第13話

 レオンはそれからも、皇子教育の合間を縫って掘削を進めていた。あの日以来仲間内で集まる事はなく、レードラとも何となく会話し辛い。

 そうなるとつい考えてしまうのは、父ルクセリオンから告げられた母の生と死……それに関わっていたレードラの試練の事だった。


 父は母を死なせてしまった事を悔いていた。


(レードラも、そうなんだろうか)


 後悔、してるんだろうか。母を救ってやれず、父を傷付けてしまった事を。

 だが本人が言っていたように、それは神の役割じゃない。人の願いを叶えるのは悪魔だ。彼女は魔界で生まれたので、どちらにも成り得る……とは言え、今の所は帝国の守護神に納まってくれている。


 そんな彼女に求婚し、我儘で振り回しているわけだが、何だかんだ言いつつ自分に甘いのは、レードラなりの贖罪なのだろうか……


(もし、お袋の事での罪悪感からなら……それは見当違いってもんだからな。俺はお前に母親やってもらいたいんじゃない。嫁にしたいんだよ!)


 深くまで掘れていく。奥へ奥へ、ざくざくと。

 やがてガラガラッと周りの岩が崩れ、もわっと湯気が立ち込めた。


「何だこれ……洞窟? うわっぷ!」


 赤の渓谷の岩壁を掘り進めた先に、さらに洞窟があるとは。襲い来る蝙蝠を払い除け、ランタンで奥を照らす。もしダンジョンと繋がっているなら、魔物が出て来ないよう封じておかなくては。


「にしても、この湯気は何だよ。火山はないから溶岩とは考えられないし」


 匂いを嗅ぐが毒ガスと言う線もない。正真正銘、ただの湯気だ。慎重に出所を辿っていくと、そこは巨大な空洞になっていた。じめじめしていて室温と湿気がすごい。中は全体的に暗かったが、床の真ん中から強い魔力の光が発せられ、その上を大量の水が揺蕩って天井に波を映し出していた。湯気はここから発生している。


「温泉……? 何でこんな所に」

「誰?」


 女の声がした。温泉に、誰かが浸かっている。顔は見えないが状況から言って裸である事は想像がつく。


「あ、これは失礼……ごゆっくり」

「待ちなさい、人間の男に会うのは久々なの。せっかく来たんだから楽しんでいらっしゃいよ」

「人間の男……? どわっ!!」


 ザブンと温泉の中に引き摺り込まれる。温かい湯と女の柔らかな肢体が纏わり付いた。


「緊張してるの? こんなカタくなっちゃって……ンフフフ可愛いわねぇ。大丈夫、全部お姉さんに任せて」

「んぎゃ――!!」


 女の正体は痴女……ではなくて悪魔だった。蝙蝠の羽に暗闇で光る銀糸の髪と赤い瞳。ぼんやりと照らされた光に浮かび上がる姿はぞっとするほど美しかったが、人間ではあり得なかった。


「やめてーレオンとしての純情はレードラに捧げるって決めてるから!」

「あら一途。そう言う真面目な子、お姉さん大好物♪」


 バチャバチャと暴れるも抵抗空しく、絶体絶命の(貞操の)危機。

 そこへ。


 ドカ――ン!!


 洞窟の壁が吹っ飛ばされ、土煙の中から般若の顔をしたレードラが現れた。大きな穴が開いた事で、視界がさっきよりも明るくなる。彼女は何故か体操着の上からチアガールのユニフォームを着ていた。


