第20話

「いたたたた…」


 激突する瞬間、何とかもう一度風魔法を発動させたものの勢いは殺し切れず、マリーゼは着地の衝撃で地面を転がった。

 既に谷底近かったとは言え、失敗していたらと思うとぞっとする。


(これは……足捻ったかも)


 怪我の状態を確認し、鞄の中を探っていたマリーゼの顔が曇る。

 魔法薬ポーションの小瓶が割れていた。これは『修復』で直せるが、流れてしまった液体は何ともならない。


「しまった、こっちには保護魔法をかけておけばよかったわ」


 風魔法と同時に保護魔法は使えないと言う事に気を取られて、自分とは無関係の鞄の中身にまで頭が回らなかった。


 大系は違っていても、同じ効果の魔法はある。特に回復・補助系はそれが顕著だが、違いはその範囲だ。

 自分と仲間に限定されるのが通常の回復魔法、信仰する神の加護を得て不特定多数にまで及ぶのが神聖魔法、精霊の力を借りるのが精霊魔法だ。

 マリーゼは瞳の魔力がレードラの物になってから魔法大系が大きく変わり、専ら神聖魔法に頼るようになっていたので、通常との併用は頭の切り替えが難しい。


(思っていた以上に、頭に血が上っていたのね……)


 仕方なく薬草と包帯を取り出し、応急処置をする。自分はこんなにも、好戦的な性格だっただろうか? タリアにルピウスを奪われた時でさえ、黙って俯くしかなかった自分が。だが令嬢たちに敵意を向けられ、ずるいと言われた時に、腹の奥が熱くなったのだ。


(負けたくない)


 それは、レオンのためだろうか。それとも、レードラのため? 少なくとも、マリーゼには何の得にもならない。あるとすれば、彼等に恩を返すくらいだが、それも頼まれたわけではないのだ。


 ぐるぐると思考の迷路に嵌まりながらも痛む足を引き摺り、マリーゼは目的の場所へ向かう。ここで一年間過ごした彼女にとって、霧が深くても大体の場所の目星は付いている。


 そこは、岩がでんと鎮座しただけの簡素な墓だった。マリーゼをドラコニア帝国まで運んだ、御者のものだ。

 ルピウスの指示では国外であればどこでもいいらしかったのだが、彼は何を思いこの国を選んだのだろう……もしかして、故郷だったのだろうか。巻き込んでしまった事を謝罪しつつ、マリーゼは手を合わせた。彼の宗派はともかく、クラウン王国式で祈る。


「今日はこの花が必要なのです。お借りしますね」


 墓の前には、赤い花が咲いていた。赤の渓谷の花を一株、ここに植えておいたのだ。スコップで根元から掘り出し、土ごと瓶に入れて今度こそ保護魔法をかけておく。


「さてと……問題はどうやって戻るかだけど」


 さっきは落下の勢いを殺すために使ったが、マリーゼにはこの高さの渓谷を風魔法で飛んでいくのは無理だ。魔導シールを貼ったモノクルもどこかに落としてしまったし、付けていたとしてもこの程度の怪我では光らないだろう。


(レードラ様は、今も見ているんだろうけど…)


 レオンは、マリーゼを止めないのは静観しているからだと言っていた。勝手に自分のふりをしているのを怒っているのか、あるいはどこまでできるのか試しているのかもしれない。


(だとしたら、やれる所まで自分でやらなきゃ)


 龍山泊の場所までも相当高いが、とりあえず真下まで行って登る事ができれば、後は魔法陣で城まで行ける。今の足では途方もなく思える距離を、それでも歩こうと振り向いた時。



「何だ? お嬢ちゃん、そんな格好で谷底まで下りてきたのか」


 何やら粗野な連中が数人、墓に近付いてきた。装いからして、冒険者だろうか。

 彼等に口笛を吹かれ、今の格好を思い出して慌てて服の破れ目を押さえる。足が丸出しになっていた。


「やるなあ、皇子サマの婚約者候補になろうって女は、貴族か金持ちの娘のはずだぜ。普通なら俺等みたいなのを雇うんだが」

「!?」


 そんなの有りか、と思ったが、プルティーのお題は『赤の渓谷の花を獲ってくる』としか言われていない。つまり、参加者本人が谷に降りる必要はなかったのだ。一旦城に戻った令嬢はその事に気付き、冒険者ギルドに依頼を出したのだろう。


(私ったら、何てバカ正直な……これじゃ普通に参加していたら、予選の時点で敗退していたわ)


