番外編⑤ダイエット大作戦

※選抜会終了後からルピウス来訪の間の話

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「……やっぱり太ってる」


 脱衣所にある鏡を見ながら、マリーゼは頬っぺたやお腹の肉を摘まみ上げていた。選抜会の時に久しぶりにコルセットをして、それに気付いてしまったのだ。

 龍山泊には体重計が置いていない(あってもこまめに量る習慣がない)ので分からないが、明らかにここに来た時よりも肉が付いている。自分はレードラの影武者も務めているのに、これではその内、見た目にも違いが出てきてしまう。


『マリーゼ、太ったんじゃないか? レードラには全然似てねえよ』

『うむ、こんな有り様ではもう店長代理など任せられんな』


(そんな……)


 彼等がこんな事を言うわけないと思いつつも悪い想像ばかりが膨らんでいく。さらにマリーゼが危惧するのは、近々ここを訪れると言う情報が入ったばかりのルピウスの事だ。彼は自己管理に関して、自他共に厳しい人だった。もし鉢合わせしてしまったら、今のマリーゼを見て何と言うだろうか……


『無様だな、マリーゼ。こんなブクブク肥え太って……美しいタリアとは大違いだ。その醜さは、お前の性根にお似合いの姿だよ。惨めに生き恥を曝すくらいなら、いっそあの時殺してやればよかったな』


 ぞわっ、と青ざめて自身を抱きしめるマリーゼ。彼女はルピウスが何のために帝国に来るのか、頭から抜け落ちていた。ただ、子供の頃にルピウスの前で甘いお菓子を我慢したり、剣術の稽古を見学していた時の事を思い出す。


『マリーゼ、私は怠惰な人間が嫌いだ。自己を顧みず、立場を忘れて欲望のままに生きる人間は、傍から見てとても見苦しい。常日頃から自ら律する事が、理想の自分を作り上げるのだ』


 ルピウスは王家を継ぐ者として、幼い頃からそれをモットーにしてきた。今となっては見る影もないが、思うにあまりにも自身を雁字搦めにしてきたため、タリアと出会う事で今まで抑圧されてきた分の反動が来てしまったのだろう。

 それはさておき、マリーゼはルピウスのそんな厳しさが好きだった。彼があんなにも美しく、凛々しく、堂々とした佇まいなのも納得だと。


(ルピウス様には、お見せしたくない……)


 彼の所業は許せないが、それはそれなのが乙女心。隠れていろとは言われたが、万が一と言う事もある。憂鬱な気分になりながら服を着ると、マリーゼは脱衣所を出たのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 カウンターではレオンが受付にいて、騎士団の紋章の付いた鎧を着た男と、蔦の巻き付いた杖を持ったローブの少年と無駄話をしていた。


「ほら、マチコ先生から色々差し入れ貰ってるだろ? その中からスイーツの新メニュー出せないかなって。葡萄大福とかどうよ?」

「焼き饅頭もおいしかったですよ」

「…俺は甘い物は好きじゃないからな。塩あんびんは美味かった」

「あれ、そうだっけ? 騎士団って結構訓練きついから、糖分は必須だと思ってたけど」

「いや……既定の体重に足りなくて、入隊試験までドーナツ食いまくってたから。今世でもそれ引き摺って、甘い物は苦手なんだ」

「太りたいなら別に、甘い物に拘らなくていいじゃん。キムチ鍋にうどんと餅投入してご飯で食えば、覿面てきめんに太るぞ」

「キムチ自体に太る要素はないんですけどね……日本人炭水化物取り過ぎでしょ」


 そこへやってきたマリーゼに気付いたレオンは、裏に回るように促す。通り過ぎる際、マリーゼはいつものように二人の客に頭を下げた。


「いらっしゃいませ、ごゆっくりどうぞ」

「……レードラ様?」


 客の男が不自然な反応を見せたので、ドキリとする。


(レードラ様じゃないって、疑われてる? そんなに今の私って、以前と違ってるんだ)


 地味にショックを受けつつも、マリーゼはバックヤードに入る。

 そこではレードラがテーブルに着き、何かの揚げ物を頬張っていた。


「マリーゼ、お主も食うか?」

「何です、それ?」

「フライライスボールじゃ。中はチャーシューとチーズが入っておる。美味じゃぞ」

「……それはお昼ですか?」

「いや、間食じゃが」


 マリーゼは愕然とした。この一年、レードラに付き合っておやつのご相伴に預かってきたが、外出もろくにせずにこんなに食べていては確かに太る。


(う、運動しなきゃ……)


 固く拳を握り締め、マリーゼは絶対痩せようと誓った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「何、谷底に降りたい? こんな時間にか?」

