第11話
「予算は出せませんね」
提出された請願書を、ユピータ=シュテルン宰相は一刀両断した。
「え……何か問題が?」
「殿下。これを公共事業として行うと言う事は、資金はすべて税金で賄うのはお分かりですね?」
「そりゃ、もちろん」
歴史的価値のある文化遺産を戦火による焼失から保護する事は、国家としてやるべきだと思うが。
「百歩譲って、古書の保管は認めましょう。ですが何故飲食業とセットなのですか。帝国民は納得しませんよ」
「そうかなあ…役所や図書館では軽食もできるし、似たようなもんだと思うけど」
「では、図書館で充分ではないですか。それと通常、閲覧する場は飲食物の持ち込み禁止です。本が汚れてしまいますから」
図書館だとレイニスから預かる書物はほぼ禁書に指定されるレベルだ。こう言うのをよく読む層は図書館に通わずに古書店漁りをする研究者たちだろう。それに国立の施設ほど現時点での政治思想の影響を受けやすい。その結果隅へ隅へと追いやられて、いつの間にか書庫の肥やしと化している。
「図書館ですべてやってくれるなら、文句はないさ。だが古書は古書で救済する場が必要だと思うんだ。本の汚れについては、課題としておく……と言うか古本って食べ零しとか髪の毛とか挟まってて、既に汚いんだよな」
それらしい理由を上げてみるが、つい余計な本音もぽろっと漏らしてしまう。そこを聞き逃す大臣ではない。
「そうなのです、殿下。貴方のその計画、イメージ戦略としては大きな穴があります」
「イメージ…?」
「そう、まず新しい施設を造るとなると、建築業者との癒着を疑われます。飲食関連の従業員の雇用は役員か民間かで分かれますが、国家主導でやるならばあまり前面に出て儲けは出せませんし、いい加減な仕事をされては厨房からネズミや虫が大量発生して本が食われます。
そしてこれが一番重要なのですが、古書は不衛生だと言うイメージです。さらに飲み食いしながらと来ていますから、利用客は精々不摂生で変人の学者や研究者ばかりでしょうな」
あまりにも酷い言い掛かりに唖然とする。癒着? 儲け? 本当に国民は、そんなに金の動きなど見ているのか? 大臣たちのケチ付けたい病ではないのか。
「雇用を作り出すのは大事だと思うぞ……既存の古い建物じゃ保管する意味がないし、衛生面での心配ならなおさら新築の方が安心だろう。
あと客層の変人の学者とは言うが、そもそもそう言う人や物を保護するのって、そんなに悪い事か? ぞんざいに扱った結果、文化遺産がボロボロ他国に流出する事だってある」
一部の資産家や物好きなコレクターが集めても限界がある。国家規模でやらなければ、意味がない。
だが宰相は、首を縦に振らなかった。
「レオンハルト殿下。失礼ながらこれは貴方の発案だそうですね」
「知人からいくつか希望は聞いてるけど、概ねそうだよ」
「ならばこれを実現したとしましょう。帝国民から何と言われるか、予想はできますか?