「おい、こいつ例のドラゴンじゃねえのか? ドレスから尻尾が出てたぞ」

「何? この渓谷に住んでるって、あの? そんなわけあるか、足を怪我してるじゃねえか」

「それが依頼主によれば、変身封じの腕輪を付けられているとか。今は人間と変わらねえとよ」

「マジかよ。そう言われてみれば、あの黄金の瞳は……! こりゃ一攫千金のチャンスだぞ」

「おいおい、帝国の守護神様に手を出していいのかよ? それに、依頼はどうすんだ?」

「バカヤロー、あのケチな依頼とドラゴンの目玉、どっちが稼げると思ってんだ。くり抜いたらこの国からさっさとずらかればいいし、掴まってもあのお嬢さんに依頼されたって言やいいんだよ」


 どうやら他国からの流れ者だったらしい。話が一気に物騒な方向に転がり、ぎょっとしたマリーゼは咄嗟に逃げる算段を立てる。


(龍山泊の方向は……塞がれてるから彼等の間をこの足ですり抜けるのは無理。保護魔法の結界は……時間がかかり過ぎる。となれば、とりあえず防御魔法!)


 シールドを張るため手を突き出したマリーゼだが、それに気付いた仲間の一人が一瞬早く、ボウガンを撃って肩に命中させる。


「ぐっ!! う…」

「おい、網をかけろ。魔物が中で巨大化しても切れない魔道具マジックアイテムがあったろ。腕輪を外させるぞ」


 激痛で蹲るマリーゼの上に網が被せられ、乱暴に腕が取られる。同じごつごつした男の手でもレオンとは全然違っていて、吐き気がした。


「細っこい腕だな、本当にドラゴンなのか? 変身魔法ってのはすげーな、へへ……弱ってる内に楽しませてもらうのも悪くないか」

「ほほう、何をどう楽しむつもりじゃ? 儂も混ぜてはくれんかのう」


 唐突に降ってきた女の声に、賊が振り向く。と、そこに居た者を目にした誰もが仰天した。たった今捕えた、網の中でぐったりしている人型ドラゴンと寸分違わぬ女が、腕を組んで仁王立ちしていたのだ。


「な…何なんだてめえは!!」

「おや? 儂が誰なのかは依頼主から聞いておるのではないか?

次はこちらの質問じゃ。お主等……

その薄汚い手で、儂のお気に入りに何をした!!」


 ピシャ――ン、ズドーン!!


「うぎゃああああっ!!」


 レードラに指差されたと同時に、賊共はいきなり落ちてきた雷に打たれて失神した。それには目もくれず、レードラは無表情のままマリーゼに近付き、網を切り裂いて救出する。


「あ……レードラさ」

「この大馬鹿者がっ!!」


 バチンッ!!


 レードラに頬をたれて、咄嗟に手で押さえたマリーゼだったが。まったく、痛みを感じない。頬どころか、足の腫れや肩の傷までが消え、刺さっていた矢がポロリと落ちる。神聖魔法をかけられたのだ。


(だけど、痛い……レードラ様にこんなに心配かけて。私なんかより、レードラ様の方が、もっと……)


 マリーゼは一切言い訳をせず、地面に平伏した。


「申し訳ありませんでした」

「ふん、見ているだけのつもりだったんじゃがな……やれやれ、世話の焼ける馬鹿垂れが二人に増えたわい」

「う……ふっ」


 助けられて安心したせいか、今になって全身が震え出した。渓谷に降りてからレードラが来るまでの間、何度も生命の危険があったのはもちろんの事だが。


(怖かった……)


 掴まれた時の男の指の感触が、まだ残っているような気がする。レオンに触れられた時は、あんなにも胸が高鳴ったのに。こちらを値踏みするような、甚振いたぶろうとする情欲の絡んだ視線を思い出し、おぞましさに自身を抱きしめた。

 ルピウスのように冷たく突き放さなくとも、執着によって傷付けられる事もあるのだと、初めて知った。


「己の考えの甘さが身に染みたか?」

「はい…」

「帝国は広い。どれだけ上の者が手を尽くしても、虫けらの入り込む穴をすべて塞ぎ切るのは不可能じゃ。こんな時、レオンたちの世界ではぴったりの言葉があったのう…そう、確か『君子危うきに近寄らず』じゃ。お主なら分かるじゃろう?」