「何をしとるんじゃ、お主等」

「た、助けてレードラ……悪魔に犯される」

「失礼なボクちゃんねぇ」


 そこへレードラの尻尾が恐るべきスピードで鞭のように襲い掛かってきた。悪魔はサッと飛んで避けたが、レオンは巻き添えで一撃を喰らってしまう。


 ぶくぶく湯船の中に沈むレオンを、レードラはザブリと引き上げた。


「おい、生きとるか?」

「れ、レードラ……体操着をアンダースコートにするのは、やめ…ろ……ガクッ」

「何が『ガクッ』じゃ、全然余裕ではないか」


 言いながらレオンをぽいっと湯船に放り出すと、レードラは悪魔と向き合う。


「久しいのう、シルヴィア」

「そんなにタってたかしら? 精々四、五年くらいじゃない」

「そうじゃったか……ここ数年が濃過ぎて忘れとったわ。何故ここに居る?」

「お湯の中に魔法陣が見えない? ここが魔界と繋がっているの。温泉も魔界の火山近くのモノよ。にしても羨ましいわぁ、そんなに濃いならワタシも味わってみたい」


 挑発的に舌舐めずりをする悪魔に、レードラはがっくり肩を落とす。その様子は、どうやら顔見知りのようだ。


「レードラ……このお姉さん誰? それに魔界って…」

「夢魔のシルヴィアよ、ボクちゃん」


 シルヴィアがサッと手を上げると蝙蝠がうぞうぞ飛んできて、一本の細い紐となり肢体に巻き付いていく。その姿は…


「あっ、前に借りたって言うエロ衣装! あんたがレードラの友達だったのか」

「友達と言うか……魔界にいた頃からの腐れ縁じゃ。こいつも時折地上に出ておるようじゃが、こんな魔法陣から出入りしておったとは」

「アーン、つれないんだから♪ でもずっとドラゴンだったから、まともに言葉を交わしたのは前回が初めてだったじゃない。今はレードラって呼ばれてるのね、赤さん」


 赤さん。

 一瞬、ネットでよく見た外道な台詞の赤ん坊が思い浮かんだが、例によって彼女の呼び名の一つなのだろう。


 そんなレードラが旧知の友を見る目は、何故か据わっていた。


「どうでもいいが、こやつは帝国の第一皇子じゃから、手を出さんでもらえんか。皇帝からはよろしく頼まれておるからのう、お主に干物にされては困る」

「あらぁ? いつから貴女、皇子様の筆下ろしのお世話まで引き受けるようになったの。そっかー、この間の服を借りたいってそう言う……」

「違うわ!! 何をよろしくすると思ったんじゃ」


 言い合いをする女たちに挟まれ、レオンはレードラの苛立った様子に戸惑う。


(もしかして、妬いてくれてるのか? いや、ここで口に出したら全力で否定されるだろうな。自分はただの保護者だとか、下手したらお邪魔なら退散するとか言って置いてかれそうだ……だが大事なのはレードラが着ている服だ、特に体操着!! あれは俺より前の世代のもんだぞ)


「ん、どうした? 儂の格好がそんなにおかしいか?」

「納得イかないわぁ…ワタシの素敵コスチュームより、そんな重ね着の方に熱い視線を送って」

「こやつ、儂がそれを着た時に鼻血出して倒れたからのう……直視できないんじゃよ」

「レードラ!!」


 険悪な空気が削がれたところでレードラの肩をがしっと掴み、レオンは必死の形相で迫る。


「そのチア衣装と体操着、俺が贈ったやつじゃないよな。どうした!?」

「な、何じゃ……そんなムキになる事か。マチコに貰ったんじゃよ。里帰りから戻ってきたのでな」

「マチコ先生が……?」


 気迫に押されていたレードラだったが、驚くレオンの手を肩から剥がしながら頷いた。平成初期の日本に戻ったマチコは無事家族や友人と再会し、この世界の事や今までの人生を伝え、改めて別れてきたのだと言う。その際に実家に置いてあった学生時代のユニフォーム一式を持たされたので、もう着られないからとレードラが譲り受けたのだ。


「儂のもんになったから、尻尾の穴は開けてさせてもらったぞ」

「マチコ先生、ありがとう!!」


 パンッと手を合わせて感謝するレオンを、訝しげに眺めるレードラ。彼は自国の神にもこんな風に拝んだ事はない。


「解せんのう……まあ良い。せっかく久々に皆揃っておるんじゃ。声をかけておいたから会っておくがいい」

「え……?」


 どうやらレードラがここまで来たのは、それを伝えるためだったようだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 魔界から温泉を召喚(?)した魔法陣の周囲には棒が四本突き立てられ、縄とお札で封じられている。えらく簡素だったが、これで魔界からは魔物がやって来れないそうだ。


 それを取り囲むように、梁山泊の面々は水着姿で温泉に浸かっていた。


「僕たちの分の水着も日本で買ってきてくれたんですか」

「ふふっ、そうよ。こっちじゃ物も揃わないだろうって、本とか服とか……。向こうにいる間、料理も改めてみっちり母に教わったの。今じゃ私の方が歳取っちゃったから変な感じだけど、会えてよかったわ」


 黒のワンピース水着を着たマチコがしみじみした顔で答えている場所から少し離れ、サイケがレオンに頭を下げてきた。


「悪かったな……その、言い出し辛くて」

「しょうがねえよ、あの狸ジジイには下手に逆らわない方がいい。工房を大きくするチャンスなんだから、しっかりやれよ」

「ああ。…ところで今、計画の方はどうなってる?」


 サイケの問いにレオンは現状をざっと説明する。


「資金と人材が圧倒的に足りないが、現時点ではどうしようもないな。目下クリアすべきは、本の保護だ。この通り、温泉も近くなっちまって湿気がすごいし、飲み食いする時の対策を考えないと……なあ、マチコ先生が持ち帰ったビニールで透明な保護フィルムとか発明できないか?」