『ドラゴン狂いの皇子が酔狂で税金の無駄遣いを始めた』」
「な…っ」
まさか自分が税金の無駄遣いなどと言われるとは思わず、絶句してしまう。決して酔狂のつもりではなく、本気で国益を考えていたのだが、元が民間の漫画喫茶からの着想である事や、レードラがウェイトレスをやってくれないか…などと下心も入っていたのは否めないので、無駄と断言されると反論できない。
「はっきり言いましょう。これは『国立古本食堂』ですよ」
「こ…国立古本食堂ぉ!?」
わなわな震えるレオンの前に、シュテルン宰相はバサリと請願書と企画書を投げ返した。
「国中の教育機関にミルクを配る国営乳業の設立は、実に意義のあるものでした。ですが今回に関して言えば単なる娯楽でしかなく、国家主導で行う価値はないと判断致します。
各大臣も、あまり気軽に殿下の誘いに乗らないようお願いしたい。議会を引っ掻き回されても困りますから」
うぐぐ…と呻きながら会議室を見渡すと、こちらを窺い見ていたミルキーズ農務大臣と目が合った。キャトルの父親だ、息子から色々聞いているのだろう。
他にも魔法大臣とは魔法陣の使用許可、商務大臣とは飲食業経営などで相談がしたかったが、宰相から圧力がかかるであろう事は予想された。
ぐっ、と奥歯を噛み締める。
「分かった……それなら公共事業でなく、民間ならいいんだな!?」
「レオンハルト殿下、貴方に個人資産を持つ事は許されていませんよ」
「俺が許されなくても、こっちには仲間がいるんだ」
「サイケ=デリックの事ですか? これから貴方に割く時間が取れるでしょうかね」
当然のようにその名を出す宰相に、会議室を出て行きかけた足が止まる。
「なん…で……」
「おや、ご存じなかったのですか。最近、城下町でとても腕のいい金細工師を見つけましてね。ようやっと見習いを抜けたと親御さんが仰っていたので、貴族相手に装飾品を製作してみてはと声をかけたのですよ。これがまた好評で……娘もお気に入りのようですし、姫様たちのお耳に入って皇家御用達となるのも時間の問題でしょう」
レオンの脳裏に、アクセサリーを自慢げに見せるアテーナイアが思い浮かんだ。くらり、と眩暈がした。
(……やられた)
「農務大臣の御子息も騎士団の活動が今後忙しくなりますし、もう一人のお仲間も同じ精霊使いとして、陛下の妖精界への外交時に同行する事が決まっております。
何の基準で集まったのかは存じませんが、殿下もお遊びは程々にして、ご自分が成すべき事を果たしてもらいたいものです」
(こんの、タヌキジジイ――!!)
怒鳴り付けてやりたいのを必死で堪える。どうでもいい事だがこの世界に日本の狸はいないので、実際口にしても通じないだろう。
「それは、貴殿の令嬢とさっさと婚約しろと?」
「皇子妃が誰になるかはさておき、殿下は我が娘に不満がおありですか」
大ありです、と言ってやろうかと思ったが、頭に血が上ったまま発言するのは危険だ。一旦深呼吸して冷静さを取り戻す。思ったよりも国立古本食堂の一言が効いていたようだ。
これでも国政の中心人物である。ただの言い掛かりとは切り捨てられないほど的を得ている部分もあるし、提示された問題は聞いておくべきだろう。
(それはそれとして)
「シュテルン宰相、貴方のお嬢さんは大変素晴らしい御方です。あんなにも美しく、気高く、清らかな令嬢は他にいないでしょう」
「……そこまで娘を評価して頂けるのでしたら、何故」
「そんな御方に、私のようなドラゴン狂いは相応しくない。こんな爬虫類やら古本やら……あと使用済みのミルクキャップなんかで汚れた手で、アテーナイア様に触れるわけにはいきません、指一本!」
農務大臣が真っ赤な顔をして口を手で塞いでいた。ミルクキャップの辺りがウケたらしい。あの人は赤龍ミルクの運営にも関わっているので、ギューメンが大流行しているのも当然知っているだろう。
一方、宰相の額にはビキッと青筋が立った。あまりやり過ぎて怒らせるのも得策ではない。そろそろ引き際を見ておかなくては。
「ですからアテーナイア様には、こんなバカ皇子の事など忘れて、もっと好いお相手と早々に幸せになって欲しいとお伝え下さい」
「お待ち下さい、殿下…!」
一気に喋り切るとぺこりと頭を下げ、宰相が何か言いかける前に聞こえないふりをして会議室を後にする。
「畜生ぉ――! だったら……一人でもやってやらぁ!!」
