第12話

「お、親……皇帝陛下!?」

「今は誰もおらんから、畏まらんでも良い」

「……父上」


 レオンの父でドラコニア帝国現皇帝、ルクセリオン七世であった。ツルハシを下ろしたレオンだったが、父親の手にある物を見てぎょっとする。

 レオンと同じ『魔人のツルハシ』だ。しかも精霊魔法の付加がかかっている。ルクセリオンはニルスと同じく精霊使いなのでそれはいいとして、サイケが作ったのだろうか。皇帝のために?


「余も手伝おう」

「そんな、皇帝陛下ともあろう御方がわざわざ?」

「そなたもただの憂さ晴らしで掘っておるのだろう」


 無言になってしまったレオンに構わず皇帝がツルハシを振るい出したので、仕方なく後に続く。この国の皇帝と第一皇子がたった二人で洞窟を掘り進める。考えてみると物凄くシュールな光景だった。しばらく会話がなかったが、やがて父が口を開く。


「先程の歌、聞いた事がないが何と言うのだ?」

「いつから聞いてたんだよ!?」


 一人だと思ったからやけくそで歌い上げていたのを親に聞かれていたのは居た堪れない。


「我が帝国の新しい国歌にどうだろうか」

「替え歌だからダメだと思う」


 異世界にまで著作権的なアレは押しかけて来ないだろうが、国歌はやり過ぎだ。


「それより父上をここに寄越したのって、シュテルン宰相? それともレードラ?」

「まあ両方からそれとなく話はあったが……余自身が興味があって来たのだ。城では立場もあり腹を割って話せないからな……ただの父と子として」


 そう言って穏やかに向けてくる眼差しは、レオンに前世の父親を思い起こさせた。彼が成人していれば二人で酒でも酌み交わしていたのだろうが、ドラコニア帝国の法律でも日本と同じく飲酒は二十を過ぎてからだ。

 レオンは頷くと、ツルハシを置いた。


「長くなるなら、休憩しようか」

「うむ、その前に手を出せ」


 訝しげにマメが潰れた掌を向けると、皇帝の周りにいた精霊たちが飛んできて綿のような光を振り撒く。これは、ニルスにしてもらった事があるから分かる。回復効果の精霊魔法だ。


「そなたの掘削レベルは60と聞いたが、一日中保護もせずに掘り続けていればそうなる」

「しまった、もうそんなに経ってたか…」


 皇帝直々に来るなんて何事かと思ったが。聞けばレードラや大臣が来て代わる代わる声をかけていたようなのだが、まったく反応も返さず掘り続けるので、ついに皇帝にまで話が上がったとの事。レベルを上げ過ぎるのも考えものだな、と反省していると、岩に腰掛けた父が話しかけてくる。


「それで、そなたに聞きたいのだが。何故、喫茶店なのだ? 古書を保管したいだけなら、然るべき機関が既にあるだろう」

「俺は単に保管したいんじゃないよ。読んで欲しい……いや、違うな。そう言う本を求める連中を一ヶ所に集めたいんだ」

「連中…ユピータの言っていた変わり者たちの事だな」


 同世代の学友だったらしい宰相を、父は名前で呼ぶ。本当に皇帝としてではなく、父親として聞いておきたいようだとレオンは判断した。


「そう、変わり者だから一度読み出したら没頭する。そのせいで貴重な書物だろうと、自分の所有物なら飲み食いしながら読む習慣は既についてるんだ。ただ酷い時は食事も、入浴も、睡眠さえ忘れる。生きていくのに必要な欲が、全部知識欲に取られるんだ。一人でぶっ倒れて誰にも発見されずに死ぬ事だってある」

「お前のようにか?」

「そ……え? あ、ああそうだ」


 たった今、食事も睡眠も忘れて掘削していたのを指摘され、レオンは決まり悪そうに頬を掻いた。


「こう言うのは例え国が命令で無茶すんなとか言ったところで、聞きやしねえんだよ。変わり者の上に頑固だから、学者なんてもんやってんだろうし。

けどそんな一匹狼でも、周りに似たような連中がいて。腹が減れば飯食って、疲れたら仮眠を取る。従業員や趣味の合う仲間とも会話が弾む。視界の隅でそんな事やられたら、何となく自分も混ざりたくなるだろ?