「無茶言うなよ、専門外だし……作ったとしても、それを一枚一枚本に貼っていくのがどれだけ手間だと思ってんだ」

「ダメかー……ここ何とかできなきゃ古書を運び入れられないんだけどな」


 そんな事を話していると、レードラが湯船に入ってくる。その姿を見て、男連中はざわついた。


「旧型だ…」

「あれは凶悪…」

「……『今田』って誰?」


 レードラの格好は【今田】と書かれたゼッケンを付けたスクール水着だった。途端に、レオンの目からぶわっと滂沱の涙が溢れ出す。


「う、うう…っ、ぐすっ」

「えー…お前、その反応はどうなの」

「おばさん分かるわー。もう戻って来ない青春の眩しさってやつよね」

「マチコ先生も何言ってんの!?」


 うんうん頷いているマチコに、レードラは呆れた視線を寄越した。


「何がもう戻って来ないじゃ。十四の小僧じゃぞ」

「うう……レードラぁ」


 情けない声を上げて縋り付くレオン。いつだったかスライムに負けて泣いた事を内緒にしてくれと頼まれたが、こんなあっさり晒していいんだろうか。


「ええー、納得イかなぁ~い」


 同じくマチコに貰った赤いビキニのシルヴィアが口を尖らす。男共への誘惑が懸念されていた夢魔だが、魔界の事を詳しく聞きたいレイニスに掴まっていた。真剣に質問しながらメモを取るレイニスに、ちらっと流し目を送る。


「ねぇ、そんなおカタい事は止めて、ワタシとイイコトしない?」

「ぜひお願いしたい。では、このインタビューはボランティアって事で」

「ああん、そんなつれないトコも素敵♪」


 淡々とした反応に悶えるシルヴィア。もう何でもいいらしい。

 一方レードラは、地獄絵図のようになってきている現状から抜け出す事を早々に諦めたようだ。


「うっとおしい。ゼッケンに鼻水を付けるな」

「おいレオン…今のお前、帝国の皇子としても日本人としてもドン引きだぞ。いいから離れろ」

「うう~…いやだ~」


 ぐいっと引き離されそうになり、咄嗟にゼッケンを掴んだ拍子に縫い付けた糸がぶちぶち言い始める。


(ぬうぅ、レオンのこの執着……さながら神からの賜り物が如しじゃ。一体この『今田』とは異世界の神か英雄か? 待てよ、こやつばっちいミルクキャップも宝物にして集めておったし、案外イチオシのお笑い芸人とか言う線も……)


 見た目的にかなり危ない状況になっていたが、レードラは明後日な事を考えていた。だがいい加減止めないと、ゼッケンが取れてしまう。


「おいマチコよ、この『今田』なる者は如何な英傑か?」

「え、私の旧姓だけど?」

「……このゼッケンとは、何か良からぬものを封じる護符か何かではないのか」

「ホホホッ、そんなわけないじゃない。ただの名札だから取っちゃっていいわよ」

「それもそうじゃな」

「おわぁっ!!」


 マチコに確認したレードラが躊躇なくゼッケンをベリッと毟り取った反動で、レオンは後ろに引っ繰り返ってザブンと湯船に落ちる。その時の水飛沫が、シルヴィアにインタビューしていたレイニスのメモ帳にかかってしまった。



「ぷはっ!! 悪い、レイニス。メモ帳が濡れ……あれ、濡れてない??」


 レイニスから取り上げたメモ帳を確認したレオンは、首を傾げる。水を被ったはずなのに……それどころか、こうして濡れた指で触っても染みた様子はなく、紙はサラサラした手触りのままだった。


「ああ、それ? 入る前に保護魔法をかけてもらったんだ。前世でもお風呂で読める本ってあったでしょ」

「保護魔法? 戦闘中に魔法や物理攻撃から身を護るアレだろ。こんな使い方もできるのか……

っ!!」


 その時、レオンに稲妻のような衝撃が走った。


 食べ零しや虫食い。

 厨房の衛生環境。

 室内の湿気、その他諸々……


「これだあぁっ!!」


 メモ帳を放り出し、ザバッと立ち上がって絶叫する。突然の叫び声に、温泉を楽しんでいた連中はぎょっとした。


「どうした、レオン!?」

「ちょっと、いくら濡れないからってこの扱いは酷くない?」


 湯船に落ちたメモ帳を拾い上げながらぶーぶー文句を言うレイニスに構わず、レオンは温泉から飛び出した。


「見つけたぞ――!!」

「アルキメデスかよ、あいつは…」


 サイケの呟きを最後に、湯上りで興奮したレオンの意識はブラックアウトした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「うーん……はっ!!」