「はい、外の空気を吸いたくて……明日はお休みを頂いてますし。ダメでしょうか?」

「いかん事はないが……お主の格好は何じゃ」


 その日の仕事が終わり、寝るために谷底に降りるレードラに付いて行きたいと言ったマリーゼは、彼女から服を借りていた。レオンが造らせたクローゼットに収められたレードラの衣装の中から、これを見つけた時は意味が分からなかったが、今回は役に立ちそうだと思い選んだのだ。

 マリーゼが着ているのは、軍服だった。ドラコニア帝国軍ともクラウン王国軍とも違うデザインだが、何故か店長服の下に着けているパニエぎりぎりのミニスカートである。そこにブーツと軍手を組み合わせ、動きやすいよう髪はポニーテールにした。


「へ、変ですか…?」

「一番そう思っとるのはお主じゃろう? しかし何故か、異様に似合っておる……。マリーゼに似合うと言う事は、即ち儂も似合うと言う事じゃ。レオンめ……」


 ぶつぶつ言いながらもマリーゼが付いて来る事を承知したレードラは、絶対に自分から離れないよう忠告してドラゴンの姿に戻った。選抜会の時にハンターに殺されそうになったのだから、当然の処置だった。



 谷底に着いたマリーゼは、途中崖から突き出た太い枝に結び付けておいたロープを掴む。選抜会では転落する原因となった憎っくき枝だが、今回はダイエットのために役立ってもらおう。

 こちらに背を向け体を丸めるレードラの邪魔にならないよう気を付けながら、マリーゼは崖登りを始めた。


「んしょ、んしょ……ひゃああっ!」


 途中まで登る度に足を滑らせ、ロープにしがみ付いたままずるずると滑り落ちてしまう。ヒヤリとしたが、腕や足に筋肉を付けるにはちょうどいいと前向きに考え、ひたすら登り降りを繰り返す。


(ちょ、ちょっと疲れてきたかも……腕が痺れてきたし)


 全体重を支えている腕はともかく、足は痩せるんだろうか。何せ、崖はつるつるしていて足場が悪いのですぐ踏み外すのだ。

 その時、


「何してるんだ?」


 いきなり下から声がかかり、驚いて視線を向けると、そこにはレオンが立ってこちらを見上げていた。


(レ、レオン様!? いつの間に……って私、今ミニスカート!!)


「いや…っ、きゃああっ!!」

「危ねっ!」


 咄嗟に片手でスカートを押さえた事で一方に負荷が掛かってしまい、マリーゼはうっかりロープから手を離してしまう。レオンは転落したマリーゼをドサリと受け止めた。


「大丈夫か、マリーゼ!?」

「はわっ、はわわわわ…」


 図らずもお姫様抱っこの構図になってしまい、レオンの腕の中でマリーゼは硬直した。


「ご、ごめんなさい…重かったでしょう?」

「いや、特に気にならない」

「嘘! 絶対レードラ様より重いはずです……あ、人間の時ですよ?」


 ツッコミが来そうだったので、先に言っておく。動揺しながらも割と冷静なコメントに自分で呆れつつも降ろしてもらうと、レオンは首を傾げていた。


「前から思ってたけど、マリーゼって太るの気にしてる? 今もダイエットのためにやってたんだろ。無理すると腕痛めるぞ」


 そう言うと彼女の腕を取り神聖魔法をかける。その卒のなさが何だか皇子様らしくてドキドキしながらも、マリーゼは俯く。


「だって本当に……レードラ様に合わせたコルセットはきついし、あちこちお肉も付いてきてしまうし……」

「マリーゼ、今いくつだ?」

「十七歳です。もうすぐ十八になりますけど」

「レードラの人間形態の年齢は、二十歳だ」

「…えっ!?」

「マリーゼくらいの年齢なら、少しぽっちゃりしてるくらいがちょうどいいんだよ。むしろ、初めてここに来た時が痩せ過ぎてたんだ。重傷だったし、相当なストレスもあってろくに食事も取れなかっただろ? 元に戻った、ぐらいに考えた方がいいよ」

「でも……あまり太れば、レードラ様の影武者役が……」


 しゅんと落ち込むマリーゼを覗き込み、レオンはどうしたもんかと頭を撫でてやる。


「そんな言うほど違いはないけどなあ……でも確かに、ほとんど外出させてやれなかったのは気になってた。店長代理の仕事は大変だし動き回ってはいたけど、店内限定だったからな」


 加えて食事も毎日、喫茶店のメニューばかりだった。味が濃くてカロリーが高い外食が続く事の危険性を、レオンは身を持って知っていたはずなのに、おざなりにしてしまった事を反省する。


「なるべくここで作ってる付け合わせのスープとかサラダを中心に取るようにして……体重計も置くか。毎日量って記録する習慣を付けろ。いいか、いきなり無理なダイエットやきつい運動は体壊すからな?」

「はい……」

「まあ、女の子は男がどうこう言っても気にするよな。俺的にはマリーゼは充分可愛いと思うんだけど」


(それはレードラ様に似ているからでは?)


