとか洒落にならんぞ」

「尻尾があるからのう……あんなモゾモゾしとるのは落ち着かんのじゃ」


 ただでさえ怪しい格好で目のやり場に困るのに、教育に悪そうな会話まで出てきて、独り身の男性教師は止めるべきかおろおろする。相手はこの国の皇子と守り神なのだ。果たして強気で割って入ってもいいのだろうか。

 しかし彼が反応する前に、レオンが金切り声を上げた。


「ダメー!! そんな痴女みたいな格好で人前に出るとか、お父さん許しませんよ!」

「誰がお父さんじゃ!! ええいうっとおしい、グチャグチャ抜かすならいっそ全裸になってやろうか」

「やめてー、みんなが見てるー!!」


 レオンがレードラの腰にしがみ付き、そこを尻尾でバシバシ叩かれると言う通常運転が始まると、もう授業は滅茶苦茶になる。(最後は魔法で回復すると分かっているので、最早誰も止めない)

 教師も諦めて帰り支度を始めようとした、その時。


「騒がしいですよ! 一体何を……して」


 様子を見に勉強部屋の扉を開けた侍女長が見たのは、守護神と名乗る怪しい女性に纏わり付き、スカートをずり下ろそうとしている(ようにしか見えない)第一皇子の姿だった。

 ぷち、と何かが切れる音がした。


「勉強もせずに、何を遊んでいるのですか、貴方たちは!!」

「ご、誤解だロッテンマイヤーさん!」

「私はフローレンスです! 十歳まではまともに呼べていたのに、赤の渓谷で頭を打ってからの殿下と来たら……いえ、それは今は置いておきましょう」


 二人は頭にタンコブをこさえ、部屋の真ん中で正座させられている。レードラを殴った時は逆に侍女長の手が腫れ上がってしまったので、そっと指し棒を渡したのだが無視された。


「分かりました、ドレスも下着も私が用意しますので、レードラ殿は今から採寸に来るように。その尻尾邪魔ね……何とか引っ込めたりできないの? え? 変身魔法が不得意でこれが限界? 仕方ないわねえ、スカートが捲れ上がると見苦しいから、せめてドロワーズは同色にしましょうか」

「絶対反対ー!! 下着は白一択で!」

「うっさいんじゃ、このおっさん子供!!」


 話をぶった切ってすぐ漫才を始める二人にもう一度鉄拳制裁(今度は教科書を使った)を食らわすと、侍女長は歴史教師に後を任せ、レードラを引き摺って勉強部屋を出て行った。

 教師は溜息を吐きつつ教科書を拾うと、蹲ったままレードラの行ってしまった扉に向かって手を伸ばしているレオンを無理矢理起こした。


「殿下…子供の内はまだいいですが、あまりレッドドラゴンに入れ込み過ぎない方がよろしいですよ」

「なんで? 俺はレードラを愛してるんだから、将来結婚するつもりだよ」

「いや、無理でしょう。神様ですよ? 子供だって産めないじゃないですか」

「そんなの分かんねーじゃん。頑張れば何とかなるかもしれないし」


 キラキラした目で主張されるが、言っている内容は反応に困る。


(あー、もう!)


「教科書五ページ! ドラコニア帝国の夜明け、始祖が見た渓谷の霧の所からお読み下さい!」


 教科書を突き付けられ、レオンは渋々受け取って朗読した。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


【渓谷に、深い霧が立ち込めている。そこへ夕焼けの光を受けた雲の影が映ると、まるで巨大なドラゴンが泳いでいるかのようだ。この美しい光景を、新しく興す国のシンボルとしよう。赤き渓谷の女神よ、我が一族に永久とわの祝福を与えたまえ。

――ドラコニア帝国初代皇帝パンテロス=フォン=ドラコニア】


「それ、儂、儂」


 マリーゼが読んでいる『ドラコニア帝国の歴史①~黎明編~』を覗き込みながら、ニコニコして自身を指差すレードラ。この本は教科書にも指定されるほど多く出回っているので、当然返却に回される……と思ったら、偉人の絵は落書きによって無残な姿にされていた。使用済みのゴミが紛れ込んでいたようだ。


「それで、先程教師の方が仰った事なのですが。レードラ様は女性……であるにも関わらず、どうあっても御子を産めないとは」

「それはな、神とは概念だからじゃ。儂が女なのはパンテロスが霧に映った雲の影を『ドラゴン』そして『女神』と呼び、帝国民たちも雌のレッドドラゴンが居ると認識したせい……それが神であり概念なのじゃ。儂が…と言うより人は概念とは子を成せん」

「概念……ですが、レードラ様はここに居て、ちゃんと触れます。神聖魔法も使えて……わ、私のこの目だって!」


 ただの概念が、ただの思い込みが自分を助けたなんて、信じられない。興奮したように目を押さえるマリーゼの手を、レードラは落ち着かせるよう下ろした。


「待て待て、続きがあるのじゃ。この地上だけでは想像上の存在に過ぎんよ。じゃがな、あるじゃろうが。悪魔に鬼……それに魔王。それこそ伝説と呼ばれる生物たちがうじゃうじゃ居る世界が」


 言われてマリーゼは気付く。地上にも極稀に現れる、次元の裂け目。その先にある、世界の裏側。勇者と呼ばれる英雄たちが魔王を倒すために向かったと言う――


「魔界……貴女は、魔界で生まれたのですか」

「そうじゃ。その正体は精々ただの現象に過ぎんかった概念が、永い時をかけて魔界に儂を産み落としたのじゃ。儂は長らく己の役割なんぞ何も分からずに、魔界の生物として何となく生きとった。