そうして自発的に人らしい行動を取らせる事で、勝手に死ぬはずだった奴等も減らせるんじゃないかなって」


「……つまりそなたが保護したいのは、書物だけでなく研究者もか」

「当たり前だろ。帝国にとって貴重な人材なんだから。野垂れ死にも他国に囲われるのもなしだ」


 皇帝は考え込んだ。ユピータは学生時代から、黴臭い古書を抱え込んで夢中で読むような輩を「ガリ勉」「引きこもり」と蔑んでいた。だが彼らの研究成果があったからこそ、救われる命もあったのではないのか。例えば薬学であったり、魔法学であったり……


『お洒落についての話題より、とても面白いのです。さみしくなんてありません…』


 二度と戻ってくる事のない儚い笑顔が、レオンと重なった。


「死ぬはずだった者を、救う……か」

「えっ、うんまあ…そんな大層な事じゃないかな。好きな事にのめり込むのはいいとして、やっぱり健康第一だから。自分一人の体じゃないんだって、誰よりも国家が、その価値を保障して守ってやらないと」


 力説するレオンの姿を、皇帝は眩しそうに目を細めて見つめた。


(いつの間に、こんなに……強くなったな)


 泣き虫だが優しい心の持ち主だったレオン。今も変わらず誰にでも優しいが、最近はそこに諦めの悪さも加わったようだ。帝国の守護神への懸想……それは単に物好きや変人と片付けていいものか。何せ彼の存在自体、試練を受けていなければ成り立たなかったのだから。


 そんなレオンハルトに、年々母親に生き写しになっていく息子に、ルクセリオンは今まで子供たちには告げられなかった懺悔をしたくなった。


「父上…?」

「レオンハルト、そなた……お前に言っておきたい事がある。ファナの死の原因についてだ」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 お前とフローラの母ファナは、余…いや私の子供時代の宰相の娘だった。お前とアテーナイアのように私たちも幼馴染みでね。ファナは小柄で痩せっぽっち。肌は病的なまでに白くてお世辞にも美しいとは言えなかった。その上寡黙で、同世代の令嬢と親交を深めるよりも一人で本を読む事を好んでいた。

 そんな彼女だったが、我が国では皇太子妃は宰相家から娶る事が多かったので、私も当たり前のようにファナが妻になるのだと思い込んでいた。


 十歳の時、私はレッドドラゴンの試練で赤の渓谷へ向かった。帝国の守護者を一泡吹かせてやろうと意気込んで行った蛮勇は、振るった剣ごと叩き折られて、その上傷も負ってしまった。

 薄れかける意識の中、私はそこでファナに赤い花を差し出す幻を見た。意識を取り戻した私は、そうして隙を見て花を摘み取り持ち帰ったのだ。

 当たり前だが、試練のために獲ってきた花を、彼女は受け取ってくれなかった。ただ御父上に持って行って差し上げなさい、とだけ。その事に酷く失望したものだ。


 しかしそれ以上にショックを受けたのは、十五の時に婚約者に指名されたのがファナではなく、我が母が大神殿の後継者として目をかけていた巫女の家系の双子…フィーナとヘレナだった事だ。あまり知られていないが、最初は彼女たちこそが正式な婚約者だったのだよ。膨大な魔力と優れた神聖魔法の使い手と言う点が評価されてな。


 ファナは、皇后の資格を持たないと言われた。それどころか、二十になるまで生きられないとも。それは単に、体が弱いと言うだけではなかった。彼女は生まれつき、魔力に乏しかった。『マジックパワー』と『マジックポイント』の違いは分かるか? 何、ゲームの違い? 何を言っているのか分からんが……マジックパワーは一人の体に現存する魔力の総量、言い換えれば生命力を数値にしたもの。マジックポイントは一日に使える魔力の限界値だ。鑑定魔法によるステータスでは、マジックポイントしか見る事はできない。

 ファナのマジックパワーは、極端に低かったのだ。だから神聖魔法の効きも悪い。


 私はその事実に、何も考えられなくなった。彼女がしていたように難しい本を読み漁って毎日神に祈って、最終的に思い付いたのは、赤の渓谷の花を獲りに行く事だった。あの花は怪我や病に効く薬は作れるが、マジックパワーには干渉できない。それでも奇跡に縋らなければ、頭がどうにかしてしまいそうだった。