 レオンがそう思っているなら、ますます違いを出すわけにはいかないではないか。声には出さないがむくれるマリーゼを、どう受け取ったのかレオンは苦笑する。


「本当だって! と言うかその服、レードラに借りたのか? めっちゃくちゃ似合ってるよ。おあつらえにポニーテールまでしてさ」

「何がおあつらえなのかは知りませんけど、守護神に軍服と言うのもおかしくないですか?」


 以前から気にはなっていたが、レオンが用意する服は何気に制服が多い。軍服も彼の好みの一つなのだとしたら、相当な変わり者だと思う。マリーゼの視線から逃れるように、レオンは鼻を擦りながら視線を逸らした。


「うん……実は、軍服じゃないんだよね。前世でお隣の国のアイドルがそれ着て踊ってたのが可愛いなって思ったから」

「アイドル…歌姫の事ですよね? 異世界では歌いながら踊るのですか。かなりエネルギッシュなのですね」


 過去語りで彼がレードラにアイドル衣装を着せたがっていたのを思い出す。ちなみにこの世界、歌姫と踊り子は別の存在だ。踊りながらだと息が切れてしまうせいもある。


「そうだマリーゼ、踊ってみるのはどうだ? いい運動になるぞ」

「踊り…ですか? 確かにダンスの練習はハードですものね」


 レオンに勧められて、マリーゼは久しくダンスの練習もしていなかったと思い返す。誕生式典ではブランクもあり、レオンにだいぶリードしてもらったし、かなり体が鈍った自覚はあった。


「せっかくその格好なんだし、異世界のダンスでも覚えてみるか?」

「はい、でも…私は曲を知らないので、レオン様歌って頂けますか?」

「うえぇっ、俺が!? 男が歌っても気持ち悪いだけだぞ」


 レオンは躊躇したが、聴いた事もない楽曲のダンスではリズムが掴めない。仕方なく、小声で歌いながら振り付けを教える事になった。外国語の歌詞なんて覚えているわけがなく、意味不明な呪文になってしまったが。

 マリーゼは大真面目にそれを記憶し、レオンに指導を受けながら踊ってみる。手足の動きが多くて思ったよりもきつく、終わる頃には汗だくになっていた。


「はあ、はあ……どう、でしょうか?」

「すっげえ可愛い! 思いっきり体動かすのって気持ちいいよな」

「はあ…はい……、っげほ」


 久しぶりの激しい運動に、へろへろになって地面にへたり込んでしまう。レオンは慌てて隅に置いてあった荷物から水筒と林檎を取り出した。


「ごめん、本当はこれ届けに来たんだ。何か落ち込んでるみたいだったから、後つけて相談に乗ろうと思って。腹も減っただろ?」

「あ、ありがとうございます…」


 水筒の水を呷って喉を潤しながら、心配させてしまった事を悪く思う。レオンもレードラも軽蔑なんかしないと分かっていたのに、つい不安になってしまったのだ。


「なあ、もしかして体型を気にしてたのって、ルピウスが来る事に関係があるのか?」

「えっ?」

「だとしたら絶対、あいつには何も言わせねえよ。言う資格もないし、マリーゼがマリーゼである事に変わりはないんだから」


 悩みの核心を見抜かれていた事に驚く。てっきりレードラの事ばかりだと思いきや、周りの事も意外とよく見ているのだ。マリーゼは胸が熱くなった。


「はい……もう気にしません。レオン様がそう仰るなら」

「うんうん、大体太ったって言うならレードラの方だよな。こいつなんて五キロも太ったんだぜ」


 レオンが尻を向けているレードラの尻尾をペシペシ叩くので、首を傾げるマリーゼ。そんなに体重が増えたのなら、見た目にも分かるはずなのだが。


「お言葉ですが、レードラ様の体型はまったく変わりありませんけど」

「そりゃ変身魔法だから。俺が言ってるのはこっち、ドラゴン形態の方」

「!?」


 とんでもない事をさらりと言ってのけるレオンに絶句する。ドラゴンはキロと言うレベルの重さではない。例え五キロ増えたところで、思いっきり誤差の範疇なのだが……


「分かるものなのですか? 鑑定魔法でもレードラ様のステータスは見れないのに」

「分かるよ、毎日見てるもん。やっぱ必要ないのに甘いもんばっかは太るよな。食い過ぎなんだよ、アハハハ…」


 ゴシャッ!!


「ブベラッ」

「きゃーっ、レオン様!!」


 笑い飛ばしていたレオンの体が、レードラの尻尾の一撃を喰らって吹っ飛ぶ。突如この場に惨劇を作り上げたレードラは、尻尾を二、三度振ると元通り丸まって静かになった。


「……」


 聞こえていたらしい。

 至近距離で歌って踊って騒いでいれば、寝ていられないのは当然だった。


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