第25話

 ルピウスがクラウン王国に(無理矢理)帰還してから数日後。マリーゼは今日も店長代理として受付に立っていた。


 選抜会に参加して以来、自分の周りはだいぶ変わった気がする。


 まずレオンの妹たちがよく遊びに来るようになった。たまにティグリスも連れてくるのだが、舌っ足らずな口調で自分をレードラと呼ぶのが可愛くて仕方がない。


 それと少しずつだが、レードラから料理も教えてもらえるようになった。たまにスティリアム王国からマチコも(魔法陣で)出張してきて、レシピの翻訳本を貰ったり料理教室が開かれたりする。早くスープの作り方を覚えて、レードラも知らないレオンの大好物を作りたいものだ。


 そして何より…レオンとの距離がぐっと近くなった。今までは何となくお客さん扱いだったのが、最近では割と遠慮なしに接してくれているような気がする。この間など、レードラが持っているのと同じ魔界の靴をプレゼントしてくれた。レオンたちが『スニーカー』と呼んでいる変わったデザインで、寄り集めた天使の羽で足が包み込まれると言う、世界に二つとない超激レアアイテムである。その割には二足あるのだが、その辺はあまりツッコんではいけないらしい。レオンは「裏技」としか教えてくれなかった。


 そんなわけで毎日が楽しくて、店番をしながらもマリーゼはその機嫌の良さがつい表情に表れていた。


「よお、店長さん。何だかご機嫌だな」

「え、そうですかー? うふふふふ…」

「……情緒不安定か何かなのか? この間なんて殿下…いやオーナーの魔界攻略時の自慢話を嬉しそうに聞いてたしな」

「俺、同じ話聞くの三回目だぜ」

「甘いな。今年だけでもう五回だ。あの人、店長の気を引きたくて何かと盛ってくるからな」

「えー、何回聞いても面白いじゃないですか」

「……ダメだ、熱でもあるんじゃねえか」


 そんな無駄話をしていると、従業員のミィシャが小声で交代を告げに来る。


「店長代理、休憩の時間です。店長を呼んできて下さい」

「あっ、はぁい!」


 本当に熱があるわけでもないが、確かにマリーゼは浮かれていた。レオンの婚約やルピウスの来襲など、心配事がとりあえず片付き、穏やかに過ぎる日々。まさか自分がドラコニア帝国にとって重要な存在になろうとは――


 そんな事は夢にも思わず、マリーゼはスキップしながら軽やかにバックヤードを目指した。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ビリビリ、とレオンは届けられた手紙を破り捨てている。


「また来たのか、レオンよ」

「ああ。宰相もしつこいよなあ、ようやっと娘を押し付ける気がなくなったかと思えば、今度はマリーゼに目を付けるとは」


 自分の話題が出た事に、声をかけようとしたマリーゼはドキリとして物陰に隠れた。とは言ってもこのままではレードラからはバレバレなので、目を閉じて彼女の視界をシャットアウトする。


「いや、儂は悪くないと思うぞ。審査員として儂の代理で出たとは言え、途中からは選抜会に参加もしておる。婚約者の資格としては充分じゃ。

それにあそこまで体を張れるのは、お主を憎からず思っておる何よりの証拠じゃろ」

「やめてやれよ、彼女は俺への恩返しのために協力してくれただけだ。それを今度は本当に婚約者になってくれだなんて……厚かましいだろ」

「そうかのう? お主等はなかなかにお似合いじゃぞ」

「鏡見て言えよ…」


 二人の会話の衝撃的な内容に、マリーゼは口を手で押さえ、バクバクと鳴り響く鼓動がバレないよう縮こまっていた。


(こ、こここ婚約者!? 私がレオン様の……一体どうしてそんな事に)


 話の流れからして、宰相がマリーゼをレオンの婚約者として見初めたらしいのだが。彼が見たのは、ただレードラのふりをしていただけの偽物なのだ。しかも隣国から追放された、わけあり令嬢……皇子の婚約者としては、どうなのだろう。