 その時になって私はやっと、ファナを愛していると気付いたのだ。



 五年ぶりに谷に降りた私を迎えたのは、レッドドラゴンだった。人型をしていたので最初そうとは気付けなかったが。

 ん? ああ魔物なので当然衣服など……何だ、私としては、初めて登城する際に着ていた時の方が意外だったがね。何と言ったか…首にスカーフを巻いて、男が着るようなシュッとしたスーツの……しーえー? よく分からんが、お前が渡したのか、あれを。


 話を戻すが、ファナを何としても助けたいと告げると、レッドドラゴンは試練を受けるか問いかけてきた。神である自分は人の願いを叶えられないが、選ばせる事はできる、と。その時は意味が分からず、彼女の寿命を延ばせるなら何でもすると言った。

 レッドドラゴンは、自らの体を傷付け、その血を小瓶に入れて私に寄越した。


「これをファナ=フルスに飲ませれば、人並みに生きる事はできる。だが決して、お主がファナを愛してはならぬぞ」


 そしてファナはぐんぐん健康になった。肌色も良くなり、美しく成長した彼女はよく笑い、交友関係も広がって、やがて令嬢らしく野心も持った。私がファナのためにレッドドラゴンから血を分けてもらったのだと知り、あからさまに頬を染め、そばに侍るようになった。互いの親も私たちが一緒になるのが良いと判断し、晴れてファナは婚約者となった。


 だが……私には、レッドドラゴンとの約束があった。ファナを愛してはならない。だから私から愛を告げる事はできない。急に冷たくなった私に戸惑ったようだが、ファナは生涯、努めて皇后に相応しく振る舞っていた。双子を後宮に入れるよう進言したのも彼女だ。三人は私の知らない所で話し合っていたようで、同い年の姉妹を産みたいなどと妙な約束もしていたようだ。


 ファナは実に精力的に公務をこなしていた。生き急いでいたと言っても良い。皇后としても、神官長としても…。さすがに養育までは手が回らなかったので、お前の世話に双子の手を借りていたのは知っていただろう?


 そしてフローラを産んでから、突然糸が切れた人形のように、ぷつりと動かなくなった。


 彼女の最期の言葉はこうだ。


「愛しております。私の遺した子供たちが、愛の証です」


 飲ませた血に効力はなかったのか? そんな事はない。ファナは数年とは言え二十を超えて生きた。私はそこで初めて、レッドドラゴンの言葉の意味を知る。


 神は人の願いを叶える事はできない。試練を与え、選ばせるだけ。

 ドラゴンの血を飲めば、に生き永らえる事はできる。

 だがそのためには、ファナを愛してはならない。


 ドラコニア帝国の皇后となれば、神官長と兼任し、年中儀式で多大な魔力を消費する。また後継者を身籠る際も、自らの魔力を譲り渡す……

 あの血には、人が通常生きていられるだけの魔力が込められていたのだ。それを私の妃となり、皇后となったばかりに数年で枯渇させ、フローラを産む頃には空っぽになってしまった。


 私のせいだ……愛してはならぬと分かっていながら婚約を断り切れず、ただ結ばれる事が嬉しくて真実から目を背けてしまった。単純に、愛を告げなければ良いのだと……。その結果、私の愛が…ファナを殺したのだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「馬鹿野郎……」


 レオンは拳を握りしめる。殴ってやりたいが、その役目は自分じゃない。


「すまなかった……お前たちの母を奪ったのは私だ」

「違うだろ!? 元々長く生きられなくて、親父が試練を受けたからこそ結婚して二人も子供が産めたんじゃねえか!」


 激昂するあまり、親の呼び方を考慮できていないが、幸い皇帝には気付かれなかったようだ。


「だが……私が妃としなければ、ファナはもっと」

「お袋が選んだ道だ! 好きな男とも結ばれず、引き離されて淡々と生き続けるか。短くても全力で愛に生きるか。お袋は愛を取ったってだけだろ。

…それより、どうして言ってやれなかったんだよ。お前の夫で誇らしいって。選んでくれてありがとうって」


 愛する妻を失って後悔する父に酷な事を言っているのは分かっていたが、生憎その父の不器用さのせいで被害を被っている者がいるのだ。


「私のために犠牲になったのにか? 一言も愛を告げる事もできなかった、こんな男のために」

「何が愛を告げるだ。普段『おい』しか言わなくて、泥酔した時ぐらいに『お前が嫁に来てくれたおかげで、俺はこんなにも幸せだ』とか漏らすような親父でも、お袋は満足してたぞ」