人気がなくなった辺りで感情を爆発させると、赤の渓谷へ向かうべく、レオンは地下へ通じる階段を駆け下りて行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「赤いドラゴン~♪」
洞窟『竜の爪痕』にて、一人で歌いながらレオンはツルハシを奮っていた。これはクエストの最中に偶然入手した、勇者の剣と同じ特殊金属から作り、さらに魔石を組み込んで効率・耐久共に極限まで強化したサイケ渾身の一作。名付けて『魔人のツルハシ』である。…最強の武器が作れる技術を全力でアホな事に費やすのは日本人の
ちなみに歌っているのは、前世でたまにやっていた戦後特集番組で必ず流れるBGM…の替え歌だ。あれをバックに焼け野原が恐るべきスピードで復興していく映像を何度も刷り込まれる内に、早送りで作業を終わらせたい時につい口遊む癖が付いてしまった。さすがに転生してからはなかったのだが、今回相当苛付いていたところに、自分の中のおっさんが顔を出してしまったようだ。
「ド~ラ~ゴ~~ン♪ …っとぉ!」
興が乗ってきたところで痛みが走り、手からツルハシがすっぽ抜ける。見るとマメが潰れていたので、溜息を吐いて薬草を塗り、一旦休憩を取る事にした。死亡しない限り、どんな瀕死状態からも回復できる神聖魔法のデメリットは、自分にはかけられない事だ。クエストではサイケたちを神聖魔法で援護する一方、こうして薬草や
そう言えば最近見かけないが、レードラはどこへ行ってしまったのだろうか。
(あいつの事だから、大臣たちが妨害するのをこれ幸いに、俺が音を上げるのを待ってやがるな……そうは行くか)
再びツルハシを握り直す。サイケが宰相の推薦でドラコニア城お抱えの金細工師になる事を、責めるつもりはない。何せレオンは今まで(冒険者ギルドを除けば)無報酬で付き合わせてきたのだし、いくら日本人同士のよしみと言えど、サイケにはサイケの生活がある。宰相に睨まれるよりは、コネを作ってやった方がいい。彼の腕なら必ず大成できるだろう。
(だから裏切ったなんて思ってねーし、むしろ今までよく俺の無茶に付き合ってくれたもんだよ。ただ、戦力を大幅に削がれたのは痛手だったと言うか)
議会の承認が得られない以上、レオン個人が計画を進める上での課題は五つ。
①資金。これはここ二年のクエスト報酬をサイケに預かってもらっている。足りない分についてはまた考えよう。
②従業員の雇用。役員であれ民間であれ、前面に出すのは角が立つ。ならば施設そのものを個人の所有物として、使用人を雇うのはどうか。…あと、レッドドラゴンがすぐそこにいるのだから、誠実で肝の据わった者じゃないと無理だろう。何より給料はどうする。
③洞窟内の建築工事。意地になってツルハシを振るっているものの、一人では何年かかるか分からない。作業員は必要だが雇う金がない。
④衛生面。飲食業との併用なら考えておかなければならない。それと、古本の修繕や保護についても。いくら貴重な書物であっても、本の虫は平気でながら読みをするので汚れてしまうのは避けられない。公共物にするならこの辺の管理は必須。要はこれにも人件費がかかる。
⑤魔法陣。魔法大臣に届け出がなければ違法。城と渓谷を繋ぐ魔法陣も、国できちんと管理されている。レードラがいない今は苦労して縄梯子で洞窟まで降りたが、客が空を飛べる魔法を使えるとは限らない。そして帝都から相当離れたこんな辺鄙な場所に通うには、どうしても魔法陣は必要なのだ。
「結局は金……それに大臣の承認かあ。帝国の皇子としちゃ、あり得ねえ世知辛さだな」
ドラコニア帝国はトップに皇帝がいるが独裁ではなく、宰相以下大臣たちによる議会があり、皇帝は最終的に決定した事にゴーサインを出す立場にある。権力としては宰相の方が上だろう。結婚相手も本来なら個人の一存で決められないし、その中でレオンは相当な無茶を通しているわけだ。
金銭に関しても同様で、国民の税金で食べている以上は予算が決められている。冒険者ギルドのクエストを受けても国への奉仕扱いで報酬は受け取れない。(現在は梁山泊名義でサイケが預かっている)
愛も金も自由にできない孤独なトップが、皇帝と言う存在なのだ。
「まあ、愛も金もないのは前世でも同じか……ははっ」
「前世とは、何だ?」
「うおっ!?」
大きくツルハシを振り被ったところで、いきなり声をかけられて仰け反ってしまう。振り返ればそこには、居るはずのない人物が立っていた。
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