「しかしな、よく考えてみい。あやつは儂にあれだけそっくりなのじゃ。しかも人間で子供も産めるときておる。今はまだクラウン王国絡みで片付けるべき案件があるが……元々公爵令嬢なのじゃし、それほど問題は」

「レードラ、本気で言ってんなら怒るぞ」


 レオンの声が一気に低くなり、聞いていたマリーゼはゾクッと寒気がした。レオンが壁にダンッと手の平を叩き付け、レードラを閉じ込めている。


「俺が結婚したいのは、お前だよ」

「それはおかしい。お主は選抜会で候補者を二人も選んでおるではないか。何故マリーゼではいかんのじゃ? あやつの婚約もとっくに破談になっておるのじゃぞ」


 レオンの熱い告白もいつもの事なのか、レードラは通じていないように振る舞っている。彼女がレオンを想っていないわけではないのは明らかだった。ただ、このままでは不毛な関係が続くだけだ。

 レオンは悲痛な表情でレードラを閉じ込めていた腕を下ろした。


「それだよ……マリーゼはルピウスに酷く傷付けられている。彼女はすっげー好いだから……今度こそ幸せな恋をして欲しいんだ。

いくらそっくりだからって、子供を産ませるために身代わりをさせるなんて、気の毒過ぎるだろう。あいつは俺なんかより、ちゃんと愛し合える男と結ばれるべきだ」


「おい、その『俺なんか』に十年近くプロポーズされとる儂は何なんじゃ」

「だって愛してるからだよ。俺はお前のためだったら、何だってできる」

「ならば、儂はお主とマリーゼの子が見たいのう」

「…そんな言い方は卑怯だ」


 片手で顔を覆い、俯いてしまったレオンは、そこから動かなくなった。とても割って入れるような雰囲気ではなく、マリーゼはバックヤードから出て行く。うるさいくらいに高鳴っていた胸は、今はスッと冷え切っていた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 引き続きカウンターで受付をしながら、マリーゼの脳裏には先程のやり取りが浮かんでいた。


『いくらそっくりだからって、子供を産ませるためだけに身代わりをさせるなんて――』


「私はそれでも、いいのだけれど…」


 ぽつり、と無意識に呟く。こんな事を言えば、レオンは失望するかもしれない。だが実際に、王侯貴族の結婚は家同士の繋がりであって、個人の愛はそれほど必要ない。確かにお互いが思い合える関係が理想ではあるのだが。


(レオン様は、私とじゃ嫌なのかしら……レードラ様に似ているから、レードラ様のお気に入りだから、尚更躊躇するのかも)


 幸せになって欲しい、他に愛してくれる者を見つけるべきだと言うのも、よく考えればアテーナイアへの態度と変わらない。だとすれば今の自分は、レードラとの恋の障害になってしまっているのだろうか……

 つい思考がネガティブな方向に陥ってしまい、マリーゼは首を振った。


(レオン様のそう言う所、女性に対する気遣いは、とても嬉しい。嬉しいのだけれど――)


 同時に、寂しいと思ってしまう。

 レオンはレードラだけを見つめている。

 彼がレードラに向ける真っ直ぐな愛情の、何て眩しく甘美な事か……


(こんなにそっくりなのに、私はレードラ様じゃないんだ)


 その事実が、何故か物悲しかった。




 その時、チリリンと音が鳴った。誰かが魔法陣を使い龍山泊へ来訪した合図だ。はっとしたマリーゼはもやもやした思考を一旦打ち切り、笑顔で客を迎え入れる。


「いらっしゃいませ、何名……」


 その金色の瞳に映った立ち姿に、声が途切れてしまう。


「すまない、レオンはここに来ているだろうか?」


(ルピウス殿下……!)


 バックヤードからレオンたちが戻らない今、マリーゼはたった一人で店長代理として、かつて己を断罪した王子と一年ぶりに対峙したのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る