じゃが何百年かしたある日、突如地上に召喚された。

魔界じゃ見た事もない、真っ青な空と光り輝く太陽。巨大な祭壇に描かれた魔法陣の上に、儂は放り出されておった。

パニックを起こして儂は暴れた。そこら辺の建物は崩壊したし、周りにいた人間も巻き込んでしまったのう。てっきりそれで、奴等は恐れ慄いて逃げ出すと思うたのじゃが。


『守護神レッドドラゴンよ、どうか帝国の民をお救い下さい』


当時は言葉なんぞ通じんかったが、恐らくこう言っておったのではないか……

同胞を殺した化け物相手に、そいつらは必死に縋ってきた。ひょっとしたら儂より強いから恐れていないのではないかと勘繰ったがそうではなく、もう奴等には失うものが何もなかった。そこに残っておったのは僅かな召喚士と、儂を呼び出すために生贄に選ばれた者たちじゃった。


奴等の案内と身振り手振りの説明で把握したところによれば、ドラコニア帝国は国家的危機に見舞われておった。原因は、疫病の蔓延。特効薬も対処法も見つからず、ついに病魔は皇族にまでその触手を伸ばしつつあったな。


そう言われても儂にはどうすればいいのかも、何故呼び出されたのかも分からん。儂だけが頼りだと言わんばかりのたくさんの目を向けられて、初めて『困惑』と言う感情に襲われた。

こやつらなんぞ放って逃げ出してしまいたい。じゃがそうすれば、きっと永遠に儂は後悔する。何故か、そんな確信があって身動きが取れなくなった。


そこへ現れたのが、小さな子供じゃった。疫病を患い、今にも死にかけておったが、こやつも儂を恐れる事なくしっかりとした足取りで近付き、跪いた。


『レッドドラゴンよ、我等の呼びかけに応えてくれた事に感謝する。帝国は今、滅亡の危機に瀕している。人の力ではどうにもならず、ついに神に縋るしかない現状を許して欲しい。

貴女は自分が何者であるか、何の使命を持っているのか知りたいのだろう。私が……他ならぬ私が、それを伝えよう。数百年越しになってしまったが、貴女に会う事ができて、私は嬉しい……』


不思議な事に、儂はその時の子供の言葉を理解できたのじゃ。子供はドラコニア帝国の歴史……始祖がレッドドラゴンと出会った神話から建国までをざっと簡単に説明し、現状をどうすればいいのかも教えてくれた。

帝国の守護神レッドドラゴンは神聖魔法『女神の祝福』そして『浄化』が使える。今まで魔界で無為な時を過ごしていたこの儂こそが、その伝説そのものなのじゃと。


『信じられないだろう……だが、本当なのだ。何故なら私こそが……その伝説を生み出した男なのだから。死の間際にそれを思い出した、私だから分かるのだ。どうか赤き竜よ、渓谷の女神よ……我が帝国を……民を、救って……くれ』


力尽きて倒れた子供を前に、儂はどうしようもなく焦燥感に駆られた。こやつを救いたいと、心の底から思った。どうすればいい? 儂が帝国の守護者? 女神? よく分からんが何とか助けたくて、儂は祈った。誰に対してだか分からん。この世界の神なのか、生まれ故郷の魔王なのか。


違う、この国では儂が神なのじゃ。儂が、こやつらを護らねばならん。それを理解した瞬間、儂の体から光が発した……太陽よりも眩しく、熱い。儂は咆哮を上げながら国中を飛び回り、魔力を全身から放出したのじゃ。

無意識じゃったがあれが、疫病の元を死滅させる『浄化』と帝国民の体力を全回復させる『女神の祝福』だったのじゃな」


 レードラの昔話を聞き、マリーゼには思い当たる事があった。レオンが自分には前世の記憶があると言った時、彼女は珍しくもないと答えた。その相手は、もしかして……


「レードラ様、貴女を導いてくれたその子供は……ドラコニア帝国初代皇帝、パンテロス一世だったのではないですか」

「どうじゃろうな……そいつは助かったが、目を覚ました時には自分が何を言ったのかもすべて忘れておった。儂を見てチビるほどビビッておったぞ、ふははは…

まあとにかく、国家の危機は去ったわけだが儂は魔界に帰れなくなった。しかしここで暮らそうにも巨大なレッドドラゴンに居座られたら国民も落ち着かんじゃろ。最初に何人か殺してしまってるし、儂も死人は生き返らせんしな……でだ。帝国中の有識者たちによる話し合いの結果、儂には生息地とされている赤の渓谷を住まいとして提供された。神話通り、生きた伝説として皇家と共存していく事になったのじゃ。

そこからさらに数百年……大魔女に師事して通常魔法の習得、さらに兄弟弟子のマサラとの交流を通じて人間との意思疎通ができるようになったのは、割と最近の話じゃのう」


 長い長い話が終わり、マリーゼは溜息を吐いた。概念と言う存在。子供が産めない理由。それを理解すると同時に、レオンの想いが単純に種族間の問題ではなかった事を改めて知ってしまったのだ。


 レードラはドラコニア帝国の守護神であり、帝国民すべてのものだ。

 だと、帝国が決めて、世界が創り出した。特定の誰かが独占し、あまつさえ血を残す事などできない。たとえそれが、皇帝であっても。

 例えば天使が、天の使いと言う己の本分を忘れて人間に恋をし、血を残したら。罪を犯して地上に堕とされた天使は、魔王と呼ばれたのではなかったか。

 レードラも、同じだ。レオン一人のものになれば、神ではいられなくなる。概念そのものが、否定される。そうしたら、概念から生まれたレードラは、どう変質してしまうのか。


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