「はい……っ、レオン様とレードラ様に守られている事に甘え、自分がどれだけ無力な存在かを忘れて、何でもできる気になっておりました。お許しくださ……グスッ」


 堪え切れず、嗚咽を漏らすマリーゼに、レードラは困った顔をする。


「…そこまで自虐させる気もなかったのじゃがな。そもそも御令嬢方に皇家の試練と言うのも無茶が過ぎるわ。出題したプルティーと、止めんかったレオンは後でこってり絞ってやらねば……」


 マリーゼの片目に眼帯変わりの布を巻いてやりながら、一人文句を言うレードラには、もう彼女を責める様子はなく。マリーゼはずっと気になっていた事を聞いてみた。


「あの……怒って、らっしゃらないのですか? レードラ様の身代わりをした事」

「いや、なかなか面白い余興であったぞ。特にあの演説は本物を超えておったわい。この際じゃ、引き受けた以上は最後まで務め上げてみい。お主が覚悟を決めると言うなら、応援してやっても良いぞ」


 見られていたのは知っていたが、挑発混じりの啖呵まで聞かれていたとは。どうもマイクやスピーカーの中の妖精エコーと同族を一人捕まえて、バックヤードで実況させていたらしい。妖精はニルスに協力してはいたものの、さすがにドラゴン相手には逆らえなかったようだ。


「そう言えば、この人たちはどうしましょうか?」

「うむ、こやつらの情報は先程読み取っておいたから、誰に雇われたのかも分かっておる。それより儂等が揃っているのを見られてしまったから、忘れてもらおうかのう」




 数時間後――


「あれぇ、ここはどこなんだろう?」

「ぼくたちどうして、こんなとこにいるの?」

「おなかすいたよー、ママー!」


 背中に【私たちはドラゴンの目玉を狙う密猟者です】と書かれた貼り紙を付けたいかつい男たちが、冒険者ギルド前に縄でぐるぐる巻きで放置されていた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「マリーゼ、無事だったか!!」


 魔法陣を通って現れたマリーゼの姿を見るなり、レオンは駆け寄ってきて彼女を抱きしめた。マリーゼは小さく「きゃっ」と悲鳴を上げ、慌てて他の参加者に聞かれていないか見回すが、居たのは生温かい視線で見守っているレオンの妹たちだけだった。


「ごめん……近くにレードラがいるとは言え、なかなか戻って来ないから、何としても止めるべきだったって後悔してたんだ。魔法だってまだ完全にコントロールし切れてないし、これだけ霧が深ければ何が起きてもおかしくないのにな」


 レオンの腕の中で、レオンの気遣いに触れて、マリーゼの体温が上がった。抱きしめられている。心配されている。胸がきゅうっと苦しくなって、甘い想いで満たされていく。浮かれるのは、不謹慎だと分かっているけれど……


「ごめんなさい、その通りでした。モノクルも落としてしまって、結局レードラ様に助けて頂いたんです。レオン様はティグ様を抱えていらしたし、立場上動けないのは仕方ないですよ。私が悪いのですから、ご自分を責めないで下さい」


 レオンはマリーゼを離すと、じっと見つめる。レードラに何か、伝えたい事でもあるのか……と思いきや、大仰に溜息を吐かれた。


「それにしても、危険過ぎる。もう二度と、こんな無謀な事はしないと誓ってくれ。せめて一言、相談して欲しい。

……まあ俺にもそう言う時期があったから、あんまり偉そうな事は言えないが」


 

 レードラから聞かされたレオンの過去を思い出し、思わずフフッと笑いが零れる。


「……何がおかしい?」

「いえ……レオン様は本当に、レードラ様への愛があれば、どんな壁でも乗り越えてしまうんだなあって」

「……?」

 

 話の流れがいまいち掴めなくて、レオンは首を傾げる。よく分からないが、マリーゼは一人で何かを納得したようだ。


「それはそうとレオン様。私、この度レードラ様から正式に、代理人として選抜会への参加を仰せつかりましたよ」

「何?」

「『どうせなら全員蹴散らして来い』だそうです。フフッ、やりましたね!」


 心底嬉しそうな、満面の笑みを見せられたレオンは、一瞬目を細め。

 その頭に容赦なく、ゲンコツを落とした。


「やりましたじゃねえ、ちゃんと反省しろ!」

「いったぁ~……う、ふふ…っ、すみません」


 涙目になるマリーゼ。だがその痛みの中には確かに優しさも感じられて、頭をさすりながらもにやけてしまうのだった。


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