「……私が、そう言ったのか?」

「(やべっ、前世の親父の話だった)…あーもう! あんたがそんなだから、フローラが自分を責めてるんだよ。お母様が死んだのは私のせいだって。お父様はきっと恨んでいるから、私の事を見ようとしないんだって」

「フローラが? 違う…娘が悪いんじゃない。ファナの魔力が尽きる、タイミングが悪かったのだ」


 そんな事は、レオンも家族も分かり切っている。そしてファナも、これが最後だと分かっていてフローラの出産を決めた。

 だがルクセリオンは悲しみのあまり、感情を娘にぶつける事を恐れて何も言わなかった。それが巡り巡って最悪の形でフローラを傷付けたと言うのに、この父は今までその事に気付けなかったのだ。


「もういいから、あんたは娘とちゃんと話し合いなよ。そして三発殴られて来い」

「三発か……また微妙な数だな。あの真面目な娘がそんなに手を上げられるのか?」

「後の二発はプルティ―とクレイヤの分だよ。あいつら、半分しか血が繋がってねえのに俺より仲いいから」


 もちろん、そこまで修復するのに手を尽くしたのはレオンである。ルクセリオンはぶすくれる息子に苦笑を返して頷く。


「分かった、もうフローラと向き合う事から逃げないと約束しよう。……しかし変だな。私は皇家の者の愛は破滅を招く可能性もあると説きにきたのだが」

「あ? レードラの事を説教したいのか? だったら逆効果だったな。俺が愛に生きる男になったのは、母親譲りだったと納得しただけだぞ」

「まったく……一筋縄では行かん女に惚れてしまう所は私に似たな」


 瞳を閉じ、二十数年ぶりに再会した赤い髪の女を思い出す。衣服を纏っていたせいか、息子を妙な道に目覚めさせてしまった責任からか。おずおずと赤い花を差し出すその様子は、赤の渓谷で血を分け与えた時のような神々しさはなく、本当にただの一人の娘だった。…裸足と尻尾を除けば。


「まあ、やれるだけやってみるが良い。宰相の方は余から言っておく」

「いいのか……?」

「どうせ止めても聞かぬのだろう? いざとなればティグリスも居る。そなたの納得のいく形で答えを出してみせよ」


 頭に手を置くと、亡き妻そっくりの瞳が揺れる。ファナは死んだが、その血と魔力はレオンに受け継がれている。レッドドラゴンによってもたらされた、これも宿命なのかもしれない。


「その一助になるかは分からんが、レオンハルトよ……十五になればクラウン王国へ留学せよ」

「クラウン王国? 隣の国のか?」

「ああ。勇者一行と共に魔王を倒した魔術師、マサラが王妃となって嫁いだ国だ」

「……!」


 マサラ=ルティシア=クラウン。

 約二百年前にドラコニア帝国に居た女性。

 出自は当時の辺境伯の一人娘……とされているが、資料はほとんど残っていない。それよりも帝都で薬売りをしていたところを隣国の王子に見初められたとか、大魔女に弟子入りし、訪れた勇者の仲間となる経緯など、『魔術師』としての逸話ばかり(フィクションを含め)語られている。

 レッドドラゴンの妹弟子と言う辺りにしてもそうだ。


「彼女の記録が、かの国に遺されている。また今の王族も皆、マサラの子孫だ。一年間帝国を出て、彼等と親交を深めてこい」

「どうして、俺が……?」

「分からんのか? レッドドラゴンの人間形態が誰の姿をしているのか、惚れた女の事ぐらいは把握しておけ」

「……」


 レオンの目が泳ぎ出した。どう言うわけか、迷いを見せている。恐らく一年も彼女と離れたくないのだろう。

 だが皇帝は、この経験が息子にとって良いきっかけになると思っている。家族や友人、愛する者と離れて一人でじっくり考え、答えを出して欲しい。

 その結果選び取った道を、今度こそ見守っていきたいのだ。


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