 レオンが目を覚ますと、洞窟の入り口付近でレードラに膝枕されていた。もう日も落ちていたが、今夜は満月なのでそこそこ明るい。その光に照らされたレードラは、浴衣を着て団扇でレオンを扇いでいる。


「レードラ……その浴衣は?」

「おお、起きたか。これもマチコがくれた物じゃ。あやつの学校は服の指定が多いのう」


 彼女の母校では盆踊りが行事に入っているのだろうか。それはそれとして。


「俺、もう死んでもいい……」

「アホか」


 太腿に顔を擦り寄せると、団扇でベシッと叩かれた。好きな女の子の膝枕……男の浪漫である。


「皆はもう帰ってしまったぞ。そこの冷蔵庫にミルクをキンキンに冷やしてあるから飲めとサイケとキャトルが言うとった。シルヴィアはやたら気に入っておったのう」


 レードラが尻尾で指し示す先に、魔石が埋め込まれた四角い箱がでんと鎮座している。この時代になるとどの国でも魔力を利用した冷蔵庫が出回っているので、先人の転生者様々だ。

 シルヴィアがミルクを好きなのは……サキュバス的なアレだろうか。


 二人は月を眺めていた。この世界では地球よりもやや月が大きい。向こうでも「魔力がある」と言われているが、ここではそれが本当の事なのだ。目を凝らせば、月光浴のために空を飛んでいる魔女や魔物の姿が確認できるだろう。ゲームのようだが現実の世界に、レオンはレオンとして生きている。


「レードラ、俺……十五になったら、クラウン王国に留学に行くよ」

「……」

「マサラに、会いに行く」


 二百年前の隣国の王妃を、レオンは「マサラ」と、ただそう呼んだ。レードラも静かに頷き、それを受け入れる。


「行ってこい。工事は進めといてやるから、こっちの事は心配するな。妹弟子には、儂がよろしく言うとったと伝えてくれるか」

「うん……レードラ」

「何じゃ?」


「好きだ」


 がばりと起き上がると、レオンはレードラを抱きしめる。その存在を確かめるように、言い聞かせるように、強く。


「好きなんだ、君が」

「分かっておる」

「本当に、好き……愛してるんだ」

「何を不安がっておる。たかだか一年離れるだけではないか」

「うん…うん……」

「待っておるから、精々好い男になって戻って来い」


 手が塞がっているため、尻尾で頭を撫でてやると、レオンは思いつめた表情で彼女の目を覗き込む。


「そしたら……その時は、キスしてくれる?」

「何じゃ、今でなくて良いのか」

「うぐ……いや、決心が鈍るから全部終わらせてからじゃないと」


 いつもの調子でからかってやれば、思いの外真剣な眼差しを向けられたので、レードラは茶化すのを止めた。これは、本気だ。


「それに、どうせならさよならじゃなくて……おかえりって形にしたい」


 初めてキスした時の事だろう。あの時は、今生の別れのつもりだった。帝都から相当離れた険しい地形にあり、魔法陣がないと人の足では半月以上かかる距離だ。行き来を禁止されてしまえば、立場ある皇子ではこちらに来る事ができない。

 レオンが試練と言う形に縋ったのも、無理からぬ事だった。


「まあ、まだ十五になるまでには日も充分ある。ゆっくり準備せい」


 団扇で扇ぎながら言ってやればレオンはこくりと頷き、そっと手を重ねると指を絡めてきた。甘える仕種が幼子のようで、とても可愛いと思う……思うのだが彼はこの帝国の未来を背負って立つ身。そろそろ乳離れはさせなければならない。割と本気で。


「月が綺麗だな」

「うむ、見事な満月じゃ……さっき食うた今川焼きを思い出す」

「今川焼き!? 何でそんなの食ってんの、俺の分は?」

「マチコが差し入れてくれたぞ、今はすべて儂の腹の中じゃがのう。ふはははは!」

「憎い、この腹が!!」


 じゃれ合う二人を、赤の渓谷を照らす月が見ていた。


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